eiga

『カメラを止めるな!』監督、ワイドナショー出演もまさかの松っちゃん不在 「神との対話は持ち越された」

空前の大ブームを巻き起こしている映画『カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督が8月19日、「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、「世界で一番影響を受けている人間」だと語るダウンタウン・松本人志さんの、突然の番組欠席に落胆を見せた。

この日、番組がはじまるとMCの東野幸治さんが「申し訳ございません。松本さんがお休みということで…一説には風邪、一説にはズル休み」と収録欠席を説明。

上田監督がゲストとして登場すると、「(上田監督は)ダウンタウンが大好きで、今日松本さんがいらっしゃるからワイドナショーのオファーを受けてくれたんですが…」と申し訳なさそうに話した。

松本さんについて「世界で一番影響を受けている人間」だと話す上田監督は、緊張のあまり集合時間の1時間前にスタジオに到着してしまったという。対面を前に左手が震えてきてしまったというが、会えないとわかって「左手のしびれもすっとおさまった」と明かし、スタジオの笑いを誘った。

待ち望んでいた対面は残念ながら実現しなかったが、「松本さんに会えたら、(それ以上の)上がないなと思って、もう夢がなくなるなと思って」「会いたかったけどホッとしてる自分もいた」と本音を明かした。

この日の番組には、1981年から1991年放送の深夜番組『夢で逢えたら』でダウンタウンと共演していたタレントの野沢直子さんがコメンテーターとして初登場していた。

上田監督は、東野さんに直子さんに会えて感激なのではと問われたが、「世代ではないんですよね」とバッサリ。野沢さんに「帰れ帰れ帰れ〜」とまくし立てるようにツッコまれ、スタジオは爆笑に包まれた。

番組では、制作費300万円でわずか2館のみの上映で始まった『カメラを止めるな!」が、全国190館以上で上映され、動員数40万人を突破するまでのストーリーが紹介された。

放送後、上田さんは「神との対話は持ち越されました」とツイートした。

ワイドナショー、ご覧頂いた皆さん有難うございます。集合時間1時間前に着いちゃって極度の緊張で謎に手が痺れてきてもう大変でした。が、まさかの松っちゃん不在…!神との対話は持ち越されました。残念だったりホッとしたり。でも夢は残ってた方がいいよね。

— 上田慎一郎 (@shin0407) 2018年8月19日

ワイドナショー、ごっつど真ん中世代としては生東野さん、Jリーグブームど真ん中元サッカー少年としては生前園さんとお会い出来たのも夢のようでした。

— 上田慎一郎 (@shin0407) 2018年8月19日

Read More

傑作『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督が語る。「天才」だった自分がボコボコにされてから

上田慎一郎監督

製作費300万円で作られた映画『カメラを止めるな!』が、異例の快進撃を続けている。同作の監督・脚本・編集を手がけた上田慎一郎監督は、”異色”の経歴の持ち主だ。20代前半で借金苦に陥り、ホームレスになった経験もあるという。ここに至るまでにどんな苦労があったのか? そしてそれをどう乗り越えてきたのか? その人生観と哲学を語ってもらった。

「やめとけ」と言われると燃えるタイプ

『カメラを止めるな!』には、37分ワンカットの「ゾンビサバイバル」のシーンがあります。それを「撮る」と言ったとき、いろんな大人から「無理だ」「できるわけない」と言われました。

映画『カメラを止めるな!』より

「ゾンビもの」というのは仕掛けが多くて、「カット割り」があってこそできるのが常識。最初は撮影スタッフにも「ワンカットは無理だから『ワンカット風』にしましょう」と止められました。ただぼくは「やめとけ」と言われると燃えるタイプなんです。

学生の頃からそうでした。高校生のとき、琵琶湖をいかだで横断することに挑戦したのですが、そのときも「よせよせ」とさんざん言われた。でも、そう言われると燃える。

「成人式で流すムービーを作ってくれ」と言われたときも、120人くらいの同級生ほぼ全員に会いに行って夢を語ってもらいました。卒業してみんな散り散りになってるから、まわりからは「絶対無理だ」と言われましたが、それもなんとかやりとげた。

思い返すと、自分がやってきたことって、最初は絶対「やめとけ」と言われていたことが多い。「やめとけ」「よせよせ」「無理」「不可能だ」という言葉が「薪」となり、「炎」がより燃えていくんです。

ホームレスにもなった。けれど、悪いことを全部「ネタ」にできれば最強

20歳のときに映画監督になるために上京してからは、失敗続きでした。悪い大人にそそのかされてネズミ講みたいなものに騙され、ウン百万円くらい借金を背負ったり、「本を出版しないか」と言われて200万円くらい借金して、ホームレスになったりした。……ただ、そこまで凹んではいませんでした。

ぼく、中学生の頃は毎日ノートにぎっしり日記を書いていたんですよ。インターネットができてからはブログを毎日書くようになった。自分の身に起きたことをブログに書く習慣があったんです。

だから、たとえ悪いことが起きても、それを客観視しておもしろおかしく書くことができたんです。どんなに悪いことや悲しいことがあっても、全部それを「ネタ」にできる。つまり「悪いこと」は起きないんです。「失敗した!おっしゃー、ブログに書こう」っていう感じですね。

コメディの世界の見方をそのころからしていたのかもしれません。チャップリンが言っていることですけど「寄ってみれば悲劇に見えることも、引いてみれば喜劇に見える」という。そういう考え方が昔からありました。

映画『カメラを止めるな!』より

「俺はなんで東京に来たんだろう」と号泣した25歳の夜

20歳から25歳のあいだに相当数の失敗をしました。200万円の借金をし、ネズミ講で友だちを失いかけ、家をなくし……。それをブログに書くことで「笑い」に変えてきました。

でも、25歳のある夜。突然「俺はなんのために東京に来たんだろう」ってすごく泣いたことがあったんです。

近道をして映画監督になろうとしてたつもりだけど、結局はただ「映画だけで勝負するのが怖かった」だけなのかもしれない、と思った。もし映画だけをやって、それでもうまくいかなかったら、自分に才能がないってバレてしまう。「映画だけをつくる」ということから逃げて、他のことをしていた自分に気づいたんですね。だから、「映画一筋でやろう」と覚悟を決めてやり始めたのが25歳のときでした。

そこで、当時盛り上がっていたミクシィで「自主映画のスタッフ募集」というのを見つけ、「スタジオメイズ」という団体に入りました。

それまではハンディカムでしか撮ったことなかったのですが、ガンマイクを構えたり、DVXという大きめのカメラを使って、本格的な映画制作を3カ月くらい学びました。それで「よしわかった。じゃあ俺、独立します!」と言って独立しました。……だから、まだぜんぜん生意気なんです。

無数の成功体験と無数の大失敗でバランスがとれた

ぼくは、中学高校時代から「成功体験」がすごく多かったんです。

中学の国語の授業で、班ごとに劇をやるという授業があって、みんなは『桃太郎』とかすでにある物語をベースにしていたんですけど…ぼくは「オリジナルでやりたい」と言って、自分で脚本を書いてやったんです。それが人生で初めてちゃんと書いた脚本なんですが、これが国語の先生にすごく認められて、全校生徒の前で演劇をやりました。

高校生のときは、文化祭で映画を作って上映していました。それで3年連続で最優秀賞をとったんです。その後演劇部にスカウトされて、毎年地区予選落ちだった演劇部が、ぼくが作・演出をしたことで、近畿地区2位までいったんです。

そのあと、20から25歳のとき、調子に乗って大失敗してしまうことになるんですが…調子に乗るだけの成功体験が多かった。「自分なんて」という考えはまったくないくらい生意気だった。とにかく突き進む。「俺は天才だ」と。

その「天才だ!」と言っていた自分が、20から25歳でボコボコにされて、バランスが取れたんだと思います。田舎の町では注目を浴びていたかもしれないけど、東京では「お前なんて」とボコボコにされて、謙虚さというものが加わりバランスが取れて、いまがある気がします。

失敗は利子がついて返ってくる

25歳までのあいだに山ほど失敗をしてきたので、30代になったときにそれらの失敗にすごい「利子」がついて返ってきた気持ちになったんですよ。

ぼくは一度ホームレスになったのにここまで復活できてますから、25歳くらいまでは、どんなにひどいことになったって戻ってこれるはず。だから、25歳くらいまでは「失敗を集める」くらいの気持ちで生きる方がいい。その気持ちでいたら、失敗したときに落ち込まないじゃないですか。「お、今日はひとつ失敗できたな」って。

そして、ブログに書くなど、その失敗をアウトプットする場をつくれば、失敗を「エンタテインメント化」するという思考も身につく。「失敗を俯瞰してエンタテインメントにする」というのはコメディの根幹。ぼくはそれをずっとやってきたので、それがよかったのかもしれないです。

「悲劇だ!」と思っても「それは本当に悲劇か?」と問い直してみるとか…。そうすると、実は笑い飛ばせないことってそんなに多くはないんじゃないか。

「ネズミ講に騙されて、ホームレスになった」というのは、自分だったら死にたくなるくらいにショックなできごとかもしれないですけど、いまぼくがこうして話をしても、だいたい笑い話になるんです。だから、ほとんどのことは笑い話になると思って生きるといいかもしれません。

映画『カメラを止めるな!』より

自己啓発系の言葉に思うこと

ぼくもいろんな自己啓発本を読んで「死ぬこと以外はかすり傷」みたいな言葉を見て、奮起していました。でも、補足しておきたいのは、そういう言葉はすごくいいなと思う反面、危険な一面もあると思っています。

一時期はその言葉で火照ることができるかもしれないですけど、それを続けられるような「仕組み」を自分に作らないと続かないと思うんです。大切なのは、そういうメンタルを続けられるような「仕組み」をつくることだと思います。ぼくの場合はそれがブログだった。

ブログに自分の失敗を書いて、それを見ている人に楽しんでもらう、という「使命」を自分でつくっていました。ただ単に「失敗を集めよう」とか「失敗したらそれを喜ぼう」というだけじゃ精神は持たない。それを自分の生活の中に仕組み化する。それがうまくいくコツなんだと思います。

あとは、僕は妻(アニメ・映画監督のふくだみゆき氏)と結婚してから、より外で戦えるようになった、という感覚があるので、自分の絶対的な味方を作ることも大事じゃないかなと思います。

大量に失敗したあとの成功じゃないと、強度が低い

映画をつくっている若い世代の人が、『カメラを止めるな!』を観て、ぼくにメールをくれるときがあるんです。「上田さんは映画をつくるときに絵コンテを描かれますか?」とか、「キャスティングはどういうことに気をつけたらいいですか?」とか…。でもぼくは「いや、まず撮れよ!」と思うんです。

一発目から成功しようとしているところが失敗だぞ、と。とりあえず大量に失敗した上での成功じゃないと「強度の高い成功」とは言えないと思うんです。

いまはiPhoneを使って、自分の友だちや家族を撮って、編集もすぐできます。撮ったものを見て「何がいけなかったか」というのを感覚と体で学んでいく。そのほうが絶対に速いと思うんですよ。「映画教本」から学んで、ちょっと「知識がついた」という感覚になるよりもぜんぜん速い。

「コケない」ということは、「走ってない」ということなんです。「コケる」というのは走ったり、挑戦している証拠。だからどんどんコケていい。失敗していいんです。コケずに失敗しないよりも、走ってコケるほうが、絶対あとに経験となって自分の身に返ってくると思います。

ぼくはコメディをつくっているので「カッコつけるほうがカッコ悪い」と思っちゃうんですよね。カッコ悪いほうがカッコいいと思っちゃう。ダサいほうが人間としてはカッコいい。まだ、偉そうなことを言える立場じゃないですが「とにかく転がり続けろ」というのは伝えたいですね。

(聞き手・執筆:竹村俊助、編集・撮影:生田綾)

映画『カメラを止めるな!』大ヒット公開中

製作:ENBUゼミナール
配給:アスミック・エース=ENBUゼミナール
©ENBUゼミナール


No Picture

中国版『万引き家族』の宣伝ポスターがエモすぎる。樹木希林さんの傘は愛の表現だった。

カンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞し、世界中で大きな話題を呼んだ是枝裕和監督の映画『万引き家族』。8月3日から中国で公開されるにあたり、宣伝用ポスターが作られた。制作を担当したのは、中国のデザイナー、黄海さんだ。

樹木希林さん演じる初枝の年金をあてにして暮らしながら、足りない生活費を万引きでまかなっている柴田家を描いた『万引き家族』。

家族を家族たらしめるのは「血縁」なのか、それとも一緒に過ごした時間の長さなのか?

こうしたテーマを問いかける本作において、ポスターで描かれた2つのシーンはどちらもとても印象的だ。

1枚目は、海ではしゃぐ家族を、日傘をさして浜辺から眺めている初枝の目線から描いた。

ポスター作成を依頼した映画宣伝会社によれば、このシーンには以下のような思いを込めたという。

《中国の文化では、傘は人々を雨風から守るという意味合いを持ちます。

この家族は、海で幸せそうに遊び、おばあちゃんは家族みんなを気遣いながら、傘をさしていました。

デザイナーはこのシーンで、『家族』というのものが意味することや、この作品の愛について表現しようとしました。》

もう1枚は、ひっそり暮らす柴田家が、音だけ聞こえてくる花火を楽しんでいるシーンだ。このシーンについて同社は「デザイナーが最も感動した」とコメントを寄せている。

《この家族は、花火の音だけしか聞こえなかったけれど、心の中では世界の美しさや家族の愛を感じられていた。

このシーンが、デザイナーの最も感動したシーンだったということと、中国の沢山の観客に映画を訴求できるシーンだと思い選びました。》

このポスターがTwitterなどに投稿されると「鳥肌立つくらい好き」「映画の本質を理解して作られてる」などと絶賛のコメントが相次ぎ、話題になった。

  *

是枝裕和監督の『万引き家族』にかける思いを聞いたインタビューはこちら


大人版「ホーム・アローン」!? 大麻を吸って飛行機に遅れた男の奮闘描く映画にR・レイノルズが参戦

20世紀FOXが、俳優のライアン・レイノルズさんをプロデューサーに迎えて、同社最大級の大ヒット映画『Home Alone(ホーム・アローン)』から着想を得た映画『Stoned Alone(「大麻でヘロヘロになって1人っきり」の意)』を製作すると映画ニュースサイト「DEADLINE」など複数のメディアが報じた。ライアン・レイノルズさんは主役を演じる可能性もあるという。

『ホーム・アローン』は、家族でクリスマスの旅行に出かけようとしたところ、1人だけ家に取り残されてしまった8歳の少年が、泥棒に立ち向かう物語。

今回の『Stoned Alone』は、『ホーム・アローン』を「R指定」の大人バージョンにしたような物語になるという。

DEADLINEによると、主人公は大麻を吸ってヘロヘロになっている20代の男。スキー旅行に向かう飛行機を逃し、ハイな状態で家にとどまる様子を描く。幻影に取り憑かれた男は、家に泥棒が入ると信じ込む。しかしそれは単なる妄想ではなく、家には本当に泥棒が侵入しており、主人公が泥棒撃退に奮闘するというストーリーだ。

本家『ホーム・アローン』をうまくなぞりつつ、かなりハチャメチャな展開になりそうだ。

ライアン・レイノルズさんは、カナダ出身の俳優。映画『デッドプール』でプロデューサーを務めながら、主役を演じた。妻で女優のブレイク・ライブリーさんとの仲睦まじい様子が、アメリカメディアなどによく取り上げられている。

VARIETYによると、レイノルズさんは、自身のプロダクション「マキシマム・エフォート」を通じて、『Stoned Alone』にプロデューサーとして参加するという。


子ども時代の想い出を映画化。31歳新鋭監督の瑞々しい感性が光る『悲しみに、こんにちは』

 スペインの新人監督、カルラ・シモンの鮮烈な長編デビュー作『悲しみに、こんにちは』が7月21日より公開される。

 幼い頃にエイズで母を亡くした監督の実体験を映画化した本作は、第67回ベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞、アカデミー外国語映画賞のスペイン代表作品にも選出されるなど、高い評価を受けた。

 1993年の夏、母親を亡くした少女フリダは、カタルーニャの田舎に住む叔母夫婦に引き取られる。フリダは母の死をまだ受け止められずにいる。母の死因が、当時不治の病とされていたエイズであることもフリダは知らない。叔母夫婦とその娘、アナはフリダを暖かく迎え入れるが、フリダはかけがえのない夏を過ごすのだが、新しい家族と慣れない土地、そしてエイズを恐れる周囲の目線のため、フリダは孤独を抱え込んでいる。

 突然の母の死、新しい土地への戸惑いを抱えながらも、フリダは夏を満喫していく。しかし、少女は母の死を受け止め前に進まねばならない。陽光きらめくスペインの田舎を舞台に、家族の暖かさと死と孤独に直面する少女を瑞々しく活写した作品だ。

 カルラ・シモン監督に本作についてうかがった。

自分の癒やしのための映画じゃない

――この映画は監督の子ども時代の話を元にしているそうですが、この映画を作るきっかけはなんだったんでしょうか。

カルラ・シモン監督(以下シモン):多くの人に、自分の心の傷を癒やすために作ったのかと聞かれたのですが、そういうわけではないんです。これは私の確かに私の幼少期の体験を元にした物語で、それなりにこの出来事に対して傷を負ったとは思います。けれど、それから長い月日を経ていますから私なりに消化しています。それよりも、子どもが死に直面した時、どう感じるのだろうということを描きたかったんです。

――あなたの個人的な体験を元にした作品ですが、とても普遍的な感情を描くことに成功していると思います。自らの私的な物語を普遍的なものにできると、いつ確信を得たのでしょうか。

シモン:私のこの体験を多くの人に話すと、大抵とても関心を持ってくれるので、多くの人を引きつけることができるのではとは思っていました。でも映画を作る前から強い確信があったわけではなりません。これが普遍的なものを描いているのだと本当に確信できたのは、映画を作り終えて、世界の人々に見てもらった時ですね。多くの国の映画祭に行きましたが、みなが同じような感情を抱いてくれたので、それでようやく確信を持てました。

 家族愛は誰にとっても大切なものだし、だれもが親しい人の死を経験しています。それにこの映画は90年代の設定なので、その頃を覚えている人には懐かしいものでもあったのでしょうね。

――ご自身の体験を映画にするので、独りよがりなものにならないように気をつけたと思うんですが、どんな点に気をつけましたか。

シモン:たくさん本を読んで、子どもが死に直面する時どんな感情を抱くかを学びました。それと、自分と距離を置く作業が重要でしたね。キャスティングの際も、最初は自分に似ている子を選ぼうとしていましたが、重要なのは外見ではないと気づき、もっと性格を重視するようにしましたね。ロケ場所も自分の過ごした土地そのままではなく、少し離れたところにして自分の想い出と距離を取ることにしました。

 

――この映画は、カメラが常に第三者の目のような視点だと思いました。なぜこのような観察的な視点になったのですか。

シモン:観客にフリーダのいる世界を体験してほしいと思ったので、ホームビデオのようなイメージで撮影しました。それを観察的な視点、あるいはドキュメンタリーのようだという人は多いですね。長回しもホームビデオ風にするための工夫の1つです。一度ミスが出ると最初からやり直しになってしまうので、リスクのあるやり方ですが、どうしても必要なことでした。

 製作中は、監督として自分の人生に距離を置いていたので、物語に入り込むことが出来なかったんです。でも完成した作品を観て、本当に自分の子どもの頃を思い出しました。女優である私の妹もこの映画に出演していますけど、彼女は撮影中も昔を思い出してしょっちゅう泣いていましたけど。(笑)

 

母が得た自由とその代償

――今回映画化する時に改めて自分の子ども時代を振り返って新しい発見はありましたか。

シモン:映画を作る上で一番難しかったのは母をどう描くかということでした。知り合いの編集者に最初の脚本を読んでもらった時に、母親の存在感を感じないと指摘されました。それもそのはず、この映画で描いたように、私は母を幼い時に亡くしていて、彼女との想い出がほとんどないのです。だから母の存在をリアリティを持って描けなかったのです。

 なので、私は自分の母を再発見するために、母の死に対してどう感じていたかを質問させてもらいました。それから母が友人に宛てた手紙をたくさん読ませてもらいましたね。そうやって私の知らない母を作り上げていったんです。

――実の母親について具体的にどんなことを発見しましたか。

シモン:この映画の前に『ゆりかご』という短編映画を作ったんですが、それは母が旅した足跡を私自身が辿って、彼女の手紙を朗読するという内容です。短編映画の製作で彼女の訪れた場所を辿ったことで、母という人物をとてもよく知ることができたと思います。彼女が体験したことを私自身が追体験したような気持ちになれましたね。

 彼女の手紙を読んでわかったことは、私の母はとても激しい人生を送った人だったということですね。彼女の若い頃はフランコ軍事政権が倒れて自由が訪れたばかりの時で、若い人々はその自由を謳歌するためにいろんなことに挑戦していました。彼女もそんな一人でいろんなことを試していたようです。その中の一つにドラッグもありました。手紙には今日、こんなドラッグを試してみたなど詳細に書いてありましたね。

 しかし、その自由への希求の代償として、彼女はエイズを患うのです。ただ彼女はそれは全て自分に責任があることも自覚していたようです。彼女はとても強い意志を持った人だったんです。自分の娘に母乳をあげられないことを悩んだこともあるようです。それでも母は、人生を前向きに、活き活きと過ごしたみたいです。

 それから彼女はクリエイティブな才能もあったみたいですね。とても美しい文章を書くんですよ。

 

――母のエイズの問題などはありますが、映画の中ではそこはあまり強調されていませんね。

シモン:ええ、子どもの視点で描くことが大事だと思っていましたから。私自身、母がエイズで亡くなったことを知ったのは12歳の時です。主人公のフリーダの年には知らなかったのですよ。だから映画の中でエイズという言葉を一切出しませんでした。エイズという単語は強い意味を持ちます。それを言ってしまうとエイズに関する映画になってしまうと思ったんです。私はエイズの映画を作ろうとしたわけはなく、子どもが死をどう受け入れるのかを描きたかったんです。


「自分が嫌いだって、一度でも思った人は観て」。映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」が公開

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」ポスター

高校に入学して初めての顔合わせ。クラスメイトが注目する中で最初のイベントといえば「自己紹介」だ。体中にじっとりとした汗をかき、息を詰まらせながら順番を待つ。

「あ、お、おっ、おっ、お……」

言えない。

「し、し、志乃……大島です」

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の冒頭の場面だ。クラスが大爆笑するなか、彼女はうまくしゃべれないで立ち尽くしている。特に母音で始まる言葉が話しにくいのだ。

主人公の大島志乃は、原作の押見修造さんとイニシャルが同じ。なぜなら、押見さんが体験した名前の言えないつらさやコンプレックス、流ちょうに発音できない悔しさ、恥ずかしさ、そして「イタさ」をえぐるように描いた作品だからだ。

こうした症状は「吃音症」と呼ばれている。

これだけ描けば分かるだろ、分かれコノヤロー

7月14日の公開に先立ち、7月上旬に都内で特別試写会が開かれた。

試写会後に開かれたトークイベントでは、原作の押見さんのほか、「どもる体」の著者で東京工業大の伊藤亜紗准教授、吃音者のための学生サークル・東京大スタタリング代表の山田舜也さん、そして国立成育医療研究センターの医師で吃音外来も担当する富里周太さんが登壇した。

4人は全員、吃音当事者だ。

試写会では、自身も吃音に悩んでいるという男性から「押見先生の作品を読むと、同じような経験をしている自分はダメージを受ける。なぜあえて恥をかいた場面や『イタさ』をリアルに出しているのか」と質問が上がった。

中学生のころから「しゃべれない」状態が始まった押見さん。自己紹介が本気で苦手、授業中に先生に当てられても答えが分かるのにうまく話せなくてむずむずしたことや、悪気なく教員から言われた一言に「触れるな!」と思った経験などが、作品の随所に出てくる。

映画の原作を描いた押見修造さん

押見さんは「ずっとしまっていた。見て見ぬふりをして、隠していたことだった。それを赤裸々に描くことにした。(吃音ではない人に)『これだけ描けば分かるだろ、分かれコノヤロー!』って感じかな」と笑った。

続けて「描いているときは人に語っているような感じで、えぐられたりダメージを受けたりしない。描くことでスッキリした。楽になったし、この漫画を読んでくれていたら、自分がどもっても少し分かってくれるかもって保険が効いているような気持になれた。でも、確かに映画は自分が作ったわけではないので、観るとダメージ受けた。その気持ちは分かります」と答えた。

トークイベントで話題になったのは、志乃の担任の先生が、どもってしまう志乃に向かって向けた言葉だった。

「緊張しちゃうのはさ、まだみんなと打ち解けてないからだよ。頑張ろう、ね!」

教師から諭される志乃(右)

医師の富里さんは「名前が一番どもる。本人だって、どこでそうなるか分からない。いきなり出るんです。そういうときに『ゆっくり落ち着いて』『緊張しなければ大丈夫』などと言ってくる。なんなんだと。悪気はないのは分かるんですが」と話す。

吃音外来を受け持つ医師の富里周太さん

特効薬がないことに気が付く。でも「魔法はいらない」といえる気持ち

伊藤さんは「小学校のころから、連発したり、難発したりしていた。自分でも予測できないので、だんだんとゲーム感覚になって『次は何が起こるかな』と、どたん場感を楽しむようになった」という。

「どもる体」を書いた伊藤亜紗さん

だが同じ当事者でも山田さんは「恥ずかしいの連続。ゲームなんて思えなかった。吃音に伴う情動、不安、恥などが吃音を加速される感じがする。でも、『恥ずかしい』は消えない。消し去るのではなく、どもって生きていこう、と受け入れる。この自分のままでどうやって人を愛せるようになるのかと考える」と振り返った。

自身の経験について語る山田舜也さん

自分の名前が言えないことを恥ずかしく思っていた志乃は、最後に「恥ずかしいと思っているのは、全部私なんだ」という場面がある。そこから山田さんは「思春期は誰もが自己否定に陥る。ただ、この後に、志乃ちゃんがどうやって吃音と付き合っていくのか。今後どうなるのかが気になります」と話した。

富里さんは、作中で加代が作った「魔法」という歌について「歌詞の中に『魔法をください みんなと同じに喋れる魔法』っていうのがある。吃音外来では、特効薬はないか、吃音がなくなる魔法はないだろうかと思って来ている人たちが多い。特効薬はないし、魔法もない」という。

歌はその後に、「魔法はいらない」と続いていく。伊藤さんは「いらない、というのがすごい。吃音が治るのではなく、そのまま人生が続いていく。乗り越えるのではなく受け入れるということですね」と話した。

コンプレックスを描かせたら天下一品の押見さん

ただ、映画には「吃音」「どもり」という言葉は一切出てこない。

原作漫画のなかにも、そうした言葉を意図的に使うことはなかった。押見さんは「これをただの吃音漫画にしたくなかったから。これは自分の弱い部分、コンプレックスを抱えて生きるすべての人に当てはまるものだと思う。自分が嫌いだって、一度でも思った人は観てください」と話す。

映画は、歌が好きなのに音痴な加代、そして自己紹介ができなかった志乃につい吹き出してしまい、クラスの笑いの的にした「空気の読めない」菊池の3人を中心にして回っていく。

自分の持っている、周囲から見たら小さなコンプレックスが、自分の中からあふれ出して押しつぶされそうになる、10代特有の「あの感覚」がこれでもかと凝集されている作品だ。

押見さんは「コンプレックスからこぼれ出てくるものがあるんです。コンプレックスがあるほうが、表現者に向いている。それを形にすると、触れた人に『これは自分のものだ』と刺さりまくるから。吃音はその中でも、毎回フレッシュな恥ずかしさを感じられる得難い才能です」と語っている。

吃音症とは

声が出るはずなのに、言葉に詰まったり音が連続したりして滑らかに話すことができないことを指す。

主な症状は、「おおおおおおはよう」のように、音を繰り返しが起きる「連発」、「おーーはようございます」のような音の引き延ばしがある「伸発」、そして言葉が詰まってしまい、間が開く「難発、ブロック」というものがある。

これらの症状には、言いにくい言葉と言いやすい言葉とがあり、この作品にも出ているように、歌うときには症状が出にくいなどの特徴もある。また、いつ症状が出るかは分からず、調子の波もある。

言語の種類に関係なく、全人口の約1%で吃音の症状を持つ人がいるといわれており、幼少期に起きる発達性吃音と、ストレスや脳疾患などによって10代後半からみられる獲得性吃音とがあり、発達性吃音は7~8割が自然になくなっていく。

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は、7月14日から新宿武蔵野館ほか全国で順次公開される。


「メッセージを発信したいとは思わない」 大ヒット映画『バーフバリ』のラージャマウリ監督が語った真意とは?

古代インドの王国を舞台にしたインド映画『バーフバリ 王の凱旋』が、小規模の公開ながら興行収入1億円を突破し、大きな反響を呼んでいる。

同作は、英雄・バーフバリの壮絶な人生と復讐劇を親子二世代にわたって描いた作品だ。クライマックス級の見応えあるシーンの多さや主人公・バーフバリの超人的な強さとカリスマ性などが、観客を惹き付けている。

ネット上では、作品やキャラクターについてさまざまな考察も広がる。女性の描き方なども注目を集めた。バーフバリに登場する女性はみな強く気高く、バーフバリの妻デーヴァセーナはセクハラした相手の指を斬り落とすほどの勇ましい姿を見せる。

監督と脚本を務めたS.S.ラージャマウリ氏は、「(作品に)ドラマ性を求めることによって、必然的に登場人物が強く、美しいキャラクターになる」と話す。4月末に初来日したラージャマウリ氏に、日本でのヒットの感想や、同作に込めた思いを聞いた。

「社会的なメッセージを発信したいとは思っていない」

——日本での『バーフバリ』人気をどう受け止めていますか?

驚いています。観ていただいた方のパワーに圧倒され、体力を消耗しています。映画のヒットはすごく嬉しいのですが、これだけの熱量が日本人の観客の方から返ってくるとはまったく想定していませんでした。そういう意味で、「消耗」していますね。

絶叫上映にも参加したのですが、インドとまったく違う文化圏、言語にも関わらず、あれほどの熱狂が生まれている。みなさんコスプレをしてインド国旗を持っていたり、テルグ語で書かれたメッセージボードも持っていたり…時間と情熱をかけて『バーフバリ』を楽しんでくれています。

ストーリーテラーとして、これ以上望むことはありません。

——ネット上では、作品やキャラクター考察なども盛んに行われています。『バーフバリ』では女性の登場人物が非常に「強く」描かれていたのが印象的でした。インドはレイプ問題などが社会現象となっていますが、女性の尊厳を描く、というのは監督が意識されたことなのでしょうか?

今の社会における女性の地位や女性が置かれている状況を見ると、非常に悲しいことが世界中で起きていると思います。インドだけではなく、多くの宗教や国で女性が搾取され、本来女性が持っている尊厳が守られていない。これは嘆かわしいことです。

ただ、私は自分の作品を通して、社会的なメッセージを発信したいとは思っていません。社会に対する務めを果たすというよりは、観客に対して、自分がするべき務めを果たしたい。そして、私が映画を通して果たすべきこととは、観た人たちを現実から逃避させ、別の世界へ連れて行くことです。これを自分に課しています。

私はあくまでドラマを作りたい。そして、私が描きたいドラマは芯のある強いキャラクターの生き様から生まれます。力強いキャラクターだからこそドラマが生まれる、と言った方が的確かもしれません。ドラマ性を求めることによって、必然的に登場人物が強く、美しいキャラクターになっていくんです。

社会に向けてメッセージを発信したかったわけではありません。自分が信じるストーリーを具現化して作品に昇華させた結果、社会的な貢献と責任を果たすことに繋がった、ということだと思います。

デーヴァセーナ

マヘンドラ・バーフバリ

——監督が描きたい「強さ」とは?

人生を生き抜くため、困難に耐え忍ぶ強さ。そして、世の中を見通す明晰な考えを持つことが、肉体的な側面だけではなく精神的な強さに繋がると思っています。

アマレンドラ・バーフバリはこの映画のヒーローですが、デーヴァセーナを捕虜として自分の国に連れて帰ろうとします。これは、母であるシヴァガミの意見が正しいと思っているからです。

ところがデーヴァセーナは、「あなたのために死ぬことはできるが、あなたのために生きることを私はしない」と答える。バーフバリのために自分を犠牲にできるほど愛しているけれど、自己や主体性を失い、自分を殺してまでバーフバリに尽くすことはしないと断言するわけです。

これを聞いて、バーフバリはひれ伏します。ここは非常にドラマティックな場面で、このようなドラマを作り上げることが私の仕事だと思っています。

アマレンドラ・バーフバリとデーヴァセーナ

——魅力的なキャラクターが多いですが、監督が思い入れがあるのは?

脚本を書いている時は、シヴァガミに強い思い入れがありました。ただ、映画が完成した後は、ビッジャラデーヴァに非常に魅力を感じていますね。

『バーフバリ』に登場するキャラクターは、誰もが何らかの欠陥や欠点を抱えています。ヒーローであるアマレンドラは、人を信用しすぎるし、悪を見抜けない。王としては欠落している部分があると思います。

そういう意味では、デーヴァセーナが唯一欠点がない人かもしれません。迷いがなく、賢く、単刀直入に物事を見極められる。

バラーラデーヴァ(左)、国母のシヴァガミ(右)

デーヴァセーナ

——確かに、アマレンドラは人を疑うことを知りません。誰もが崇めるような王としての貫禄がありながら、優しさが仇になるというシビアなストーリーを描いていました。監督にとって、人を束ねる「王」の素質とは何でしょうか。

王になるべく人は、人を慈しむ心(compassionate)があり、判断力がある人だと思います。

バラーラデーヴァには慈しむ心が欠けているので、王としては的確ではありません。最終的に王になったのはシヴドゥですね。彼は慈悲深く、最初は後先を考えない無防備さがありましたが、徐々に賢さを身につけていきました。頭脳を鍛えた結果、シヴドゥがなるべくして王になったのだと思います。

——ネット上では、バラーラデーヴァは誰とも結婚せず、息子のパドラ王子は養子ではないかとする説もありますが…。

私はバラーラデーヴァの実の息子と想定していたのですが、日本では「養子であってほしい」と望む声が多いと聞いて、パドラは養子ということにした方がいいかもしれないと思いました。そこにドラマ性があると思いますから。

バラーラデーヴァはデーヴァセーナを愛しているため誰とも結ばれなかったとの憶測もあるようですが、私にとって、バラーラデーヴァは「自分しか愛さない」キャラクターなんです。

——スピンオフも期待されています。

バーフバリの物語が始まる前のストーリー、『THE RISE OF SIVAGAMI』の企画を今年中にスタートする予定です。私はプロデューサーとして参加する予定ですが、シヴァガミとビッジャラデーヴァ、カッタッパが登場します。楽しみにしていてください。

【作品情報】

『バーフバリ 王の凱旋<完全版>』
6月1日(金)より新宿ピカデリーほか全国順次ロードショー
©ARKA MEDIAWORKS PROPERTY, ALL RIGHTS RESERVED.


No Picture

「#好きな映画をつまらなさそうに紹介する」ハッシュタグが大人気。あの名作が、すごい駄作に見えてくる

#好きな映画をつまらなさそうに紹介する」というハッシュタグが、Twitter上で話題になっています。その名の通り、自分のお気に入りの映画を、あえてつまらなさそうに紹介するという謎の遊びが大流行。名作映画に対する身もふたもない感想や批評コメントなどが並び、大喜利大会が繰り広げられています。

その一部を、以下に紹介します。

男はつらいよ⇒「周りはもっとつらいと思うよ」

#好きな映画をつまらなさそうに紹介する

周りはもっとつらいと思うよ。 pic.twitter.com/hrvumItWog

— 25,000 (@250_political) May 7, 2018

南極料理人⇒「ラーメン以外興味なし」

ラーメン以外興味なし#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/6jgHRab1e8

— のりも (@norimo_boot) May 7, 2018

ここまで行くと、一周して逆におもしそうに見えてきます。

マルサの女2⇒「ジジイ(政治家)がオープニングから蟹をチューチューする映画 」

#好きな映画をつまらなさそうに紹介する
ジジイ(政治家)がオープニングから蟹をチューチューする映画 pic.twitter.com/YSq3UA7lXw

— ネモ (@nemoto80731) May 8, 2018

関ヶ原⇒「結局西軍が負ける」

#好きな映画をつまらなさそうに紹介する

結局西軍が負ける pic.twitter.com/bubecIpMwk

— 花野(お茶々) (@hanano_skghr) May 7, 2018

結論を先に言っちゃうパターンも。

妖怪大戦争⇒「ラスボスが小豆で死にます」

ラスボスが小豆で死にます#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/QUIab8QuPi

— ゼロワンP (@zeroonedevilk) May 7, 2018

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア⇒「今カノが居るのに元カノの事を忘れられない男2人が、最終的に2人とも消える」

今カノが居るのに元カノの事を忘れられない男2人が、最終的に2人とも消える#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/tQdvgxA0Kn

— ぼん子_Fe♀ (@frogman1_16) May 7, 2018

世界的大ヒット作や不朽の名作映画の主人公も、「メガネ」や「玉の輿」扱いされちゃってます。

ハリーポッター⇒「メガネの学校デビュー」

メガネの学校デビュー#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/s3oyEPVjgj

— トランキーロニッパー (@carp_LIJ) May 8, 2018

サウンド・オブ・ミュージック⇒「歌って乗ろう玉の輿」

#好きな映画をつまらなさそうに紹介する
歌って乗ろう玉の輿 pic.twitter.com/e3TmiH1Ayf

— こん (@kon231115) May 7, 2018

街を守るヒーローなのに、ひどい言われよう…

ロボコップ⇒「死んでも働かされる」

死んでも働かされる

#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/g0cxE3YihD

— 松山薫造 (@KunzoMatsuyama) May 7, 2018

シャーロック・ホームズ⇒「主人公がサイコチックなコミュ障」

主人公がサイコチックなコミュ障#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/EW2Af2xpNY

— Yu-a❤️ (@Kira_yu_94) May 7, 2018

バック・トゥー・ザ・フューチャー⇒「過去に行って現代に戻る」

1.過去に行って現代に戻る

2.未来に行って現代に戻る

3.また過去に行って現代に戻る

#好きな映画をつまらなさそうに紹介するpic.twitter.com/lfk6i1qWfr

— DJコービー伝説 (@kemekime) May 8, 2018

名作だとおすすめされすぎると、ちょっとうざったく感じてしまう。つまらない映画だと言われると、逆に興味が湧いてしまうこともありますよね。紹介された作品の中には、つまらなくしようとしすぎて、一周回って面白そうに見えてくる映画もあるから不思議です。誰かに見てほしい映画があったら、あえてつまらなく紹介する方が見てもらえたりするのかもしれません。


橋本環奈、制服姿の『斉木楠雄のΨ難』 オフショットに「おっふ」するファン殺到

橋本環奈

女優・橋本環奈のマネージャーが更新する公式Instagramにて、昨年公開された映画『斉木楠雄のΨ難』のオフショットが公開され、制服姿の可愛い橋本の姿がファンの注目を集めた。

同投稿では、緑色のセーラー服姿の橋本のオフショットが公開され、「こんにちは!環奈MGです。今日は斉木楠雄のΨ難ブルーレイ&DVDの発売日です!保存用と見る用に2セット買っちゃう!?あーり得るわねぇ!!」と、コメントが添えられている。

この橋本の制服姿を見たファンからは、「おっふ!!」「おっふ~~」「かわいすぎておっふがとまらないです!」「こんな美少女おっふがとまりません!!」と、同作品で橋本演じる照橋心美を見た男子たちが”ドキッ”としたときに口にしてしまう「おっふ」というセリフでコメントするファンが続出。橋本のあまりの可愛さが多くのファンたちを「おっふ」させてしまったようだった。

他にも、「完璧美少女。かわいさの象徴。」「あまりにも可愛すぎて、言葉が出ません」「世界一いや、宇宙一可愛いです」「こんな同級生いたら、無遅刻無欠席ですね」「なぁもう国宝にしようよ彼女」「あかん…天使が舞い降りた…」「神的可愛いさっ」と、橋本の可愛さに悶絶する声が多数寄せられている。

なお橋本は、昨年公開され大反響となった、人気コミックを実写化した映画『銀魂』の続編『銀魂2(仮)』(8月17日公開予定)に出演が決定しており、先日は、劇中で演じる赤髪のヒロイン・神楽の真っ赤な髪が地毛であることを明かし、カラーリングの様子が注目を集めていた。

(5月3日 AbemaTIMES 「橋本環奈、制服姿の『斉木楠雄のΨ難』オフショットに「おっふ」するファン殺到」より転載)


No Picture

人は模倣する生き物、メディアはそのことを意識すべき。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』監督インタビュー

 2017年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールに輝いた映画『ザ・スクエア』が4月28日より公開される。

 監督は、日本では『フレンチアルプスで起きたこと』で知られる、リューベン・オストルンド。人間の行動原理を社会学的なアプローチで描く新世代の巨匠だ。

 本作は、現代アートの美術館のキュレーターが仕掛ける「ザ・スクエア」という参加型アートを展示することで巻き起こる奇妙な騒動を描いている。そのアートは以下のような参加ルールを掲げている。

“ザ・スクエア”は〈信頼と思いやりの聖域〉です

この中では誰もが平等の権利と義務を持っています

この中にいる人が困っていたら それが誰であれ

あなたはその人の手助けをしなくてはなりません

 主人公のクリスティアンはこのアートの展示によって、現代の経済的格差やヒューマニズムの欠如について問いかけることを意図している。しかし、この展示が始まると、クリスティアンは思わぬ災難に巻き込まれ、自身の格差差別や偏見と対峙せねばならなくなる。さらには、アートの宣伝のために雇ったPR会社の炎上マーケティングも重なり、クリスティアンはどんどん複雑な事態に巻き込まれていく。現代アートへの皮肉、格差問題、ネット動画の炎上等、現代的な要素を数多く詰め込んで、人間の深層心理に迫る意欲作だ。

 監督のリューベン・オストルンドに本作について話を聞いた。

実際のアートプロジェクトから映画作りが始まった

――この映画は監督が友人と始めた、美術館でのプロジェクトが発端だそうですね。そのプロジェクトをやってみて、実際に人々はどんな反応を示したのでしょうか。

リューベン・オストルンド監督(以下オストルンド):スウェーデンに2つの街とノルウェーの街の3箇所で実施したんですが、反応は街によって様々でした。ある場所では、宣伝不足もあってか、単にパブリックアートのように受け止められましたが、ベーナムーという小さな街では、いろいろな人に利用してもらえましたね。

例えば、障害者が障害者手当をカットされてしまったことを訴えたら、それを取り戻すきっかけとなる動きが起きました。地元の新聞記者がやってきて報道してくれたんです。それから若い移民がスウェーデンから追い出された事件があったんですが、スクエアでキャンドルデモを行った人もいました。学校で射撃事件がスウェーデンで起こった後に、非暴力を訴えるデモをした人もいましたね。

設置したスクエアは、そうした様々な人道的価値を訴える場所として利用されました。非常に感動的でしたね。

――このスクエアの中にいる人の助けは、人は必ず聞かねばならないというルールなわけですよね。例えば、少し意地悪な質問かもしれませんが、理不尽な願いを要求してきた場合も、我々はそれを聞き入れねばならないのですか。実際にこのスクエアを悪用する人はいませんでしたか。

オストルンド:ありませんでしたね。仕込んであったLEDライトが盗まれ、ルールを記載した銅のプレートが壊されるということが初日にありましたが、トラブルと言えるものはそれぐらいです。

ベーナムーという街は、キリスト教の影響が強いコミュニティなんですが、我々はこれはきっと教会の仕業に違いないと冗談を言っていました。教会が自分たち以外の人助けをしている連中が気に入らなかったんだろうと。(笑)

――このプロジェクトを最初に実施したベーナムーという街は小さい街だそうですね。同じことを東京のような大きな都市でやった場合、同じ反応が得られると思いますか、それとも違った反応があると思いますか。

オストルンド:都市が大きくなればなるほど、何かを変えよう、社会規範の変革を訴えるようなメッセージを伝えるのは難しくなるでしょう。

我々のプロジェクトは、ベーナムーがラジオ局が一つしかなく、皆が同じ新聞を読んでいるような小さい街だから出来たことだと思います。大きい都市でやる場合は、それこそYouTubeに小さな女の子を爆破する動画をアップするなどして注目を集めるしかないでしょうね。(笑)

――この映画は現代アートの世界を舞台にしていますが、アートとは何かという問いも投げかけていると思います。冒頭、主人公のクリスティアンがインタビューを受けていますね。そこで彼はインタビュアーのバッグを指して、それも美術館に展示すればアートになりうると言っていますね。

オストルンド:このような問いは、100年以上前マルセル・デュシャンがトイレの便器を美術館に置いた時から、なされています。しかし、美術館はいまだに同じ問いに執着しているんです。私に言わせればそれはどうでもいいことで、私が関心があるのは、それがなんであれ新しい体験をもたらしてくれるかどうかということなんです。

アートの世界の住民はもうちょっと自分たちに対する野心を上げるべきだと思います。そういう現代アートの世界を私はこの映画で皮肉を込めて批判しています。

アテンションの奪い合いが過激化する現代

――映画の中で、PR会社のマーケターが炎上動画を作成します。美術館へのアテンションを高めるための施策ですが、あの手の騒ぎはインターネットの世界で毎日のように起こっています。映画の中では言及されていませんが、あの施策で美術館への来場者は増加したのでしょうか。

オストルンド:はい、増えました。

――ということは、マーケティングとして成功だと言えると?

オストルンド:ええ。あの動画は、人道的なメッセージを訴えるアートのPRのために、非人道的な手法を用いています。現代は、こうした手法がマーケティングの名の下にどこまでも過激になる傾向があります。

こうした過激化は、政治の世界でも起きています。スウェーデンの自由党が党のロゴを変更した際に、ネットで横にするとペニスに見えると話題になりました。そうしたら党メンバーの一人は「注目されるなら言いことだ」とインタビューで答えたんです。皆アテンションの奪い合いに絶望的なくらいやっきになっているんです。(参照

――本来、ああいうものがマーケティングとして成功してしまうことに問題があると思います。あれによって成果が上がってしまう社会全体のシステムの問題かもしれません。これを変えるためにはどうすればいいと思いますか。

オストルンド:難しい問いです。例えばトランプは良くないと書けば皆トランプへの投票を避けるだろうとメディアは考えましたが、実際にはトランプに関する報道が増えれば触れるほどに彼への投票も集まる結果になりました。人間は思ったほど合理的でもなければ理性的な存在ではないのです。人間は模倣する生き物だと思います。そういうことをメディアはもっと意識する必要があると思いますね。メディアが流したイメージはもう一度再生産され、同じような行動を人々の間に生んでしまうということを。

メディアだけでなく映画にも同じことが言えます。例を一つ挙げましょう。イタリアの『ゴモラ』という、マフィアについての本の著者(ロベルト・サビアーノ)が言っていたのですが、クエンティン・タランティーノの映画が登場して以来、マフィアが銃を横に倒して構えるようになったそうです。横に倒せば当然命中率はさがります。(命中率が下がって何発も撃つから)死体もヒドいことになって、警察が現場の片付けが大変になったそうです。(笑) 明らかに合理的な選択ではないですが、人間の行動はそうやってメディアや映画の影響を受けているんです。

――今の話で表現の自由と責任について思いました。表現の自由は当然守られるべきものですが、同時に大なり小なり社会に影響を与えるものであることも確かです。現代は誰もが自由に意見や表現物を発信できる時代ですが、自由ばかりが重んじられ、責任が顧みられていないようにも思います。監督は表現の自由と責任についてどう考えますか。

オストルンド:私は検閲には反対ですが、教育は必要でしょう。それぞれの表現が現実に影響を与え、人の行動を変えてしまうことがあることをもっと教えなくてはなりません。私の娘たちのような次の世代は、我々の世代に比べればはるかに多くの表現物にさらされているわけです。それこそ小学校の頃から教育を始めて、新しい科目を作るぐらいのことをしないといけないと思いますね。


CLOSE
CLOSE