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“上原の悔し涙”にみる「個人と組織の関係」

上原引退/引退会見の上原

昨日(5月21日)、巨人の上原浩治投手が記者会見を開き、現役引退を表明した。

広島カープファンの私にとって、「巨人の上原投手」というのは、まさに「憎たらしい投手」そのものだった。現在、セリーグ3連覇中の「強いカープ」になるまで、25年間も優勝から遠ざかり、「万年Bクラス」と言われていた頃のカープが、上原投手にどれだけ悔しい思いをさせられてきたか。

そのような「巨人の上原投手」が「悔し涙」を流したことに、深い共感を覚えたことがあった。

その時に思ったことを書いたような記憶があったので、パソコンの保存ファイルを検索してみると、「上原の悔し涙」と題する短文がみつかった。当時は、検察組織に所属してた時代で、ブログやツイッターなどもなく、そのまま、私のパソコンの中に埋もれていた。

巨人軍上原投手、新人では19年ぶりの20勝投手、1999年10月6日のスポーツ紙面は、前夜のヤクルト戦で完投勝利を飾った若き巨人軍エースの賞賛で埋め尽くされるはずであった。しかし、意外にも、多くのスポーツ紙の一面の見出しは「上原、悔し涙」という大きな文字だった。

巨人軍には、もう一つの個人記録がかかっていた。ホームラン王を狙う松井が41本と、トップを走るヤクルトのペタジーニに1本差に迫っていた。既に中日の優勝が決まったセリーグの「消化試合」、球場に足を運んだファンは、松井対ペタジーニの白熱した「ホームラン王争い」に期待していた。しかし、6回ヤクルトの投手が、松井を敬遠したことの「仕返し」に、巨人のベンチは、7回1死無走者のペタジーニの打席の場面で上原に敬遠を指示、これに従って四球を出した上原は屈辱に顔をゆがめ、ベンチに帰ってからも涙は止まらなかったという。

野球は、チームプレーの競技である。しかし、それは、あくまでチームの勝利のためのもののはずだ。一人の個人記録のために、記録を達成しようとしている別の個人に対して、勝負を回避する指示をするということが許されるのだろうか。

スポーツ紙には、「むこうが勝負してこないのだから勝負しないのは仕方がない」という趣旨の巨人軍の投手コーチのコメントが載っていた。それは、「むこうのチームが投手にビーンボールを投げてきたのだから、こっちもやり返すのが当たり前だ」という理屈に似ている。そこには、「消化試合」であっても、球場に足を運んでくれた多くのファンに応えようという意識は全くない。

松井の敬遠も、ヤクルトベンチの指示だったかもしれないが、敬遠した投手は、結局のところ、松井にホームランを打たせない自信がなかったのであろう。しかし、それまでペタジーニにヒットすら一本も打たれていなかった上原には、少なくともホームランだけは絶対に打たれないという自信があったはずだ。99年のペナントレース、幾度も連敗を重ねながら、その都度「連敗ストッパー」として立ちはだかった上原のおかげで、最後まで中日と優勝争いを演じることができた巨人軍。上原には、そのベンチから、20勝投手の桧舞台でペタジーニを敬遠するように指示をされることなど、思いもよらぬことであったろう。ペタジーニを完全に押さえ込んで松井の援護射撃をしたいと意気込んでいた彼が、無念の涙を流すのは無理もない。

しかし、その上原個人にとっても、ベンチの指示にしたがって敬遠をすることが当然と言っていいのであろうか。指示に逆らって、腕も折れるぐらいの気迫で速球をペタジーニに投げ込むことがなぜできなかったのか。もし、ここで、上原がベンチに対して「反逆」を行い、万が一それがホームランという結果につながったとしても、責める者は誰もいないであろう。上原には、その結果について自分自身で責任を負うに十分なだけの実力と実績がある。

観客の前で白熱した「勝負」を演ずることがプロ野球の神髄だとすれば、チームの勝敗のためではなく個人記録のために勝負を回避させたベンチの指示は、決して正当なものとは言えない。「不当な指示」であっても、それに従うことが、プロ選手として当然なのであろうか。マウンドで投球を行っていたのは投手上原であり、「巨人軍」ではない。入場料を払って観戦に来てくれる客に対して、真剣な「勝負」で応える責任を負っているのは、組織としてのチームだけではない。プロとしての選手個人にも責任があるはずだ。

組織の指示に対し、「正当性」について自ら判断せず、従順にしたがっている限り責任を問われないというのが、従来の日本の企業社会での「個人」の行動だ。しかし、その日本の企業社会も大きく変わろうとしている。組織は、時として大きな誤りを犯す。組織の指示の正当性についても、自分自身で判断し、自己の責任で行動することが必要となることもある。

上原が流した涙は、巨人軍ベンチが最後の最後で自分を信頼してくれなかったことへの悔しさによるものであろうか、そのベンチの指示にしたがって惨めな敬遠四球を投じた自分自身の「ふがいなさ」を悔やむものであろうか。

カープファンの私が、このようなことを思うほど、上原投手は、この上なく強い、偉大な投手であった。

その活躍に心から拍手を送りたい。

 

「郷原信郎が斬る」2019年5月21日「“上原の悔し涙”にみる「個人と組織の関係」より転載

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アイドル、防災士、チャリティ……。 いろいろな活動で、たくさんの人を笑顔にしたい ──「アイドル」の平成30年史【時東ぁみさんインタビュー】

左からインタビュアーの博報堂生活総合研究所 夏山明美主席研究員とマルチタレント 時東ぁみさん

博報堂生活総合研究所(以下、生活総研)『生活者の平成30年史』出版記念企画のVol.4は平成が始まる2年前(昭和62年・1987年)にご誕生、平成半ば(平成17年・2005年)にデビューし、アイドルとして一世を風靡した時東ぁみ(ときとう あみ)さんのインタビューです。現在はアイドル活動のほか、防災士の資格を活かした仕事や、チャリティなど幅広くご活躍中の時東さん。平成とともに歩んできた時東さんの歴史を通じて、アイドル像の変化を振り返ります。

昔は、みんなが好きな人を好きになる時代だった

──時東さんのお生まれは1987年ですよね。平成元年が1989年なので、時東さんのこれまでの人生は、ほぼすっぽり平成に収まっているわけですが、子どもの頃はどんなタレントさんやアイドル、芸能人の方がお好きでしたか。

時東 5歳上にお姉ちゃんがいるんですが、その影響で、小さな頃からSMAPさんが好きでしたね。あと、モーニング娘。さんや松浦亜弥さんは中学生の頃に聴いていました。当時、アイドルの曲はみんなが聴く曲でした。カラオケに行って、みんなで歌ってました。

──ちなみに、SMAPのデビューが1991年、モーニング娘。のデビューが1997年です。

時東 私が4歳の時と10歳の時ですね。中学生ぐらいになるとRIP SLYMEさんとかケツメイシさん、ORANGE RANGEさんとか、ヒップホップ系の人たちがたくさん出てきて、好きでしたね。この時の曲が私の青春です。
あと、衝撃的だったのは宇多田ヒカルさんでした。うちの姉と同い年で身近な存在なのに、英語の発音も流暢で、すごく新しい音楽だと感じたのを覚えています。高校に入ると比較的自由な学校だったので、スピーカーを持って行って好きな曲をみんなで聴いていました。

──今は価値観が多様化した分、ファンも細分化していますが、時東さんのお話にあるように、以前は時代を代表するアイドルやアーティストがいましたよね。

時東 私の学生時代は、みんなが好きな音楽で溢れていました。自分だけが好きな人を見つけるというよりは、みんなが好きな人、みんなが知っているものが好きということが多かった気がします。今は「もっとコアなものを知ってなきゃ」と考える若い人たちが増えてきているように思います。

体育大を出て、人を助けたいと思っていた

──芸能界に入る前はどんな将来を思い描いていましたか。

時東 私は小さい頃からスポーツが大好きで、3歳(1990年)から12歳(1999年)までモダンバレエ、中学入学(2000年)から高校卒業(2005年)までバスケットボールをやっていたので、体育大学に入りたいと思っていました。実際に、日本体育大学と日本女子体育大学のオープンキャンパスにも行ったんですよ。

──なぜ、体育大学に入りたいと思ったんですか。

時東 お年寄りや身体の不自由な方にスポーツを教える人になりたいと思っていたんです。元々、私は「お年寄りや障害のある方がいたら、助けなさい」というお父さんの教えのもと、小学生の頃からボランティアでごみ拾いをやったり、デイ・ホームにいってお年寄りのお手伝いをしてました。そして、中学生ぐらいだったかな、父の勧めで乙武洋匡さんの著書『五体不満足』を読んだんですが、そのなかに「障害は個性だ」と書いてあって……。それを知った上でパラリンピックの車椅子バスケなどの映像を見て、選手の方々の凄さにも気づきました。私にとって人を助けられることのひとつにスポーツがあったので、体育大に入って、人の助けになりたいと思ったんです。

 

時東ぁみさん

 

──では、芸能界に入ったのはご自分の意志ではなかったということですか。「ミスマガジン2005 つんく♂賞」を受賞して18歳でデビューされたんですよね。

時東 親友が読者モデルをしていて、そこの事務所の人が私の写真を撮って「ミスマガジン」に応募したんです。
書類審査のあとで映像審査があるというので、よくわからないままコンテストを主催していた講談社に連れていかれました。会議室には関係者と私とカメラが一台だけ。「今から好きな歌をアカペラで歌ってください」と突然言われたので、EXILEさんの曲を歌わせていただきました。ほかの子はみんな、つんく♂さんが「ミスマガジン」の審査員だと知っていたので、つんく♂さんがプロデュースしていたハロー!プロジェクトさんの歌だったんです。私は何も知らなかったので、1万6千人のなかで一人だけ男性の歌を歌っていた……と、後になって聞かされました(笑)。そして、コンテストに自分が出ていると知った時には、すでにベスト16に入っていました(笑)。

 

 夏山明美主席研究員(手前)と時東ぁみさん

──それで、逆にいい意味で目立ってしまったということですね。

時東 そうかもしれませんね。あとは、他にも知らず知らずのうちに目立っていたのかなぁ~と思うこともあって……。その頃、「頭がよく見えるんじゃない?」ということで学校で伊達メガネが流行ってて、私もよくかけていました。オーディションにも、たまたま伊達メガネをかけていってたとか、「おでこを出してみて」と言われて、恥ずかしがりもせずにものすごく笑いながら、おでこを出したりとか、絶対にグランプリをとるといった気負いがないとか、ほかの子と違うところがあったから注目されたのかもしれません。

自分からもっといろいろなことにチャレンジしようと思った

──2005年、時東さんのデビュー当時のことを教えてください。

時東 デビューで私の人生は大きく変わりました。私はバイト感覚だったのに、事務所の人に「体育大学を諦めてくれ」と言われた時、夢を閉ざされた、挫折したと思いました。そこから、自分はどうなるんだろう?と思う間もなく、働きました。それまで自由な学校で緩かったのが、厳しく育てられました。髪型、衣装、それに眼鏡まで事務所の大人たちに決められて、27時間ミュージックビデオの撮影をしたりとか。今じゃ考えられませんけど(笑)。そうこうするうちに、AKB48さんの活動が始まって、そこからグループのアイドルが一気に増えていきました。正直、私はグループで活動している人たちをすごくうらやましいと思ってました。私はソロだったので、たとえ体調が悪くても一人ですべてを背負わなければならなかったからです。
でも今思えば、ソロのアイドルとしてつんく♂さんに接することができたことは、とてもよかったと感じています。プロデュースの方法を身近で学ばせていただいたことは、のちのライブの構成づくりやチャリティイベントのプロデュースに活きることになりましたから。

──デビュー2年目の2007年、20歳の時に超ご多忙にも関わらず、防災士の資格を取得されていますね。何かきっかけがあったんでしょうか。

時東 事務所の人から体育大を出て、人を助けたいという夢の話がつんく♂さんに伝わったんです。そして、突然、つんく♂さんに呼ばれて、「ボランティアとか人を助けるのが好きなんだったら、こんな資格もあるぞ」って教えてもらったのが、防災士でした。

──その資格がのちに「時東ぁみの危機耳ラジオ~その時のために~」などの防災関連のラジオ・パーソナリティのお仕事や防災イベントへのご出演につながっていくわけですね。2009年、22歳の時にはメガネのデザイン・プロデュースも始められましたよね。

時東 ちょうど防災士の資格を取った頃だったと思いますが、事務所の社長に呼ばれて「こちらから与えた仕事をすべてこなせるようになったことはわかっている。よくやっていると思う。でも、与えられる仕事以上のことをやろうと考えたことはあるか?」と言われたんです。その時、「ああ、私、平均点しか取れていないんだ」と思いました。言われたことしかやっていない、それじゃダメなんだって。それで、自分からもっといろいろなことにチャレンジしようと思ったんです。ちょうど同じ頃にSNSが普及し始めて、直接世の中にメッセージを発信できるようになったことも大きかったですね。

子どもたち向けの防災イベントでの様子

人から選ばれるアイドルから自分で手をあげるアイドルへ

──SNSの歴史でいうと、FacebookとTwitterが日本に上陸したのが2008年。iPhoneの発売も同じ年でした。

時東 SNSが普及したことで、私のようにアイドル以外の活動に幅を広げる人だけでなく、事務所に属さず個人で動くアイドルも増え始めましたよね。
80年代、90年代のアイドルは手の届かない存在で、レベルもかなり高かったように思います。グループじゃなくて一人だったから、事務所もしっかり教育しやすかったし、仕事も情報発信もすべて事務所がマネージメントしていたんではないでしょうか。それが2009年頃から、状況が変わり始めたように思います。例えば、アイドルがSNSで情報発信をするなど、自分で動くようになりました。
また、アイドルへのなり方も「人に選ばれるアイドルから、自分で手をあげるアイドル」へと変わりました。かつてのアイドルは、「スター誕生」などのオーディションで合格した人で、他の人やファンが「この人はアイドル」と思う人でした。今のアイドルは、オーディションに合格しなくても、「私、アイドルです」と自分で宣言しちゃえば、アイドルとして活動できる時代になったのでは……と思います。

──いわゆる「地下アイドル」と呼ばれる人たちですね。

時東 地下アイドルの皆さんは、SNSを使って自由に活動できる反面、方向性を見失ってしまうケースも多いようです。私は若い頃にブログなどもすべて事務所の人にチェックしてもらって、言葉遣いなどを教えてもらいました。それがあったから、今に至るまで一度もネットで炎上せずにすんでいるんだと思います。でも、地下アイドルの子たちは、SNSの使い方を教えてもらえるわけではないし、自分をプロデュースする方法を学ぶ機会もほとんどないようです。そのような話を聞くと、私は恵まれていたんだなぁ~と感じます。

現在、私は若いアイドルのみなさんと番組をつくっています。こうした仕事を通じて、私が学ばせてもらったことを今のアイドルさんたちに伝えられたら、と思っています。

──時東さんは複数のアカウントを使い分けるなど、うまくSNSを活用していますよね。

時東 公式アカウント以外に、防災士や、チャリティなどのアカウントを持っています。あえて分けているのは、例えばグラビアのお仕事のお知らせとチャリティ活動の情報を同じアカウントで発信してくのは、見る人にとってもわかりにくいし、私がメッセージを届けたい相手も異なるからです。

SNSが便利なのは、アカウントを使い分けることで、自分の活動のスイッチを切り替えられる点にあると私は考えています。昔だったら、アイドル以外のことをしたいんだったら、アイドルを辞めて、次は女優という感じでしたが、今は並行していろんな顔を持てます。
アイドルとして歌って踊っている時の自分、防災士の仕事をしている自分、チャリティをやっている自分……。その時々の時東ぁみになれるし、昔からのファンの皆さんとも、チャリティをサポートしてくださる方ともそれぞれにつながっていくことができる。それがSNSの大きなメリットじゃないでしょうか。

人の温かさは、その時・その場でしか体験できない

──チャリティを始めたのは、ベトナムでのライブがきっかけだそうですね。

時東 2012年にベトナムのホイヤンというところで初の海外ライブをやらせていただいたのですが、まったく盛り上がらなかったんです。お客さんは日本のアイドルをどう見たらいいのかわからない。私もまったくお客さんに寄り添うことができていなかった。そんなライブでした……。

それがすごく悔しくて、恥ずかしくて、どこかで巻き返さなければならないと思っていたところ、日本で開催されるベトナムフェスに出演することが決まって、ベトナム語を急いで勉強しました。そして、挨拶と自己紹介をベトナム語でやったら、お客さんの反応がとてもよかったんです。

その後、ベトナム語の教科書を読んで必死に勉強して、次のホーチミンのライブではMCをすべてベトナム語でやりました。お客さんもすごく盛り上がってくれて、前の失敗をようやく挽回できたと思いました。

でも、その時に現地のスタッフからこんなことを言われたんです。「ホーチミンは都会で、今日のライブに来た人は裕福な人たちなんだよ。田舎には、ベトナム語が書けない人も、学校に行けない人もたくさんいるんだよ」──。それを聞いて、その人たちの力になりたいと思ったのがチャリティ活動を始めるきっかけでした。2016年にチャリティ団体を立ち上げて、ベトナムの皆さんにいろいろなものを送ったりする活動を続けています。

ベトナムのチャリティ活動の様子1ベトナムのチャリティ活動の様子2

──平成は、消費の軸が「モノ」から「コト」、そして「トキ」(生活総研によるキーワード「同じ志向を持っている人と、その時・その場でしか味わえない盛り上がりを楽しむために行動したり、お金を使ったりすること」)へ移った時代だと言われています。時東さんのライブやチャリティイベントに多くのファンが足を運ぶのも、その時・その場を一緒に体験したいという思いがあるからだと思います。

時東 これもつんく♂さんから教えてもらったことなのですが、ライブやイベントにお客さんが来てくれるということは、いろいろな選択肢があるなかで「この時間」を選んでくれたということなんですよね。だから、その時・その場に何かを提供しようとする人は、本当に楽しくて感動してもらえる体験を提供できなければならないと思うんです。それができないアイドルやアーティストは、生き残っていくのが大変な時代になってきたんだとも感じます。

──インターネットがあれば、音楽も聴けるし、映画も観られるし、ゲームもできるのに、わざわざ足を運んでいるわけですもんね。

時東 そうなんですよ。しかも、YouTubeなどのコンテンツはタダで楽しめますよね。それなのに、あえてお金を払って来てくださるわけですから。

──YouTubeで時東さんの曲を聴いて覚えることはできても、一緒に歌ったり、感動をみんなと共有したりすることはその時・その場に行かなければできないですよね。平成はコンテンツがタダで手に入るのが当たり前と考える「タダ・ネイティブ」(生活総研によるキーワード「サービスやコンテンツはタダで利用できるのが当たり前。そんな環境で育つ今の子どもたちのこと」)が生まれた時代でした。でも、タダ・ネイティブでも体験にはお金を使うわけです。「タダ」で予習をして、「トキ」にお金を使う。そんなスタイルが一般的になってきているといえるかもしれません。

時東 やはり、人の温かさのようなものは、その時・その場のなかでしか体験できないと思うんです。どれだけ技術が進んでも、それは変わらないのではないでしょうか。

──アイドルとファンの関係性は、平成の間にどのように変わったと思いますか。

時東 私の場合、ファン層は活動によってさまざまで、デビューした頃からのファンもいらっしゃいますし、最近になってチャリティをサポートしてくださるようになった方もいます。そのそれぞれで関係性は違うのですが、コアな部分でのアイドルとファンの関係性は、それこそ松田聖子さんなどがアイドルとして活躍されていた頃からずっと変わっていないところもあると感じています。アイドルとの距離感をしっかり保ちながら、ずっと応援し続ける。そんなスタンスのファンは今でも多いし、今後もそこは変わらないのではないでしょうか。

──SNSによってアイドルとファンの距離が縮まったといわれていますが、アイドルとファンの関係は一種の文化としてこれからも続いていくのかもしれませんね。さて、平成が終わって新しい時代に入りました。今後はどんなことに挑戦していきたいですか。

時東 年齢や性別などに関係なく、一人でも多くの人を笑顔にしていきたいと思っています。私は、アイドル、防災士、チャリティイベントのプロデュースといろいろなことをやっています。目的はすべて同じなんです。それは、自分の身近にいる人も含めて、たくさんの人を笑顔にして、幸せにすること。そのための活動をこれからも続けていきたいです。

時東ぁみさん

 時東ぁみ(ときとう あみ)

マルチタレント

1987年東京都生まれ。「ミスマガジン2005 つんく♂賞」を受賞してデビュー。その後、歌手、声優、女優、ラジオ・パーソナリティなど、幅広い分野で活躍。防災士、上級救命技能、手話検定など多数の資格も保有。
現在の主な活動
NHK-FM「ラジオマンジャック」(毎週土曜日16;00~)
渋谷クロスFM「時東ぁみの防災士RADIO」(毎月第2水曜日17:00~)
ミュージック・ジャパンTV「時東ぁみpresentsアイドルチャリティーライブ“WIS”」(不定期)
山口放送、四国放送 北陸放送、 京都放送、長崎放送 山梨放送、東北放送「時東ぁみの危機耳ラジオ~その時のために~」(放送日時は各局によって異なります)
ペット犬専門誌「Cuun」コラム連載 など
公式SNS
時東ぁみ公式twitter  https://twitter.com/aMITOKITO
時東ぁみ公式ページ https://www.facebook.com/aMI.TOKITO.OFFICIAL
防災士 時東ぁみ https://m.facebook.com/bosaisi.TOKITOaMI/
時東ぁみアジアチャリティープロジェクト~子どもたちに笑顔いっぱいの未来を~ https://m.facebook.com/tokitoami.asiacharityproject/

本記事は、博報堂サイトに2019年5月17日に掲載された「Vol.4【時東ぁみさんインタビュー】 アイドル、防災士、チャリティ……。 いろいろな活動で、たくさんの人を笑顔にしたい ──「アイドル」の平成30年史」を転載したものです。


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夜の歌舞伎町をアップデートすべく、ナイトタイムエコノミーのプレイヤー必読の1冊

「通り過ぎる街から、居れば居るほど面白い街にしたい」

ダンスやナイトエンタテインメントを規制する風営法改正。その立役者でもある齋藤貴弘弁護士の『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』は、僕含めナイトタイムエコノミー(夜間における経済活動)のプレイヤーは必ず読むべき本です。

齋藤貴弘『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』(学芸出版社)

店内の明るさなど制限はあるものの、現在、クラブは24時間営業できるようになりました。それは、音楽好きの知識人の方々が無償で動いてくれたことによって、風営法が改正されたおかげです。

歌舞伎町には「お金に色がない」と思っている人が多いですが、自分たちの経済活動のためではなく、文化の醸成という、人間としての誇りを大事にしようと、音楽・ダンスをあらゆる角度から立体的に捉えて、法改正を実践しました。時代遅れのルールを正攻法で改正し、楽しい未来に向けてのルールメイキングに成功したのです。

本書では、そうした法改正の軌跡と、さらに、そこから始まるナイトタイムエコノミーのこれからの時代における重要性や課題について、丁寧に解説しています。

多くの人は歌舞伎町を通り過ぎていく…

先日、オランダ・アムステルダムのナイトメイヤー(夜間の行政を担当する責任者)を務めるシャミロ・ヴァン ディア ジェルドさんたちとトークさせていただきました。

いまナイトタイムエコノミーというと、音楽に加え、インバウンドのイメージが強いですが、インバウンドはその中心ではないと彼らははっきり言っています。

昼にはないフラットな関係性を築ける夜の時間の価値や、世代や人種、性別をクロスすることで生まれる文化━━。

それが夜の価値だと、僕も思います。

歌舞伎町は大衆文化の街です。誰でも受け入れるという寛容さの反面、軽薄さも美徳としてしまう部分があります。

俗世を離れて気を抜いて、「まいっか」と思わせる街が歌舞伎町です。

だから、ある時期は歌舞伎町に通うけれど、多くは通り過ぎていきます。それは歌舞伎町で働く人も、歌舞伎町に遊びに来る人も同じです。

でも、僕は居続けたい。居続けるためには変わらなければいけない意識喚起を、この本はしてくれます。

夜のコンテンツを提供する側は、その質を上げていく努力をしなければいけません。こうやって、我々の文化を昇華させようと取り組む遊び好きな人たちがいるということに気づかなければいけません。

インバウンド向けのコンテンツづくりは必要ないと思います。なぜなら、それは短絡的な大人の建前のようなものであって、本質ではないから。それよりも、ゆっくりと時間をかけて、文化を醸成できるようなコミュニティにしていくという覚悟が必要だと思います。

歌舞伎町は、内輪のポジション争いに終始していてはいけない。内弁慶ではなく、いや、多少内弁慶の面白さもあって良いが、深さを持った面白みに変えていく努力をするべきです。

そうすることで、自分たち自身で、通り過ぎる街ではなく、居続ける街に変えることができると思っています。

歌舞伎町は海外の事例を真似することができないくらい独特な街です。

多くは店側とお客側がはっきりと分かれていて、クラブを中心とした海外のナイトシーンとは違います。しかし、音楽という万国共通の文化をハブにして、そこがコミュニティになり、飲食店との連携がとれるようになるのが道筋のように思います。

日本で最初にできた商店街振興組合は歌舞伎町です。戦後の復興は、この街の商売人の方たちを中心に進められました。まさに本書におけるルールメイキングをしてくれた先輩たちがいたおかげなのです。海外のナイトメイヤーの機能を、すでに昭和30年代に実践していたのです。

そこからさらに、アップデートさせる時がきているように思います。それは課題解決ではなく、自分たちの楽しい未来をつくるためです。

そうすれば、僕たちプレイヤーは一生遊びながら、それを生業として生きていくことができるのだから。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

齋藤貴弘『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』(学芸出版社)

今週の「本屋さん」

手塚マキ(てづか・まき)さん/歌舞伎町ブックセンター(東京都新宿区)

どんな本屋さん?

新宿・歌舞伎町のラブホテル街のど真ん中に位置する書店です。本棚に並ぶのは「愛」をテーマにした約600タイトル、書店員ならぬ“ホスト書店員”が、おすすめの本を紹介してくれます。現在は移転作業のため一時的にクローズ中で、再オープンは6月中を予定しています。

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)

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手塚マキさんが名著を独自の見方で読み解いた新刊『裏・読書』が4月20日、「ハフポストブックス」から刊行されました。全国の書店、ネット書店で販売されています。


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前田裕二さん『メモの魔力』を、書店員の私はこう読んだ。店頭での売れ方は…

『メモの魔力』は秋元康さんが「ホリエモン(堀江貴文)以来の天才」と称した、前田裕二さんの2冊目となる著書です。

幻冬舎の天才編集者・箕輪厚介さんが1冊目の『人生の勝算』を作っていたとき、8歳で両親を亡くされて、路上でギターの弾き語りをしてお金を稼いでいたなど、前田さんの人生のエピソードを聞き、「すごい人だ!」と思ったそうですが、なかでも一番衝撃を受けたのがメモのとり方だったそうです。

すでにその時点で、前田さんのメモ本を作ろうと思ったほど濃い内容だったと言われています。

前田裕二『メモの魔力』(幻冬舎)

 

まず、メモには2種類あって…

1つめは「記録」のため

2つめは「知的生産」のため

1つめの「記録」は、AIやロボットにも出来ること。

2つめの「知的生産」はアイデアを言語化することで、これこそが前田さんが「メモ」と呼んでいるものです。

前田さんのメモは見開きで使われます。

左ページに左脳的な事実、右ページに右脳的な発想を書きます。

左ページには具体的な、実際目にしたり、聞いたりした事実=ファクトを書き、右ページは2つに分けて、左側にファクトを抽象化したものを書き、さらに、その右に実際どうしたらいいかという転用を書きます。

インプットしたファクトをもとに、気づいたことを抽象化し、自分の行動に転用するのです。 このように書くと難しく感じられるかもしれませんが、前田さんはそのやり方を自身のノートを使って丁寧に説明されています。

この方法にもとづいて、巻末についている自分を知るための1000個の自己分析をしていきます。 ファクトは仕事や日常の中で気になったことを書くのですが、抽象化、そして転用まで進めることで思考が深まります。

実際やってみるとファクトまでは書けるものの、その先が難しく、止まってしまうのですが…

抽象化 → 「ということは」

転用 → 「他のことで生かすと」

など、実際にメモ魔を始めた人たちのメモの写真やヒントがSNSにアップされていて、それらを参考にしながら進めることができました。

読者がツイッターにアップしたメモに、前田さんご本人が返信やリツイートをすることでノウハウが拡散され、みんなもがんばってやっているから私も…、という一体感がさらなる読者を増やしていく様子がわかりました。

これは、前田さんが『メモの魔力』を読者に届けるための30のアイデアの1つですが、ほかにも…

・『メモの魔力』出版前に、人生の軸(人生という航海を進めるためのコンパス)を募集し、約1000人の方から寄せられた人生の軸を巻末に載せている。

・3月2日から31日まで『メモの魔力』にサインをするため、書店まわりをする様子や本に書いてないことを動画にしてYouTubeにアップ。

・24万人のフォロワーがいるホリエモンチャンネルにゲストとして登場、『メモの魔力』を宣伝。

・表紙のペンの色を増刷の度に変えているうえに、全色揃えて背表紙側からみるとペンの絵が完成するという、何冊も集めたくなるような装丁。

・朝の情報番組『スッキリ』にコメンテーターとして不定期レギュラー出演。

なかでも『人生が変わる1分間の深イイ話』出演の際には、放送前に「#深イイ前田」でみんなでコメントしてトレンド1位をとりましょう、と呼びかけ実際世界のトレンド1位になり、読者参加型の祭りになりました(私もツイッターにコメントをアップし、お祭り気分を味わった1人です)。

2018年12月の発売当初はビジネスマンが主な購入層でしたが、翌3月には大学生や高校生も店頭のコーナーに立って話題にする様子がみられ、現在は中高年男女のお客様層まで広がりを見せています。

『メモの魔力』の売れ方は過去のビジネス書とは一線を画していますが、その大きな理由1つは、前田さんが代表を務めるSHOWROOMの双方向型ビジネスを“本”に試みて、達成したことでみんなが感動したり、ワクワクしたことでしょう。

自分が何をしている時に一番楽しいのか、発見することができたのはこの本の「ファクト→抽象化→転用」のおかげでした。

ピアノ講師から書店員という人生の中で、わたしは自己分析をする機会を持ち得ませんでした。 具体的に何がしたいかわかれば、行動がわかり、自分がトップダウン型のモチベーションかボトムアップ型モチベーションかどちらの生き方に喜びを感じるのか把握し、行動を細分化していきます。

トップダウン型は重要度を価値観との関連で決定し、行動をゴールから逆算します。

一方、ボトムアップ型は重要度をワクワクするかどうかで決め、行動は目の前の面白そうなことに飛びつきます。

例でいうと西野亮廣さん、前田裕二さんはトップダウン型、ボトムアップ型は堀江貴文さん、箕輪厚介さんです。

この本には、自己分析1000問がキビシイ方のために、簡略化したライフチャートという自己分析フレームワークも用意されています(前田さんの、誰も見捨てない、まさに神対応…!)。

巻末に掲載された1000人の多種多様な人生の軸のうち、共感したものにアンダーラインを引くことで自分の人生の軸がわかりやすくなる、というヒントもあります。

AIが進化したら、時間が余る、そのとき何をしたらいいかわからないということがないように、自分を知っておくためにもメモは大切だということ。AIの発達によって店舗に人がいなくなったりすることで、人と人の関わり、接点がなくなりもっと人は寂しくなると前田さんは言っています。

また、音楽やエンタメなど、ついそのことばかり考えてしまう可処分精神の奪い合いがこの先のビジネスを制するという予測もされています。

ブレイディみかこさんの『ぼくはホワイトで、イエローでちょっとブルー』を読んでイギリスの中学生たちが学んでいるシチズンシップエデュケーション(市民としての資質、能力を育成するための教育)を知り、つい日本の教育と比べてしまいました。

自己分析をして、深く自分を掘り下げることで、前田さんがそうであったように、子どもたちの生きやすさも変わるのではないかと。

そして単なるビジネス書には終わらないこの本の終章には、お兄さんや先生に対する感謝と、前田さんが書くかどうか最後まで迷った、というコンプレックス体験が書かれています。 はじめて読んだとき、正直涙ぐんでしまいました。

人の能力の差はそんなに大きくない、やるか、やらないかだと思う。輝いている人は努力している、というのが1日3時間睡眠の前田さんからのメッセージです。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

前田裕二『メモの魔力』(幻冬舎)

今週の「本屋さん」

たかつきさん/水嶋書房

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)


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大相撲を愛して、25年あまり。熱狂的ファンのアメリカ人が、相撲界に伝えたいこと

大相撲夏場所3日目/金星を狙う小錦

大相撲5月場所と言えば、大一番やドラマが多いとも言われ、相撲ファンには人気の高い場所である。

横綱・千代の富士と、当時、前頭筆頭・貴乃花が繰り広げた名勝負も5月場所だった。

2人の横綱をはじめ、人気力士がそろい今場所はトランプ大統領が千秋楽観戦を希望しているとも伝えられ、より一層、注目が集まっている。

デパートの電化製品売り場においてあったテレビがきっかけ

私は相撲好きが高じて佐渡ヶ嶽部屋の後援会にまで入った。なぜそんなに相撲が好きなのかと聞かれることがあるが、好きという感情が先に立ち、冷静に伝えようにも言葉すら浮かんでこない。それくらい相撲が好きだ。簡潔には言いようのない気持ちを、相撲に出会った時に立ち返り考えてみようと思う。

私が相撲に興味を持ったのは、日本に留学したばかりの90年代初めのこと。若花田・貴花田兄弟の「若貴人気」や武蔵丸、曙の活躍が目覚しかった。

最初に相撲を観たのはデパートの電化製品売り場においてあるテレビが映し出す取組の様子で、日本では相撲は人気のスポーツだと聞いていたのに土俵の周りはガラガラに空いていた。

今考えてみれば、どうしてガラガラだったのかはすぐにわかる。

私が観たのは昼過ぎくらいで、幕下が勝負をしている時間である。幕下の取組から見ているのは本当の「通」で、多くの人は人気力士の登場する頃から土俵際に座るように思う。 

しかし、何も知らなかった私は、観客もいないところで淡々と取組がなされている様子を伝える画面を見て、本当に相撲は人気のあるスポーツなのか?と首を傾げた。

何が人気なのだろうか…。持ち前の好奇心と何事も実際に自分の目で確認したいという性格が手伝って、私は国技館に相撲を観に行くことにした。

当時、留学生であった私に、日本人の友人が「当日券の席は一番後ろだけれどとても安い」と教えてくれたので、朝6時から窓口に並んでチケットを入手。初めての観戦で相撲に魅了されてしまった。

激しいぶつかり合いの中に垣間見る巧みな戦略。

何より武器も持たずに1対1で臨む姿の勇ましさ。

アメリカのプロスポーツでは相手を挑発する行為も多くみられるが、相撲には一切それがなく、相撲の取組には礼儀正しさ、伝統の継承、そして力士の所作や土俵の様式に見る宗教的特徴、さらに日本人の美徳ともいえる「謙遜」が随所にちりばめられていた。

それからというもの私は留学中の2年間、東京場所に30回は足を運んだ。

早朝に当日券を入手してから講義を受け、講義終了と同時に国技館へ走り、決まり手や戦略を駆使する力士の本気でぶつかり合う臨場感を大いに楽しんだ。当時は時代もとても寛容で、昼頃は升席が空いているからと、一番後ろの席にいる私を土俵際に案内してくれることもよくあった。そして、すべての場所をテレビで観戦。たとえ友人と遊んでいようとも好きな力士の取組の時間になれば電気店のテレビの前に立ち、応援したものだ。

日本人の友人もあきれるほどに相撲にのめりこんだ私は、帰国後もその熱を心に燃やし続けた。そしてクイン・エマニュエル外国法事務弁護士事務所の東京オフィスの代表となり、とうとう佐渡ヶ嶽部屋の後援会に入った。

親方と親しくしていただくまでには朝稽古の見学へ赴き、稽古を見せていただくことから始めた。私は、失礼のないようにスタッフを通じて知り合った専門家に見学の心得について事前に聞いた。すると、足袋の代わりに靴下をはき、胡坐をかいてもいいが、足を投げ出したりせずに行儀よくしなければならないと厳しく言われた。

やや緊張しながらも門を開けてしっかりと挨拶し、受け入れてもらえてホッとしたことを覚えている。

稽古は早朝から始まり、一般には8時半ごろから公開される。土俵前の板の間にすわり、声を立てずに2時間余り見守る。稽古の進め方は親方が力士たちの様子を見ながらになるので、いつ終わるのかもわからない。しかし、朝の冴えた空気の中で、力士の体から上り立つ水蒸気となった汗や、ぶつかり合う力士たちの気迫に圧倒されっぱなしで、気がつけば「ちゃんこ」の時間となっていた。

ちゃんこの時間は、私たち見学者が親方にもてなしてもらいながら、若い力士よりも先にいただく。まわしをしめた力士が傍らで「おかわりはいかがですか?」と聞いてくれる。弟子入りしたばかりの力士はまだ10代半ばの人もいて、幼さが残っている。

親方は、緊張している弟子と冗談を言い合いながら、まるでわが子のように接していた。そんなあたたかさに触れ、私はますます相撲も親方も好きになり、佐渡ヶ嶽部屋に足しげく通い、お付き合いをさせていただくようにまでなった。

伝統や礼節を重んじる相撲の世界。私はこよなく愛している。

ところが、ここにも変革は求められているようだ。2018年4月に行われた京都の大相撲の巡業で、土俵で倒れた舞鶴市長に心臓マッサージをしていた女性に土俵から降りるよう命じ、物議を醸した事件があった。

これを機に相撲協会は、女人禁制を全面否定するとの見解を示した。

(相撲の土俵は)男性が必死に戦うところであり、それを守りたいのであって女性差別ではない、女性にも愛される競技という存在でありたいという趣旨であった。

しかし、いささか言い訳がましく聞こえることは否めない。世論調査の結果など明確な傾向は示せないまでも、物議を醸すという状況自体が変革の是非を世論が問うているのだと言えないだろうか。

相撲だけではなくあらゆる物事に対して、私は、差別はあってはならないと思う。私はユダヤ系アメリカ人であるが、ユダヤ教のなかでも長らく認められていなかった女性のラビ(宗教的指導者)を認め始めている団体も表れた。紀元前からの歴史を持つ宗教も変容しつつある。

日本でも、明治時代の文明開化を振り返ってみれば、当時、西洋料理や洋装、欧米の近代思想が紹介されて人々の暮らしは変化した。現代も同様、IT技術の発展によりグローバル化は加速度的に進み、日本においても世界各国の価値観に触れる機会も頻繁となった。こうした刺激によって、より多様性に対応した変化は世界中で同時発生的に起きているのだろう。世界中からの刺激によって、大相撲が、そして、日本がどのように変化するのか楽しみである。


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あなたが押した印鑑の向こうには、「命」があった。象牙取引の「いま」を考える。

動画を見て一瞬不安になった。さっき請求書に押したハンコ。あの印鑑は、何でできていた? 

動画とは、これだ。

環境保全団体 WILDAIDが、日本における象牙販売・取引への問題提起として作成したキャンペーン動画。
「ハンコグラフ」と名付けられた印鑑で作られたアニメーションは、アカデミー賞ノミネートのアニメーション作家・山村浩二さんによるもので、500本の木材で作られた印鑑を使い、2400枚の紙にハンコを押し、1枚1枚撮影されたものだという。
動画を通じて訴えられているのは、最後にメッセージとして出てくる、「私たちの選ぶ印鑑が、象の生死を分ける」というまぎれもない事実だ。

日本は世界最大の象牙販売国で、日本の消費している象牙の8割が印鑑として使われている。象牙を目的に、15分に1頭のアフリカゾウが殺されていて、このまま密猟が続けば、あと10年でアフリカゾウは絶滅すると言われている。

WILDAID JAPAN代表で、NPO「アフリカゾウの涙」代表理事の山脇愛理さんが、ジャーナリストの堀潤さんが司会を務めるネット番組「NewsX~8bitnews」4月22日の放送に出演し、象牙をめぐる世界の動き、そして日本の遅れについて、以下のように説明した。

山脇愛理さん

「ワシントン条約で1989年以降、象牙の国際取引は禁止されていますが、それ以降は各国国内で取引が続けられていました。2016年のワシントン条約締約国会議で象牙の国内取引を世界的に閉鎖することが決議され、当時象牙の消費大国であった中国や香港は2017年で象牙国内取引をやめる計画を発表しました。ところが日本は、なかなか世界と足並みを揃える方向には向かっていません」

山脇さんは、幼少期に父の転勤で南アフリカへ移住。クルーガー国立公園など、保護区で多くの時間を過ごし、南アフリカのヴィッツ大学動物学科で動物行動生態学を学んだ経験を持つ。NPO「アフリカゾウの涙」は、ケニアと日本に拠点を置き、象牙の消費をなくし、野生動物と人と森が共生していくことを目標に活動している。

「象牙が消費され続けるかぎり、生きた象の牙には金銭価値が付いてしまい、密猟のターゲットとして狙われ続けます。地球に残っているアフリカゾウは残り3%になりました。動物たちを保全する側に、そろそろ日本も回ってほしいと思っています」

密猟された象牙は容易に現金収入化され、イスラム過激派テロ組織や国際的な犯罪組織も象牙や犀角(サイの角)を軍資金に使っていることが判明しているという。

印鑑は日本社会には深く根付いていて、ハンコ文化は簡単に変えられるものではないかもしれない。しかし、印材(印鑑の素材)には様々な種類があって、象牙である必要はない。冒頭の動画も、木材の印鑑で作られたものだ。

一人ひとりが、サステナブルな素材を選択することで、状況は変えられる。
「#私は象牙を選ばない」キャンペーンでは、特設サイトを作り、署名も集めている。

【文:高橋有紀/編集:南麻理江】

堀潤さんがMCを担当する月曜の「NewsX」、次回は5月13日夜10時から生放送。番組URLはこちら⇒https://dch.dmkt-sp.jp/title/tv/Y3JpZDovL3BsYWxhLmlwdHZmLmpwL2JjLzBjMWQvNWUwNg%3D%3D


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ゲイがバレて同僚から暴力、そして路上生活へ。LGBTの住まいを支援する「虹色ハウス」の実践報告

参加者数が20万人を突破した東京レインボープライド2019。パレードでは約1万人がレインボーに彩られた渋谷の街を行進した。沿道から投げかけられる「Happy Pride!!」という祝福の声に、勇気付けられた当事者も多いのではないかと思う。

この社会には、すでに多様なジェンダーやセクシュアリティの人たちが共に生きている。年に1回の華やかなパレードの影には、日々の生活に不安や困難を抱えるLGBTの当事者も多くいる。代々木公園の会場を出ても、そもそも東京レインボープライドに来ない・来ることができない人も、性のあり方にかかわらず、今生きているその場所で安心して生きられる社会を作っていきたい。

今月6日まで、東京レインボープライドの「PRIDE WEEK」期間には、関東を中心にさまざまなイベントが開催されている。

今月1日、東京都中野区で開催された「LGBTx貧困→ハウジングファースト〜虹色ハウスの実践報告〜」では、LGBTの当事者で貧困により住む場所を失ってしまった人に、一時的に住まいを提供するプロジェクト「LGBT支援ハウス」(通称:虹色ハウス)の実践報告が行われた。

ゲイであることが職場でバレてしまい、寮の同居人から暴力をうけ路上生活になった方への支援や、親の暴力から避難しているトランス女性の学生への相談対応などのケース紹介に加えて、このプロジェクト自体を今後どのように継続させていくかについて議論が行われた。

中野区のマンションの一室から提供開始

「虹色ハウス」の構想は、約2年前にこの東京レインボープライドのウィーク期間に開催した、LGBTと貧困をテーマにしたイベントをきっかけにスタートした。

「LGBTハウジングファーストを考える会・東京」の生島嗣さんによると、日頃からLGBT関連の相談や支援を行なっている複数の団体で連携し、昨年7月に実施したクラウドファンディングで募った資金をもとに、今年1月から実際に住まいの提供をスタートさせたという。

「クラウドファンディングでは、191人の方々から150万円以上の支援をいただきました。このお金で、物件をどのように運用するかを話し合い、昨年12月17日に中野区内のマンションを借りることができました。本当にみなさんのご支援のたまものだと思っています」

入居候補者へは、住まいの有無や、現在のお金の状態、相談できる人がいるかどうかなどを聞き取り、入居者を決定しているという。女性の場合、シェルター等の保護施設があるが、男性の場合、利用できる施設が少ないことなどから、主にゲイ・バイセクシュアル男性やトランスジェンダーの方を対象としている。

 

 

最大のメリットは「住所を使うことができること」

生島さんによると、虹色ハウスへの相談は、本人から「助けて」と連絡がくるわけではなく、本人の周りにいる人たちが代わりに連絡してくるとことが多いという。そこから本人を繋げてもらい面談をする。

候補者への聞き取りの際は、本人の連絡先を必ず聞いている。しかし「電話がすでに通じないという方がほとんどです」と生島さんは語る。

「お金の点では、所持金が数千円のみという方が多いです。また、携帯電話が通じないことも多く、例えばwifiを利用すればメッセンジャーサービスなどを使ってのやりとりができますが、生活保護を申請したいにも、担当者は残念ながらそういったサービスを利用した対応ができないので、固定電話や携帯電話がないかと聞かれてしまいます。なので、私たちを経由して本人と連絡をとるということもあります。

不動産を借りる際や、銀行口座を開設する際にも、実は携帯電話番号が必要なため不都合が生じます。私たちがスタッフ用に借りている携帯を本人に貸すということも現在検討中です」

実は、虹色ハウスの最大のメリットは家に住むこと自体ではなく「住む場所がない人がその住所を使うことができる点」だと生島さんは話す。

「例えば行政で生活保護の申請をする際にここの住所を使うことができます。すでに虹色ハウスを利用した3人中の2人が生活保護の申請をしており、私たちも申請をサポートしています」

あくまで虹色ハウスは一時的な住まいであるため、入居者は基本的に3ヶ月以内に自立することが前提だ。最初数千円の所持金しかない人も多いため、1〜2週間程度は無料でいれるという原則にしているという。

「とくにメンタルの課題や依存症、HIV陽性の場合は、過去の受診歴があっても貧困の状態で治療を中断してしまっていることが多いです。医療に再び繋げるといったことや、行政との接続、就労のサポートも行なっています」

同僚からの暴力により路上生活へ

1月末から入居が開始した「虹色ハウス」では、すでに3人のゲイの当事者に対し住まいを提供した。

最初に入居が決定したのは、職場内で男性からセクハラを受けたゲイの男性。工場など住み込みの短い派遣の仕事を転々としており、男性からのセクハラを受け会社に申し入れをしたが適切な対処がなされなかった。結果、職場から逃げることになり同時に住まいを失ったという。

「自分はゲイで、経歴にブランクもあり、後ろめたい思いを抱えてきました」と本人は語っている。現在は寮付きの仕事に就職し自立することができたそう。

その後入居した方は、職場の寮でゲイのマッチングアプリを開いていた所を目撃され、寮の同室者からの暴力、職場でのいじめがはじまった。友人宅に身を寄せていたがその後路上生活になった所から虹色ハウスにつながったという。また、HIVの治療も中断していたが再び通院を開始した。

3人目は、海外で長らく生活していた方だった。本人の友人から連絡があり、帰国支援を行なった。本人はHIV陽性だが治療は中断中。「ぜひ直接私たちへ連絡するよう伝えてください」と友人の方から連絡してもらったという。

「虹色ハウスに入居し、医療機関に繋げた所、すでに免疫力が非常に低い状態で、これ以上は危ないかもしれないという所でした。良いタイミングに帰国し虹色ハウスに繋がることができました」

 

1月末から入居を開始し、1ヶ月に1人ずつ利用していくというのは、生島さんたちが当初予想していたペースよりは早かったという。

「(ペースが早かったことに)加えて、入居者の間に隙間がほとんどない状況です」それだけニーズがあるという現実だ。一方で、その裏には部屋が空いていないため断ることになったケースもあった。

「入所には至りませんでしたが、相談があったものとしては、例えばトランスジェンダーの子が親から暴力をうけたという相談がありました。MtFの学生で、親から暴力を受け、友人宅に避難していた際に友達経由から連絡が入りました」

その他にも、自殺未遂のあと精神科に入院することになったことで、賃貸の家に住み続けられなくなったゲイの男性から相談があったという。退院しても家族と疎遠だったがため戻る家がなく、治療の際にHIV陽性であることがわかり支援に繋がった。

施設から利用を断られてしまったトランスジェンダー

大阪市でシェルターや相談支援などを行なっている「特定非営利活動法人いくの学園」のスタッフの方からは、特に子ども若者への支援の現場について話があった。

「学園には、これまで数人のトランスジェンダーの人が来てくれました。DV防止法も、同性パートナーやトランスジェンダーに対しても一時保護ができるようになったり社会は明らかに変化してきています。しかし、まだまだ制度が想定できていない人もいます」

スタッフの方によると、日本社会で未成年の子どもが置かれている状況に特に懸念があるという。

「例えば、未成年では契約できない携帯電話というのは、もはや一つの信用情報です。家も借りれないし、銀行口座も作れない。弁護士が子どもをサポートしている施設もありますが、例えば親から隠れて生活しなければいけない状況で、どのように安全に生きていくか、どこにも支援に繋がれていない人をどう受け止めるかが重要です」

障害があるトランスジェンダーの人を障害福祉の施設に繋げようとしたが、トランスジェンダーであることを理由に何件も断られたこともあるという。利用者どうしの関係は良好でも「対応の仕方がわからないからと断られてしまいます」

制度を利用したい人もはねられてしまう現状の中で、今後どう支援につないでいけるかも課題だという。

 

 

虹色ハウスをどう持続的なものにするか

虹色ハウスの課題は、今後どのようにこのプロジェクトを継続させていくか。特に運営の費用についてどう持続的なものにしていくかを考えていく必要がある。第二部では、ファンドレイズや様々なセクターの人たちの巻き込み方について議論があった。

共催団体であるプライドハウス東京の松中権さんは、生島さんに声をかけられたことから虹色ハウスに関わり、主にクラウドファンディングやメディア発信のサポートを行なうことになった。

「ミーティングに参加して、自分が全く問題について見えていなかった、こんなに困難な状況がたくさん起こっているんだと衝撃を受けました。転がり落ちるように自分の生活が負のスパイラルに入っていくケースを聞いて、これはもしかしたら自分がそちら側にいたかもしれないと思い、このプロジェクトの支援だけでなく、もっとこの問題自体を知ってもらうための発信をしなければと思いました」

寄付者の価値観と現場の価値観の違い

「そもそも住まいも基本的な人権であるというのを前提に、無条件に住まいを提供するということをハウジングファーストと言います」と、生活困窮者の支援を行なっている一般社団法人つくろい東京ファンドの稲葉剛さんは話す。

「従来型の支援ですと、施設に入っている間は管理的な生活指導が入りますが、施設を出るとほったらかしというのがよくあります。ハウジングファーストでは、本人から拒否されない限りエンドレスで支援は続きます。実際に長く付き合ってみないとその方が抱えている課題が見えないからこそ、最初から住まいに入ってもらって、地域でサポートするということが大切です」 

一方で、こういった支援のあり方はスタッフの人件費などコストもよりかかってくる。

国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチ東京委員会ヴァイス・チェアの柳沢正和さんによると、「ヒューマン・ライツ・ウォッチでは個人の寄付は全体の過半を占めています。クラウドファンディングは継続的な寄付を集めるのは難しく、事業を継続させるためには、いかに大口の篤志家や財団にアクセスしていくかが課題なのではと思います」と話した。

それに対して稲葉さんは「大口の寄付が多い場合、その寄付者の価値観と現場の人たちの価値観の違いを注視する必要がある」と話す。

「生活保護制度は最後のセーフティネットと言われていますが、必要な人の8割がこぼれおちている状態です。制度をもっと使いやすくしつつ、支援につないでいく必要があります。
しかし、世間的な価値観では、なるべく生活保護を使わないでコストを下げた方が良いと思われがちです。寄付者もその価値観を持っている人が多いと思うので、それによって現場の論理が歪められないよう、見せていく部分と守らなければいけない部分のバランスを考える必要があると思います」

さまざまなセクターの連携と言語の使い分け

課題解決のためには、さまざまなセクターの団体や個人が連携していく必要があるだろう。プライドハウス東京の松中さんは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを契機として、NPOや企業が連携してLGBTについての情報発信やコミュニティ支援を行う「プライドハウス東京」というコンソーシアムを作った。

つくろい東京ファンドの稲葉さんも、支援現場に関わる7つの団体と共同で「東京アンブレラ基金」を立ち上げた。それぞれの団体の支援現場でネットカフェ代など緊急の宿泊費を支援した場合に、東京アンブレラ基金から一部拠出できるような仕組みをつくろうと、現在クラウドファンディングを実施中だ。

クラウドファンディングは最初の資金集めだけでなく、支援者や仲間を集めるという意味でも有効だ。しかし、そこからさらに持続的な活動をしていくためには継続的な寄付などのファンドレイズが必要になってくる。

関心を持ってお金を出してくれる人たちと、現場で当事者に向き合う人たちとの間の言語を一致させたり、時には使い分けたりすることで、継続的な寄付を募るシステムを構築する。それが持続的な支援体制の上で鍵となってくるのではないだろうか。

2019年5月4日fairより転載)


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平成元年に書店員になった私がおすすめする、“メディアミックス”の先駆者「角川映画」の軌跡をたどる1冊

私が書店員になったのは平成元年の暮れのことである。現在の会社の新規店舗スタッフ募集にアルバイトとして入った。

ぶっちゃけ、暇だったのである。なので、平成のほとんどを書店員として過ごしたことになる。

本は好きでよく買っていたしよく読んでいた。今日入った新刊を誰よりも早く見ることができるのは、快感だった。

書店員の視点から、様々なヒット作品、ベストセラーを見てきた。売れるのも納得なものもあれば、「なんでこれが…」と唖然とするようなヒット作もあった。

書店員として最初の数年間は、文庫を担当した。各社文庫のスリップを数え、シェアや売行きを調査しながら、売場の棚構成を考えていた。

文庫というジャンルで当時、最も賑やかだったのが、角川書店(現在のKADOKAWA)の「角川文庫」だった。

角川文庫の一般文庫だけでなく、若い読者向け(当時はまだ「ラノベ」という言葉もなかったと思う)の「スニーカー文庫」があり、やがて女性向けレーベルの「ルビー文庫」が創刊した。関連会社が出した「富士見ファンタジア文庫」も勢いがあった。電撃文庫が出るのはまだ先の話だ。

そう、私が書店員になる前から、「メディアミックス」という戦略でヒット作品を連発していたのが、角川文庫だったのだ。

そしてその中心にあったのが、角川春樹であった。

角川春樹事務所といえば、現在では「ハルキ文庫」などを出している出版社として知られている。社長はもちろん、角川春樹だ。

しかし、ある特定の世代、特に40〜50代の人にとって「角川春樹事務所」は、ある種のノスタルジーを呼び起こす固有名詞である。

薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子などのアイドル女優を起用して大ヒットを連発した、いわゆる「角川映画」を製作した映画会社の名前だからだ。こちらも角川春樹の会社だった。

中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)は、その「角川映画」が隆盛を極めていた頃の、角川春樹を中心としたドキュメンタリーである。

中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)

角川映画といえば、「メディアミックス」の先駆けとしてよく知られている。角川映画の第1弾は、『犬神家の一族』(1976年)。角川春樹の戦略は、映画公開と同時に横溝正史の原作文庫を売ること。さらに原作小説だけでなく「横溝正史フェア」と題して大きく展開することだった。横溝正史の文庫の売上は、公開後に倍になった。

『犬神家の一族』の宣伝が画期的だったのは、映画の宣伝でもあると同時に角川文庫の宣伝でもあったことだ。(中略)

全国の書店には横溝作品が山のように積まれていた。前年秋の『本陣殺人事件』公開時には25冊(※1)・500万部(※2)だったので、1年でさらに500万部が売れたことになる。

だが、これで驚いてはいけない。81年秋に『悪霊島』が公開される時点では「80冊・5000万部突破」なのだ。これはほんの始まりに過ぎなかった。

(P.59)

※1…角川文庫における、横溝正史作品の出版点数

※2…累計発行部数

もともと出版界の風雲児だった角川春樹が、映画界に殴り込みをかけた形だ。そしてほぼ同時期に、CM業界からも異色の才能が映画界に殴り込みをかけてくる。大林宣彦だ。ただ、2人が本格的にタッグを組むのは、もう少し先のことだ。

角川映画のメディアミックス戦略は続いていく。森村誠一原作の『人間の証明』は、「かあさん、ぼくのあの帽子、どうしたでしょうね」のCMフレーズが話題となり、主題歌も売れた(ただし主題歌を歌い、映画にも出演したジョー山中は大麻不法所持で逮捕されたが、それで逆に話題になった)。

『野生の証明』は、主演の高倉健と、オーディションで選ばれた新人女優・薬師丸ひろ子のコンビが大きな話題となった。

高木彬光の『白昼の死角』、大藪春彦の『野獣死すべし』、小松左京の『復活の日』、半村良の『戦国自衛隊』など、メディアミックス戦略は次々にヒットを続けていた。『魔界転生』のヒットから、山田風太郎の忍法帖ブームが再燃した。

そして、眉村卓の『ねらわれた学園』は、薬師丸ひろ子主演、松任谷由実の主題歌(「守ってあげたい」)が大きな話題となったが、これが、大林宣彦監督作品だった。

角川春樹と大林宣彦は、その前に『金田一耕助の冒険』というユーモア映画を作っているが、興行的には完全に失敗作だった。『ねらわれた学園』は、大林宣彦への評価が固まるきっかけでもあり、角川映画の「アイドル映画」路線への契機となった作品だ。

角川映画の黄金時代は1981年公開の『セーラー服と機関銃』(原作・赤川次郎)から始まる。その頃、大林宣彦は、故郷の尾道で映画を撮影していた。『転校生』だ。

のちに「尾道3部作」の第1作として今では伝説的な作品だが、男の子が女の子になって裸になる、などのストーリーが下品だとスポンサーが降りてしまい、公開は一時、路頭に迷った。出資者を求めた大林は角川にも相談したが、「うちの本ではない」と断られた。角川はメディアミックスありきだったのだ。

結果、ATGと日本テレビの提携作品として公開された。『転校生』を観た角川春樹は激賞、当時推していた新人女優・原田知世を使った映画を大林に依頼する。

「原作は、題名がいいので『時をかける少女』。舞台は尾道でお願いします。条件はこれだけです」

(P.221)

大林宣彦は、尾道の映画は『転校生』1作きりのつもりだった。だが、角川春樹の説得に折れた。

「角川春樹ひとりが観てくれれば、それでいい。観客動員なんて関係ない。それと、何十年後かに、僕も春樹さんも死んだ後、原田知世がひとりで揺り椅子に座って、少女時代を懐かしんで観てくれればいい。そういう映画にしよう、と」

(P.222)

薬師丸ひろ子主演の『探偵物語』と同時上映の、どちらかと言えばおまけ扱いだった『時をかける少女』(原作・筒井康隆)は、高く評価され、今でも繰り返しリメイクされるほどの伝説的傑作となった。

…と、ここまで、『角川映画』の内容に即して紹介してきたが、当時の映画界の流れがまるで今見てきたかのようにドラマティックに描かれている。膨大な資料を元に交通整理しながらまとめていく、ノンフィクション作家・中川右介の真骨頂である。

本書は元本(ソフトカバー文芸書)では、1986年の『彼のオートバイ、彼女の島』まで書かれていた。これも大林宣彦監督作品で、原作は片岡義男だ。角川映画の最盛期は、角川春樹と大林宣彦、そして角川文庫の時代だった。

文庫版では「その後」の歴史も簡単に触れられている。角川春樹は社内でいろいろ揉めて角川書店を去り、逮捕・投獄もされた後に、出版社「角川春樹事務所」を設立した。こういう事情を考えれば、角川春樹の歴史を書いた本が「角川文庫」から出ていることも、すごいことなのだ。

実は本書の読みどころは、もうひとつある。出版界における角川春樹の功績だ。

アメリカで大ベストセラーだったエリック・シーガルの『ラブ・ストーリィ』の翻訳出版を周囲の反対を押しのけて決行し、大ヒットさせた角川春樹は29歳で編集局長になった。「社長の息子」だから出世したのではなかった。

角川春樹の出版界最大の革命は、「文庫にカラーの表紙をつけた」ことだった。現在では当たり前だが、当時はカバーがないのが普通だったのだ。そして彼が推し進めていくのが、メディアミックスである。

本書『角川映画 1976-1986』は、出版と映画、2つの産業を見事に結びつけ、どちらのジャンルでも成功を収めた人物の記録でもあるのだ。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

中川右介『角川映画 1976-1986』(角川文庫)

今週の「本屋さん」

三島政幸(みしま・まさゆき)さん/啓文社 ゆめタウン呉店(広島県呉市)

どんな本屋さん?

広島は呉市、ゆめタウン内にある書店です。戦艦「大和」を生んだ街・呉の歴史と、科学技術を紹介する博物館「大和ミュージアム」が隣接しているため、「大和」「戦争」などをキーワードにした商品を豊富に取りそろえています。ファミリー層も多く、児童書も充実しているので、ぜひご家族で足を運んでください。

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)


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令和は、こんな時代にしたい

新しい年号が始まった。だから改めて、次の時代をどうしたいか、考えてみたい。

令和が平成同様30年くらい続くと考えると、1989年から今くらいの技術や価値観の跳躍を期待できるはずだ。

未来予測は常に外れることが運命づけられているので、これらは予測ではなく、僕が個人的に創り出したい未来と言って良い。

さあ、見てみよう。

 

【ライフスタイル】

・手動運転用の自家用車を保有することが無くなり、自動運転車がシェアされることで公共交通機関化する。交通事故死が激減する。

・車が動くオフィスとなり、移動時に仕事が可能になるので、都市部中心では無く自然豊かな地方に住み、2〜3時間かけて都市に快適に通勤するライフスタイルが取れるようになり、幸福度が上がる。

・フルタイム概念が希釈化し、複数の会社や団体、プロジェクトに所属する多元的所属社会になる。平成にあったブラック企業は人口減少社会でより貴重になった労働者にそっぽを向かれ絶滅。

・夏は北海道、冬は四国というように、季節ごとに住む場所を変える「アドレスホッピング」が一般的に。人口減少に悩む地方も、人口を都市部と「シェア」することが可能に。仕事もテレワークが当たり前となり、テレワークという言葉自体も死語に。

・アドレスホッピングに合わせて、子どもの学校の仕組みも変化。平成時代はいちいち「転校」しなくてはいけなかったが、学籍を持ち運びできるようになり、季節ごとに学校を変えられる。

 

【子ども・子育て・教育】

・待機児童は無くなる。全ての子ども達が、3歳から幼稚園か保育園かこども園等に行く。事実上の義務教育開始年齢の引き下げが行われる。

・児童虐待の社会的認知が広がり、社会全体で虐待死を防ぐよう、情報連携と機関連携の取り組みが進み、虐待は激減。里親・養子縁組も珍しいものでは無くなり、たくさんの養子を育てることはセレブの証になる。

・児童福祉は申請主義を脱却し、家庭状況がリアルタイムに補足され、「人の顔をした福祉サービスが向こうから来てくれる」時代に。全ての家庭に担当ソーシャルワーカーがつき、必要なサービスを紹介し、問題が起きれば一緒になって解決していってくれるように。

・男性産休が義務化され、新入社員が研修を受けるように、男性も産休・育休を取って共育て要員となるのが当然に。父親業への参入人口が増えることによって、これまでの非合理な強制加入PTAに疑問が呈される頻度が増え、必要な都度、有志がコミットする形態に変化していく。

・外国人技能実習生という欺瞞的な制度は廃止され、移民としてしっかりと労働法が適用されるように。移民の子ども達に保育園・幼稚園・公教育が最適化され、多言語対応されるようになる。自ずと主担任・副担任制度が敷かれ、より手厚い教育が日本人・移民子弟の双方になされる。

・テクノロジーの進歩によって、重症心身障害児の意思表示やコミュニケーションがより可能に。障害があっても様々な表現やコミュニケーションが可能となっていく。障害児保育・障害児教育はAIやICTと組み合わされ、専門性を高めていく。

・平成時代では学校に出されていた補助が「子ども1人あたり」の形に変わり、さまざまな民間学校が設立される。その子どもにとって最も望ましい教育の形が競われ、カリキュラムはテーラーメイド化(編集部注 一人一人に合わせて作られる)される。教科ごとに最適な先生が教え、進み方は子どもそれぞれとなるので、「担任の先生」や「学年」という概念が死語になる。

・国立大学は「どこのキャンパスで授業を受けても良い」ようになる。私立も大学間提携が進み、ネットワーク型になっていき、生徒は複数のキャンパスの授業から参加したい授業やゼミを選択することに。また、大学は若年層だけでなく、学び直しのための機関としてアイデンティティを変え、あらゆる年代層が学習・研究する機関となっている。

 

【医療・高齢者福祉】

・ウェアラブルならぬ、埋め込み(エンベッド)型の医療チップを政府が支給。義務化された予防接種時に埋め込む。各自の健康データをかかりつけ医療機関と共有でき、医療ニーズを最適化できるように。

・地方部での医療資源の枯渇によって、遠隔医療が大幅に解禁。各エリアの中心都市に集約された医療資源に、ICTを通して遠隔的にアクセスする構造に移行。症状をメッセージングツールで送り、AI診断の後、近くのドラッグストアで処方薬を受け取るように。

・医療の発達に伴い、健康年齢を計測し高齢化を判断。様々な埋め込み型医療デバイスによって健康状態がエンハンスされ、実年齢が意味をなさなくなる。一方、デバイスのアップデート等の可否が健康に直結するため、経済格差が医療格差とならないよう、様々な医療再配分施策が講じられる。

・高齢者の孤立が社会問題化したことで、社会への参画度合いがポイント化・見える化されるようになる。地域の様々なアクティビティや団体は、関係性ポイントを引き上げることによって補助が入る仕組みになったことから、社会的包摂を競いあうように。

・人工子宮技術の発達によって、妊娠可能年齢と関係なく子どもを授かることができるように。

 

【産業・経済政策】

・「選択と集中」政策の失敗に文科省は気づき、基礎研究や研究開発投資に広汎にバラまく政策に転換。再び科学技術立国に。

・いち早く労働人口が希少化したことで、自動・無人化技術が発展。無人店舗の前提である電子マネーが広がり、小売店舗の9割が無人化していく。

・5Gを基盤とした遠隔操作技術が社会のあらゆるところに広がる。無人船・地上走行型配達ドローンによって物流の生産性は向上。また、農業機器の多くも自動化・省力化される。

・耕作放棄地や空き家等は、一定年限を過ぎると共同体の元に還されるよう財産権の概念自体が変更される。それによって様々な未利用土地の権利問題がリセットされ、新たな開発が可能となる。

・起業家を自殺に追い込む連帯保証人制度が犯罪とされるようになり、より一層起業がしやすく。副業で起業家、連続起業、社会起業と営利起業のミックス等、より起業形態のバリエーションが広がる。

・観光と定住の間のような産業が生まれる。数ヶ月滞在する観光客が、ミニ定住するためのインフラを各自治体や地域が競い合う。

・平成において日本のソフトコンテンツを政府主導で世界に売り込むことは失敗したが、民間企業や起業家が果敢に世界に雄飛し、「憧れの国」ナンバー1に。

 

【ジェンダー・家族・文化】

・移民の浸透によって、日本の文化と移民の文化が混じり合った新たな慣習や文化が生み出される。フェス化した盆踊り等。

・選択的夫婦別姓に反対し続けてきた政府がついに折れ、別姓解禁。議員や管理職の女性比率も平成と比べ飛躍的に向上し、ようやく先進国並みに。また、男女の賃金格差もようやく解消。女性総理誕生が令和の象徴的事件に。

・養育費不払いが子どもの貧困の要因の一つと問題視され、「養育費不払い=経済的虐待」と見なされる。養育費不払いにペナルティが課されると同時に、政府が代理徴収し、徴収不可の場合は代理給付する新たな制度が施行。子どもの貧困が緩和。

・同性婚解禁、事実婚の広がり等によって、家族のあり方はますます多様化。法律婚と事実婚を組み合わせた複婚も市民権を得ていく。また、人生100年時代になったことから、人生において複数回パートナーシップを組んでいくことも、許容されるように。

・ジェンダーイクオリティが平成期の比ではないくらい是正されたことによって、男性も「男性らしさ」のくびきから自由に。女装や化粧も肯定され、ネット空間上の性別も選択できるように。

ーーーーー

さぁ、どうだったろうか。

みなさんには、みなさんが実現したい令和の形があるはず。

ぜひ、それを発信してみては如何だろう。

我が国には「言霊」という言葉がある。言葉にしたものは、その瞬間から、現実になっていくよう小さく羽ばたいていく。もしかしたら、あってほしい未来を呟くことが、我々が我々の令和を生み出すことにつながるかもしれない。

 

「世界で一番、 子どもが幸せな社会を創る 駒崎弘樹公式ブログ」 2019年5月1日「令和は、こんな時代にしたい」より転載


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令和は、こんな時代にしたい

新しい年号が始まった。だから改めて、次の時代をどうしたいか、考えてみたい。

令和が平成同様30年くらい続くと考えると、1989年から今くらいの技術や価値観の跳躍を期待できるはずだ。

未来予測は常に外れることが運命づけられているので、これらは予測ではなく、僕が個人的に創り出したい未来と言って良い。

さあ、見てみよう。

 

【ライフスタイル】

・手動運転用の自家用車を保有することが無くなり、自動運転車がシェアされることで公共交通機関化する。交通事故死が激減する。

・車が動くオフィスとなり、移動時に仕事が可能になるので、都市部中心では無く自然豊かな地方に住み、2〜3時間かけて都市に快適に通勤するライフスタイルが取れるようになり、幸福度が上がる。

・フルタイム概念が希釈化し、複数の会社や団体、プロジェクトに所属する多元的所属社会になる。平成にあったブラック企業は人口減少社会でより貴重になった労働者にそっぽを向かれ絶滅。

・夏は北海道、冬は四国というように、季節ごとに住む場所を変える「アドレスホッピング」が一般的に。人口減少に悩む地方も、人口を都市部と「シェア」することが可能に。仕事もテレワークが当たり前となり、テレワークという言葉自体も死語に。

・アドレスホッピングに合わせて、子どもの学校の仕組みも変化。平成時代はいちいち「転校」しなくてはいけなかったが、学籍を持ち運びできるようになり、季節ごとに学校を変えられる。

 

【子ども・子育て・教育】

・待機児童は無くなる。全ての子ども達が、3歳から幼稚園か保育園かこども園等に行く。事実上の義務教育開始年齢の引き下げが行われる。

・児童虐待の社会的認知が広がり、社会全体で虐待死を防ぐよう、情報連携と機関連携の取り組みが進み、虐待は激減。里親・養子縁組も珍しいものでは無くなり、たくさんの養子を育てることはセレブの証になる。

・児童福祉は申請主義を脱却し、家庭状況がリアルタイムに補足され、「人の顔をした福祉サービスが向こうから来てくれる」時代に。全ての家庭に担当ソーシャルワーカーがつき、必要なサービスを紹介し、問題が起きれば一緒になって解決していってくれるように。

・男性産休が義務化され、新入社員が研修を受けるように、男性も産休・育休を取って共育て要員となるのが当然に。父親業への参入人口が増えることによって、これまでの非合理な強制加入PTAに疑問が呈される頻度が増え、必要な都度、有志がコミットする形態に変化していく。

・外国人技能実習生という欺瞞的な制度は廃止され、移民としてしっかりと労働法が適用されるように。移民の子ども達に保育園・幼稚園・公教育が最適化され、多言語対応されるようになる。自ずと主担任・副担任制度が敷かれ、より手厚い教育が日本人・移民子弟の双方になされる。

・テクノロジーの進歩によって、重症心身障害児の意思表示やコミュニケーションがより可能に。障害があっても様々な表現やコミュニケーションが可能となっていく。障害児保育・障害児教育はAIやICTと組み合わされ、専門性を高めていく。

・平成時代では学校に出されていた補助が「子ども1人あたり」の形に変わり、さまざまな民間学校が設立される。その子どもにとって最も望ましい教育の形が競われ、カリキュラムはテーラーメイド化(編集部注 一人一人に合わせて作られる)される。教科ごとに最適な先生が教え、進み方は子どもそれぞれとなるので、「担任の先生」や「学年」という概念が死語になる。

・国立大学は「どこのキャンパスで授業を受けても良い」ようになる。私立も大学間提携が進み、ネットワーク型になっていき、生徒は複数のキャンパスの授業から参加したい授業やゼミを選択することに。また、大学は若年層だけでなく、学び直しのための機関としてアイデンティティを変え、あらゆる年代層が学習・研究する機関となっている。

 

【医療・高齢者福祉】

・ウェアラブルならぬ、埋め込み(エンベッド)型の医療チップを政府が支給。義務化された予防接種時に埋め込む。各自の健康データをかかりつけ医療機関と共有でき、医療ニーズを最適化できるように。

・地方部での医療資源の枯渇によって、遠隔医療が大幅に解禁。各エリアの中心都市に集約された医療資源に、ICTを通して遠隔的にアクセスする構造に移行。症状をメッセージングツールで送り、AI診断の後、近くのドラッグストアで処方薬を受け取るように。

・医療の発達に伴い、健康年齢を計測し高齢化を判断。様々な埋め込み型医療デバイスによって健康状態がエンハンスされ、実年齢が意味をなさなくなる。一方、デバイスのアップデート等の可否が健康に直結するため、経済格差が医療格差とならないよう、様々な医療再配分施策が講じられる。

・高齢者の孤立が社会問題化したことで、社会への参画度合いがポイント化・見える化されるようになる。地域の様々なアクティビティや団体は、関係性ポイントを引き上げることによって補助が入る仕組みになったことから、社会的包摂を競いあうように。

・人工子宮技術の発達によって、妊娠可能年齢と関係なく子どもを授かることができるように。

 

【産業・経済政策】

・「選択と集中」政策の失敗に文科省は気づき、基礎研究や研究開発投資に広汎にバラまく政策に転換。再び科学技術立国に。

・いち早く労働人口が希少化したことで、自動・無人化技術が発展。無人店舗の前提である電子マネーが広がり、小売店舗の9割が無人化していく。

・5Gを基盤とした遠隔操作技術が社会のあらゆるところに広がる。無人船・地上走行型配達ドローンによって物流の生産性は向上。また、農業機器の多くも自動化・省力化される。

・耕作放棄地や空き家等は、一定年限を過ぎると共同体の元に還されるよう財産権の概念自体が変更される。それによって様々な未利用土地の権利問題がリセットされ、新たな開発が可能となる。

・起業家を自殺に追い込む連帯保証人制度が犯罪とされるようになり、より一層起業がしやすく。副業で起業家、連続起業、社会起業と営利起業のミックス等、より起業形態のバリエーションが広がる。

・観光と定住の間のような産業が生まれる。数ヶ月滞在する観光客が、ミニ定住するためのインフラを各自治体や地域が競い合う。

・平成において日本のソフトコンテンツを政府主導で世界に売り込むことは失敗したが、民間企業や起業家が果敢に世界に雄飛し、「憧れの国」ナンバー1に。

 

【ジェンダー・家族・文化】

・移民の浸透によって、日本の文化と移民の文化が混じり合った新たな慣習や文化が生み出される。フェス化した盆踊り等。

・選択的夫婦別姓に反対し続けてきた政府がついに折れ、別姓解禁。議員や管理職の女性比率も平成と比べ飛躍的に向上し、ようやく先進国並みに。また、男女の賃金格差もようやく解消。女性総理誕生が令和の象徴的事件に。

・養育費不払いが子どもの貧困の要因の一つと問題視され、「養育費不払い=経済的虐待」と見なされる。養育費不払いにペナルティが課されると同時に、政府が代理徴収し、徴収不可の場合は代理給付する新たな制度が施行。子どもの貧困が緩和。

・同性婚解禁、事実婚の広がり等によって、家族のあり方はますます多様化。法律婚と事実婚を組み合わせた複婚も市民権を得ていく。また、人生100年時代になったことから、人生において複数回パートナーシップを組んでいくことも、許容されるように。

・ジェンダーイクオリティが平成期の比ではないくらい是正されたことによって、男性も「男性らしさ」のくびきから自由に。女装や化粧も肯定され、ネット空間上の性別も選択できるように。

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さぁ、どうだったろうか。

みなさんには、みなさんが実現したい令和の形があるはず。

ぜひ、それを発信してみては如何だろう。

我が国には「言霊」という言葉がある。言葉にしたものは、その瞬間から、現実になっていくよう小さく羽ばたいていく。もしかしたら、あってほしい未来を呟くことが、我々が我々の令和を生み出すことにつながるかもしれない。

 

「世界で一番、 子どもが幸せな社会を創る 駒崎弘樹公式ブログ」 2019年5月1日「令和は、こんな時代にしたい」より転載


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