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魔法をかけるとドレスが…!「メットガラ」に登場したシンデレラが素敵すぎる(動画)

5月6日、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館で、ファッションの祭典「Met Gala(メットガラ)」が開催されました。

セレブたちが個性あふれるドレス姿を披露し、毎年話題になるメットガラ。2019年は、俳優のゼンデイヤが披露したディズニー・プリンセスのシンデレラ姿に大きな注目が集まりました。

一見シンプルなドレスですが、魔法使いが杖を使って魔法をかけると…

ドレスがキラキラ光りだしました。

すごすぎる!

動画はこちら。

Bibbity bobbity boom ✨ @Zendaya as Cinderella in @TommyHilfiger. See all the looks from the #MetGala here. https://t.co/xDP168b3Mkpic.twitter.com/7GDPMmU7o2

— WWD (@wwd) May 7, 2019

さらに、最後にはガラスの靴が脱げてしまう演出も…。

まるで「シンデレラ」のワンシーンをそのまま再現したかのようなロマンチックな演出。大きな反響を呼んでいます。

ドレスのブランドはトミー ヒルフィガー。ブランドの公式Twitterはドレスについて、「テクノロジーとクチュールデザインの融合」とツイートしました。

👏👏👏👏👏👏

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洋服はカルチャーの一部だと思う──ファッションの平成30年史【菊池武夫さんインタビュー】

博報堂生活総合研究所(以下、生活総研)『生活者の平成30年史』出版記念企画のVol.3は、1960年代からファッションデザイナーとして活躍し、日本のファッション業界を牽引し続ける菊池武夫(きくちたけお)さんへのインタビューです。菊池武夫さんが過ごした平成という時代、そして、人々とファッションの関係性について、生活総研の鎌田淳上席研究員が聞きました。

やりたいことをやっていたら、自然と時代にフィットした

──僕はちょうど平成元年に大学に入学したのですが、美術大学でファッションを専攻していまして。その時に憧れだった菊池先生にお会いできて本当に光栄です。今日は、ファッションだけでなく、時代そのものを創ってきた先生に、「平成」という時代について伺いたいと思っています。

菊池 ありがとうございます。僕は正直、時代を意識しているというより、自分がやりたいことをやっていたら、たまたま時代にピタッと合ってしまったというのが実際のところなんですね。この時代にこういうことをやろうなんていうことは、一度も思ったことがないくらいです(笑)。

──BIGI(ビギ)を設立されたのが1970年ですが、そのときも時代を意識して、ということはなかったのでしょうか。

菊池 1968年、僕が29歳のとき、遅まきながら2カ月ぐらい海外へ出たんです。ヨーロッパからアメリカまで回って、世界のいろいろなファッションの動向を見ていたら、日本にはファッションの自由な活動が行われる仕組みがあまりなく、非常に範囲が狭いなと感じたんですね。それで、いま自分たちが思っていることを形にすれば、仕事になるんじゃないかと思って1970年にBIGIを設立したのです。現在のように情報が豊かでない時代ですから、ほとんど口伝えで日本中にBIGIの噂が流れた。店は原宿に1軒しかなかったのですけど、取引先も含めて、あっという間に皆さん興味を持ってくださったんです。

──自由なファッションを求めていた人々が、待っていました!と飛びついたんでしょうね。

菊池 たぶんそうなのでしょう。やっと自分たちが求めている洋服ができた、ということで、時代にピタッと合ったのかもしれません。

男性のファッションがカジュアル化し出したのは15年ぐらい前から

──BIGI設立5年後の1975年には、MEN’S BIGI(メンズビギ)を設立されましたが、当時のことを教えていただけますか。

菊池 今と違って、男物のファッションでカジュアルなんて僕らの時代はほとんどなかったですね。今みたいにカジュアルで会社へ行けるという社会状況でもなかったですし、スーツにネクタイなど必要なものはもう決まっているというのもありました。男物は、女性物の10分の1ぐらいの商品しか活力がなかったし、アイテム数もすごく少なかったですね。そういう幅が狭いところで、売れる数も予想がつかないですから、作る数と売れる数のギャップで在庫を抱えるという問題もありました。

1975年 MEN’S BIGI設立当時のポスター

 

──供給と需要のギャップによる在庫処理の問題は、今もずっと続いている課題ですし、あらゆる生産メーカーさんが抱える課題ともいえますね。ところで、今は、男性のファッションも当時からずいぶん変わってきたと思います。先生の実感として、男性のファッションでカジュアルなものが増えていったと思うのは、いつ頃からでしょうか。

菊池 僕はね、MEN’S BIGIの時代から、カジュアルなものをずっと作ってきたわけだけど、いつ頃からだろうな。カジュアル化し出したのは。たぶん15年ぐらい前かな、世界的に見ても。例えば、スーツ。スーツ自体もカジュアルになっていますから。芯が入ってないで、ペラ~ッと軽くつくる洋服になっています。生活がカジュアル化するのと同時に、仕事でもカジュアルなものが許される環境ができてきて、カジュアルな洋服も必要になっていったという感じですね。

──そういうカジュアル化の流れのなかで、先生は2005年、66歳の時に40ct&
525(フォーティーカラッツ アンド ゴーニーゴ)をスタートされました。どうして、このブランドを作ろうと思われたんですか。

菊池 僕の年齢に近い人の洋服をつくりたいと思ったのです。流行を早く取り入れなくてよくて、とんがってなくていい、少し安らぎも必要、そんな年齢の人の服。それと、体型が崩れても、その体型がよく見える、カバーできる洋服。

──確かに年齢的な体型の崩れはありますよね。太ったり、お腹が出たり。

菊池 僕は、体型がそうなってきたのを細く見せるなり何なりするテクニックはわかりますから、そういう洋服をつくりたかったのです。40ct(フォーティーカラッツ)という名前には、40歳以降にダイヤの重さのように、価値が違うのが価値だという思いを込めました。

洋服をカルチャーの一部としてデザインする

──先生は、コレクションを発表される際、非常にテーマ性の高いショーをされていましたよね。

菊池 そうですね。僕はショーをやるとき、いつも映画と同じようにストーリーを感じさせるものでありたいと思っていたんですね。だから、モデルがただ黙って歩いて戻ってきて、また服を着替えて出て行くということに賛成できなかったですし、きれいなモデルばかり出てくるというのも賛成できなくて。現実にはいろいろなキャラクターの人がいるし、そういう人に実際にショーに出てもらうということをやっていました。僕は、洋服はカルチャーの一部だと思っているのです。だから、デザインするのは服だけれど、ショーで表現するものはそれを超えてカルチャーでありたい。今も変わらずそう思っています。

──よくわかります。先生のショーを見る度に、これから世の中はこういうふうになっていくんだという、文化がついてくるような感じがして、ワクワクしながら拝見していました。お洋服を作る以外にもさまざまな取り組みをされていますが、1996年(平成8年)には短編映画を撮られていますよね。

菊池 はい。僕が洋服を作っていていつも感じるのは、洋服は消えてなくなってしまうということなんです。ショーもほんの一瞬ですよね、通り過ぎてなくなってしまう。映像のなかに洋服なり自分の考え方を入れておかないと、残せないと思うのです。例えば、名作『カサブランカ』は映像が残っているから、僕らは今でもハンフリー・ボガードの洋服を見て、いいなぁ~と思えるわけですよね。自分がいま表現している洋服の空気感みたいなものを残したいと思って、映画を撮ったのです。

“情熱”から、“知性”で服を買う時代へ

──映画を観てファッションに感化されたり、好きなバンドのファッションに影響されたり、そういう意味でも、服はカルチャーの一部だと僕も思います。先生は布袋寅泰さんの衣裳も手掛けていらっしゃいますが、ライブを見に行ったお客さんが、布袋さんかっこいいなと思うと同時に菊池先生のスーツかっこいいなと思う。そういうカルチャーの越境が醍醐味ですよね。

菊池 いまはインターネットで情報を得るようになって、自分の好きなところだけ見る癖がついてしまっていますよね。興味のないことには触れないで生きることができるという、すごく怖い状況。だから、思考もたぶん狭くなっているのではないかと思うのです。

──確かにそうですね。昔だったら、テレビのチャンネル争いみたいなものがあって、お父さんがじゃんけんに勝ったら父親の好きな番組を観なきゃいけないとか、そういうことで強制的に興味も越境できていました。そこから情報源がパソコンとなりスマートフォンとなり、便利になった一方で視野狭窄のようになっている部分はあると思います。

菊池 これだけ情報があふれるなかで、いまは洋服を買うときも“情熱”じゃなくて、ある種の“知性”みたいなもので選んでいるんじゃないでしょうか。70年代にBIGIを買ってくれた人たちは、すごく冒険だったと思うんです。我々が感覚に訴えるものを作ることで、自然とお客さんの欲求に結びついていた。でも、今は冒険したくないし、“わかっているもの”のほうがよいんですよね。
あとは、生活のなかで洋服の持つ位置がかなり低くなっているというのもあると思います。食文化も非常に豊かになりましたし、インテリアもどんどん多彩になって、住環境もよくなった。昔と望みが違ってきていると言いますか、あんまり不満足な人はいないのでしょう。

──人を満足させるものがいろいろ出てきたということですか。

菊池 そうですね。それは、もしかしたら、昔、僕らが憧れていた成熟したヨーロッパ文化に、今の日本が追いついたということなのかもしれません。ヨーロッパの人は、昔から、そんなに洋服を持たないと言いますし。
ただ、ちょっと違うのは、日本人は嗜好がすごく多様化しているということなんです。これだけ洋服のカテゴリーがある国って、たぶん日本しかないですし、外国の人が見てもびっくりすると思いますよね。70年代は世界的にも動乱の時代で、80年代はその動乱を土台にして再スタートを切った時代。そして平成は、そういった過去の時代を冷静な目で見ながら、蓄積されたものをプラスしたり、整理したりしながらファッションが少しずつ多様化していった時代だと思います。

 

──昔だったら、大衆ひとかたまりでみんな同じようなものを欲していたのが、今は価値観がどんどん多様化していますよね。以前、我々の研究所では価値観や嗜好によって分割された大衆のことを「分衆」と名付けましたが、最近ではもっと細分化が進んで、ひとりの人間のなかにもいくつもの価値観や嗜好が生まれるようになっていると感じます。もはや「十人十色」ではなくて、「一人百色」というところまできていると感じます。

菊池 それは、すごくよくわかります。

平成に出せなかった答えを、科学で分析して解決する

──さきほど70年代は激動の時代だったとおっしゃいましたが、平成は穏やかな時代だったと感じられますか。

菊池 そう、穏やか。「平成」という言葉のとおり。ただ、平和で平板であったかと言うと、実はそうじゃなくて、世界的にはテロもありましたし、日本は震災が立て続けにありましたよね。やはり阪神淡路大震災や東日本大震災のときには、いろいろなことを考えさせられました。

──そういった出来事は服づくりにも影響を与えましたか?

菊池 70年代にはベトナム戦争という世界的な課題があって、消費ばかりではないエコな生活を、という問題意識を当時から持っていました。アメリカの古いデニムをほどいてデザインし直したり、軍物の毛布から洋服を作ったりしていた時期もあって。その頃と同じような空気感を、震災のときも感じましたね。僕は元々古いものの再利用をやっていましたし、そういう精神は強い方なのですが、日本ではどうしても一過性のムーブメントになってしまって、定着していない気がするのです。

──昨今、注目されているエシカル消費(環境や社会に配慮した製品やサービスを選んで消費すること)も、流行り言葉になってしまっては意味がありませんもんね。

菊池 その通りです。以前、伊勢谷友介くんの会社のリバースプロジェクトのB反(織りむら、染めむら、色やけなどのちょっとした難点のある織物のこと)のデニムで洋服を作る企画に一度参加させて頂きましたが、本来ならば自社が恒久的に意識してやらなければならないことですがやはり、利益主導などいろいろな問題に対して答えが出せて無いのが現状。変な話、恵方巻きの大量廃棄の問題と同じで、アパレル業界でも在庫の問題はずっと抱えている課題なのです。今のコンピュータはものすごい処理能力があるのだから、AIが全部処理すれば、そういった無駄も必ず解消されるはずですよね。ビジネス的な経済学じゃなくて、科学的に分析してビジネスをやらないと。僕は全部が科学なのだと思うんです。すべての事象にきちんとした理由があるはずで、それに対して具体的な答えを見つけていく。抽象的に語ってわかったつもりになるのじゃなくて、その都度きちんと答えを出して積み重ねていく必要があると感じています。平成にあったいろいろなものをもっときちっと科学的に分析して、次の時代に引き継いで行かなきゃいけない。

──平成に答えが出なかったことを、ひとつひとつ解決していくということですよね。

菊池 そうです。平成で起きたことの検証をしないとだめなんですよね。そして、それがすごくおもしろいと思う。
僕は23歳からずっと洋服のデザインをやっていて、もう五十数年になりますが、いまだに答えなくやっているような感覚がすごくストレスなんです。だから、せめて死ぬまでに今までやってきたことの答えがいくつかほしい。きちんと自分自身で分析をして、その答えをこれから作る洋服のなかにはっきりと入れていきたいと思っています。

 

菊池武夫(きくちたけお)プロフィール

1939年東京都千代田区生まれ。1970年に(株)BIGI設立。1975年に(株)MEN’S BIGI設立。1984年TAKEO KIKUCHIを発表。一時ブランドを離れるが、2012年にクリエイティブディレクターに復帰。2015年に13年ぶりに東京コレクションにて自身のコレクションを発表。
www.takeokikuchi.com

 

本記事は、博報堂サイトに4月24日に掲載された「Vol.3【菊池武夫さんインタビュー】 洋服はカルチャーの一部だと思う──ファッションの平成30年史」を転載したものです。


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「かわいい」が分からなくなった若者たち。ZOZOやSNSが奪ったモノ

ファッションは昭和後期から平成の時代、ある種の「自己表現方法」として機能してきました。ボディコン、渋カジ、コギャル、裏原系、コンサバ、ゴスロリ、原宿Kawaii系……。どんなファッションスタイルを選ぶのかによって、その人の価値観やマインドが表現されていたのです。

それが2010年代になると、SNSの普及によって、自己表現の手段は多様になりました。「いいね!」数やフォロワー数で、「どれだけ評価を得ているのか」が可視化され、自己承認欲求を満たすツールとして機能するようになった結果、「自己表現としてのファッション」の役割が弱くなっているように感じます。

情報収集も容易なものとなり、テクノロジーやツールの進化によって、人々とファッションとの関係性も大きく変わりました。「手軽さ」「便利さ」と引き換えに私たちが失ったものは、なんだったのでしょうか。

筆者の軍地彩弓。

 SNS時代の到来で存在価値を見失ったファッション誌

2008(平成20)年、TwitterとFacebookが日本語版サービスを開始し、2010(平成22)年にはInstagramが全世界でサービスを開始。さらにはTikTokやツイキャスといったプラットフォームも登場し、個人が自由に表現することでフォロワーが集まるようになりました。今も人気の雑誌はありますが、部数は確実に下がりました。あえて「ファッション誌」という媒体を介在させる意味合いが薄れてきたのです。

こうした時代の変化によって、ファッションもその存在意義を問われています。一言で言ってしまえば、SNSとインターネットの登場によって、ファッションは「均質化」の波に襲われました

最近でも、平成当初と現在との入社式の様子を比べ、驚くほど新入社員の格好が均質化していることが話題になりました。就活している学生たちのファッションも、皆一様に黒スーツにタイトスカート、白シャツ、同じバッグに同じ靴……前髪を流す角度さえも。

いまや女性社員の服装は「自由」とされ、選択肢は増えました。だからこそ、他人より目立ったり、ずれたりすることへの恐怖心も大きくなっていったのです。多くの若者が「わかりやすいルール」や「正解」を求め、自らファッションにおける「制服化」を望む傾向を感じます。

試しにInstagramで「#オフィスカジュアル」「#オフィスコーデ」と検索をかけると、似たようなシルエットや丈感、テイストのコーディネートがズラリと並んでいます。

アルゴリズム上多くの人が目にする記事や「いいね」を集める投稿によって形作られた「正解」が、多くの人にとってのお手本になり、「無難なオフィスカジュアル」を量産する結果となったのです。

ZOZOが加速させた、情報の「フラット化」

インターネットによって、もう一つ大きく加速した流れが「情報のフラット化」です。

ZOZOTOWNが画期的だったのは、どんなブランドも横並び一列で、価格帯や値引き率、カラーやサイズなど、条件を設定して絞り込む検索方法でした。ブランドの文脈や背景も関係なく、すべてのアイテムが“座標上”に置かれ、ユーザーがフラットに「自分好みのアイテム」を探すファッションプラットフォームを構築したのです。

それによって、全国各地でどんなブランドも手に入るようになりました。「百貨店ブランド」や「雑誌で人気のブランド」「ここでしか買えないブランド」といった付加価値が機能しなくなり、「コスパが良く、適度にトレンド感もあって、周りから浮かないファッション」が求められる背景と相まって、「アイテム別人気ランキング」で今、何が売れているのか、一目瞭然なプラットフォームは多くの女性たちに支持されました。

今、90年代カルチャーがリバイバルする理由 

ファッションの均質化、フラット化は、若者たちの消費行動に二極化をもたらしています。一つは、先述したようにファッションはあくまで「周りから浮かない」無難なものを選ぶ、という方向性。そしてもう一つは、その「均質化」の流れに抗おうと、「他とかぶらない、自分らしいファッション」を追い求めようとする方向性です。

後者の流れでは、例えば2018(平成30)年、水原希子さんが自らプロデュースするブランド「OK」と、90年代に厚底ブーツで一世風靡したシューズブランド「エスペランサ」がコラボを発表して話題となりました。彼女が90年代のギャルへの憧憬を隠さないのは、当時のギャルたちが体現していた「ウチら最高」というマインドへのリスペクトがあるからではないでしょうか。

現代の若者“こそ”が憧れる、90年代的価値観とは何でしょうか。

90年代後半から2000年代を振り返ってみると、赤文字系雑誌では渋谷を中心としたギャル文化が大きく花開いた一方、『CUTiE』(宝島社、1989(平成元)年創刊、2015(平成27)年休刊)『Zipper』(祥伝社、1993(平成4)年創刊、2017(平成29)年休刊)『KERA!』(ジェイ・インターナショナル、1998(平成9)年創刊、2017(平成29)年休刊)といった、いわゆる「青文字系」と言われるファッション誌では、原宿を中心としたストリート文化が人気を集めていました。 

青文字系雑誌では、ファッションだけでなく、音楽や映画、漫画など、他のカルチャーとの結びつきが重要視され、漫画家の岡崎京子や安野モヨコが連載企画を持ち、歌手のYUKIやCHARAが表紙を飾っていました。アーティストのきゃりーぱみゅぱみゅも、もともとは『KERA!』の専属モデルから、今に続く人気を獲得したのです。

渋谷系ギャル文化の「ウチら最高」という熱狂と、原宿系ストリート文化の「文脈ありきのカルチャー」としての奥行きが、今の10代、20代の若者にとって、ある意味新鮮で、うらやましいものに思えるのかもしれません。

ある時、知り合いの若者が、「あの頃のファッションって、エモくないですか? 私たち、物心ついたときからSNSがあるのが当たり前だし、周りに『エモい』モノがないから、自分で探すしかないんです」と話していて、それが強烈に印象に残っています。

ファッションが生み出す「ファンタジー」に価値はないのか?

かつて、ファッションには「ファンタジー」がありました。シャネルなどを手がけたデザイナーで、2月に亡くなったばかりの故カール・ラガーフェルドはその最たるものでしょう。コレクション会場に雪を降らせ、滝を作り、宇宙ロケットを発射させ、彼自身が登場した最後のショーではビーチまで作りました。そのスペクタクルな世界観やイマジネーションも引っくるめて、人々はシャネルのジャケットに50万円の価値を見出していたのです。

ラガーフェルド氏が手がけたCHANELのコレクション(2017年秋冬)

けれども日本では、平成不況と情報のフラット化によって、効率優先で「売れるモノしか作らない」MD(マーチャンダイジング) 偏重主義が進行しました。

「着回しのいい服」を求める人ばかりが増え、「ファンタジー」が機能しなくなったのです。それは、パリコレなどコレクション会場のフロントロウ(最前列)を見ても如実に表れています。日本人ジャーナリストやバイヤーの多くはモノトーンやベージュの無難なコーディネートですが、中国人は華やかでハイファッションを堂々と着こなしています。コレクションラインではなく、やや安価で日常的に着られるコマーシャルラインばかり買う日本市場は、今や「うまみがない」と思われがちで、パワフルにコレクションラインを買う中国市場の存在感は増すばかりです。

では、もはや日本において「ファンタジー」は必要ないのかというと、私はそうは思いません。この多様性の時代、選択肢も無数にある中で、その価値基準は「コストパフォーマンス」「デザイン」「サイズ」「素材」「人気順」といった座標軸だけでいいのでしょうか。一度は存在価値を見失いつつあったファッション誌が、今こそ果たすべき役割がある。そう、私は考えています。

『GLAMOROUS』を2003(平成15)年に創刊した時、巻頭特集のたった数ページの写真を撮るためだけに、モロッコまで足を運びました。当時、若手編集部員に「そこまでリアリティのないことに労力をかけるのに、意味はあるんですか?」と投げかけられたことがあります。だけど、私がそこで見せたかったのは「ファッションのパワー」でした。堂々と世界を背景に立つモデルの姿であり、新しい女性像だったのです。

ルイ・ヴィトンのパリコレクション(2018年春夏)で最後に登場したディレクターのヴァージル・アブロー

今、気鋭のブランド「OFF-WHITE」を立ち上げ、建築家でありグラフィックデザイナーでもあるヴァージル・アブローがミレニアル世代に注目され、メゾン初の黒人として、ルイ・ヴィトン メンズの新たなアーティスティック・ディレクターに抜擢されたのは、偶然ではありません。彼の活躍は、複雑な多様性の時代だからこそ、多くの人が新たな価値基準やその背景、分脈を求めているということを示唆しているのではないでしょうか。

そこでファッション誌……もはや雑誌でもない、他の何かかもしれませんが、新たなファッション・メディアができるのは、InstagramやZOZOだけではわからない、ファッションの背景や文脈、文化を伝えること。予定調和ではない、未知のものとの出会いを作ること。何がクールで、何がかわいいのかを、迷える若者たちに伝えることなのではないでしょうか。私自身、ファッションには人をエンパワメントし、そのマインドを変え、人生を変える力があることを信じています。

【企画編集:水野綾子(FIREBUG)、大矢幸世 撮影:保田敬介】


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「アムラー」「カリスマ店員」「エビもえ」…ブームと振り返る平成

私が『ViVi』(講談社)の編集部にフリーランスのライターとして入ったのは1988年、昭和63年の4月のこと。程なくして平成へと年号が変わり、私のファッション編集者としてのキャリアは平成とともに時を刻むこととなります。「女子大生ブーム」「カリスマ店員」「エビもえ」……いわゆる「赤文字系」と呼ばれる雑誌から生まれたさまざまな社会現象を間近で見てきました。その中で「アイコン」として光り輝いていた彼女たちの姿には、平成の30年で大きく変わった「理想の女性像」がまさに投影されていたのです。

改めて平成時代の「ファッション・アイコン」を振り返り、その背景やトレンドの移り変わりをたどっていきたいと思います。

 「いい男に選ばれたい」……「女子大生ブーム」のさなかで

平成を振り返る前に、まずはその前提となる昭和50年代60年代の空気感からおさらいしておきましょう。『JJ』(1975/昭和50年)『CanCam』(1981/昭和56年)『ViVi』(1983/昭和58年)『Ray』(1988/昭和63年)といった「赤文字系雑誌」の中で、もっとも売上を挙げていたのはやはり先駆者である『JJ』でした。

『JJ』は創刊当初から「ハマトラ」「ニュートラ」といった清楚なトラッドファッションを打ち出し、「女子大に通うお嬢様」が読者ターゲット。実際に女子大生たちが読者モデルとなり、誌面に登場しました。深夜番組『オールナイトフジ』(1983~91年)にも一般の女子大生が出演し、やがて「女子大生ブーム」として大きく取り沙汰されるようになります。

『抱きしめたい!』(1988/昭和63年)『君の瞳に恋してる!』(1989/平成元年)『東京ラブストーリー』(1991/平成3年)など、トレンディドラマには当時の女性像が映し出されています。出演していたのは、「W浅野(浅野温子・浅野ゆう子)」に鈴木保奈美、中山美穂、山口智子。彼女たちもまた、『JJ』や『CanCam』『ViVi』などの表紙を飾っていました。

いい会社へ一般職として入社し、いい人と出会い、良き妻、良き母として家族を支える。商社や証券会社、メーカーなどに務める夫の海外赴任に付き添い、欧米で暮らす……それが女性たちの理想とする生き方でした。「いい男に選ばれる」ことが最優先事項だったのです。

私の『ViVi』編集部での初仕事は「女子大生の持ち物調査」企画の取材でした。1988(昭和63)年から1990(平成2)年頃まで毎月、女子大生に取材しました。

彼女たちはインカレサークルに入って、毎日のように東大生や早慶生と合コンするような子たち。ルイ・ヴィトンやシャネルのバッグに、リップはイヴ・サンローランの19番か、ディオールの475番。アルファ・キュービックのセットアップを着て、襟元にはエルメスのスカーフ……。何を着て、何を持っているのかが重要で、その人のステータスを表していました。「流行の中心」が女子大生にあったのです。彼女たちは、今で言う「インスタグラマー」のような存在だったのかもしれません。

銀座のディスコ『Mカルロ』には、入場するのに行列ができるほど若者が集まり、男性も女性も出会いを求めていました。電通、博報堂、ソニーに東芝、野村證券……誰がいちばんすごい名刺を持っているのか、女性たちが「名刺じゃんけん」を行うほど。皮肉にも、ある意味「女性の価値」がもっとも高かった時代だったと言えるでしょう。

「アムラー」「カリスマ店員」……ギャルたちが経済を回す

そんな狂乱の時代も過ぎ、バブルが崩壊すると、流行の中心はさらに下の世代へとシフトします。いわゆる「女子高生ブーム」の時代です。はじめにメディアの注目が集まったのは「ブルセラ」「援助交際」といった社会問題がきっかけではありましたが、色濃くなる不況の影の中、若さを武器にたくましく生きる女子高生たちのしたたかさが、流行を生み出す原動力となっていきます。

1993(平成5)年頃、メンズファッションでは「渋カジ」と呼ばれるストリートファッションが人気となり、音楽でも「渋谷系」がブームに。流行の発信地として渋谷がフィーチャーされるようになりました。当時、『JJ』はお嬢様、『CanCam』は女子大生と、それぞれターゲットを定めていた中、私が在籍していた『ViVi』は渋谷に注目、女子高生にもターゲットを広げることになったのです。

1995(平成7)年頃になると、厚底ブーツやルーズソックス、ミニスカートにラルフローレンのカーディガンを着た「コギャル」たちが渋谷の街を闊歩するようになりました。そして彼女たちにとってのカリスマが「安室ちゃん」こと安室奈美恵さん。1996年3月号の表紙起用から、彼女を積極的に取り上げるようになると、『ViVi』は爆発的に売れ出しました。茶髪に細眉、日焼けした肌にモノトーンのパンツスーツ。彼女のスタイルを真似た「アムラー」たちが現れ、1997(平成9)年に結婚会見を行った時に着用していた「バーバリー・ブルーレーベル」のチェック柄のミニスカートも飛ぶように売れました。 

結婚報告会見の後、笑顔で指輪(カルティエの「ラブリング」)を披露する安室奈美恵さん。

同時に渋谷ファッションを牽引したのは、「SHIBUYA109(マルキュー)」です。「アルバローザ」「カパルア」「ココルル」「エゴイスト」などサーファー系やセクシー系カジュアルブランドへの支持が集まる中、その中心にいたのは「カリスマ店員」でした。「KariAng(カリアング)」の森本容子さんや「ENFOLD(エンフォルド)」の植田みずきさんなど、現在ではファッションディレクターとして活躍する彼女たちが、当時はいち店員としてピーク時には1日1000万円を売り上げ、雑誌の表紙を飾ることも珍しくありませんでした。

やがて彼女たちがディレクターとして「moussy(マウジー)」「SLY(スライ)」など新たなブランドを立ち上げるのと同時期、新たな女子高生のカリスマ「浜崎あゆみ」が誕生。1999(平成11)年以降、次々とヒット曲を世に放ちながら、ファッションリーダーとしてもヒョウ柄やスワロフスキー、ネイルアートなどを流行らせ、「ギャル文化」を牽引する存在になりました。

当時の渋谷は圧倒的なカリスマが生まれ、彼女たちによってファッションも経済も牽引された「カリスマ時代」だったと言えます。日本社会全体としては「失われた10年」と言われるほど、長く続く不況の中、ギャルたちはむしろ、先行き不透明な時代だからこそ、社会に出る前の「今」を楽しもう、好きなモノを買おうという貪欲な消費マインドを持って、経済を動かしていったのです。

「カリスマ」で流行語大賞に選ばれたファッションショップ109 EGOISTの店員(左側)(東京・千代田区の東京会館)

「エビちゃん、もえちゃん」に見る「愛され女子」の生存戦略

2000年前後の「ITバブル」の波を乗り越えると、「ヒルズ族」と呼ばれる富裕層が台頭してきます。2003(平成15)年に開業した六本木ヒルズに拠点を置くベンチャー企業の経営者が「時代の寵児」としてもてはやされるようになりました。

当時印象的だったのは、六本木ヒルズの高層階にある会員制の「六本木ヒルズクラブ」で見た光景。ベンチャーの経営者や役員クラスたちが、「愛され系女子」たちを引き連れて会食していました。みんな、茶色の巻き髪にツインニット、「ルシェルブルー」のタイトスカートと、揃いも揃って同じような格好。彼女たちのバイブル、『CanCam』の看板モデルが「エビちゃん」「もえちゃん」こと、蛯原友里さん、押切もえさんでした。 

『CanCam』が打ち出したのは「めちゃモテ」というキーワード。男性はもちろん、上司や同僚にも「ウケのいい」清楚で愛らしいエレガントスタイルです。「クレイサス」「クイーンズコート」など、神戸系ファッションと呼ばれるブランドや、「アプワイザー・リッシェ」「イネド」などフェミニンなブランドが人気を集め、エビちゃん、もえちゃんが着用したアイテムが飛ぶように売れました。

当時、とある神戸系ブランドのディレクターが「ヒット商品なんて、簡単に作れる」と豪語していました。定番商品の新色を出し、雑誌で特集を組むだけで、掲載アイテムが万単位で売れていたのです。

ファッションイベント「東京ランウェイ」に登場したモデルの蛯原友里さん。

その勢いに押される形で人気に陰りが見えるようになったのが、『JJ』です。それまで「良家のお嬢様」をメインターゲットにしていたのが、長引く不況下で「良家」という概念そのものが揺らぎ、コンサバティブ層が力を失い、叩き上げの経営者やIT社長などが経済を回すようになりました。中流階級の団塊ジュニア世代が主役となったことで、「手頃だけどキチンと感もある、可憐なコンサバスタイル」が広く支持を集めたのです。『CanCam』はついに『JJ』の発行部数を抜き、80万部を売り上げるほどになりました。

「モノ」から「コト」、「アイコン不在」の時代へ

アイコニックなカリスマによって牽引された平成のファッションですが、2000年代後半から「アイコン不在」の時代に突入します。

2008(平成20)年のリーマンショック、2011(平成23)年の東日本大震災を経て、日本では「断捨離ブーム」が起こりました。断捨離の提唱者である、やましたひでこさんや『人生がときめく片づけの魔法』の近藤麻理恵さんによる片づけメソッドが話題となり、いずれの著書もベストセラーとなります。

近藤麻理恵さん

時を同じくしてアメリカ・西海岸でもGAFAが牽引する形で、「ノームコア(究極の普通)」「ミニマリズム」といったライフスタイルが一定の支持を集めるようになります。トレンドやモードにとらわれることなく、本当に良いものだけを最小限所有し、「選ぶ」煩わしさから距離を置こうとする考え方が共感されるようになりました。

それまでの刹那的な消費から「本質的な価値」を重視する消費のあり方が、日本人のマインドとも連動し、多くの人にとっての関心は「モノ」から「コト」へと移り変わってきたのです。

そんな中、2009(平成21)年に日本上陸した「ロン・ハーマン」は、モノでなくコトを売る、ライフスタイル提案型セレクトショップの先駆けでした。象徴的だったのは、都市部だけでなく、逗子や辻堂に出店し、ブランドのベースにある「アメリカ西海岸のサーフスタイル」を表現したことです。ファッションはもちろんのこと、雑貨やインテリア、家具、ガーデニングを販売し、カフェを併設するなど、ライフスタイルそのものを商品やサービスとして提供しました。

他にも2011(平成23)年に「代官山蔦屋書店」が開業し、2012(平成24)年にはBEAMSが「B-MING LIFE STORE by BEAMS」を立ち上げるなど、ライフスタイル提案型のショップやブランドが増えてきたのも、その流れと無縁ではありません。

 アパレル企業各社は2000年代半ばから「重点商品の在庫を確保し、売れるアイテムを戦略的にたくさん売る」といった「MD偏重主義」の商品開発を進めていった結果、2010年以降、どのアイテムも均質化・コモディティ化し、マーケティングが効かなくなってきました。それに対する差別化、付加価値化の方法の一つが、ライフスタイル提案だったのです。

女性誌の世界でも「服よりライフスタイル」の流れが生まれ、2014年に新創刊した『アンド プレミアム』のように、「丁寧な暮らし」を打ち出すライフスタイル重視の雑誌が店頭に並ぶようになりました。

2010年頃からはSNSが台頭し、「個の時代」がやってきました。人々の興味はますます細分化し、ハッシュタグやフォローしているアカウントによってフィルターバブル化し、「見たいものしか見えない」ようになっていきます。

「みんなが持っているモノ」「周りが評価するモノ」「相手に好まれるモノ」がもはや、一人ひとりの消費意欲と結びつかなくなった今、新たな「ブーム」や「時代のアイコン」が生まれることはもはやあり得ないことかもしれません。

これまでの“常識”でモノが売れる時代じゃない。トレンドが消費される時代じゃない。「ヒットを仕掛けづらくなった」今、一編集者として、いかにファッション誌の役割を再定義し、新たな価値を生み出すことができるのかーー。これからはじまる「令和」の時代も、試行錯誤していけたらと考えています。

【企画編集:水野綾子(FIREBUG)、大矢幸世 撮影:保田敬介】


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もはやハンドバッグではない? ジャックムスの超絶ミニバッグが衝撃的

ジャックムスの超ミニ・ハンドバッグ

特大トートバッグやセレブに人気のミニハンドバッグで有名な、フランスのファッションブランド「ジャックムス (Jacquemus)」がまたやってくれた。

2月に行われた2019年の秋冬ファッションショーでは、フランスの田舎にインスパイアされた新作コレクションを発表。モデル達がランウェイで手にしていたのは、小さすぎて見逃すほどの超ミニハンドバッグ。

そのバッグはショーの招待客にもプレゼントされたそうで、ランウェイでは赤、白、オレンジの3色が披露された。

超ミニ・ハンドバッグの小ささは、有名ファッション誌ハーパーズ バザーのライターが「AppleのAirPodsがギリギリ入るくらい」と表現したほどだ。

ウソではない。とにかく自分の目で見て欲しい。

ジャックムスの超ミニ・ハンドバッグ

ただし、値段は決して小さくない。

ミニバッグはジャックムスにとって新たな試みではなく、現在も新作より少し大きいミニバッグの『Le Chiquito』や、ストラップ付ミニバッグの『Le Piccolo』をそれぞれ約500ドル(5万5000円)前後で販売している。

また、アメリカのファッションブランド「ブランドン・マックスウェル (Brandon Maxwell)」のショーでも同じように超ミニバッグが発表されており、ジャックムスだけのトレンドではないようだ。

今回発表されたミニバッグは今までの商品より更に小さく、Twitterでは:
「何入れればいいんだろう…?」
「ついに私の貯金すべてが入る大きさのバッグができた」
「来シーズンは顕微鏡が必要になる」
などのコメントが投稿されている。

このミニバッグに加え、ジャックムスは今回のショーで、普通サイズや特大サイズのバッグも披露した。

ジャックムスの新作バッグ・コレクション

ハンドバッグはこれ以上小さくなりえるのだろうか? 答えは来シーズンまで待ってみるしかない。

ハフポストUS版の記事を翻訳、編集しました。


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「自由に着られるのが嬉しい」18歳のトランスジェンダーが有楽町マルイにハマった理由

「居場所を見つけた!って思ったんです」

都内に住む18歳の唯さん(仮名)は、男性の体に生まれながらも女性の心を持つトランスジェンダーだ。

度々足を運ぶのは、東京千代田区にある百貨店「有楽町マルイ」のイベントスペース。性別や体型に関係なく着られる服や靴などを販売しているからだ。

「他の専門店と比べると品数は少ないけど、自由に着られるのが嬉しい」と話す唯さん。イベントが始まって数日だが、来店するのはすでに3度目。ここで購入したオレンジ色のパーカーをすっかり着こなしている。

パーカーを手に取る唯さん

 唯さんは、自分が女性の心を持つことを母親にしか話していない。普段は男性として日常を送っている。

一般的なアパレルショップでは「ぎり(男性が着ても)ありかな」と思えるレディースを購入して着ていたが、周りの目を気にせず、鏡の前でスカートを腰に合わせる女性たちが羨ましく見えたという。

イベントのことはTwitterで知った。初めて会場に来た時は、足を踏み入れることがそのままカミングアウトになりそうで「(頭が)訳わからなくなった」と戸惑った。しかし一度中に入れば「思った通りの場所だった」。

店員とも意気投合し、気づけば6時間以上居座ってしまった。記者が取材に訪れた日は、ようやくスカートに手が伸びた。人生初の試着。気になるデザインを2着試した。「楽しいなんてもんじゃないです」白い歯を覗かせた。

 

■ごちゃ混ぜの靴「売る場所という意識はない」

「有楽町マルイ」では約260平方メートルほどのスペースを丸ごと使用し、性別や体型に関係なく楽しめるスーツや靴、それにカジュアルウェアなどを揃えた。2月16日から3月3日までの期間限定の催しだ。

ジェンダーフリーハウスの売り場

男女の垣根に縛られず、誰でも着たいものを自由に着てもらうのがコンセプト。
パターンオーダーのスーツは身長145センチから190センチまで対応する。

靴も本来の男女用を区別せず、敢えてごちゃ混ぜにして壁に貼り付け、選んでもらうようにした。

ごちゃ混ぜになった靴

プロジェクトの責任者を務めるマルイの井上道博さんは「ネット通販に押され、リアルな店舗の存在意義が問われている時代。売る場所という意識はなく、いろいろな人が集まれる場所を作り出したかった」と狙いを話す。

マルイは、百貨店の力だけでは、性別にとらわれないファッションやライフスタイルを提供するのに限界があると考えている。

そこで、化粧品メーカーと提携し、会場の一角にどんな人でも自分にあったメイクを相談できるコーナーを設置。「化粧をしたことがないが、一から学びたかった」という人が多く訪れているという。

さらに、LGBTQの就職や転職を支援する会社の星賢人代表によるイベントも開催。

会場に集まった人たちに、他人の反応に怯えることなく自分をさらけ出せる環境を見つけることの大事さなどを説いた。

マルイにとっても初となるこの試みは、3月3日をもって一度終了する。トランスジェンダーの唯さんは「期間限定なので、来られるなら毎日来たいです」と意気込む。

責任者の井上さんは「今回のイベントにも賛否両論あったので、より進化したものを今後も打ち出したい。全然終わりでは無いですよ」と次回以降の計画があると明かした。


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「一生、ロリータやめない」 35歳、青木美沙子は“年相応のファッション” の呪縛と戦う

青木美沙子さん、35歳。リボンやフリル、レースなどが付いた“ロリータ服”に身を包む姿はまるで、お姫様のようだ。 

15歳の時、原宿でロリータファッション誌「KERA」のモデルとしてスカウトされた。それから20年、流行のファッションに脇目もふらずにロリータを愛し続け、今や世界中のロリータたちのカリスマ的存在だ。

お姫様のようなファッションは、時に“バカっぽい”などと見下されたり、そろそろ卒業したら? と不要に諭されたりすることもあった。しかし彼女は「一生、ロリータをやめない」と宣言する。

いくつになっても同じスタイルを貫きたいーーそう思わせるファッションの魅力とは何だろうか? 青木さんに話を聞くと、私たち日本人が囚われている「年相応のファッション」というものに対する呪縛が浮かび上がってきた。

「ハフトーク」に出演したロリータモデルの青木美沙子さん

ロリータは、コンプレックスの塊だった自分を救う「戦闘服」

 「ロリータは私にとって戦闘服のようなものなんです」。

可憐で愛らしい洋服に身を包みながら「戦闘服」という過激な言葉を口にする青木さん。弱くてコンプレックスだらけの「ネガティブな自分」と戦い、前向きにしてくれるのがロリータファッションなのだという。

《10代の頃、自分の体型が嫌いでした。足は太くて、アトピーもあって。自分に自信が持てなくて、クラスでも目立たない存在だったんです。

そんな私が、ロリータを着ることで強くなれた。ロリータって身体のラインをふわっと隠すことができるんです。

自信がない部分は隠したっていい。そうやって世の中に出ていけばいい。そう思わせてくれたのがロリータだったんです。》

彼女は看護師として働くかたわら、今もロリータモデルとして最前線で活動している。

 

世界に羽ばたくロリータ文化。

ロリータは近代西洋のファッションに着想を得た日本発祥のスタイルで、1990年代に東京・原宿で生まれた。

可愛らしくて甘い印象のスウィートロリータ、少しくすんだ色で大人っぽさを演出できるクラシックロリータ、黒や赤を多用したゴシックロリータ(ゴスロリ)、お姫様らしさ全開の姫ロリータなど、色んなスタイルがある。

青木さんは、日本発のロリータファッションの素晴らしさを世界中に伝えたいという思いで2013年、日本ロリータ協会を設立。アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、アジアの25カ国50都市以上を訪問し、ロリータの魅力を“布教”し続けてきた。

気候も文化も違うそれぞれの地で、日本発のロリータファッションと現地の伝統が融合し、新たな流派のようなものが出来ていくのも面白い。

日本では着物と組み合わせたような「和ロリ」、中国ではチャイナ服と合わせた「華ロリ」というスタイルが人気だという。

ひとえにロリータといっても多様なスタイルがある。この「選択肢の多さ」もロリータの魅力だと青木さんは言う。 

ユニークなことに、着る頻度によって異なるネーミングがつく。

病院で白衣を着ている時以外はいつもロリータ服を着ている青木さんは「毎日ロリ」。他方、週末だけロリータ服を楽しむ「土日ロリ」もいる。

仕事や学校通いで普段はなかなか自由に好きな服を着られなくても、休みの日には大好きな洋服を着て本当の自分を解放したい。そんな思いがあるのだろう。

 

中国廈門でイベントに参加する青木美沙子さんブラジル・サンパウロでファンにサインをする青木美沙子さん

 

ロリータは「男ウケ」が悪い。でも…。

世界中の女性たちを魅了してやまないロリータファッションだが、青木さんいわく「男ウケがすこぶる悪い」のだという。

結婚がしたい、彼氏が欲しいーーそんな思いから出会い系アプリに登録し、実際に12人の男性と会ったという青木さん。

 《会った瞬間、相手がサーーーーーってドン引きしていく音が聞こえるんですよ。会う前にスマホでメッセージのやりとりをしている時には、趣味の話、医療に関する話などについて、対等に会話していたはずなのに。私のロリータ服を見た瞬間、格段に会話のレベルが下がる。下に見られているのがわかるんです。》

男性たちがかける言葉はこうだ。

「コリン星からきたのかな?」

「毎日、マカロン食べてるの?」

「おうちはお城なの?」

まるで子供の相手をするかのような口ぶりで質問をしてきたかと思うと、挙げ句の果てに「そんなファッションやめなよ」と“諭そう”としてくるのだという。

理解してくれる男性がいるはずだ、と最初は信じていたけれど現実はそうじゃなかった、と青木さん。驚くべき話だが、出会い系アプリのプロフィール欄に、彼女のもう一つの仕事である「ナース」を入力すると、「今度は急にモテはじめる」のだという。

 《ロリータに対する偏見は大きいと思います。これを理解してくれる男性と付き合いたいですがなかなか…。

中国では派手な服装の女性がモテるから、男性からもロリータは人気があります。でも日本人は保守的な人が多い。一緒にデートしていて目立つ女性は嫌なんだと思います。

どうしても、みんなと一緒がいい、目立たない方がいい、というカルチャーなので、ロリータは奇抜な格好として変な扱いを受けてしまう。》

《私たちの方にも責任があるなと感じています。ロリータってどうしてもイロモノのような感じで、メディアでも面白おかしく扱われてしまいがち。それを見て誤った理解をしている方が多いんでしょね。

そういう意味では私たちにもまだまだ足りていない部分もあるし(適切な理解を得るために)頑張らないと思います。》

 

ロリータは一生やめない。ファッションは自由でいいはずだから。

出会い系アプリを通じた恋愛がうまくいかなくとも、男性に敬遠されようとも、青木さんは「ロリータは一生やめません」と断言する。

《何というか、恩があるんです。ロリータは、自分のネガティブなところと向き合う力をくれた。自分を変えてくれたし、人生を支えてくれたものなんです。 

こうして先頭に立つことで、同じようにロリータに救われている人たちの希望でありたい。35歳の私が続けていることで勇気が出る人もいると思うんです。出産や子育てで一度ロリータをやめて、また帰ってくる人たちもいるから、そういう人たちの受け皿にもなりたい。

それに、プライドや使命感もありますけど、何よりもロリータが好きなんです。カワイイじゃないですか。どんなにみんなの思いを背負っていても、自分が好きじゃなきゃ続けられないですしね。》

好きだから着続けたい。

カワイイから着続けたい。

ロリータへの一途な愛を語ってくれた青木さん。最後にあえて「本当にいくつになってもロリータファッションを続けますか?」 と問うと、青木さんは淡々とした口調でこう答えた。

《年齢によって、ファッションを変える必要はないと思います。20代だからこの服、30代だからこの服、ママだからこの服、という思い込みはおかしい。おばあちゃんになっても、男性でも、ロリータを着ていいんです。私の夢は、まだ見ぬ娘との親子でロリータを着ること。ファッションはもっと自由でいいと思うんです。》

ロリータ大使として、25ヵ国以上をめぐってきた青木さんはこう続ける。

《ファッションだけじゃない。結婚や職業選択もそう。年齢で色々規定するのは日本人ならではの感覚じゃないでしょうか。35だからロリータ着ちゃいけないとか、結婚してなきゃおかしいとか…。そういう考え方こそおかしいし、実はすごく勿体無いんです。 

年齢で何かを諦めるなんて勿体無くないですか? 好きなら絶対、諦めちゃいけない。私はそう思うんです。》


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リアーナ、ルイ・ヴィトン擁するLVMHグループで新ブランド立ち上げか。報道が意味するファッションの未来

BROOKLYN, NY - SEPTEMBER 14

歌手のリアーナが、ルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオールなどのブランドを擁するLVMHグループとともに新ブランドを立ち上げるための準備を進めていると複数のメディアが報じている。WWDが関係者への取材を元に「独占スクープ」として1月17日に報じると、NewYorkTimesGuardianなどの大手メディアが一斉に追随した。

真実は明らかになっていないというが、実現すれば1987年にスタートした「CHRISTIAN LACROIX(クリスチャン・ラクロア)」に続き史上2つ目の、LVMHがゼロから立ち上げるブランドとなり”偉業”とも呼ぶべきプロジェクトになる。

Twitterで8900万、Instagramで6700万のフォロワーを抱えるリアーナ。歌手としての実力やカリスマ性はもちろんのこと、多様性を重んじる言動で世界中から支持を得ている。

リアーナが本当にLVMHとブランドを立ち上げるとしたら、それはどんなことを意味するのだろうか。

どんな人でもファッションを楽しめるアイテムに期待

リアーナはこれまで、自身の名字「Fenty」を冠した化粧品ブランド「Fenty Beauty by Rihanna(フェンティビューティ バイ リアーナ)」やランジェリーブランド「Savage x Fenty(サヴェージ×フェンティ)」を手がけてきた。

化粧品ブランドから発売したファンデーションは全40色で展開した。ファンから「本当に40色も出るの?」とInstagramで問われた際には、「私たちはそれぞれ色んな肌の色合いで生まれてくるわけで、そういう女の子たちみんなに対応したい。特にこれまでメイク界で取り残されがちだった、私みたいなブラウン肌のシスターたちにはね」と応じていた

「fentybeauty」Instagram公式アカウントより

自身のランジェリーブランドのファッションショーではジジ・ハディッドなどのスーパーモデルだけではなく、様々な体型や人種のモデルを起用。中には妊娠中のモデルもいた。

ランウェイのバックステージでは「(ショーでは)そうなってほしいと思う未来を表現した。それは、体形や人種、文化を問わずに、あらゆる形で女性が祝福されること。自分の体がどう見えるかで女性が悩んだり、周りの目を気にしたりすることほど残念なことはないと思う」と語っていたという。

BROOKLYN, NY - SEPTEMBER 12:  Model walks at the Savage x Fenty - September 2018 - New York Fashion Week at Brooklyn Navy Yard on September 12, 2018 in Brooklyn, New York.  (Photo by Presley Ann/Patrick McMullan via Getty Images)

こうしたリアーナの多様性を大事にする商品づくりは、メディアでも広く取り上げられてきた。

LVMHと立ち上げる新ブランドは、洋服や革製品、アクセサリーなどが展開されると可能性があると報じられており、リアーナがどんな風に商品作りをしていくのか、期待がかかる。

経歴も大事だけど、それだけじゃない。ファッション業界も変わる?

今回のニュースに驚きを隠せないのはファッション関係者だ。

ファッションを学び、デザイナーとして一歩ずつ地道に経験を積み上げていくのが当たり前だった業界で、歌手からファッション業界に入ってきたリアーナの”大抜擢”が本当だとすると、今後のファッション業界の常識を変える出来事になるかもしれない。

「伝統的ブランドが、ジェネレーションZ(1996年以降生まれの若者)市場に大きな影響を持つリアーナのような著名人と組むというのは、ファッション業界の現状を反映している」と報じるメディアもある。

NewYorkTimesでファッション評論のトップを務めるヴァネッサ・フリードマンは以下のように綴っている。

「今や、エリートファッションの世界は混沌としている。ストリートファッションの隆盛や消費者との直接的なつながり、多様性の欠如に対する意識の高まりなどで、状況はぐちゃぐちゃだ。そんな中で、LVMHがリアーナに未来への希望を見いだすのは何の不思議もないように思える」


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シャネルが宣言「ワニ革やヘビ革を使いません」。毛皮も廃止へ

2018/19年秋冬 プレタポルテ コレクションより

フランスの高級ブランド・シャネル(CHANEL)が12月4日、ワニ革やヘビ革などの使用を廃止すると発表した

同ブランドのファッションプレジデントを務めるブルーノ・パブロフスキー氏は、廃止の決断に至った理由について、ブランドの倫理基準を満たす方法でエキゾチックレザー(家畜以外の革)を入手することが困難になっていると説明。

ワニ革やトカゲ革、ヘビ革、エイ革などのエキゾチックレザーは希少性が高く、高級素材として使われてきたが、今後は使用しないという。

また、WWDによると、これまでもほとんどコレクションで使用されていなかったが、毛皮の使用も今後は廃止する。

毛皮の廃止宣言も続々と

ファッション業界では、動物愛護や環境保護などの観点から、毛皮や皮革の廃止を宣言するブランドが増えている。

これまでも、グッチやジャンポール・ゴルチエ、カルバン クライン、ラルフローレン、トミー・ヒルフィガーなどがすでに毛皮を使用していないと報じられている。

ハフポストマグレブ版の記事を翻訳・編集しました。


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ZOZO前澤友作氏「ゾゾスーツがいらなくなるかもしれない」 決算説明会で発表

ZOZOの前澤友作氏

ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営する株式会社ZOZOの代表取締役社長・前澤友作氏が10月31日、スマホアプリを使って体型を採寸するボディスーツ「ZOZOSUIT(ゾゾスーツ)」について、新技術の導入によって将来的に「不要」になる可能性を示した。

アナリスト向けの2018年第2四半期決算説明会で発表した。

「今後はZOZOSUITなしでも購入いただけるようになります」

同社は2018年1月、新規事業でもあるプライベートブランド(PB)事業の「目玉」としてZOZOSUITを発表した。

専用のボディスーツを着用し、連携アプリで体型を測定することで、試着や実際の採寸なしでも一人ひとりの体にフィットする商品を提供すると宣言し、話題を呼んだ。

大きな注目を集めていたZOZOSUITやZOZOのPB事業だが、前澤氏は10月31日の決算説明会で、「今後はZOZOSUITなしでも(PB商品を)購入いただけるようになります」と発表。

前澤氏によると、「身長、体重、年代、性別」の4つのデータを入力するだけで、顧客の「最適サイズ」を提案する新技術を開発したという。

この技術は、以下の3つのデータを元に開発。すでにデニムパンツなど一部の商品でこの技術を導入しており、今後はビジネススーツなど他の商品にも適応させていく予定という。

①これまでに配布したZOZOSUITで集めた体型のデータ

②基礎ユーザー情報(身長・体重・年代・性別)

③製品を使用したユーザーから集まった意見やフィードバック

前澤氏は、この技術が全商品に適応することで、「(今後)ZOZOSUITがいらなくなるかもしれない。そしてZOZOSUITを着て撮影することそのものも不要になるかもしれない。当然、アプリをダウンロードしていただくこともない」と説明。

さらに、ZOZOSUITの配布枚数の計画についても下方修正すると発表した。

同社は2018年度中に「600〜1000万枚」のZOZOSUITを配布することを目標にしていたが、「300万枚」に変更するという。これによって、当初見積もっていた配布コストも70億円から「40億円」に減少する見通しだ。

ZOZOSUITは「なくなる」のか?

ZOZOSUITが「不要」になる可能性について示した前澤氏だが、今後は海外ユーザーの体型のサンプルデータを収集していくため、ZOZOSUITを活用していくという。しかし、将来的に配布はやめる方針で、決算説明会後に前澤氏は「ZOZOSUITは将来的に廃止予定」とツイートした。

前澤氏は、「本来はブランドですから、服自体に注目が集まらないといけない。それが、どうしてもZOZOSUITや計測の部分にスポットが当たりがちだった。もっと商品を見ていただけるように、製品開発に力を入れていけるようにしたい」と説明。

チノパンツやシャツのバリエーション追加、靴など新商品の展開に力を入れていきたい、と述べた。

発表内容まとめ1。ZOZOSUITの究極の進化形は「ZOZOSUITなし」で体型計測。今までのZOZOSUIT計測データをベースにした機械学習による体型予測モデルを開発 移行し、ZOZOSUITは将来的に廃止予定。カメラ撮影もアプリも不要に。現在すでにデニムパンツとTシャツはZOZOSUITなしで購入できます。

— Yusaku Maezawa (MZ) 前澤友作 (@yousuck2020) 2018年10月31日

発表内容まとめ2。足の計測システム(自宅でスマホで簡単に計測可)についてはほぼ完成済み。サイズ左右差や、立っている時や歩行時の負荷軽減なども考慮したオリジナル靴の商品開発に着手開始。詳細はまた追って。

— Yusaku Maezawa (MZ) 前澤友作 (@yousuck2020) 2018年10月31日

ビジネススーツ納期の遅延は? 「年内に解消」

ZOZOのPB事業をめぐっては、7月に受注を開始したオーダーメイドの「ビジネススーツ」の納期の遅れなどが問題視されている。

同社の発表によると、PB事業では2018年7月〜9月に15.4億円分の受注があったが、発送実績は「5.4億円」に留まっているという。

前澤氏は、「ビジネススーツで初めてZOZOSUITにチャレンジしていただいた方も多いと思います。そういう方に限って遅延をしてしまっており、本当に申し訳ありません。最大で2カ月から3カ月お待ちいただいているお客様もいる」とビジネススーツの生産遅れについて謝罪。

納期遅延は年内に解消すると宣言した。

 

あす11月1日22時からネット番組「#ハフトーク」に、ZOZOのコミュニケーションデザイン室 室長を務める田端信太郎さんが生出演します。

「ZOZOSUITは将来的に廃止予定」と公表したZOZO。では、何のためにZOZOSUITつくったの?失敗だったの? 60分間、徹底的に聞きます。

番組はこちらから。


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