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歌舞伎町伝説の「元中国人」密着選挙映画が見せる日本人の「排外性」–野嶋剛

 現在、東京の「ポレポレ東中野」でドキュメンタリー映画『選挙に出たい』が公開されている。1988年に留学生として来日し、20年以上にわたって歌舞伎町の風俗界で働き続けた伝説的人物、李小牧(り・こまき)さんを密着取材したもので、彼が2015年に日本国籍を取得し、その年の新宿区議会選挙に出馬して落選するまでを追っている。監督の邢菲(ケイヒ)さんは中国出身の女性フリーディレクターで、日本のテレビ番組制作会社でドキュメンタリー番組などを手がけてきた。

父を裏切った政治へのリベンジ

 まずドキュメンタリー作品としてのクオリティーの高さには、目を見張らされた。長期間に及ぶ密着取材で大量の素材を集めたであろうが、よく吟味されており、巧みな編集によって過不足なく仕上げた78分間の作品は、テンポがよく観客を飽きさせない。邢菲監督はこれが初の長編作品というから驚きだ。

「歌舞伎町案内人」として名を馳せた李さんは、歌舞伎町で故郷湖南の料理店「湖南菜館」を経営しながら、『ニューズウィーク日本版』などにコラムを持ち、著書も多数ある。本作は、このユニークな素材に対して適度な距離感を保ちながら、表も裏もあっけらかんとカメラの前にさらけ出す主人公の善悪や美醜を超えた人間性の面白さを掘り起こす。

 なぜ中国の国籍を捨ててまで出馬するのか、という問題に迫るため、邢菲さんは李さんの帰省に同行する。そして文化大革命時代に毛沢東を支持する「造反派」として権力の側に立ちながら、文革後に政治犯として投獄され、家族に辛酸を嘗めさせることになった父親への思いを語らせているパートは、圧巻である。

 李さんの青少年時代は中国の政治によって破壊され、役者への夢も閉ざされた。それなのに、日本で政治に希望を寄せて選挙に出た。その理由を、李小牧さんはこう語る。

「父は政治を志して失敗に終わった。だから俺は日本で試してみたい。民主社会の政治というものを」

「俺は父の影響を受けている」

「政治はやっぱり崇高なものだと思うんだ」「誰もが参加すべきもの。それが政治だ」

 中国を追われるように日本に渡った李さんは、父を裏切った政治に対して、いい意味での「リベンジ」をここ日本で果たそうとしているのである。

「中国人嫌いなんだよ」

 映画評としては「ぜひ観に行ってほしい」という以上に言うことはないのだが、この作品を観た日本人として、どうしても注目せざるを得なかったところがある。それは作品中に登場する日本人の反中的言動である。

 李さんの選挙活動中、通りがかったある高齢の女性は、「李」という名前から彼が韓国人だと信じ込んでいた。カメラを向けた邢菲さんが、李さんは元中国人であると告げると、こんなセリフが洩れる。

「中国の人じゃ私、支持できない」

「悪いけど、韓国の人はまだいいよ。合わせようとしてくれるから。日本人を嫌いでも」

 その理由を問われると、女性は隣人にうるさい中国人がいて、注意したらトラブルになったからだと明かす。

「怖いよ、性格が」

「女の人よ。日本人だったら気をつけるでしょう」

「それは違うと思うのね」

「ちょっと敬遠する」

 と、言葉は続いていく。

 サラリーマンの若い男性は、歩きながら邢菲さんとこんな会話を交わした。

 男「あんた中国人だろ」 

 邢菲さん「私も中国人です」

 男「オレ中国人嫌いなんだよ。間接侵略しているからね。香港と台湾はまだ信用できるけど、大陸の人間は大嫌いなんだ」

 邢菲さん「彼に対しても?」

 男「落ちてほしいね」

 また、喫茶店の店主の女性は、こう語る。

「みんな日本人は文句を言わないで与えられた仕事をこなしているから、なんとかなっているのよ。そこへさ、中国人が来てさ、それでもう薬やるし、カードは盗むし、殺しも入ったからね それからピッキングが入った。もうないものはないものね、中国人がやったのは」

「私は日本人です」

 そうした言葉の刃は、日本人の老若男女から李さん自身にも次々に向けられる。それでも彼は踏みとどまって「これが民主主義」と笑顔を見せ続ける。だが、表情ががらりと変わった唯一の瞬間があった。

 李さんが街頭演説をしているとき、男性の通行人から「中国に帰れ」という罵声が飛んだのだ。早足で立ち去っていく男性に対して、李さんは追いかけながら、叫び続けた。

「どこに帰れというんですか。私は日本人です。元中国人ですよ」

 この正論に、男性から一切の返事はなく、雑踏の中に消えていった。

 やらせではないかと疑わせるほどにストレートな日本人たちの肉声が、この作品には詰まっている。すべての日本人が彼らと同じだというつもりはない。ただ、その強烈な排他性が、我々の社会の一部に確かに存在することを突きつけられるのみだ。

 それらの声は、相手が邢菲さんだからこそ語られ、得られたものではなかっただろうか。

 もし、日本人がビデオカメラ向けていたら、彼らはこんな話をしなかったのではないか。世間の評判を重視する日本人は、日本人同士で差別的な話をすることは滅多にない。中国人の、しかも、若い女性が相手だから、大胆に語った部分があったように私は思う。

 私の個人的感想だが、中国人が日本人を批判するときは、仲間内や身内で語っている言葉をそのまま日本人に投げつける。日本人の場合は、仲間内や身内では語らないようなことを中国人に投げつけるように見える。

格好悪かった「民主党」

 日本の反中感情の拡大には、中国の反日的行動や在日中国人の素行など、それなりの理由がある。しかし、その中国国家や中国人全体を、目の前にいる李さんという、日本社会に最も深く根付いた中国人の1人であり、日本に帰化した人物に、すべて背負わせるような言動は、あまりにもアンフェアではないか。

「こと中国人に対しては仕方がない」という言い訳は成り立たない。もし、人権に敏感な国であれば、一言でアウトになる発言ばかりである。さらに言えば、李さんは選挙に出ている時点で、中国人ではないのだ。

 かねて私は外国人の知人に「日本人は排外的だ」と言われるたびに、「そんなことはない。誤解している」などと反論してきた。入国管理や住民登録などの制度的な欠陥は認めつつ、日本人そのものの本質を弁護してきた人間なのだが、この作品を観たことを機に、2度と自信を持って「日本人は排外的ではない」と語れないなとつくづく思った。

 繰り返しになるが、邢菲監督は、こうした点にスポットを当てるためにこの作品を撮ったわけではない。上映後の舞台挨拶で「日本人を嫌いになりませんでしたか」と質問された彼女が、「中国人にそう思われる理由があるので、私たちも反省しなくてはなりません」と淡々と述べた姿が印象に残った。

 最後に付け加えれば、李さんの出馬に対して、格好悪い対応を見せたのは当時の民主党だった。最初は党の公認候補としての出馬をもちかけながら、歌舞伎町で活躍した外国人であるという理由で、扱いを公認から推薦に取り下げた。ところが、無所属で出馬した李さんの当選が見えてきた途端、手のひらを返して彼のポスターに民主党のシールを貼るという一貫性のなさ。多様性や他者への包摂を掲げた政党らしくなく、その後に起きた党の消滅も、むべなるかなと思わせた。

『選挙に出たい』の上映情報はこちらから。


野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2018年12月8日フォーサイトより転載)

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貧困家庭に生まれた天才高校生が、お金のためにカンニングを許す。映画『バッド・ジーニアス』が描いた格差社会

学生たちのハラハラドキドキのカンニングバトルを描いて、ロングランヒット中の『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』。「高校生版の『オーシャンズ11』」との呼び声も高いが、学歴偏重社会や格差の現実なども描いた社会派な面もあるエンターテインメント作品だ。

貧しい家庭に生まれた成績優秀な女子高校生リンが、試験やテストで友人に「カンニング」のビジネスをもちかけられる、というストーリーになっている。

この度、その監督のナタウット・プーンピリヤと主人公・リン役のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンが来日した。学歴偏重社会や格差の問題はタイのみならず、日本にも横たわるテーマである。監督とチュティモンさんに、タイの現状などについても聞いた。

主人公リンを演じたチュティモン・ジョンジャルーンスックジン

子供が落第をしないよう、親がいろんな手立てをする。その気持ちは子供にとって「重い」

プーンピリヤ監督は、本作のプロデューサーから中国で実際に起こったカンニング事件をモチーフにして映画を作らないかと話を持ち掛けられ、1年以上をかけて脚本を執筆した。

エンターテインメント作品に社会問題がうまくハマった本作であるが、そのバランスとりには苦心したようだ。

プーンピリヤ「自分たちで取材した実際の社会問題や、自分たちの経験談を取り入れようとしていたんですが、最初はその部分が多くなってしまい、真面目過ぎる映画に傾いていたんです。それで泣く泣く削って今のバランスに落ち着きました」

監督は大学を卒業後、映像の仕事に就き、その後ニューヨークで学んだ経歴を持つ。監督は、本作を作るにあたって、取材をしてみて、どんなことを感じたのだろう。

プーンピリヤ監督「自分の場合は、学生時代から映画が好きで、映画を撮りたいと思って時間を割いてきました。今回の映画を作るにあたって、いろんな人にインタビューしてみて、子供が落第をしないように、親がいろんな手立てを考えているということがわかりました。ただ、同時に、その気持ちは子供にとっては重いものだということもわかりました。全員が勉強が得意とは限らないですからね」

学校の成績は常にトップで、家は裕福ではないものの、奨学生として名門に入ったリン役のジョンジャルーンスックジンの場合はどうだろうか。

ジョンジャルーンスックジン「私はずっと勉強は大事にしてきました。やはり生きていく上での基礎になるものなので。だから、学生時代から仕事をやってきましたが、学業を優先できるようにマネージャーにも相談していました。この春に大学を卒業しましたが、いずれ院に行きたいという気持ちも持っています」

貧困のため、学ぶ機会自体が少ない。その格差が描かれる

本作は、学歴偏重社会に一石を投じるものでもある。しかし、筆者が見ていて思ったのは、学ぶということ自体は否定されるべきものではないし、問題は、また別のところにもあるのではないかということだ。

例えば、映画の中でリンは貧困ながらも勉強に対しての意欲がある。しかし、貧困であることで、学ぶ機会自体が少ない、という状況もあるのではないか。

プーンピリヤ「確かに、タイでもそんな状況があり、『お金で教育の機会を買う』という言い方もあるくらいです。例えばタイでトップ10に入る学校というのは、何万、何十万バーツの授業料が必要だし、お金持ちの子供が多いことは事実です」

「ただ、映画にも出てくるように、奨学金で通える子供もいます。教育は大切です。ただ、試験の点数で将来が決まることには疑問を持っていて、将来が決まるということであれば、それだけではないとも思うんです」

カンニング映画といえば、我々がイメージするのは、フランスの「ザ・カンニング」や日本の「That’s カンニング! 史上最大の作戦?」などのコメディ色の強いものだったが、この作品にはコミカルな部分は少なく、むしろビターな後味が残る。

プーンピリヤ「それは意図通りなんです。なぜかというと、私はコメディが撮れない、面白くない人間なので…。(笑)」

そう冗談めかすが、ビターに見えるのは、主人公のリンとともにカンニングに参加したバンクというキャラクターの描き方も大きいだろう。主人公リンと境遇が重なるバンクは、母子家庭で貧困の中勉強に励み、名門高校の奨学生となった。

リンもバンクも、カンニングは悪いことだと知っている。

しかし、一大カンニング・プロジェクトに加担してしまうのは、彼らが貧困家庭に育ち、お金を必要としているからだ。お金を払ってでも試験に受かればいいと思う富裕層の学生と、お金で買った成績でも通用してしまうという社会に問題がある。

バンクとリン

ある意味、バンクはそんな学歴偏重社会、経済至上主義社会の「被害者」でもあるような場面も描かれ、そこがビターに見えるし、後を引く所以である。

プーンピリヤ「私が信じている言葉に『社会が人を変える』というものがあります。バンクはまだ学生で、自分探しをする世代で、彼の考え方は社会の影響を受けて良い方向にも悪い方向にも変化していきます。若いときは周囲の環境で考え方が変わってしまうものなので、彼をちゃんと救済できる環境、社会でなければいけないということを考えて撮りました」

監督は、この映画の中での救済は、リンの決断ではないかと語る。

プーンピリヤ「欧米の言葉に『絆創膏をひっぺがえす』というものがあるんです。今は痛いかもしれないけれど、将来のためには必要な措置もあるということです。つまりは、リンの告白こそが、バンクの救済措置ではないかと思うんです」

ナタウット・プーンピリヤ監督

「感情豊かで愛嬌がある」というステレオタイプを覆したヒロインの魅力

本作の魅力は、ハラハラドキドキの展開、社会問題との接合だけではない。

“ジーニアス”なヒロイン、リンのキャラクターによるところも大きい。通常、日本を含むアジアのヒロインというと、明るく健気、感情豊かでちょっと抜けたところもあるが、愛らしいというのが定番であったように思う。もっとも、昨今はそんなヒロイン像を覆そうという作品もある。

本作の主人公のリンは、どちらかというと愛嬌がなく、感情も大きくは表現しない。かつてのよくあるヒロイン像というのなら、リンと友達になり、カンニングを依頼するグレースのほうが近いのではないだろうか。

プーンピリヤ「リンはリーダーシップが取れるキャラクターなので、甘い雰囲気ではそう見えないと思いました。今回の登場人物は自分の中の一部が反映されていると思います。リンの考え方は現在の自分に近いです。バンクは過去の自分。パットはお金持ちでイケメンだから、そうなりたいと思う気持ちもないわけではないし、グレースのような可愛くて癒してくれるタイプは彼女にしたいと考える人は多いかもしれないけれど、何かを与えるわけではないキャラクターなんです」

「凝り固まったジェンダー観」でキャラクターが描かれない新しさ

リンを演じたジョンジャルーンスックジンは、撮影が始まったときには、この”静”の演技が難しかったという。

ジョンジャルーンスックジン「私もどちらかというとリーダーシップはあるほうだけど、リンのように自分に自信があり、何かを見てすぐに考えが浮かぶような天才的な人間ではありません。だから、内面から近づけて演技するのは大変でした」

「でも、表面的なものにはしたくなかったので、アクティング・コーチや監督と相談しながらリンを掴んでいきました。私自身は、友達と騒いだりもしますが、リンの場合は、本当に体から感情が沸き起こったときにしか、表情や行動には出さないから、心で思ってもないのに、大げさに行動するような表現にはしないようにと考えていました」

プーンピリヤ「チームのリーダーはポーカーフェイスで、気持ちを周囲に読み取らせないのは定番です。そんな部分をリンというキャラクターの魅力にしたかったんです。ラッキーだったのは、ジョンジャルーンスックジンさんが、そんなリンの抑えた演技がきっちり表現できたことです。顔の表情をちょっと動かすだけで、彼女が何を考えているのかがわかる演技でした。グレースの場合は真逆でしたよね」

多くの女性キャラは、感情豊かで大げさに行動することを求められすぎではないかとすら思えてくるし、昨今、日本の作品でも、そんな決めつけから放たれたキャラクターを描こうとしていることもある。ドラマ『アンナチュラル』で石原さとみが演じた役なども、そんな風に誇張したキャラクターとは一線を画したものにしようとした結果と言われている。

リンの表情に変化は少ないのだが、足が一歩下がる仕草で心の中のとまどいを表し、まばたき一つで驚きが表現されていた。そんな些細な動きのほうが、むしろ伝わることが多い。凝り固まったジェンダー観でキャラクターが描かれていないことも、本作の良さではないかと感じる。

(執筆:西森路代、編集:生田綾)

作品情報「バッド・ジーニアス 危険な天才たち

新宿武蔵野館ほか、全国で公開中

監督:ナタウット・プーンピリヤ

脚本:ナタウット・プーンピリヤ、タニーダ・ハンタウィーワッタナー、ワスドーン・ピヤロンナ

キャスト:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン、チャーノン・サンティナトーンクン、イッサヤー・ホースワン、ティーラドン・スパパンピンヨー、タネート・ワラークンヌクロ


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原動力は、世の中への怒り。生きづらいこの時代に、池松壮亮さんが映画に込める思い

池松壮亮さん

「なんかもう、ちょっと危機感を感じますよね。街を歩いても、テレビを見ても。自分も含めて、ちょっと世の中全体がおかしい気がします」

そう話すのは、俳優・池松壮亮さん、28歳。

『ラストサムライ』で12歳にして映画デビュー。近年は『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』、『万引き家族』などの話題作で好演を果たし、実力派俳優として活躍中だ。11月24日(土)には、鬼才・塚本晋也監督との初タッグとなる主演映画『斬、』が公開された。

物語の舞台は、開国をめぐり激動に揺れた江戸時代末期の日本。池松さんは、人を斬ることに疑問を抱き、時代に翻弄される若武者・杢之進を怪演した。

人間の暴力性が鋭く描かれた作品だが、池松さんは2018年の「いま」という時代にも、「閉塞感や怒りが満ちているように感じる」と語る。

その言葉の意味とは? ハフポスト日本版のインタビューに、池松さんが答えた。

池松壮亮

「世の中がもっと良くなってほしい」 祈りを込めた

ーー『斬、』は、人間の暴力性や時代に翻弄される姿をうつす、今の時代を反映するかのような映画でした。

今の時代に向けて、自分が精一杯できる「祈り」みたいなものを込めました。20代の俳優としての自分は『斬、』をやるためにあったんじゃないか、と思えるくらい。

僕だけじゃなくて、塚本晋也監督や蒼井優さんをふくめ、一緒にこの映画を作り上げた人たちの「祈り」が結集した作品だと思っています。

何に対して祈っているのかと聞かれると、うまく表現できないんですけど…。(笑)すごく簡単に言うとしたら、「世の中がもっと良くなってほしい」みたいなことなんでしょうね。

この『斬、』を撮影中に、3回くらいJアラートが鳴ってるんですよ。ミサイルが発射されたという情報が飛び交う中で映画を撮ってるわけです。

世界では、目や耳を防ぎたくなるようなことがたくさん起こっていて、世の中がいい方向に向かっているかと言ったら、決してそうではないと思います。

そんな状況の中で自分ができることって、何にもないんですよね。何もできないんですよ。映画を撮っているだけで。

この状況でも映画をやってるんだから、もう自分にできることは「祈る」しかない、ということです。もっと言うと、人間が最終的に何ができるかとなると、「祈る」ことしかできないんだと思います。

今の世の中に対して思うこと、社会に対して思うこと。そういうものを、「祈り」というかたちで込められてこそ、映画に力が宿ると思っていますし、人の心に届くと信じています。

そういうものを映画に込めたいとずっと思っているし、じゃなきゃ映画をやっている意味もないと思っています。

「塚本映画のファンだった」と話す池松さん。「20代の自分はこの映画のために俳優をやってきたんじゃないか、と思えるくらいの作品だった」と振り返った。

映画をやるなら、時代の空気を伝えることに「責任を取らないといけない」

ーーそう感じるほど、世の中が「悪い」方向に向かっていると思いますか?

どうなんでしょうね。悲しいと思うのは、誰も「時代がいい方向に変わる」って言わないですよね。自分自身、新しい時代に何か期待が持てるかと聞かれたら、そうだとは言えないのが本音なので。

なんかもう、ちょっと危機感を感じますよね。街を歩いても、テレビを見ても。自分も含めて、ちょっと世の中全体がおかしい気がします。

たとえば、渋谷のハロウィンで起きたこともその結果の一つだと思います。人間が暴徒化して、何か煮えくり返りそうな感じになってる。

僕はたまたま俳優というものに出会って長年やってきて。まだこの場所で自分がやりたいこと、やるべきことがあると思ってる。それでこの仕事を続けている感覚はあります。

みんなが怒った方がいいところまでとっくにきている中で、その「怒り方」や「反撃」の仕方として、僕は映画という純粋なものにまだかけているんだと思います。

『斬、』について塚本晋也監督は、反戦への思いなどが制作背景にあると明かしている。

ーーすごく強い責任感や使命感を持たれているんですね。

日本映画と社会って、どんどん離れていっていると感じていて。

でも、現代で映画をやるとしたら、少なくとも時代の空気や世の中に漂っているもの、みんなが必要としているもの、怒っていること、喜びや悲しさとか、そういったものを伝えることに「責任を取らないといけない」と思っているんです。

僕が俳優を志した頃は、「そういう思いを俳優が持つべきではない」と言われがちでした。

俳優は「言葉」を持つべきじゃないし、何かを発信する立場ではない。俳優はただ作品のピースの一つであれ、という風潮があったと思います。

でも、もうそんな時代じゃないでしょう、という感じです。

今日はなんとか生き抜いて、明日がんばろう

ーー世の中に対する「怒り」のようなものが、池松さんにとって原動力になっているのでしょうか。

さっき言った「祈り」というのも、根源も「怒り」だったり「傷」だったりしますよね。たしかに、ずっと怒っているような気持ちはあります。

何もできない自分の無力さに対してもそうだし、人に対してではなく、漠然としたものへの「怒り」みたいなものがある。何かを発表しなくちゃいけない思いがある。

だから俳優をやっていられるような気がします。

こんな時代だし、せめて一生懸命生きていたいなと思います。一生懸命生きていたいし、ボケッとしてらんないな、という気持ちです。

ーー池松さんが話すように、今の時代に生きづらさや閉塞感を感じている人はたくさんいると思います。そんな中で希望を抱いて生きていくためには、どうしたらいいと思いますか?

どこまでできるのか、そもそもできているのかはわからないですけど…。映画ができるのは、明日がんばろう、と伝えることじゃないかなと思います。

明日何が起きるかわからないし、もしかしたら明日、世界がなくなってしまうかもしれない。

でも、ひょっとしたら明日いいことがあるかもしれないし、誰かが一緒に怒ってくれるかもしれない。だから今日はなんとか生き抜いて、明日がんばろう。そういう感じではないでしょうか。(笑)

【作品情報】

斬、』(ざん、)

11 月 24 日(土)よりユーロスペースほか全国公開

監督、脚本、撮影、編集、製作:塚本晋也
出演:池松壮亮、蒼井優、中村達也、前田隆成、塚本晋也


(撮影:増永彩子、聞き手・執筆:生田綾、南麻理江)


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「華氏119」は“21世紀のファシズム”の映画だ。マイケル・ムーア監督がいま日本人に伝えたいこと

マイケル・ムーア監督

友へ

悪い知らせを伝えるのは残念なことだが、昨年(2015年)の夏、ドナルド・トランプが共和党の大統領候補になるだろうと君たちに言った時も、俺ははっきりと伝えていた。そして今や、君たちにとってさらにもっとおぞましい、気の滅入るような知らせがある。それは、ドナルド・トランプが、11月の大統領選で勝つということだ。この浅ましくて無知で危険な、パートタイムのお笑いタレント兼フルタイムのソシオパス(社会病質者)は、俺たちの次期大統領になるだろう。

……

映画監督のマイケル・ムーア氏は2016年7月、ハフポストUS版のブログで、トランプ氏が次期大統領になることを予言していた。多くのアメリカの人々は、初の女性大統領の誕生を確信していたにも関わらずーー。

なぜトランプ大統領は誕生したのか。

11月2日に公開されたマイケル・ムーア監督の最新作「華氏119」は、圧倒的な事実の映像を積み重ねて、その理由を浮かび上がらせる。

私たちはオバマ前大統領の何を見ていたのか。ムーア監督の故郷、ミシガン州フリントの街でオバマ氏は何をしたのか。民主党は選挙で何をしたのか。「ラストベルト」と称される工業地帯の労働者たちは、どう感じていたのか。

事実の点と点をつなぎ、線にして時代を紡ぐムーア監督。大統領選だけでなく、選挙後のアメリカに生まれた新たな希望ーー立ち上がる若者たちや地域住民の姿も、彼のカメラはとらえている。

トランプ大統領の就任後、アメリカに起きた変化とは? 本作で日本の人々に伝えたいことは?11月6日の中間選挙を前に、インタビューを掲載する。

マイケル・ムーア監督

――ムーア監督は、トランプ大統領が就任してからの2年間をどう捉えていますか?

予想よりも悪い事態になった2年間だと思う。

いろいろ小さな変化が常に起こっているが、それに全部目を向けられていないのは悲しい。トランプ大統領がこの国を破壊しようとしている詳細に目が届かないことが……。

――例えば、どんな変化でしょう? もう少し具体例に説明してもらえますか。

例えば、アメリカには環境保護エイジェンシーというのがあって、子どもの環境保護エイジェンシーという部署がある。この部署は、子供の健康を守るための環境、空気や水といった環境を保護する仕事をしている。

トランプ大統領は、この部署のリーダーとスタッフを全員解雇した。

人は、それはちっぽけな事じゃないか、と言うかもしれない。ただ、このような事が毎日起こっている。トランプ大統領は、アメリカ政府の構造自体を破壊し解体しようとしているんだ。

ミシガン州知事を突撃。人体に有害な鉛が検出されたフリントの水を知事の家に撒き散らすムーア監督。

ーートランプ大統領の暴言やさまざまな問題行動を、野党やメディアは止めることができていません。

僕はその努力を精一杯している。彼をあざ笑っているだけでは打倒できないと思う。

最初は彼を本気にした人はいなかった。僕は彼が本気で大統領になろうとしていると思った。その僕の意見に耳を傾けてくれた人は誰もいなかった。

アメリカの「ビルー・マーハー」というリベラルなテレビのトーク・ショーに出演して、「トランプが選挙に勝つ」といったとき、僕はブーイングにあった。

さらに僕は、ミシガン、ウエスコンシン、ペンシルベニア州で勝つと具体的に指摘した。そして現実的に、トランプはこの3つの州で勝利した。

単にトランプを取り除くためにこの映画を作ったわけではないんだ。この映画のテーマはさらにシリアスなんだよ。

2016年アメリカ合衆国大統領選挙で、労働者階級や若者の支持を集めたバーニー・サンダース上院議員(左)にインタビューするムーア監督

――この映画で、日本の人たちに伝えたいことは?

この映画は、究極的にはファシズムについての映画だ。それも”21世紀のファシズム”だ。

トランプのような人間が、人を自分の味方につけ、社会を引き継ぐかたちをとっている。それも、人を強制するのではなく、「僕についてきてくれれば、僕は君たちのためにこんなことができる」というかたちなんだ。

非常に危険な事が起こっている。アメリカ以外の国でも同様なことが起こりつつある。

そういう意味で、この映画は日本にむけてのメッセージが多くこめられた映画だと思う。アメリカで起こっているようなことが日本で起こらないための警告だよ。

この映画を観た日本の観客が、首相に「トランプ大統領と距離を置いてほしい」という懇願の手紙を出してくれればと思う。

今のところ、安倍首相はトランプ大統領の親友の一人のように見える。よい事ではないね。

――”21世紀のファシズム”と表現されましたが、映画の中では、ヒトラーとトランプの共通点を指摘していますね。どういう意図でしょうか。

僕は、トランプがヒトラーのようだとは思っていない。その逆だ。ヒトラーはトランプのようだと言っているんだよ。

映画では、トランプの声がヒトラーの口から出てくる。もしトランプがヒトラーのようだと言いたいなら、トランプにハナヒゲやハーケンクロイツや腕章をつけたと思う。それはしなかった。

だが、あの時代のドイツと現代のアメリカには共通点があると思う。教育をうけた文化的な人間が、非常に悪い判断を下した、という点で。

――映画には、中間選挙の「台風の目」として注目される、白人男性候補を破ったヒスパニック系の20代女性も登場します。ムーア監督は、11月6日の中間選挙をどう予想しますか。

まだ分からないが、女性や若者が多く投票して津波のような効果をもたらすかもしれない。

そして共和党を負かすかもしれない。

ムーア監督。立ち上がった若者たちとともに。

逆に、多くの人がトランプ大統領への惨敗を痛感し、とくに(性的暴行疑惑も浮上した保守派の)ブレット・カバナー氏が最高裁判判事に選ばれてたことにあまりに落ち込んで、投票にもいかないかもしれない。

……..


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死を描くことは生を描くこと。映画『ガンジスに還る』監督インタビュー

主演のアディル・ フセイン(左)とラリット・ベヘル(右)

 死の迎え方について考えたことはあるだろうか。死に方ではなく死の迎え方について。

 非ボリウッドのインド映画『ガンジスに還る』が10月27日から公開される。

 ある日、不思議な夢を見て死期を悟った老人、ダヤはガンジス河の畔にある聖地バラナシに行くと家族に告げる。1人で行かせるわけにもいかず、仕事が忙しい息子のラジーヴはしぶしぶ付き添うことにする。

 バラナシには良き死を求める人々が集う「解脱の家」という場所があり、親子はその家にたどり着き父の死が訪れるまで滞在することになる。日々の仕事に追われ心が埋没していたラジーヴだったが、父との交流と雄大なガンジスと街の人々に心をほぐされていく。

 ヒンドゥー教独特の死生観を、普遍的な親子の絆の再生の物語とつなぎ合わせた本作を監督したのは、弱冠27歳のシュバシシュ・ブティヤニ。生と死への深い洞察をユーモアも交えて気品高く描き出している。

 ブティヤニ監督に本作の製作経緯や自身の死生観について聞いた。

 

バラナシには死の一大産業がある

シュバシシュ・ブティアニ監督

――この映画の舞台の街、バラナシに興味を抱いたきっかけは何だったのですか。

シュバシシュ・ブティアニ監督(以下ブティアニ):自分が知らない土地に行ってみようと旅をしていた時期があって、道中バラナシには死を迎える人のためのホテルがあると聞いて行ってみたんです。そこで魅力的な話をたくさん聞くことができて映画にしようと思ったんです。

 

――映画に出てくるようなホテルが、あの街にはたくさんあるのですか。

ブティアニ:はい。バラナシで死を迎えると救済されるという考えがまずあって、ああいったホテルが作られるようになりました。インド中からたくさんの人があの地を訪れ最期を迎えるんです。ホテルごとにルールも違っていて、例えば映画にもあるように15日間しか滞在できないところもあれば、部屋を好きなようにアレンジできるホテルもあります。それから木の下に集まって集会を開くホテルとか、それぞれいろんな特色があるんです。映画では、私が見てきたいろいろなホテルの特色をくっつけて自分なりのホテルを作ってみました。

映画の中のガンジス河

――なるほど。ではあの街で死を迎えるホテルは割と大きな産業になっているのでしょうか。

ブティアニ:バラナシでは、死は一大産業と言っていいでしょう。バラナシで死を迎えるのは一種のステータスになっています。ホテルに泊まらないにしても、バラナシで葬儀をする人たちも大勢います。葬儀にもいろんな準備が必要ですから、そうした一切が全て揃った街なんです。あの街のそういう面を取り上げても一本の映画ができるでしょうね。

ホテル業よりも葬儀の方が大きなビジネスになっているようで、ホテルに関してはあまり利益追求の姿勢は見られなかったですね。中には光熱費しか請求しないホテルもあるくらいですし、企業がサポートしているホテルもありますね。

 

――映画はホテルのことだけでなく、観光的な側面も描いていますね。

ブティアニ:死のプロセスと関わりの薄いシーンなのでカットすることも考えましたが、主人公たちはあの街に初めて来たのだし、だったらツーリズム的な行動もするだろうと思ってそういうシーンも入れることにしました。宗教ツーリズムとして有名な街ですし、美しい景色もたくさん見せられるし、それらもあの街の大事な側面ですしね。祭りのシーンは、撮影のために祭りを再現する予算はありませんでしたから、本物の祭りを撮影しています。

 

この映画を作るまで死について何も知らなかった

親と子の世代間の意識の違いも映画の重要なポイント

――監督はまだ20代とお若いですが、なぜ死を迎えるプロセスに惹かれたのでしょうか。

ブティアニ:まず、私は自分を若いと思っていませんが(笑)、私自身はこの映画を作る前は死について何も知らないんだということに気が付きました。

 この映画は、死への準備を描いたものですが、これはヒンドゥー教の死生観に基づいています。親しい人の死に直面する時、人はどうするのか、死を描くことは反対に生を描くことにもつながると思っています。そうした死への準備を通じた生の姿を、役者たちに言葉で語らせるのではなく、実際に生きてもらうことで描こうと思いました。

死期の近い父ダヤを演じるラリット・ベヘル

――この映画は死の問題の他、世代問題も描いていると思います。主人公の父親はバラナシで死を迎えることにこだわりがありますが、主人公はその重要性に最初のうちは今ひとつピンときていません。監督ぐらいの世代ではああいった死生観はどの程度共有されているものなのでしょうか。

ブティアニ:私の世代はまだそこまで死について考えていませんね。おそらく60代くらいになればバラナシに行くのかどうか考え始めるのではと思います。意見は多様なので、世代を代表する考えを挙げるのは難しいですが、あるレポートによればバラナシで最期を迎えたいと考える人は減少傾向にはあるようです。

 

――この映画を作り終えて、監督自身はどうお考えですか、バラナシで最期を迎えようという気持ちになりましたか。

ブティアニ:とても美しい街ですが、1人で行きたいかと言われるとわからないですね。私にはまだ子どもがいませんが、子どもを持てたら、その子に連れて行ってほしいと思います。


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俳優キーラ・ナイトレイが、娘に映画「シンデレラ」と「人魚姫」を見せない理由

アメリカ俳優のキーラ・ナイトレイさんは、娘が見る映画作品について、一定の基準を定めているという。

ナイトレイさんには、夫でミュージシャンのジェイムズ・ライトンさんとの間に授かった3歳の娘がいる。

彼女は10月、アメリカの人気トーク番組「エレンの部屋」に出演した際に、娘が「シンデレラ」と「人魚姫」を見るのを許可していないと明かした。

「シンデレラは、禁止しています」とナイトレイさんは話した。「なぜなら、あなたも知っているように、シンデレラは、お金持ちの青年が助けに来てくれることを待っています。そうではありません。自分を救うんです。当たり前です」

彼女は続けた。「作品は本当に好きなので、とても悩ましいですが『人魚姫』も。歌は素晴らしいですが、男性のために自分の声を失わないでください」

それでも、ナイトレイさんは、「人魚姫」が選んだ決断はとても厳しいものだと認めた。

「私は『人魚姫』を愛しています。だからちょっと複雑ですが、私は娘に見せないようにしています」と付け加えた。

家ではどの映画が許可されているのかというと、ナイトレイさんは、娘は(アニメの)「ファインディング・ドリー」や「モアナと伝説の海 」が好きだと語った。

キーラ・ナイトレイさんと彼女の夫、ジェイムズ・ライトンさん

たくさん作品を見ている娘のエディも、大好きなアニメ「ペッパピッグ」シリーズから、将来のキャリアの影響を受けているという。

「エディは歯科医になりたいといっていました。私は、彼女がそれが安定した仕事だとわかっていると思うので、とてもうれしかったですね」

「歯科医のエピソードがあったから、彼女は歯科医になりたいと思ったんです」とナイトレイさんは語った。

最近、またエディの目標は変わったようだ。

「今、彼女はライオンになりたいと思っていて、少し問題があると思っています」と、ナイトレイさんは話した。「でも、彼女はとても上手にほえているんです」

※この記事は、ハフポストUS版の記事から翻訳・編集しました。


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「失敗しない男」が堕ちていく。木村拓哉が『検察側の罪人』でその姿をみせた意味

木村拓哉と二宮和也主演の映画、『検察側の罪人』が公開中だ。45歳の木村は、同作で”失敗知らず”のエリート検事・最上毅を演じた。

そのキャラクターは、2001年に大ヒットしたドラマ『HERO』の久利生公平検事とは”真逆”だった。最上は己の正義を盾に「物語」を作り、暴走していく。映画ではその痛々しさもありありと描かれた。

平成を代表するスター、木村拓哉がこの役柄を見事に演じきったことには、大きな意味がある。久利生公平と最上毅。木村が演じたこの2人を比べながら、その理由を解説する。

親しみやすく、愛された『HERO』の久利生公平

「木村拓哉と検事」と言えば、2001年にスタートしたドラマ『HERO』の久利生公平のイメージが大きい。常識にとらわれず、正義に従って真っ直ぐに生きる久利生のキャラは、多くの視聴者から愛された。

検事は通常、捜査の権限があっても、デスクワークがほとんどだという。『HERO』はそんな検事のイメージを覆し、自ら現場に出向き、警察のように捜査をする若手検事の姿を描いた。

また、久利生が高校中退で、青森の地検から東京地検城西支部にやってきたこと。ファッションも、スーツではなく「Tシャツにジーンズにダウンジャケット」というラフな出で立ちだったこと。これも、お堅い検事のイメージを打ち破った。

「検事=いじめる人、弁護士=守る人。これがあたしたちのイメージだもん」

『HERO』の中には、同僚の検事が言うこんなセリフがあるが、久利生は決して「いじめる」人ではなかった。その姿が視聴者の共感を生んだのだろう。

検事という”怖そう”な仕事をしている人たちの中にも、血の通った久利生のような人がいる。その人間的魅力を描くだけで、当時は十分に新鮮であった。

『検察側の罪人』の最上毅は、久利生と真逆だった

そんな『HERO』が誕生してから17年。木村拓哉は『検察側の罪人』で、再び検事を演じた。

それは、木村拓哉以外であっても、生半可な気持ちでできることではないだろう。前作のイメージを払拭し、まったく別の検事像を見せなくてはいけないからだ。そしてそれは間違いなく成功したと言える。45歳の、そして芸能界で常にスターであり続けた木村拓哉の新境地を見せてくれた。

『HERO』の久利生公平検事と『検察側の罪人』の最上毅検事は、真逆であった。

最上は凶悪事件を担当する刑事部の本部係の人間で、初動捜査からかかわることが当たり前である。そして普段から高級感の漂うスーツを着ている。登場シーンからして、新人検事に対して威圧感たっぷりに検事としての正義感を問う。

久利生は、通販番組に夢中で、テレビショッピングで何かを見つけては、執務室に商品を送ってもらっていた。対して最上は、ガベルという木でできた小槌をコレクションしている。海外の法廷もので裁判官が持っているのを見た人もいるのではないだろうか。

ガベル

このガベルを集めるという行為に、最上のフェティシズム(物神崇拝)も見えて、何か不穏な感覚をこちらに感じさせた。

ガベルは正義の象徴でもある。それをコレクションするということは、正義を手中にしたいという欲望にも思えるし、もっと強い執着のようなものも見える気がするのだ。

こうした最上の姿は、久利生とは極めて対照的だ。『HERO』の時に見せた親しみやすさはすっかり消え、『検察側の罪人』では、むしろ木村は「権力」を行使することに対して疑いを持たない人物になっていた。

まっすぐな「正義」と「身近なキャラ」は、もう新鮮ではない

昨今、検事が出てくるフィクションには、『99.9 -刑事専門弁護士-』(TBS系)や、『アンナチュラル』(TBS系)などがあった。

特徴的なのは、弁護士や法医学者が主人公のこれらの話では、法律がいかに守られているか、三権分立は成り立っているのか、というのも重要なテーマだったことだ。

検事という職業は、まさに「検事=いじめる人」にはなっていないか?こう疑う視線が描かれるようになったのだ。

『99.9』では、検事だけではなく、裁判官にもその視線は向けられた。『アンナチュラル』には、「白いものも黒くする』という異名をとる検事が登場した。

自分の「物語」で事件を見たてて、その「物語」に従って捜査を進めてしまう。白いものも黒くしてしまう。これがいかに暴力的であるかを描くことは、昨今のフィクションを見ていると、重要なことであると感じる。

しかも、刑事事件の有罪率が99.9%と言われる日本では、「白いものを黒く」することが、もしかして必然なのではないか?フィクション作品が、このような疑問と真正面に向き合うようになったとも言える。そして、『検察側の罪人』もその流れに沿っている。

2018年のフィクションは、久利生のように検事の身近なキャラクターとまっすぐな正義感を描けば新鮮に見える時代を過ぎ、現実社会とリンクした形で、正義とは、三権分立とは何かを問うくらいでないと、人々の心をとらえることはできないのかもしれない。

『検察側の罪人』で、木村拓哉は”ゆがんでいく”

『HERO』の久利生は、不正を許さず、社会的弱者に寄り添う優しさがあった。一方で、『検察側の罪人』の最上は、”正義”という盾を武器に己を転落させていく。この違いも特筆すべき点だ。

最上は、確かに「正義感」によって動く人物だ。

しかし、自らの正義感と執念から、過去に時効を迎えた未解決事件の重要参考人を裁こうと”暴走”していく。自分の正義を貫くために、ありもしない「物語」を作ってしまうのだ。

駆け出しの検事・沖野(二宮和也)は、初めは最上を尊敬していたが、次第に疑いを持つようになっていく。

自分の信念のためなら、「物語」をゆがめてもいい。この境地に彼を至らせたのは何なのだろうか。もちろん、検事を始めた頃には、そんな自分になりたいとは考えていなかったはずだ。

しかし、検事として「力」を手中にした感覚の中で毎日を過ごすうちに、ある部分では正義感に従って生きているのに、ある部分では、その自分だけの正義に溺れるようにもなったのではないか。

日本では使われることのない、つまり効力をなさないガベルを執務室にいくつも置いている最上を見て、妙にぞくっとする感覚を持った。

それは、ガベルという法の象徴を集めることと、自分こそが法の番人であると信じて疑わない万能感が重なって見えたからだったのだと、映画を見終わってから理解できた。

40代の木村拓哉と西島秀俊が演じた”失敗しない男”

『検察側の罪人』の公開と同じ時期に、NHKのスペシャルドラマとして『満願』という作品が三夜連続で放送された。

第一夜の西島秀俊主演の「万灯」も、40代後半の男性、しかも失敗の経験のない男性の慢心による、ある種の転落が描かれていた。

西島秀俊

西島演じる商社マンの伊丹は、資源開発の仕事を任され、活路を海外に求めて旅立つ。天然ガスの権利を得る交渉をするためだ。しかし、現地の人々は、この資源を海外に手渡すことを快く思っていない。そのうち、フランスの企業もガス開発に着手しようとしていることもわかる。

結局、伊丹も、「会社のために動く」ということが自分の使命であり、自分のアイデンティティが会社と同化していく中で慢心する。そして、大きな波に飲み込まれることとなる。部下に「自信過剰は寿命を縮めるぞ」とアドバイスしていたにも関わらずだ。

最上と伊丹は、組織の中で懸命に働く中で実績を出し、地位を得、自分の仕事に誇りを持ちすぎているという点が共通している。しかし、2人ともそのことで、無意識のうちに自分の信念に基づく行動は正しいと過信しすぎている。

その結果、木村拓哉演じる最上も、西島秀俊演じる伊丹も、本当に偶然ではあるが、己の信じる道が最も正しいという慢心から、夜中にシャベルを持ち、山奥の地面を掘り起こすこととなる。

ネタバレを避けるため、詳しくは書かないが、”己の信念”というものが、人を一番惑わせるものなのかもしれないと思わせるのである。

「力」を過信した人間の呪縛を解き放つには?

こうした二つの物語がリンクしているということは、キャリアを積み、この不況の世の中で負け知らずの仕事人間の男性は、自分を過信しやすいばかりに、とんでもない運命に巻き込まれることがあるということなのだろうか。

これを、「男らしさの呪縛」というと、安易すぎるように思う。しかし、仕事の上での業績により、とんでもない「力」を得たと勘違いした人間の呪縛の物語と考えると納得がいく。

『満願』の伊丹は、これが因果応報か…と思わせる結末を迎えるが、『検察側の罪人』の最上検事は、ある「新しき世界」の入り口に立つ。

それは決して観客をスッキリとはさせないものだった。しかし、『HERO』を観た後とはまったく異なる性質の問いかけを残してくれた。

2001年、Tシャツにジーンズ姿の久利生公平を颯爽と演じた木村拓哉は、2018年に地位も名誉もあるスーツ姿の最上毅を冷徹に演じきった。

裁かれる人の立場に立って職務を全うした久利生公平。内なる正義を守り抜こうとするばかりに人生の歯車を狂わせた最上毅。

同じ検事でも、その正義と力のありようは大きく違う。

何が真実かわからないことの多い平成の終わりに、最上が誕生したのは必然だったのかもしれない。

(執筆:西森路代、編集:生田綾、笹川かおり)

『検察側の罪人』

8月24日(金)全国東宝系にて大ヒット公開中

監督・脚本:原田眞人
原作:雫井脩介「検察側の罪人」(文春文庫刊)
キャスト:木村拓哉   二宮和也
吉高由里子 平岳大 大倉孝二 八嶋智人 音尾琢真 大場泰正 
谷田歩 酒向芳 矢島健一 キムラ緑子 芦名星 山崎紘菜 ・ 松重豊 / 山﨑努

公式HP:http://kensatsugawa-movie.jp


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35歳のサラリーマンが、夢のプロ棋士になった。愛と憎しみが生んだ「将棋界の奇跡」

今から13年前、将棋界でひとつの「奇跡」が起こった。

35歳のサラリーマンがプロ棋士の編入試験に挑戦し、合格を果たした。

サラリーマンの名は、瀬川晶司。かつてプロ棋士養成機関「奨励会」に所属し、プロまであと一歩と迫りながら年齢制限の壁に阻まれ、夢破れた男だった。

2018年のいま、瀬川は「五段」として日々の対局に臨み、好きなことを仕事にできる喜びを謳歌する。一方で、やむなく奨励会を退会した頃は、「将棋への憎しみ」も抱いていたと吐露する。

「将棋界の奇跡」の裏に、なにがあったのか。半生を描いた自伝『泣き虫しょったんの奇跡』の映画化に合わせて、瀬川五段に話を聞いた。

「命の削り合い」それが、奨励会

瀬川は1970年、横浜市生まれ。中学3年で「奨励会」に入会した。

奨励会とは、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関だ。関東と関西にあり、小学生から20代半ばの会員たちがプロ入りを目指して対局に臨む。

奨励会とはどんな場所なのか。瀬川は「好きなことで生きていく厳しさを知る場所」と語る。

「まず、入会試験に合格すること自体がとても難しいです。僕の頃は、合格率が2割ほどの狭き門でした。各都道府県でトップレベルの子どもたちが試験を受けて、それでも8割は落とされる。とても厳しい世界です」

「仲の良かった仲間たちが、どんどん去っていくのを目の当たりにする。将棋の厳しさとも向き合わなければならない。それが奨励会だと思います」

たとえ入会を果たしても、その後の道のりは険しい。月2回の例会で指される対局の成績次第で、級や段位の昇級・降級が決まる。

「(奨励会に入る人たちは)子どもの頃から将棋が大好きで、その延長線上にプロへの道があると思う。でも、途中で”好きなだけではやっていけないな”と悟ると思います」

「将棋界で最も厳しい場所」「命の削り合い」。それが、奨励会だ。

それでも瀬川は21歳で、最終関門の「三段リーグ」まで進んだ。プロ入りとなる「四段」まで、あと一歩と迫った。

年2回開かれる三段リーグは熾烈な争いで知られる。今年9月までの「第63回リーグ」には38人が参加。四段に昇段できるのは上位2人だ。

「魔物が棲む」と言われる三段リーグについて、瀬川は「独特の空気があった」と振り返る。

「もちろん、みんなが努力しているし、努力した人にしか結果はついてこない。ただ、努力をしたからといって、結果が”必ず”ついてくるとは限らない。そこが厳しいところです」

立ちはだかる年齢制限の壁

奨励会の過酷さに拍車をかけるのが、年齢制限だ。26歳までに四段になれなければ、強制的に退会させられる。

そのプレッシャーについて、瀬川はこう語る。

「同じ将棋を指すのでも、迷いが出たりして、”この勝負に負けたらどうしよう”とか、今まであまり考えなかったマイナスのイメージがどんどんついてくる」

「”負けたくない”という思いが、強くなりすぎてしまう。勝ちに行く手より、負けにくいような手を選んでしまったり。結局、踏み込みが悪くなるわけです」

1995年、26歳になった瀬川。

この年の三段リーグに負け越して、やむなく退会が決まった。

「自分は棋士になれるはずだと思っていました。だから、もしなれなかったら…。大学も行かずに、ずっと将棋だけやってきた、何もない人間なわけです」

「”そんなことが起きるわけがない” “そんな悲惨な目に遭うわけがない”という、よく分からない根拠がありました」

「ただ、最後のリーグ戦のときは、棋士になれない現実を考えるのが怖くて。棋士になれるんだと、無理やり思っていたところもあったと思います」

青春のすべてを賭けた、11年余りの奨励会での日々。その終わりが決まった対局は、「あっさり負けたような気がする」と、瀬川は語る。

対局を終え、東京・千駄ケ谷の将棋会館を後にした瀬川は、街をさまよった。

「当時、一人暮らしをしていた中野の街をぐるぐる歩いていました。生きていてもしょうがないなと、ふっと思った瞬間もありましたね」

「いっそ、車道に飛び出して…と。でも、親や兄弟の顔が浮かんで。思いとどまることができました」

夜間大学とアルバイトの日々

奨励会を辞めた後は、「しばらくは、今で言うニートみたいな感じだった」と、瀬川は語る。

「何もやる気が起きなくて。ただ、なにか新しい目標をつくらなきゃいけない。それで、ふと弁護士になろうと思ったんです」

「昔たまたま読んだ高木彬光さんの推理小説に、弁護士が主役の作品があったんです。それが好きで、司法試験を目指してみようと。大学の法学部に入りました。ほぼ思いつきでしたが(笑)」

通ったのは夜間の大学。朝から昼までは、イトーヨーカドーで品出しのアルバイトに勤しんだ。授業は夕方からはじまって、帰宅するのは10時ごろ。

「学費ぐらいは稼がないと」と始めたアルバイトは、瀬川にとってはじめての体験だった。

「将棋以外をやったことがなかったので、刺激的な経験でした。アルバイト先では友達もできた。大学には若い人もいれば、年上の方もいて、いろいろな交流をしているうちに、なんとかやっていけるかなと思いました」

大学生活を送るうちに、弁護士になろうという気持ちは薄れていった。

その代わりに湧き上がってきたのが、かつて全てを賭けた「将棋」への思いだった。

「大学に入った頃は、将棋なんてやるんじゃなかったという想いがありました。でも、大学生活で色々な方と接しているうちに、将棋を恨むのはお門違いだなと思うようになりました」

「結局は、自分の力が足りなかっただけ。そう考えたら、また将棋が指したくなった。大学3年ごろから、また駒を触りはじめて、アマチュアの大会に出るようになりました」

年齢制限に怯え、消極的になっていた奨励会時代の姿はなかった。この頃の瀬川は、伸び伸びとした将棋が指せるようになっていた。

「アマチュアに戻ったら、積極的に勝ちに行く手を指せるようになった。やっぱり楽しかったですね。昔、子どもの頃に感じていた”楽しい”という気持ちを思い出しました」

プロ編入試験の嘆願書

プロ入り試験実施を発表する日本将棋連盟の米長邦雄会長(右)と、受験を喜ぶ瀬川晶司さん(東京・渋谷区の日本将棋連盟)撮影日:2005年05月26日

大学卒業後は、NECの関連会社に就職。システムエンジニアとして会社員生活を送った。その一方で、2000年からアマチュア枠でプロ公式戦に出場。戦績は17勝6敗。勝率73%の好成績をマークした。

「もう一度プロの世界に挑戦したい」。2005年2月、瀬川は日本将棋連盟に嘆願書を提出した。

これは棋士の間で大きな議論を呼んだ。

たしかに、これほど強いアマチュアは過去に類を見なかった。2005年にはA級棋士の久保利明八段(当時)を撃破。「プロキラー」として知られる存在だった。

ただ、前回のプロ編入試験は60年前。「奨励会を通過していない人はプロになるべきではない」など、反対意見は根強かった。改革の必要性を説いて「裏切り者」と言われた棋士もいたという。

一方で、「年齢に関係なく何らかの道があった方がいい」と、瀬川の挑戦を後押しする人もいた。誰であろう、羽生善治だった。

将棋連盟の台所事情も、瀬川の追い風となった。当時の将棋連盟は公式棋戦の打ち切りや免状収入の減少、機関誌『将棋世界』の部数減などもあり、赤字に悩んでいた。

改革機運の高まりもあって、将棋連盟はプロ編入試験の実施を決定。合格条件は「棋士、奨励会員、女流棋士らとの六番勝負で3勝以上」というものだった。

プロ編入試験6番勝負の第5局が行われ、高野秀行5段(33)を破り、合格の条件とされた3勝目をあげてプロ入りを決め、笑顔を見せる将棋アマチュア棋士の会社員、瀬川晶司さん(35歳)(東京・千駄ケ谷の将棋会館) 撮影日:2005年11月06日

2005年11月6日、2勝2敗でむかえた六番勝負の第5局。瀬川は高野秀行五段(当時)を104手で破った。

「最後まで勝ちかどうかわからなかった。本当に勝てて嬉しい」

フラッシュに包まれ、興奮した様子の瀬川は、言葉に詰まりながら喜びを語ったと、当時の新聞は伝えた。

こうして、 一度は夢を絶たれた35歳のサラリーマンは、プロ棋士になる夢を叶えた。故・花村元司さん以来、61年ぶりのことだった。

プロは「負け方」を見られている

瀬川のプロ入りを機に、将棋連盟はプロ編入試験を制度化。2014年にはアマ強豪だった今泉健司四段が、瀬川の後に続いた。

「好きなことを仕事にできるのは、とても幸せなこと。やっぱり、将棋で暮らしていくのは、本当に幸運だなと思います」

一方で、アマ時代とは違って、瀬川はあることを意識するようになった。それは「負け方」だ。

「アマチュア時代は、プロに勝った将棋ばかりが注目を浴び、褒めてもらえました。でも、プロだと勝った将棋ではなく、負けた将棋が注目されます」

「だから、決して”負けたらどうでもいい”となってはいけない。悪いときほどよく見られているのがプロだと思います」

瀬川が目指す、これからの将棋人生は

いま、将棋界は空前のブームに沸いている。

羽生竜王の「永世七冠」達成、藤井七段の連勝劇は記憶に新しい。加えて、八大タイトルを8人が分け合う「戦国時代」となった。高見泰地叡王、菅井竜也王位、豊島将之棋聖は、いずれも20代だ。

若手の台頭について、瀬川はこう語る。

「やっぱり藤井七段の出現に刺激を受けていると思います。 藤井七段にバッと抜かれちゃうという危機感で、頑張らなきゃというのがあるのだと思います」

対して、瀬川はいま48歳。これからの将棋人生について、こんな展望をもっている。

「もちろん、これからも勝ちたい。ただ、いつも勝負のことだけを考えてればいい年齢ではなくなってきたかなと思っています」

「弟子の育成だったり、将棋をもっと普及するための方策だったり、そういうことも考えていく時期かなと。今回の映画『泣き虫しょったんの奇跡』(9月7日全国公開)で、将棋を知らない人にも興味を持ってもらえれば、すごく嬉しいです」

将棋に「奇跡」はあるのか? その答えは…

最後に、こんなことを聞いてみた。将棋に「奇跡」はあるのか、と。

瀬川は優しい笑みを浮かべつつ、こう言った。

「将棋に偶然の要素はありません。ただ、わずかに運の要素はあると思います」

どういうことなのか。瀬川はこう説明する。

「将棋には指運(ゆびうん)という言葉があります。お互いの持ち時間がなくなった”1分将棋”の最終局面。 朝から晩まで将棋を指して疲れ切っている中、次の選択肢が2択になることがあるんです」

「たいがい、片方の手が勝ちで、もう片方が負けです。残り1秒、最後は感覚で指すことになる。そんな時に選んだ手で勝ったら、”指運がよかった”と言います」

力の拮抗した者同士が極限になったときは、そういった「指運」で勝負が喫することもあるという。ただ、それも積み重ねがあってこそだ。

「私自身、プロ編入試験に合格できたのは奇跡だとは思いません。ただ、長く閉ざされていた道が拓かれたのは、周りの人たちが応援してくれたからです。これは奇跡でした」

「プロの棋士になりたいという夢を持ち続けたことが、今の道に繋がりました。夢を持って、諦めずに挑戦し続けること。それが、奇跡につながる道かもしれません」

瀬川晶司(せがわ・しょうじ)1970年、横浜市生まれ。中学3年で奨励会に入会。三段まで昇段するも、年齢制限で1996年に退会。2005年に61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格。2012年、五段昇段。NEC所属。

『泣き虫しょったんの奇跡』9月7日(金)全国ロードショー

<ストーリー>
史上初! 奨励会退会からのプロ編入という偉業を成し遂げた男の感動の実話。26歳。それはプロ棋士へのタイムリミット。小学生のころから将棋一筋で生きてきたしょったんこと瀬川晶司の夢は、年齢制限の壁にぶつかりあっけなく断たれた。将棋と縁を切りサラリーマンとして暮らしていたしょったんは、アマ名人になっていた親友の悠野ら周囲の人々に支えられ、将棋を再開することに。プロを目指すという重圧から解放され、その面白さ、楽しさを改めて痛感する。「やっぱり、プロになりたい―」。35歳、しょったんの人生を賭けた二度目の挑戦が始まる――。

監督・脚本:豊田利晃
原作:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社文庫刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作:「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会
制作プロダクション:ホリプロ/エフ・プロジェクト
特別協力:公益社団法人日本将棋連盟
配給・宣伝:東京テアトル


平成最後の夏。元コギャルを集めて『SUNNY 強い気持ち・強い愛』“同窓鑑賞会”をしてみた

ミニスカと、ラルフのカーデ。ハイビスカスのゴムで茶髪を上げて、ショッパーを斜めに担ぐ。足元はもちろんルーズソックス。

安室ちゃんとTKが「最強」で、放課後はカラオケかファミレスでバカ騒ぎ。

そんな青春時代を過ごしたアラフォー・アラサーたちを「懐かしさの波状攻撃」で号泣させる映画が、平成最後の夏に誕生した。

監督・大根仁。

『モテキ』や『バクマン。』など大ヒット作を生んだ邦画界のカリスマが次に挑んだのは、かつて”日本の原動力”だった女子高生たちの、”その後”の話。

作品には、こんな想いが込められている。

90年代のコギャルブームを牽引した女子たちも、今やアラフォー・アラサー世代。ママとして、ビジネスパーソンとして、そして”女性”として、様々に悩みを抱えて生きている。

篠原涼子演じる奈美も、家族の生活を支える専業主婦として平凡な日々に物足りなさを感じる毎日を過ごしていた。しかし、20年ぶりに再会した親友の芹香(セリカ)が末期ガンに侵されていると知り、日常は一変する。

芹香の最後の願いは、高校時代の仲良しグループ「サニー」のメンバーに再会すること。奈美はメンバー探しを始めるが、過去のある”事件”が尾を引き……。

芹香役の板谷由夏(左)と奈美役の篠原涼子(右)

今回ハフポスト日本版では、かつてコギャルだったアラフォー・アラサー女性に集合してもらい『SUNNY 強い気持ち・強い愛 ”同窓鑑賞会”』を実施。当時の流行と思い出を交えながら、映画の感想を語り合った。

大人になってからわかる。あれが”青春”だったって。

座談会に参加した服部さん(ライター:右)、篠田さん(編集者:右から2番目)、川口(ハフポスト日本版エディター:左から2番目)、川崎(ハフポスト日本版エディター:左)

川口:楽曲やプロップはもちろん、コギャル時代を演じた広瀬すずたちの見た目や雰囲気も、90年代がしっかり再現されていましたよね。

篠田:仲良しグループの空気感まで当時と同じでしたね。なんでも楽しくて、先生に怒られても笑ってて。将来のことを考えずに、毎日ただ夢中に過ごしていた頃を思い出しました。映画の冒頭でも「何があんなに楽しかったんだろう」って言ってたけど、その通り。

服部:あの頃、当事者たちは「これが青春なんだ」とは思ってなかった。でも、こうして映画として当時の世界観を振り返ってみると、私たちもすごくエネルギッシュに生きていたなって思いました。

「わたし」より「ウチら」。一人称はいつも「複数形」

川口:この映画を制作するにあたり、当時コギャルだった方々に小物を提供してもらったり、仕草や話し方の監修をしてもらったりしたそうです。ルーズソックスやミニスカ、ショッパーなど、様々なアイコンが登場していましたが、特に印象に残っているのは?

服部:私は、写真にグッときました。あの頃は写メとかもないから、みんな写真に『ポスカ』でいたずら書きしてたよね。「ずっとLOVE」とか、「ウチら最強」とか。「ひとり」とか「自分が」というよりも、仲間意識を表現する単語を多く使っていた気がする。一人称はいつも「ウチら」だった。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』パンフレットの一部。当時は写真に直接メッセージを書き込んでいた。

篠田:ルーズソックスもセーターも、今見てもかわいいよね。

あとすごいのは、こういうコギャル文化はどれも、東京の女子高生たちが作って発信していったカルチャーだったということ。ほかの流行に乗っかるわけでもなく、自分たちで「これがいい、かわいい」って判断して、自然発生的にスタイルができて、ムーブメントになっていた。

川崎:私は地方出身なので、広瀬すずが演じる奈美の心境に共感しました。コギャル文化に憧れるけれど、自分はなれないという、あの感じ。雑誌で見る世界とはほど遠いのだけど、精一杯ルーズソックスとか履いて、流行に近づこうとしていたな。当時、東京にはいなかったコギャル世代が観ても、きっと懐かしく感じるはず。

川口:ちなみに、劇中にも出てきた”ヒス”こと『ヒステリックグラマー』のあの黄色いショッパー、メルカリで出品されていたものを私も買いました(笑)

全員:ええ〜〜〜〜〜〜!?!?

HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)のショッパー。高校生にとっては高いからなかなかショッパーも持てず...使いまわしてました。ほかにも当時流行ったアイテムが多数登場し、懐かしさを感じられるのも見どころ。

結婚、子育て、仕事。状況は違っても、会えば一瞬で「あの頃に戻れる」

川崎:サニーのメンバーみたいに、どんなに仲が良くても、歳をとるとそれぞれにライフスタイルが変わって、昔みたいにしょっちゅう会ったりするのは難しくなるよね。

川口:SNSなどで近況は知りつつ、いざ会おう!となるとね。みんな忙しい時期や動きやすい時間帯が違って、合わせるのが少し億劫になったり。LINEのグループもあるけど、徐々に過疎っていったり(笑)

服部:でも、会えば楽しいし、奈美と芹香が20年ぶりに再会したときみたいに、一瞬であの頃に戻れるんだよね。

川口:そうなんですよ。まさにサニーのみんなと同じ。

服部:でも、こういう話を男性にしてみたら、「わからない」って言われました。男女差があるとは言い切れないけれど、女性同士の方が、時間を超えられやすいのかも。

篠田さんと服部さんも、映画に共感する世代。

篠田: 奈美が芹香と20年連絡を取っていなかったことを、奈美の旦那さんが「女の友情ってそんなもんだよな」みたいに言っちゃうのも同じだよね。逆説的というか、自分たちがわからないから、そう言っちゃう、みたいな。

奈美からしたら、たしかに疎遠ではあったけど、会えば昔と同じくらい仲良しだし、時間や距離は関係ないっていう話だよね。

服部:重要なのは「濃さ」だもんね。

平成最後の夏の終わりに、安室ちゃんが引退するということ

川口:本作『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を語る上で欠かせないのが、小室哲哉や安室奈美恵に代表される、90年代の大ヒットソングです。

シーンごとにテーマとなる楽曲を決めてから撮ったのでは?と思うほどマッチングしていて、ミュージックビデオを見ているみたいだった。

川崎:耳慣れた音楽が各シーンで象徴的に使われていて、イントロ流れ始めただけで泣けた(笑)どの楽曲が印象的だった?

服部:私はもちろん、安室ちゃん。現代を生きる篠原涼子と、90年代の広瀬すずが、曲を媒介にして心情がシンクロするシーンにかかっていた『SWEET 19 BLUES』が、最高。

川口:夕暮れバックの安室ちゃんは、反則だよね。泣かないわけない。

安室ちゃん引退まであと少し...。

服部:安室ちゃんは昔から大好きです。歌う姿も生き様もかっこよくて。いつの時代もトップランナーとして時代の先端を走ってきたヒーロー。気取っていないし、誰のことも見下さない。遠い存在なんだけど、親近感もあって。

篠田:当時の安室ちゃんは今でいうアイドルみたいなくくりだったけど、他のアイドル的な女性歌手とはやっぱり違っていた。ちょっと影があるっていうか、そこがすごく私たちには刺さってました。男ウケとか狙ってなかったし。

服部:等身大というか、本当に私たちの代弁者でした。心の中のモヤっとした部分を言ってくれている感じ。女子高生ながら、みんな言葉にできないフラストレーションみたいなものがあった気がする。

篠田:そうだね。みんな楽しそうに騒いで、はしゃいでいたんだけど、本当は色々考えたり、悩んだりもしていた。だから安室ちゃんに惹かれたのかもしれない。