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「失敗しない男」が堕ちていく。木村拓哉が『検察側の罪人』でその姿をみせた意味

木村拓哉と二宮和也主演の映画、『検察側の罪人』が公開中だ。45歳の木村は、同作で”失敗知らず”のエリート検事・最上毅を演じた。

そのキャラクターは、2001年に大ヒットしたドラマ『HERO』の久利生公平検事とは”真逆”だった。最上は己の正義を盾に「物語」を作り、暴走していく。映画ではその痛々しさもありありと描かれた。

平成を代表するスター、木村拓哉がこの役柄を見事に演じきったことには、大きな意味がある。久利生公平と最上毅。木村が演じたこの2人を比べながら、その理由を解説する。

親しみやすく、愛された『HERO』の久利生公平

「木村拓哉と検事」と言えば、2001年にスタートしたドラマ『HERO』の久利生公平のイメージが大きい。常識にとらわれず、正義に従って真っ直ぐに生きる久利生のキャラは、多くの視聴者から愛された。

検事は通常、捜査の権限があっても、デスクワークがほとんどだという。『HERO』はそんな検事のイメージを覆し、自ら現場に出向き、警察のように捜査をする若手検事の姿を描いた。

また、久利生が高校中退で、青森の地検から東京地検城西支部にやってきたこと。ファッションも、スーツではなく「Tシャツにジーンズにダウンジャケット」というラフな出で立ちだったこと。これも、お堅い検事のイメージを打ち破った。

「検事=いじめる人、弁護士=守る人。これがあたしたちのイメージだもん」

『HERO』の中には、同僚の検事が言うこんなセリフがあるが、久利生は決して「いじめる」人ではなかった。その姿が視聴者の共感を生んだのだろう。

検事という”怖そう”な仕事をしている人たちの中にも、血の通った久利生のような人がいる。その人間的魅力を描くだけで、当時は十分に新鮮であった。

『検察側の罪人』の最上毅は、久利生と真逆だった

そんな『HERO』が誕生してから17年。木村拓哉は『検察側の罪人』で、再び検事を演じた。

それは、木村拓哉以外であっても、生半可な気持ちでできることではないだろう。前作のイメージを払拭し、まったく別の検事像を見せなくてはいけないからだ。そしてそれは間違いなく成功したと言える。45歳の、そして芸能界で常にスターであり続けた木村拓哉の新境地を見せてくれた。

『HERO』の久利生公平検事と『検察側の罪人』の最上毅検事は、真逆であった。

最上は凶悪事件を担当する刑事部の本部係の人間で、初動捜査からかかわることが当たり前である。そして普段から高級感の漂うスーツを着ている。登場シーンからして、新人検事に対して威圧感たっぷりに検事としての正義感を問う。

久利生は、通販番組に夢中で、テレビショッピングで何かを見つけては、執務室に商品を送ってもらっていた。対して最上は、ガベルという木でできた小槌をコレクションしている。海外の法廷もので裁判官が持っているのを見た人もいるのではないだろうか。

ガベル

このガベルを集めるという行為に、最上のフェティシズム(物神崇拝)も見えて、何か不穏な感覚をこちらに感じさせた。

ガベルは正義の象徴でもある。それをコレクションするということは、正義を手中にしたいという欲望にも思えるし、もっと強い執着のようなものも見える気がするのだ。

こうした最上の姿は、久利生とは極めて対照的だ。『HERO』の時に見せた親しみやすさはすっかり消え、『検察側の罪人』では、むしろ木村は「権力」を行使することに対して疑いを持たない人物になっていた。

まっすぐな「正義」と「身近なキャラ」は、もう新鮮ではない

昨今、検事が出てくるフィクションには、『99.9 -刑事専門弁護士-』(TBS系)や、『アンナチュラル』(TBS系)などがあった。

特徴的なのは、弁護士や法医学者が主人公のこれらの話では、法律がいかに守られているか、三権分立は成り立っているのか、というのも重要なテーマだったことだ。

検事という職業は、まさに「検事=いじめる人」にはなっていないか?こう疑う視線が描かれるようになったのだ。

『99.9』では、検事だけではなく、裁判官にもその視線は向けられた。『アンナチュラル』には、「白いものも黒くする』という異名をとる検事が登場した。

自分の「物語」で事件を見たてて、その「物語」に従って捜査を進めてしまう。白いものも黒くしてしまう。これがいかに暴力的であるかを描くことは、昨今のフィクションを見ていると、重要なことであると感じる。

しかも、刑事事件の有罪率が99.9%と言われる日本では、「白いものを黒く」することが、もしかして必然なのではないか?フィクション作品が、このような疑問と真正面に向き合うようになったとも言える。そして、『検察側の罪人』もその流れに沿っている。

2018年のフィクションは、久利生のように検事の身近なキャラクターとまっすぐな正義感を描けば新鮮に見える時代を過ぎ、現実社会とリンクした形で、正義とは、三権分立とは何かを問うくらいでないと、人々の心をとらえることはできないのかもしれない。

『検察側の罪人』で、木村拓哉は”ゆがんでいく”

『HERO』の久利生は、不正を許さず、社会的弱者に寄り添う優しさがあった。一方で、『検察側の罪人』の最上は、”正義”という盾を武器に己を転落させていく。この違いも特筆すべき点だ。

最上は、確かに「正義感」によって動く人物だ。

しかし、自らの正義感と執念から、過去に時効を迎えた未解決事件の重要参考人を裁こうと”暴走”していく。自分の正義を貫くために、ありもしない「物語」を作ってしまうのだ。

駆け出しの検事・沖野(二宮和也)は、初めは最上を尊敬していたが、次第に疑いを持つようになっていく。

自分の信念のためなら、「物語」をゆがめてもいい。この境地に彼を至らせたのは何なのだろうか。もちろん、検事を始めた頃には、そんな自分になりたいとは考えていなかったはずだ。

しかし、検事として「力」を手中にした感覚の中で毎日を過ごすうちに、ある部分では正義感に従って生きているのに、ある部分では、その自分だけの正義に溺れるようにもなったのではないか。

日本では使われることのない、つまり効力をなさないガベルを執務室にいくつも置いている最上を見て、妙にぞくっとする感覚を持った。

それは、ガベルという法の象徴を集めることと、自分こそが法の番人であると信じて疑わない万能感が重なって見えたからだったのだと、映画を見終わってから理解できた。

40代の木村拓哉と西島秀俊が演じた”失敗しない男”

『検察側の罪人』の公開と同じ時期に、NHKのスペシャルドラマとして『満願』という作品が三夜連続で放送された。

第一夜の西島秀俊主演の「万灯」も、40代後半の男性、しかも失敗の経験のない男性の慢心による、ある種の転落が描かれていた。

西島秀俊

西島演じる商社マンの伊丹は、資源開発の仕事を任され、活路を海外に求めて旅立つ。天然ガスの権利を得る交渉をするためだ。しかし、現地の人々は、この資源を海外に手渡すことを快く思っていない。そのうち、フランスの企業もガス開発に着手しようとしていることもわかる。

結局、伊丹も、「会社のために動く」ということが自分の使命であり、自分のアイデンティティが会社と同化していく中で慢心する。そして、大きな波に飲み込まれることとなる。部下に「自信過剰は寿命を縮めるぞ」とアドバイスしていたにも関わらずだ。

最上と伊丹は、組織の中で懸命に働く中で実績を出し、地位を得、自分の仕事に誇りを持ちすぎているという点が共通している。しかし、2人ともそのことで、無意識のうちに自分の信念に基づく行動は正しいと過信しすぎている。

その結果、木村拓哉演じる最上も、西島秀俊演じる伊丹も、本当に偶然ではあるが、己の信じる道が最も正しいという慢心から、夜中にシャベルを持ち、山奥の地面を掘り起こすこととなる。

ネタバレを避けるため、詳しくは書かないが、”己の信念”というものが、人を一番惑わせるものなのかもしれないと思わせるのである。

「力」を過信した人間の呪縛を解き放つには?

こうした二つの物語がリンクしているということは、キャリアを積み、この不況の世の中で負け知らずの仕事人間の男性は、自分を過信しやすいばかりに、とんでもない運命に巻き込まれることがあるということなのだろうか。

これを、「男らしさの呪縛」というと、安易すぎるように思う。しかし、仕事の上での業績により、とんでもない「力」を得たと勘違いした人間の呪縛の物語と考えると納得がいく。

『満願』の伊丹は、これが因果応報か…と思わせる結末を迎えるが、『検察側の罪人』の最上検事は、ある「新しき世界」の入り口に立つ。

それは決して観客をスッキリとはさせないものだった。しかし、『HERO』を観た後とはまったく異なる性質の問いかけを残してくれた。

2001年、Tシャツにジーンズ姿の久利生公平を颯爽と演じた木村拓哉は、2018年に地位も名誉もあるスーツ姿の最上毅を冷徹に演じきった。

裁かれる人の立場に立って職務を全うした久利生公平。内なる正義を守り抜こうとするばかりに人生の歯車を狂わせた最上毅。

同じ検事でも、その正義と力のありようは大きく違う。

何が真実かわからないことの多い平成の終わりに、最上が誕生したのは必然だったのかもしれない。

(執筆:西森路代、編集:生田綾、笹川かおり)

『検察側の罪人』

8月24日(金)全国東宝系にて大ヒット公開中

監督・脚本:原田眞人
原作:雫井脩介「検察側の罪人」(文春文庫刊)
キャスト:木村拓哉   二宮和也
吉高由里子 平岳大 大倉孝二 八嶋智人 音尾琢真 大場泰正 
谷田歩 酒向芳 矢島健一 キムラ緑子 芦名星 山崎紘菜 ・ 松重豊 / 山﨑努

公式HP:http://kensatsugawa-movie.jp

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35歳のサラリーマンが、夢のプロ棋士になった。愛と憎しみが生んだ「将棋界の奇跡」

今から13年前、将棋界でひとつの「奇跡」が起こった。

35歳のサラリーマンがプロ棋士の編入試験に挑戦し、合格を果たした。

サラリーマンの名は、瀬川晶司。かつてプロ棋士養成機関「奨励会」に所属し、プロまであと一歩と迫りながら年齢制限の壁に阻まれ、夢破れた男だった。

2018年のいま、瀬川は「五段」として日々の対局に臨み、好きなことを仕事にできる喜びを謳歌する。一方で、やむなく奨励会を退会した頃は、「将棋への憎しみ」も抱いていたと吐露する。

「将棋界の奇跡」の裏に、なにがあったのか。半生を描いた自伝『泣き虫しょったんの奇跡』の映画化に合わせて、瀬川五段に話を聞いた。

「命の削り合い」それが、奨励会

瀬川は1970年、横浜市生まれ。中学3年で「奨励会」に入会した。

奨励会とは、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関だ。関東と関西にあり、小学生から20代半ばの会員たちがプロ入りを目指して対局に臨む。

奨励会とはどんな場所なのか。瀬川は「好きなことで生きていく厳しさを知る場所」と語る。

「まず、入会試験に合格すること自体がとても難しいです。僕の頃は、合格率が2割ほどの狭き門でした。各都道府県でトップレベルの子どもたちが試験を受けて、それでも8割は落とされる。とても厳しい世界です」

「仲の良かった仲間たちが、どんどん去っていくのを目の当たりにする。将棋の厳しさとも向き合わなければならない。それが奨励会だと思います」

たとえ入会を果たしても、その後の道のりは険しい。月2回の例会で指される対局の成績次第で、級や段位の昇級・降級が決まる。

「(奨励会に入る人たちは)子どもの頃から将棋が大好きで、その延長線上にプロへの道があると思う。でも、途中で”好きなだけではやっていけないな”と悟ると思います」

「将棋界で最も厳しい場所」「命の削り合い」。それが、奨励会だ。

それでも瀬川は21歳で、最終関門の「三段リーグ」まで進んだ。プロ入りとなる「四段」まで、あと一歩と迫った。

年2回開かれる三段リーグは熾烈な争いで知られる。今年9月までの「第63回リーグ」には38人が参加。四段に昇段できるのは上位2人だ。

「魔物が棲む」と言われる三段リーグについて、瀬川は「独特の空気があった」と振り返る。

「もちろん、みんなが努力しているし、努力した人にしか結果はついてこない。ただ、努力をしたからといって、結果が”必ず”ついてくるとは限らない。そこが厳しいところです」

立ちはだかる年齢制限の壁

奨励会の過酷さに拍車をかけるのが、年齢制限だ。26歳までに四段になれなければ、強制的に退会させられる。

そのプレッシャーについて、瀬川はこう語る。

「同じ将棋を指すのでも、迷いが出たりして、”この勝負に負けたらどうしよう”とか、今まであまり考えなかったマイナスのイメージがどんどんついてくる」

「”負けたくない”という思いが、強くなりすぎてしまう。勝ちに行く手より、負けにくいような手を選んでしまったり。結局、踏み込みが悪くなるわけです」

1995年、26歳になった瀬川。

この年の三段リーグに負け越して、やむなく退会が決まった。

「自分は棋士になれるはずだと思っていました。だから、もしなれなかったら…。大学も行かずに、ずっと将棋だけやってきた、何もない人間なわけです」

「”そんなことが起きるわけがない” “そんな悲惨な目に遭うわけがない”という、よく分からない根拠がありました」

「ただ、最後のリーグ戦のときは、棋士になれない現実を考えるのが怖くて。棋士になれるんだと、無理やり思っていたところもあったと思います」

青春のすべてを賭けた、11年余りの奨励会での日々。その終わりが決まった対局は、「あっさり負けたような気がする」と、瀬川は語る。

対局を終え、東京・千駄ケ谷の将棋会館を後にした瀬川は、街をさまよった。

「当時、一人暮らしをしていた中野の街をぐるぐる歩いていました。生きていてもしょうがないなと、ふっと思った瞬間もありましたね」

「いっそ、車道に飛び出して…と。でも、親や兄弟の顔が浮かんで。思いとどまることができました」

夜間大学とアルバイトの日々

奨励会を辞めた後は、「しばらくは、今で言うニートみたいな感じだった」と、瀬川は語る。

「何もやる気が起きなくて。ただ、なにか新しい目標をつくらなきゃいけない。それで、ふと弁護士になろうと思ったんです」

「昔たまたま読んだ高木彬光さんの推理小説に、弁護士が主役の作品があったんです。それが好きで、司法試験を目指してみようと。大学の法学部に入りました。ほぼ思いつきでしたが(笑)」

通ったのは夜間の大学。朝から昼までは、イトーヨーカドーで品出しのアルバイトに勤しんだ。授業は夕方からはじまって、帰宅するのは10時ごろ。

「学費ぐらいは稼がないと」と始めたアルバイトは、瀬川にとってはじめての体験だった。

「将棋以外をやったことがなかったので、刺激的な経験でした。アルバイト先では友達もできた。大学には若い人もいれば、年上の方もいて、いろいろな交流をしているうちに、なんとかやっていけるかなと思いました」

大学生活を送るうちに、弁護士になろうという気持ちは薄れていった。

その代わりに湧き上がってきたのが、かつて全てを賭けた「将棋」への思いだった。

「大学に入った頃は、将棋なんてやるんじゃなかったという想いがありました。でも、大学生活で色々な方と接しているうちに、将棋を恨むのはお門違いだなと思うようになりました」

「結局は、自分の力が足りなかっただけ。そう考えたら、また将棋が指したくなった。大学3年ごろから、また駒を触りはじめて、アマチュアの大会に出るようになりました」

年齢制限に怯え、消極的になっていた奨励会時代の姿はなかった。この頃の瀬川は、伸び伸びとした将棋が指せるようになっていた。

「アマチュアに戻ったら、積極的に勝ちに行く手を指せるようになった。やっぱり楽しかったですね。昔、子どもの頃に感じていた”楽しい”という気持ちを思い出しました」

プロ編入試験の嘆願書

プロ入り試験実施を発表する日本将棋連盟の米長邦雄会長(右)と、受験を喜ぶ瀬川晶司さん(東京・渋谷区の日本将棋連盟)撮影日:2005年05月26日

大学卒業後は、NECの関連会社に就職。システムエンジニアとして会社員生活を送った。その一方で、2000年からアマチュア枠でプロ公式戦に出場。戦績は17勝6敗。勝率73%の好成績をマークした。

「もう一度プロの世界に挑戦したい」。2005年2月、瀬川は日本将棋連盟に嘆願書を提出した。

これは棋士の間で大きな議論を呼んだ。

たしかに、これほど強いアマチュアは過去に類を見なかった。2005年にはA級棋士の久保利明八段(当時)を撃破。「プロキラー」として知られる存在だった。

ただ、前回のプロ編入試験は60年前。「奨励会を通過していない人はプロになるべきではない」など、反対意見は根強かった。改革の必要性を説いて「裏切り者」と言われた棋士もいたという。

一方で、「年齢に関係なく何らかの道があった方がいい」と、瀬川の挑戦を後押しする人もいた。誰であろう、羽生善治だった。

将棋連盟の台所事情も、瀬川の追い風となった。当時の将棋連盟は公式棋戦の打ち切りや免状収入の減少、機関誌『将棋世界』の部数減などもあり、赤字に悩んでいた。

改革機運の高まりもあって、将棋連盟はプロ編入試験の実施を決定。合格条件は「棋士、奨励会員、女流棋士らとの六番勝負で3勝以上」というものだった。

プロ編入試験6番勝負の第5局が行われ、高野秀行5段(33)を破り、合格の条件とされた3勝目をあげてプロ入りを決め、笑顔を見せる将棋アマチュア棋士の会社員、瀬川晶司さん(35歳)(東京・千駄ケ谷の将棋会館) 撮影日:2005年11月06日

2005年11月6日、2勝2敗でむかえた六番勝負の第5局。瀬川は高野秀行五段(当時)を104手で破った。

「最後まで勝ちかどうかわからなかった。本当に勝てて嬉しい」

フラッシュに包まれ、興奮した様子の瀬川は、言葉に詰まりながら喜びを語ったと、当時の新聞は伝えた。

こうして、 一度は夢を絶たれた35歳のサラリーマンは、プロ棋士になる夢を叶えた。故・花村元司さん以来、61年ぶりのことだった。

プロは「負け方」を見られている

瀬川のプロ入りを機に、将棋連盟はプロ編入試験を制度化。2014年にはアマ強豪だった今泉健司四段が、瀬川の後に続いた。

「好きなことを仕事にできるのは、とても幸せなこと。やっぱり、将棋で暮らしていくのは、本当に幸運だなと思います」

一方で、アマ時代とは違って、瀬川はあることを意識するようになった。それは「負け方」だ。

「アマチュア時代は、プロに勝った将棋ばかりが注目を浴び、褒めてもらえました。でも、プロだと勝った将棋ではなく、負けた将棋が注目されます」

「だから、決して”負けたらどうでもいい”となってはいけない。悪いときほどよく見られているのがプロだと思います」

瀬川が目指す、これからの将棋人生は

いま、将棋界は空前のブームに沸いている。

羽生竜王の「永世七冠」達成、藤井七段の連勝劇は記憶に新しい。加えて、八大タイトルを8人が分け合う「戦国時代」となった。高見泰地叡王、菅井竜也王位、豊島将之棋聖は、いずれも20代だ。

若手の台頭について、瀬川はこう語る。

「やっぱり藤井七段の出現に刺激を受けていると思います。 藤井七段にバッと抜かれちゃうという危機感で、頑張らなきゃというのがあるのだと思います」

対して、瀬川はいま48歳。これからの将棋人生について、こんな展望をもっている。

「もちろん、これからも勝ちたい。ただ、いつも勝負のことだけを考えてればいい年齢ではなくなってきたかなと思っています」

「弟子の育成だったり、将棋をもっと普及するための方策だったり、そういうことも考えていく時期かなと。今回の映画『泣き虫しょったんの奇跡』(9月7日全国公開)で、将棋を知らない人にも興味を持ってもらえれば、すごく嬉しいです」

将棋に「奇跡」はあるのか? その答えは…

最後に、こんなことを聞いてみた。将棋に「奇跡」はあるのか、と。

瀬川は優しい笑みを浮かべつつ、こう言った。

「将棋に偶然の要素はありません。ただ、わずかに運の要素はあると思います」

どういうことなのか。瀬川はこう説明する。

「将棋には指運(ゆびうん)という言葉があります。お互いの持ち時間がなくなった”1分将棋”の最終局面。 朝から晩まで将棋を指して疲れ切っている中、次の選択肢が2択になることがあるんです」

「たいがい、片方の手が勝ちで、もう片方が負けです。残り1秒、最後は感覚で指すことになる。そんな時に選んだ手で勝ったら、”指運がよかった”と言います」

力の拮抗した者同士が極限になったときは、そういった「指運」で勝負が喫することもあるという。ただ、それも積み重ねがあってこそだ。

「私自身、プロ編入試験に合格できたのは奇跡だとは思いません。ただ、長く閉ざされていた道が拓かれたのは、周りの人たちが応援してくれたからです。これは奇跡でした」

「プロの棋士になりたいという夢を持ち続けたことが、今の道に繋がりました。夢を持って、諦めずに挑戦し続けること。それが、奇跡につながる道かもしれません」

瀬川晶司(せがわ・しょうじ)1970年、横浜市生まれ。中学3年で奨励会に入会。三段まで昇段するも、年齢制限で1996年に退会。2005年に61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格。2012年、五段昇段。NEC所属。

『泣き虫しょったんの奇跡』9月7日(金)全国ロードショー

<ストーリー>
史上初! 奨励会退会からのプロ編入という偉業を成し遂げた男の感動の実話。26歳。それはプロ棋士へのタイムリミット。小学生のころから将棋一筋で生きてきたしょったんこと瀬川晶司の夢は、年齢制限の壁にぶつかりあっけなく断たれた。将棋と縁を切りサラリーマンとして暮らしていたしょったんは、アマ名人になっていた親友の悠野ら周囲の人々に支えられ、将棋を再開することに。プロを目指すという重圧から解放され、その面白さ、楽しさを改めて痛感する。「やっぱり、プロになりたい―」。35歳、しょったんの人生を賭けた二度目の挑戦が始まる――。

監督・脚本:豊田利晃
原作:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社文庫刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作:「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会
制作プロダクション:ホリプロ/エフ・プロジェクト
特別協力:公益社団法人日本将棋連盟
配給・宣伝:東京テアトル


平成最後の夏。元コギャルを集めて『SUNNY 強い気持ち・強い愛』“同窓鑑賞会”をしてみた

ミニスカと、ラルフのカーデ。ハイビスカスのゴムで茶髪を上げて、ショッパーを斜めに担ぐ。足元はもちろんルーズソックス。

安室ちゃんとTKが「最強」で、放課後はカラオケかファミレスでバカ騒ぎ。

そんな青春時代を過ごしたアラフォー・アラサーたちを「懐かしさの波状攻撃」で号泣させる映画が、平成最後の夏に誕生した。

監督・大根仁。

『モテキ』や『バクマン。』など大ヒット作を生んだ邦画界のカリスマが次に挑んだのは、かつて”日本の原動力”だった女子高生たちの、”その後”の話。

作品には、こんな想いが込められている。

90年代のコギャルブームを牽引した女子たちも、今やアラフォー・アラサー世代。ママとして、ビジネスパーソンとして、そして”女性”として、様々に悩みを抱えて生きている。

篠原涼子演じる奈美も、家族の生活を支える専業主婦として平凡な日々に物足りなさを感じる毎日を過ごしていた。しかし、20年ぶりに再会した親友の芹香(セリカ)が末期ガンに侵されていると知り、日常は一変する。

芹香の最後の願いは、高校時代の仲良しグループ「サニー」のメンバーに再会すること。奈美はメンバー探しを始めるが、過去のある”事件”が尾を引き……。

芹香役の板谷由夏(左)と奈美役の篠原涼子(右)

今回ハフポスト日本版では、かつてコギャルだったアラフォー・アラサー女性に集合してもらい『SUNNY 強い気持ち・強い愛 ”同窓鑑賞会”』を実施。当時の流行と思い出を交えながら、映画の感想を語り合った。

大人になってからわかる。あれが”青春”だったって。

座談会に参加した服部さん(ライター:右)、篠田さん(編集者:右から2番目)、川口(ハフポスト日本版エディター:左から2番目)、川崎(ハフポスト日本版エディター:左)

川口:楽曲やプロップはもちろん、コギャル時代を演じた広瀬すずたちの見た目や雰囲気も、90年代がしっかり再現されていましたよね。

篠田:仲良しグループの空気感まで当時と同じでしたね。なんでも楽しくて、先生に怒られても笑ってて。将来のことを考えずに、毎日ただ夢中に過ごしていた頃を思い出しました。映画の冒頭でも「何があんなに楽しかったんだろう」って言ってたけど、その通り。

服部:あの頃、当事者たちは「これが青春なんだ」とは思ってなかった。でも、こうして映画として当時の世界観を振り返ってみると、私たちもすごくエネルギッシュに生きていたなって思いました。

「わたし」より「ウチら」。一人称はいつも「複数形」

川口:この映画を制作するにあたり、当時コギャルだった方々に小物を提供してもらったり、仕草や話し方の監修をしてもらったりしたそうです。ルーズソックスやミニスカ、ショッパーなど、様々なアイコンが登場していましたが、特に印象に残っているのは?

服部:私は、写真にグッときました。あの頃は写メとかもないから、みんな写真に『ポスカ』でいたずら書きしてたよね。「ずっとLOVE」とか、「ウチら最強」とか。「ひとり」とか「自分が」というよりも、仲間意識を表現する単語を多く使っていた気がする。一人称はいつも「ウチら」だった。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』パンフレットの一部。当時は写真に直接メッセージを書き込んでいた。

篠田:ルーズソックスもセーターも、今見てもかわいいよね。

あとすごいのは、こういうコギャル文化はどれも、東京の女子高生たちが作って発信していったカルチャーだったということ。ほかの流行に乗っかるわけでもなく、自分たちで「これがいい、かわいい」って判断して、自然発生的にスタイルができて、ムーブメントになっていた。

川崎:私は地方出身なので、広瀬すずが演じる奈美の心境に共感しました。コギャル文化に憧れるけれど、自分はなれないという、あの感じ。雑誌で見る世界とはほど遠いのだけど、精一杯ルーズソックスとか履いて、流行に近づこうとしていたな。当時、東京にはいなかったコギャル世代が観ても、きっと懐かしく感じるはず。

川口:ちなみに、劇中にも出てきた”ヒス”こと『ヒステリックグラマー』のあの黄色いショッパー、メルカリで出品されていたものを私も買いました(笑)

全員:ええ〜〜〜〜〜〜!?!?

HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)のショッパー。高校生にとっては高いからなかなかショッパーも持てず...使いまわしてました。ほかにも当時流行ったアイテムが多数登場し、懐かしさを感じられるのも見どころ。

結婚、子育て、仕事。状況は違っても、会えば一瞬で「あの頃に戻れる」

川崎:サニーのメンバーみたいに、どんなに仲が良くても、歳をとるとそれぞれにライフスタイルが変わって、昔みたいにしょっちゅう会ったりするのは難しくなるよね。

川口:SNSなどで近況は知りつつ、いざ会おう!となるとね。みんな忙しい時期や動きやすい時間帯が違って、合わせるのが少し億劫になったり。LINEのグループもあるけど、徐々に過疎っていったり(笑)

服部:でも、会えば楽しいし、奈美と芹香が20年ぶりに再会したときみたいに、一瞬であの頃に戻れるんだよね。

川口:そうなんですよ。まさにサニーのみんなと同じ。

服部:でも、こういう話を男性にしてみたら、「わからない」って言われました。男女差があるとは言い切れないけれど、女性同士の方が、時間を超えられやすいのかも。

篠田さんと服部さんも、映画に共感する世代。

篠田: 奈美が芹香と20年連絡を取っていなかったことを、奈美の旦那さんが「女の友情ってそんなもんだよな」みたいに言っちゃうのも同じだよね。逆説的というか、自分たちがわからないから、そう言っちゃう、みたいな。

奈美からしたら、たしかに疎遠ではあったけど、会えば昔と同じくらい仲良しだし、時間や距離は関係ないっていう話だよね。

服部:重要なのは「濃さ」だもんね。

平成最後の夏の終わりに、安室ちゃんが引退するということ

川口:本作『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を語る上で欠かせないのが、小室哲哉や安室奈美恵に代表される、90年代の大ヒットソングです。

シーンごとにテーマとなる楽曲を決めてから撮ったのでは?と思うほどマッチングしていて、ミュージックビデオを見ているみたいだった。

川崎:耳慣れた音楽が各シーンで象徴的に使われていて、イントロ流れ始めただけで泣けた(笑)どの楽曲が印象的だった?

服部:私はもちろん、安室ちゃん。現代を生きる篠原涼子と、90年代の広瀬すずが、曲を媒介にして心情がシンクロするシーンにかかっていた『SWEET 19 BLUES』が、最高。

川口:夕暮れバックの安室ちゃんは、反則だよね。泣かないわけない。

安室ちゃん引退まであと少し...。

服部:安室ちゃんは昔から大好きです。歌う姿も生き様もかっこよくて。いつの時代もトップランナーとして時代の先端を走ってきたヒーロー。気取っていないし、誰のことも見下さない。遠い存在なんだけど、親近感もあって。

篠田:当時の安室ちゃんは今でいうアイドルみたいなくくりだったけど、他のアイドル的な女性歌手とはやっぱり違っていた。ちょっと影があるっていうか、そこがすごく私たちには刺さってました。男ウケとか狙ってなかったし。

服部:等身大というか、本当に私たちの代弁者でした。心の中のモヤっとした部分を言ってくれている感じ。女子高生ながら、みんな言葉にできないフラストレーションみたいなものがあった気がする。

篠田:そうだね。みんな楽しそうに騒いで、はしゃいでいたんだけど、本当は色々考えたり、悩んだりもしていた。だから安室ちゃんに惹かれたのかもしれない。

服部さんの私物、当時大人気だった雑誌『ストリートニュース』略して『ストニュー』。妻夫木くんが若い!

ママもビジネスパーソンも。8月31日だけは、映画を観てカラオケ行こうよ

川口:平成最後の夏休みの、最終日になる8月31日に、本作は公開となります。奇しくも約半月後の9月16日には、安室ちゃんが引退。そして小室哲哉さんが最後に映画音楽を手掛けた作品でもある。そう考えると、カタルシスの塊みたいな映画ですよね。

川崎:こんなにたくさんの偶然が一致することって、そうそうないよね。

今年の8月31日は、コギャルに戻って、みんなで映画を観てからのカラオケコースで。私も夫に言おうかな、「8月31日は子どもの面倒よろしくね」って(笑)

服部:実際、この映画を観たら友達に会いたくなりました。

みんなで映画を観て、感想を言い合いながら「ウチらのときはこうだった」って思い出話もして、そのままカラオケで安室ちゃん(笑)。めちゃくちゃ盛り上がりそう。

「これからカラオケ行きます?」「じゃ、TKしばりで」

篠田:せっかくだから『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の”応援上映会”をやってほしい!みんなで、大声で歌いながら観るんです。流行りの絶叫上映みたいに。

服部:いいですね。実際、映画観ている最中ずっと口パクで歌ってましたし(笑)その後も、安室ちゃんを聴きながら帰りました。

全員:私も(笑)

ただの過去賛美ではない。「これからの20年」を考えるための映画でもある

服部:あと私、この映画を観て「これからの20年をどう生きるか」ということも考えました。楽しいことも辛いことも経験しながら20年が経って、今の自分がいるんだけど、きっとこれからの20年の方がもっといろんなことが起こるんだろうな、と。

川口:確かに、この映画を観て20年後のことを考えるのは、すごく正しい効果だと思います。

「ルーズソックスが可愛かった」「あの頃ウチら最強だった」と言って終わるのではなく、この20年間をどう過ごしてきたか振り返って、そして今いる自分の環境を改めて客観視してみる。その延長線上で、これから先のことを考える。

「人生は”自分が主人公の物語”である」ということを再認識するための映画なのかも。

平成最後の夏休みに、観に行こう。

*****

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描くのは、過去と現代の”邂逅”だ。

ポップでキュートな90年代ミュージックを背景に”はっちゃける”私たちと、大人になって酸いも甘いも経験した”地に足のついた”私たちが、この2時間だけは、時代を超えて手を取り合う。歌って、踊る。みんな一緒に。

だからこそ。

平成最後の夏に、安室ちゃんが引退する前に、あの頃の「ウチら」に戻って、みんなで一緒に映画を観に行こう。カラオケに行こう。

これからも「最強」でいるために。


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全員アジア系のハリウッド映画「クレイジー・リッチ!」予想覆す大ヒット

キャスト全員がアジア系の映画『クレイジー・リッチ!』が、専門家の予想を覆し、全米で大ヒット中だ。クレイジーリッチ!のヒットは、「アジア系俳優を起用した映画は、収益を上げられないリスクがある」という考えを覆した。

8月15日に公開されると、最初の週末の興行収入が2500万ドル(約27億6000万円)で初登場首位になった。さらに5日間での興行収入が3400万ドル(約37億5000万円)を超えた。

映画批評サイト「ロッテントマト」でも93%の高評価を得ている。

出演者が全員アジア系のハリウッド映画は、1993年の『ジョイ・ラック・クラブ』以来、なんと25年振りだ。

シンガポール出身の作家ケヴィン・クワンの小説が原作。

物語は、ニューヨーク出身のレイチェル(コンスタンス・ウー)が、恋人のニック(ヘンリー・ゴールディング)と一緒に、彼の家族のいるシンガポールを初めて訪れるところから始まる。

レイチェルはそこで初めて、ニックが大富豪の御曹司だったという事実を知り、驚愕する。そして、ニックの母親からも、きちんと認めてもらいたいと奮闘する様子が描かれている。

食べ物やファッション、言語などアジアのカルチャーが描かれている。

ヘンリー・ゴールディング

なぜ、出演者がアジア系で固められていることが、そんなに重要なのだろうか。

イギリス人の父とマレーシア人の母を持つヘンリー・ゴールディングは、ハフポストUS版にこう語った。

「この映画が重要なのは、一般の人たちに気付きをあたえてくれるからです。クレイジー・リッチ!を観た人は、映画の素晴らしく豪華なストーリーや、アジア系として生きるとはどういうことかの意味を広めてくれるでしょう。アジア人の存在が見えるようになり、そして普通のものになるために、映画というのはとても重要なフォーマットです。社会的に大きな影響力があります」

アメリカでは、黒人が主人公の映画「ブラックパンサー」も、スーパーヒーロー映画として最高の興行収入を記録したばかり。

「マイノリティのストーリーは売れない」と言われた時代は、もう過去のものと言っていいだろう。

クレイジーリッチ!は日本では9月28日から公開される。

ハフポストUS版の記事を翻訳・加筆しました。


『カメラを止めるな!』監督、ワイドナショー出演もまさかの松っちゃん不在 「神との対話は持ち越された」

空前の大ブームを巻き起こしている映画『カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督が8月19日、「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、「世界で一番影響を受けている人間」だと語るダウンタウン・松本人志さんの、突然の番組欠席に落胆を見せた。

この日、番組がはじまるとMCの東野幸治さんが「申し訳ございません。松本さんがお休みということで…一説には風邪、一説にはズル休み」と収録欠席を説明。

上田監督がゲストとして登場すると、「(上田監督は)ダウンタウンが大好きで、今日松本さんがいらっしゃるからワイドナショーのオファーを受けてくれたんですが…」と申し訳なさそうに話した。

松本さんについて「世界で一番影響を受けている人間」だと話す上田監督は、緊張のあまり集合時間の1時間前にスタジオに到着してしまったという。対面を前に左手が震えてきてしまったというが、会えないとわかって「左手のしびれもすっとおさまった」と明かし、スタジオの笑いを誘った。

待ち望んでいた対面は残念ながら実現しなかったが、「松本さんに会えたら、(それ以上の)上がないなと思って、もう夢がなくなるなと思って」「会いたかったけどホッとしてる自分もいた」と本音を明かした。

この日の番組には、1981年から1991年放送の深夜番組『夢で逢えたら』でダウンタウンと共演していたタレントの野沢直子さんがコメンテーターとして初登場していた。

上田監督は、東野さんに直子さんに会えて感激なのではと問われたが、「世代ではないんですよね」とバッサリ。野沢さんに「帰れ帰れ帰れ〜」とまくし立てるようにツッコまれ、スタジオは爆笑に包まれた。

番組では、制作費300万円でわずか2館のみの上映で始まった『カメラを止めるな!」が、全国190館以上で上映され、動員数40万人を突破するまでのストーリーが紹介された。

放送後、上田さんは「神との対話は持ち越されました」とツイートした。

ワイドナショー、ご覧頂いた皆さん有難うございます。集合時間1時間前に着いちゃって極度の緊張で謎に手が痺れてきてもう大変でした。が、まさかの松っちゃん不在…!神との対話は持ち越されました。残念だったりホッとしたり。でも夢は残ってた方がいいよね。

— 上田慎一郎 (@shin0407) 2018年8月19日

ワイドナショー、ごっつど真ん中世代としては生東野さん、Jリーグブームど真ん中元サッカー少年としては生前園さんとお会い出来たのも夢のようでした。

— 上田慎一郎 (@shin0407) 2018年8月19日


傑作『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督が語る。「天才」だった自分がボコボコにされてから

上田慎一郎監督

製作費300万円で作られた映画『カメラを止めるな!』が、異例の快進撃を続けている。同作の監督・脚本・編集を手がけた上田慎一郎監督は、”異色”の経歴の持ち主だ。20代前半で借金苦に陥り、ホームレスになった経験もあるという。ここに至るまでにどんな苦労があったのか? そしてそれをどう乗り越えてきたのか? その人生観と哲学を語ってもらった。

「やめとけ」と言われると燃えるタイプ

『カメラを止めるな!』には、37分ワンカットの「ゾンビサバイバル」のシーンがあります。それを「撮る」と言ったとき、いろんな大人から「無理だ」「できるわけない」と言われました。

映画『カメラを止めるな!』より

「ゾンビもの」というのは仕掛けが多くて、「カット割り」があってこそできるのが常識。最初は撮影スタッフにも「ワンカットは無理だから『ワンカット風』にしましょう」と止められました。ただぼくは「やめとけ」と言われると燃えるタイプなんです。

学生の頃からそうでした。高校生のとき、琵琶湖をいかだで横断することに挑戦したのですが、そのときも「よせよせ」とさんざん言われた。でも、そう言われると燃える。

「成人式で流すムービーを作ってくれ」と言われたときも、120人くらいの同級生ほぼ全員に会いに行って夢を語ってもらいました。卒業してみんな散り散りになってるから、まわりからは「絶対無理だ」と言われましたが、それもなんとかやりとげた。

思い返すと、自分がやってきたことって、最初は絶対「やめとけ」と言われていたことが多い。「やめとけ」「よせよせ」「無理」「不可能だ」という言葉が「薪」となり、「炎」がより燃えていくんです。

ホームレスにもなった。けれど、悪いことを全部「ネタ」にできれば最強

20歳のときに映画監督になるために上京してからは、失敗続きでした。悪い大人にそそのかされてネズミ講みたいなものに騙され、ウン百万円くらい借金を背負ったり、「本を出版しないか」と言われて200万円くらい借金して、ホームレスになったりした。……ただ、そこまで凹んではいませんでした。

ぼく、中学生の頃は毎日ノートにぎっしり日記を書いていたんですよ。インターネットができてからはブログを毎日書くようになった。自分の身に起きたことをブログに書く習慣があったんです。

だから、たとえ悪いことが起きても、それを客観視しておもしろおかしく書くことができたんです。どんなに悪いことや悲しいことがあっても、全部それを「ネタ」にできる。つまり「悪いこと」は起きないんです。「失敗した!おっしゃー、ブログに書こう」っていう感じですね。

コメディの世界の見方をそのころからしていたのかもしれません。チャップリンが言っていることですけど「寄ってみれば悲劇に見えることも、引いてみれば喜劇に見える」という。そういう考え方が昔からありました。

映画『カメラを止めるな!』より

「俺はなんで東京に来たんだろう」と号泣した25歳の夜

20歳から25歳のあいだに相当数の失敗をしました。200万円の借金をし、ネズミ講で友だちを失いかけ、家をなくし……。それをブログに書くことで「笑い」に変えてきました。

でも、25歳のある夜。突然「俺はなんのために東京に来たんだろう」ってすごく泣いたことがあったんです。

近道をして映画監督になろうとしてたつもりだけど、結局はただ「映画だけで勝負するのが怖かった」だけなのかもしれない、と思った。もし映画だけをやって、それでもうまくいかなかったら、自分に才能がないってバレてしまう。「映画だけをつくる」ということから逃げて、他のことをしていた自分に気づいたんですね。だから、「映画一筋でやろう」と覚悟を決めてやり始めたのが25歳のときでした。

そこで、当時盛り上がっていたミクシィで「自主映画のスタッフ募集」というのを見つけ、「スタジオメイズ」という団体に入りました。

それまではハンディカムでしか撮ったことなかったのですが、ガンマイクを構えたり、DVXという大きめのカメラを使って、本格的な映画制作を3カ月くらい学びました。それで「よしわかった。じゃあ俺、独立します!」と言って独立しました。……だから、まだぜんぜん生意気なんです。

無数の成功体験と無数の大失敗でバランスがとれた

ぼくは、中学高校時代から「成功体験」がすごく多かったんです。

中学の国語の授業で、班ごとに劇をやるという授業があって、みんなは『桃太郎』とかすでにある物語をベースにしていたんですけど…ぼくは「オリジナルでやりたい」と言って、自分で脚本を書いてやったんです。それが人生で初めてちゃんと書いた脚本なんですが、これが国語の先生にすごく認められて、全校生徒の前で演劇をやりました。

高校生のときは、文化祭で映画を作って上映していました。それで3年連続で最優秀賞をとったんです。その後演劇部にスカウトされて、毎年地区予選落ちだった演劇部が、ぼくが作・演出をしたことで、近畿地区2位までいったんです。

そのあと、20から25歳のとき、調子に乗って大失敗してしまうことになるんですが…調子に乗るだけの成功体験が多かった。「自分なんて」という考えはまったくないくらい生意気だった。とにかく突き進む。「俺は天才だ」と。

その「天才だ!」と言っていた自分が、20から25歳でボコボコにされて、バランスが取れたんだと思います。田舎の町では注目を浴びていたかもしれないけど、東京では「お前なんて」とボコボコにされて、謙虚さというものが加わりバランスが取れて、いまがある気がします。

失敗は利子がついて返ってくる

25歳までのあいだに山ほど失敗をしてきたので、30代になったときにそれらの失敗にすごい「利子」がついて返ってきた気持ちになったんですよ。

ぼくは一度ホームレスになったのにここまで復活できてますから、25歳くらいまでは、どんなにひどいことになったって戻ってこれるはず。だから、25歳くらいまでは「失敗を集める」くらいの気持ちで生きる方がいい。その気持ちでいたら、失敗したときに落ち込まないじゃないですか。「お、今日はひとつ失敗できたな」って。

そして、ブログに書くなど、その失敗をアウトプットする場をつくれば、失敗を「エンタテインメント化」するという思考も身につく。「失敗を俯瞰してエンタテインメントにする」というのはコメディの根幹。ぼくはそれをずっとやってきたので、それがよかったのかもしれないです。

「悲劇だ!」と思っても「それは本当に悲劇か?」と問い直してみるとか…。そうすると、実は笑い飛ばせないことってそんなに多くはないんじゃないか。

「ネズミ講に騙されて、ホームレスになった」というのは、自分だったら死にたくなるくらいにショックなできごとかもしれないですけど、いまぼくがこうして話をしても、だいたい笑い話になるんです。だから、ほとんどのことは笑い話になると思って生きるといいかもしれません。

映画『カメラを止めるな!』より

自己啓発系の言葉に思うこと

ぼくもいろんな自己啓発本を読んで「死ぬこと以外はかすり傷」みたいな言葉を見て、奮起していました。でも、補足しておきたいのは、そういう言葉はすごくいいなと思う反面、危険な一面もあると思っています。

一時期はその言葉で火照ることができるかもしれないですけど、それを続けられるような「仕組み」を自分に作らないと続かないと思うんです。大切なのは、そういうメンタルを続けられるような「仕組み」をつくることだと思います。ぼくの場合はそれがブログだった。

ブログに自分の失敗を書いて、それを見ている人に楽しんでもらう、という「使命」を自分でつくっていました。ただ単に「失敗を集めよう」とか「失敗したらそれを喜ぼう」というだけじゃ精神は持たない。それを自分の生活の中に仕組み化する。それがうまくいくコツなんだと思います。

あとは、僕は妻(アニメ・映画監督のふくだみゆき氏)と結婚してから、より外で戦えるようになった、という感覚があるので、自分の絶対的な味方を作ることも大事じゃないかなと思います。

大量に失敗したあとの成功じゃないと、強度が低い

映画をつくっている若い世代の人が、『カメラを止めるな!』を観て、ぼくにメールをくれるときがあるんです。「上田さんは映画をつくるときに絵コンテを描かれますか?」とか、「キャスティングはどういうことに気をつけたらいいですか?」とか…。でもぼくは「いや、まず撮れよ!」と思うんです。

一発目から成功しようとしているところが失敗だぞ、と。とりあえず大量に失敗した上での成功じゃないと「強度の高い成功」とは言えないと思うんです。

いまはiPhoneを使って、自分の友だちや家族を撮って、編集もすぐできます。撮ったものを見て「何がいけなかったか」というのを感覚と体で学んでいく。そのほうが絶対に速いと思うんですよ。「映画教本」から学んで、ちょっと「知識がついた」という感覚になるよりもぜんぜん速い。

「コケない」ということは、「走ってない」ということなんです。「コケる」というのは走ったり、挑戦している証拠。だからどんどんコケていい。失敗していいんです。コケずに失敗しないよりも、走ってコケるほうが、絶対あとに経験となって自分の身に返ってくると思います。

ぼくはコメディをつくっているので「カッコつけるほうがカッコ悪い」と思っちゃうんですよね。カッコ悪いほうがカッコいいと思っちゃう。ダサいほうが人間としてはカッコいい。まだ、偉そうなことを言える立場じゃないですが「とにかく転がり続けろ」というのは伝えたいですね。

(聞き手・執筆:竹村俊助、編集・撮影:生田綾)

映画『カメラを止めるな!』大ヒット公開中

製作:ENBUゼミナール
配給:アスミック・エース=ENBUゼミナール
©ENBUゼミナール


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中国版『万引き家族』の宣伝ポスターがエモすぎる。樹木希林さんの傘は愛の表現だった。

カンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞し、世界中で大きな話題を呼んだ是枝裕和監督の映画『万引き家族』。8月3日から中国で公開されるにあたり、宣伝用ポスターが作られた。制作を担当したのは、中国のデザイナー、黄海さんだ。

樹木希林さん演じる初枝の年金をあてにして暮らしながら、足りない生活費を万引きでまかなっている柴田家を描いた『万引き家族』。

家族を家族たらしめるのは「血縁」なのか、それとも一緒に過ごした時間の長さなのか?

こうしたテーマを問いかける本作において、ポスターで描かれた2つのシーンはどちらもとても印象的だ。

1枚目は、海ではしゃぐ家族を、日傘をさして浜辺から眺めている初枝の目線から描いた。

ポスター作成を依頼した映画宣伝会社によれば、このシーンには以下のような思いを込めたという。

《中国の文化では、傘は人々を雨風から守るという意味合いを持ちます。

この家族は、海で幸せそうに遊び、おばあちゃんは家族みんなを気遣いながら、傘をさしていました。

デザイナーはこのシーンで、『家族』というのものが意味することや、この作品の愛について表現しようとしました。》

もう1枚は、ひっそり暮らす柴田家が、音だけ聞こえてくる花火を楽しんでいるシーンだ。このシーンについて同社は「デザイナーが最も感動した」とコメントを寄せている。

《この家族は、花火の音だけしか聞こえなかったけれど、心の中では世界の美しさや家族の愛を感じられていた。

このシーンが、デザイナーの最も感動したシーンだったということと、中国の沢山の観客に映画を訴求できるシーンだと思い選びました。》

このポスターがTwitterなどに投稿されると「鳥肌立つくらい好き」「映画の本質を理解して作られてる」などと絶賛のコメントが相次ぎ、話題になった。

  *

是枝裕和監督の『万引き家族』にかける思いを聞いたインタビューはこちら


大人版「ホーム・アローン」!? 大麻を吸って飛行機に遅れた男の奮闘描く映画にR・レイノルズが参戦

20世紀FOXが、俳優のライアン・レイノルズさんをプロデューサーに迎えて、同社最大級の大ヒット映画『Home Alone(ホーム・アローン)』から着想を得た映画『Stoned Alone(「大麻でヘロヘロになって1人っきり」の意)』を製作すると映画ニュースサイト「DEADLINE」など複数のメディアが報じた。ライアン・レイノルズさんは主役を演じる可能性もあるという。

『ホーム・アローン』は、家族でクリスマスの旅行に出かけようとしたところ、1人だけ家に取り残されてしまった8歳の少年が、泥棒に立ち向かう物語。

今回の『Stoned Alone』は、『ホーム・アローン』を「R指定」の大人バージョンにしたような物語になるという。

DEADLINEによると、主人公は大麻を吸ってヘロヘロになっている20代の男。スキー旅行に向かう飛行機を逃し、ハイな状態で家にとどまる様子を描く。幻影に取り憑かれた男は、家に泥棒が入ると信じ込む。しかしそれは単なる妄想ではなく、家には本当に泥棒が侵入しており、主人公が泥棒撃退に奮闘するというストーリーだ。

本家『ホーム・アローン』をうまくなぞりつつ、かなりハチャメチャな展開になりそうだ。

ライアン・レイノルズさんは、カナダ出身の俳優。映画『デッドプール』でプロデューサーを務めながら、主役を演じた。妻で女優のブレイク・ライブリーさんとの仲睦まじい様子が、アメリカメディアなどによく取り上げられている。

VARIETYによると、レイノルズさんは、自身のプロダクション「マキシマム・エフォート」を通じて、『Stoned Alone』にプロデューサーとして参加するという。


子ども時代の想い出を映画化。31歳新鋭監督の瑞々しい感性が光る『悲しみに、こんにちは』

 スペインの新人監督、カルラ・シモンの鮮烈な長編デビュー作『悲しみに、こんにちは』が7月21日より公開される。

 幼い頃にエイズで母を亡くした監督の実体験を映画化した本作は、第67回ベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞、アカデミー外国語映画賞のスペイン代表作品にも選出されるなど、高い評価を受けた。

 1993年の夏、母親を亡くした少女フリダは、カタルーニャの田舎に住む叔母夫婦に引き取られる。フリダは母の死をまだ受け止められずにいる。母の死因が、当時不治の病とされていたエイズであることもフリダは知らない。叔母夫婦とその娘、アナはフリダを暖かく迎え入れるが、フリダはかけがえのない夏を過ごすのだが、新しい家族と慣れない土地、そしてエイズを恐れる周囲の目線のため、フリダは孤独を抱え込んでいる。

 突然の母の死、新しい土地への戸惑いを抱えながらも、フリダは夏を満喫していく。しかし、少女は母の死を受け止め前に進まねばならない。陽光きらめくスペインの田舎を舞台に、家族の暖かさと死と孤独に直面する少女を瑞々しく活写した作品だ。

 カルラ・シモン監督に本作についてうかがった。

自分の癒やしのための映画じゃない

――この映画は監督の子ども時代の話を元にしているそうですが、この映画を作るきっかけはなんだったんでしょうか。

カルラ・シモン監督(以下シモン):多くの人に、自分の心の傷を癒やすために作ったのかと聞かれたのですが、そういうわけではないんです。これは私の確かに私の幼少期の体験を元にした物語で、それなりにこの出来事に対して傷を負ったとは思います。けれど、それから長い月日を経ていますから私なりに消化しています。それよりも、子どもが死に直面した時、どう感じるのだろうということを描きたかったんです。

――あなたの個人的な体験を元にした作品ですが、とても普遍的な感情を描くことに成功していると思います。自らの私的な物語を普遍的なものにできると、いつ確信を得たのでしょうか。

シモン:私のこの体験を多くの人に話すと、大抵とても関心を持ってくれるので、多くの人を引きつけることができるのではとは思っていました。でも映画を作る前から強い確信があったわけではなりません。これが普遍的なものを描いているのだと本当に確信できたのは、映画を作り終えて、世界の人々に見てもらった時ですね。多くの国の映画祭に行きましたが、みなが同じような感情を抱いてくれたので、それでようやく確信を持てました。

 家族愛は誰にとっても大切なものだし、だれもが親しい人の死を経験しています。それにこの映画は90年代の設定なので、その頃を覚えている人には懐かしいものでもあったのでしょうね。

――ご自身の体験を映画にするので、独りよがりなものにならないように気をつけたと思うんですが、どんな点に気をつけましたか。

シモン:たくさん本を読んで、子どもが死に直面する時どんな感情を抱くかを学びました。それと、自分と距離を置く作業が重要でしたね。キャスティングの際も、最初は自分に似ている子を選ぼうとしていましたが、重要なのは外見ではないと気づき、もっと性格を重視するようにしましたね。ロケ場所も自分の過ごした土地そのままではなく、少し離れたところにして自分の想い出と距離を取ることにしました。

 

――この映画は、カメラが常に第三者の目のような視点だと思いました。なぜこのような観察的な視点になったのですか。

シモン:観客にフリーダのいる世界を体験してほしいと思ったので、ホームビデオのようなイメージで撮影しました。それを観察的な視点、あるいはドキュメンタリーのようだという人は多いですね。長回しもホームビデオ風にするための工夫の1つです。一度ミスが出ると最初からやり直しになってしまうので、リスクのあるやり方ですが、どうしても必要なことでした。

 製作中は、監督として自分の人生に距離を置いていたので、物語に入り込むことが出来なかったんです。でも完成した作品を観て、本当に自分の子どもの頃を思い出しました。女優である私の妹もこの映画に出演していますけど、彼女は撮影中も昔を思い出してしょっちゅう泣いていましたけど。(笑)

 

母が得た自由とその代償

――今回映画化する時に改めて自分の子ども時代を振り返って新しい発見はありましたか。

シモン:映画を作る上で一番難しかったのは母をどう描くかということでした。知り合いの編集者に最初の脚本を読んでもらった時に、母親の存在感を感じないと指摘されました。それもそのはず、この映画で描いたように、私は母を幼い時に亡くしていて、彼女との想い出がほとんどないのです。だから母の存在をリアリティを持って描けなかったのです。

 なので、私は自分の母を再発見するために、母の死に対してどう感じていたかを質問させてもらいました。それから母が友人に宛てた手紙をたくさん読ませてもらいましたね。そうやって私の知らない母を作り上げていったんです。

――実の母親について具体的にどんなことを発見しましたか。

シモン:この映画の前に『ゆりかご』という短編映画を作ったんですが、それは母が旅した足跡を私自身が辿って、彼女の手紙を朗読するという内容です。短編映画の製作で彼女の訪れた場所を辿ったことで、母という人物をとてもよく知ることができたと思います。彼女が体験したことを私自身が追体験したような気持ちになれましたね。

 彼女の手紙を読んでわかったことは、私の母はとても激しい人生を送った人だったということですね。彼女の若い頃はフランコ軍事政権が倒れて自由が訪れたばかりの時で、若い人々はその自由を謳歌するためにいろんなことに挑戦していました。彼女もそんな一人でいろんなことを試していたようです。その中の一つにドラッグもありました。手紙には今日、こんなドラッグを試してみたなど詳細に書いてありましたね。

 しかし、その自由への希求の代償として、彼女はエイズを患うのです。ただ彼女はそれは全て自分に責任があることも自覚していたようです。彼女はとても強い意志を持った人だったんです。自分の娘に母乳をあげられないことを悩んだこともあるようです。それでも母は、人生を前向きに、活き活きと過ごしたみたいです。

 それから彼女はクリエイティブな才能もあったみたいですね。とても美しい文章を書くんですよ。

 

――母のエイズの問題などはありますが、映画の中ではそこはあまり強調されていませんね。

シモン:ええ、子どもの視点で描くことが大事だと思っていましたから。私自身、母がエイズで亡くなったことを知ったのは12歳の時です。主人公のフリーダの年には知らなかったのですよ。だから映画の中でエイズという言葉を一切出しませんでした。エイズという単語は強い意味を持ちます。それを言ってしまうとエイズに関する映画になってしまうと思ったんです。私はエイズの映画を作ろうとしたわけはなく、子どもが死をどう受け入れるのかを描きたかったんです。


「自分が嫌いだって、一度でも思った人は観て」。映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」が公開

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」ポスター

高校に入学して初めての顔合わせ。クラスメイトが注目する中で最初のイベントといえば「自己紹介」だ。体中にじっとりとした汗をかき、息を詰まらせながら順番を待つ。

「あ、お、おっ、おっ、お……」

言えない。

「し、し、志乃……大島です」

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の冒頭の場面だ。クラスが大爆笑するなか、彼女はうまくしゃべれないで立ち尽くしている。特に母音で始まる言葉が話しにくいのだ。

主人公の大島志乃は、原作の押見修造さんとイニシャルが同じ。なぜなら、押見さんが体験した名前の言えないつらさやコンプレックス、流ちょうに発音できない悔しさ、恥ずかしさ、そして「イタさ」をえぐるように描いた作品だからだ。

こうした症状は「吃音症」と呼ばれている。

これだけ描けば分かるだろ、分かれコノヤロー

7月14日の公開に先立ち、7月上旬に都内で特別試写会が開かれた。

試写会後に開かれたトークイベントでは、原作の押見さんのほか、「どもる体」の著者で東京工業大の伊藤亜紗准教授、吃音者のための学生サークル・東京大スタタリング代表の山田舜也さん、そして国立成育医療研究センターの医師で吃音外来も担当する富里周太さんが登壇した。

4人は全員、吃音当事者だ。

試写会では、自身も吃音に悩んでいるという男性から「押見先生の作品を読むと、同じような経験をしている自分はダメージを受ける。なぜあえて恥をかいた場面や『イタさ』をリアルに出しているのか」と質問が上がった。

中学生のころから「しゃべれない」状態が始まった押見さん。自己紹介が本気で苦手、授業中に先生に当てられても答えが分かるのにうまく話せなくてむずむずしたことや、悪気なく教員から言われた一言に「触れるな!」と思った経験などが、作品の随所に出てくる。

映画の原作を描いた押見修造さん

押見さんは「ずっとしまっていた。見て見ぬふりをして、隠していたことだった。それを赤裸々に描くことにした。(吃音ではない人に)『これだけ描けば分かるだろ、分かれコノヤロー!』って感じかな」と笑った。

続けて「描いているときは人に語っているような感じで、えぐられたりダメージを受けたりしない。描くことでスッキリした。楽になったし、この漫画を読んでくれていたら、自分がどもっても少し分かってくれるかもって保険が効いているような気持になれた。でも、確かに映画は自分が作ったわけではないので、観るとダメージ受けた。その気持ちは分かります」と答えた。

トークイベントで話題になったのは、志乃の担任の先生が、どもってしまう志乃に向かって向けた言葉だった。

「緊張しちゃうのはさ、まだみんなと打ち解けてないからだよ。頑張ろう、ね!」

教師から諭される志乃(右)

医師の富里さんは「名前が一番どもる。本人だって、どこでそうなるか分からない。いきなり出るんです。そういうときに『ゆっくり落ち着いて』『緊張しなければ大丈夫』などと言ってくる。なんなんだと。悪気はないのは分かるんですが」と話す。

吃音外来を受け持つ医師の富里周太さん

特効薬がないことに気が付く。でも「魔法はいらない」といえる気持ち

伊藤さんは「小学校のころから、連発したり、難発したりしていた。自分でも予測できないので、だんだんとゲーム感覚になって『次は何が起こるかな』と、どたん場感を楽しむようになった」という。

「どもる体」を書いた伊藤亜紗さん

だが同じ当事者でも山田さんは「恥ずかしいの連続。ゲームなんて思えなかった。吃音に伴う情動、不安、恥などが吃音を加速される感じがする。でも、『恥ずかしい』は消えない。消し去るのではなく、どもって生きていこう、と受け入れる。この自分のままでどうやって人を愛せるようになるのかと考える」と振り返った。

自身の経験について語る山田舜也さん

自分の名前が言えないことを恥ずかしく思っていた志乃は、最後に「恥ずかしいと思っているのは、全部私なんだ」という場面がある。そこから山田さんは「思春期は誰もが自己否定に陥る。ただ、この後に、志乃ちゃんがどうやって吃音と付き合っていくのか。今後どうなるのかが気になります」と話した。

富里さんは、作中で加代が作った「魔法」という歌について「歌詞の中に『魔法をください みんなと同じに喋れる魔法』っていうのがある。吃音外来では、特効薬はないか、吃音がなくなる魔法はないだろうかと思って来ている人たちが多い。特効薬はないし、魔法もない」という。

歌はその後に、「魔法はいらない」と続いていく。伊藤さんは「いらない、というのがすごい。吃音が治るのではなく、そのまま人生が続いていく。乗り越えるのではなく受け入れるということですね」と話した。

コンプレックスを描かせたら天下一品の押見さん

ただ、映画には「吃音」「どもり」という言葉は一切出てこない。

原作漫画のなかにも、そうした言葉を意図的に使うことはなかった。押見さんは「これをただの吃音漫画にしたくなかったから。これは自分の弱い部分、コンプレックスを抱えて生きるすべての人に当てはまるものだと思う。自分が嫌いだって、一度でも思った人は観てください」と話す。

映画は、歌が好きなのに音痴な加代、そして自己紹介ができなかった志乃につい吹き出してしまい、クラスの笑いの的にした「空気の読めない」菊池の3人を中心にして回っていく。

自分の持っている、周囲から見たら小さなコンプレックスが、自分の中からあふれ出して押しつぶされそうになる、10代特有の「あの感覚」がこれでもかと凝集されている作品だ。

押見さんは「コンプレックスからこぼれ出てくるものがあるんです。コンプレックスがあるほうが、表現者に向いている。それを形にすると、触れた人に『これは自分のものだ』と刺さりまくるから。吃音はその中でも、毎回フレッシュな恥ずかしさを感じられる得難い才能です」と語っている。

吃音症とは

声が出るはずなのに、言葉に詰まったり音が連続したりして滑らかに話すことができないことを指す。

主な症状は、「おおおおおおはよう」のように、音を繰り返しが起きる「連発」、「おーーはようございます」のような音の引き延ばしがある「伸発」、そして言葉が詰まってしまい、間が開く「難発、ブロック」というものがある。

これらの症状には、言いにくい言葉と言いやすい言葉とがあり、この作品にも出ているように、歌うときには症状が出にくいなどの特徴もある。また、いつ症状が出るかは分からず、調子の波もある。

言語の種類に関係なく、全人口の約1%で吃音の症状を持つ人がいるといわれており、幼少期に起きる発達性吃音と、ストレスや脳疾患などによって10代後半からみられる獲得性吃音とがあり、発達性吃音は7~8割が自然になくなっていく。

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は、7月14日から新宿武蔵野館ほか全国で順次公開される。


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