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嵐・二宮和也さん、戸惑い隠せず 「僕らはいつまでも嵐です」

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人気アイドルグループ・嵐が1月27日、2020年いっぱいで活動休止することを公式ファンクラブサイトで発表した。活動休止についての二宮和也さんのコメントは以下の通り。

—-
最初に話を聞いた時は驚きました。
想像もしていなかったので。
ですが、それから何度も話し合いそれぞれの思いを尊重し、
今回休止をしようという形になりました。

嵐は5人で嵐です。

2020年の最後の最後まで嵐らしく過ごして行ける様、
これからも5人で頑張っていきます。

関係各位の皆様方、まだまだお世話になります!

そして、ファンの皆。

僕らはいつまでも嵐です。

2019年1月27日
二宮和也


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「HUGっと!プリキュア」最終回、出産シーン描かれ反響 シリーズ通して社会問題に切り込む

HUGっと!プリキュア 第49話予告 「輝く未来を抱きしめて」

「プリキュア」シリーズ15周年の節目を飾ったアニメ「HUGっと!プリキュア」が1月27日、最終回を迎えた。「育児」をテーマに据え、ジェンダーの問題に切り込む内容が反響を呼んだ同作だが、最終回では大人になった主人公・野乃はなのリアルな出産シーンが描かれ、視聴者を驚かせた。

リアルな出産シーン、話題に 帝王切開についても言及も

「HUGっと!プリキュア」では、過去にも出産シーンが描かれたことがある。

8月放送の第27話「先生のパパ修業!こんにちは、あかちゃん!」は、主人公・はなのクラスの担任が父親になるストーリーで、終盤に約3分間かけて妻の出産シーンを描いた。

この回は、出産を女性だけのものにせず、男性目線で描いたことでも反響を巻き起こした。

10月放送の第35話「命の輝き!さあやはお医者さん?」では、「帝王切開はつまずきじゃない。立派なお産よ」という産婦人科医のセリフも登場。放送後はこのセリフに「励まされた」などのコメントが寄せられ、話題を呼んだ。

あらゆる社会問題に切り込んだプリキュア

12月放送の42話では、シリーズ史上初となる「男の子のプリキュア」も誕生。

女児アニメながら、「女の子らしさ」や「男の子らしさ」などのジェンダーの壁、子育て、いじめなど、シリーズを通して日常に溢れるあらゆる社会問題に切り込んだ。

各話放送後、Twitterでは関連ワードがトレンド入りし、多くの人が感想を言い合った。「HUGっと!プリキュア」が伝えようとしたメッセージは、多くの視聴者に届いているはずだ。

シリーズ構成および脚本を手がけた坪田文さんは、自身のTwitterで、「楽しい思い出、勉強になった事がいっぱいある大切な作品です。辛い事も勿論ありましたが、皆さまの想いに感じ、そして励まされました。感謝です」とつづっている。


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「向上心」「自己責任」といった強者の論理に飲み込まれる前に…世界の構造に近づくための1冊

金曜日の夜。

仕事帰りに、神保町の書店まで一駅分歩く。

週末に読む本はどれにしようか。

店内を彷徨いながらただ書棚を眺める時間。

都内で会社員として働いていた頃は、大きなストレスはなかったものの、このままこの会社で働きつづけるのだろうか、これがやりたかったことなのだろうかという迷いを抱えていた。仕事に楽しさややりがいを見出していたし、人間関係も良好だった。けれど…。

いつから通うようになったのか、そのきっかけも思い出せない。

神保町にある東京堂書店は、ぼくにとって「本屋」の原体験だ。

見たこともない本が整然と並んでいた。静かな佇まいの本。それらを眺めていると、この世界のことなんてほとんど何も知らないんだなと思った。不思議と焦りはなく、何も知らないということの清々しささえ覚えた。

決断できなくても、期待に応えられなくても、受け容れてもらえる場所。

たくさんの世界、たくさんの価値観が並ぶ場所。

本屋は、大げさにいえばぼくにとって「救い」のような存在だった。

こういう場所のためになら、一生を捧げて働けるのではないか。

仰々しいので、人から尋ねられれば「趣味が高じて」と一言で済ませているけれど。

会社を辞め、青山ブックセンター本店で2年半働き、その後地元である茨城を中心に書店チェーンを展開するブックエースに転職した。現在TSUTAYAララガーデンつくばに配属されて5か月が経つ。

「本当はもっと売りたい本、教えてください」。

そう聞かれて真っ先に浮かんだ本がある。

オーウェン・ジョーンズ『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社)だ。

左派論客である著者が、イギリスの労働者階級がいかに蔑視され、貶められているのかを暴いたノンフィクション。「チャヴ」とは、労働者階級を指す蔑称で、そのイメージは「暴力、怠惰、十代での妊娠、人種差別、アルコール依存など」酷いものばかりだ。

サッチャリズム、ニュー・レイバーの政策によって破壊された一次産業とコミュニティ。政治家とメディアが結託して行う差別的なイメージ操作。「いまやわれわれはみな中流階級」であるという欺瞞…。

筆者はこう指摘する。

ニュー・レイバーの政治家たちは、労働者階級の子供の学業成績がふるわないことや、貧乏が世代から世代へと受け継がれていることの理由にも、たびたび「向上心の乏しさ」をあげた。

p.115

結局、メリトクラシーは、「頂点に立っている者はそれだけの価値があるから」とか、「底辺にいる者はたんに才能が足りず、その地位がふさわしいから」といった正当化に使われる。

p.122

メリトクラシーとは「能力主義」のことだ。聞こえはいいし、馴染みもある。民間企業で働く人の多くは「成果主義」という言葉に好意的であるはずだ。だが、ここでは社会問題をあくまで「個人」の問題にすり替えるための口実にされてしまっている。

BNP(極右政党のイギリス国民党/著者補足)は不平等を人種問題にすり替えて焦点を当て、多文化主義を悪用した。つまり、白人労働者階級を、迫害された民族的マイノリティと見なしてプロパガンダに用い、反人種差別的な外見を整えたのだ。

p.289

2000年代には、労働者階級を代表しているかのような体裁を整えた極右政党、イギリス国民党(BNP)が支持されるが、その実BNPの経済政策は労働者階級に資するわけではない。その上、労働者階級には「移民嫌悪」というレッテルまで貼られてしまう。

つまり、あらゆる側面で問題がすり替えられ、隠され、労働者階級が敵視されている。

富裕層による脱税という「何百億もの略奪」は見過ごされているのにだ。

自分の理解が表面的なものであったことに衝撃を受けた。

ブレグジットもニュースは見ていたものの、「右傾化」「移民嫌悪」の表れだと単純に考えていた。だが、根底には「雇用」という経済問題が横たわっている。ないものにされた「階級」は厳然としてそこにあるのだ。それを構造的に支える「エスタブリッシュメント」層とともに。「向上心」とか「自己責任」といった強者の論理が虚しく響く。

最後に著者は述べる。

新しい階級政治は、いまやイギリスだけの現象ではない。億万長者のビジネスエリートたちがグローバル化したのであれば、労働者階級の人々もあとに続かなければならない。

p.330

なかなか世界中の労働者と連携して闘うというイメージは持ちづらいが、問題は国家を超えて関係し合っている。オーウェン・ジョーンズがあぶり出した「弱者を敵視する社会」とその構造だって他人事ではないはずだ。

何が起きているのかを知ること。できることをひとつひとつ積み上げていくこと。

『チャヴ』を読むと、暗澹たる気持ちになると同時に、腹の底から力が湧いてくる。

この世界の真実は往々にして見ることができない。あるいは、巧妙に隠されてしまっている。本は、それらの「見えているはずなのに、見えなくなってしまっているものを、人の営みによって見えるようにするもの」だと思う。『チャヴ』を読んでそのことを体感いただけたら書店員冥利に尽きる。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

オーウェン・ジョーンズ『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社)

※咋年12月にはオーウェン・ジョーンズの最新刊『エスタブリッシュメント』(海と月社)も刊行。『チャヴ』とあわせて。

今週の「本屋さん」

益子陽介(ましこ・ようすけさん)さん

TSUTAYA LALAガーデンつくば(茨城県つくば市)

どんな本屋さん?

「TSUTAYA LALAガーデンつくば」は、ひたちなか市にあるコーヒー専門店「SAZA COFFEE」との県内初のコラボとなる、BOOK&カフェスタイルの書店です。お子様連れのファミリー層のお客さまが多いため、休日はお店の前にある広場で書店イベントなども開催。広い店内には「お店に置いていない本はないのでは!?」と思うほど、豊富なジャンルの書籍が並んでいます。

ファミリー層に特化したお店なので、児童書と教育書コーナーは広く、お子様が伸び伸びと遊びながら気になった絵本が読めます。

益子さんはビジネス書が大好きということで、「ビジネス書コーナーに革新を!」と思わず手に取ってしまうような素敵な棚づくりを日々実践中、見どころの1つです。

撮影:橋本莉奈(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)


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「いけふくろう」だけに? フクロウが蒼井翔太演じる少年に変身する「池袋PRアニメ」が完成

東京・池袋のシンボルといえばフクロウ。JR池袋駅の地下通路にある石像「いけふくろう」が、待ち合わせスポットとして親しまれている。1月17日、フクロウのキャラクターが登場する「池袋PRアニメ」がYouTubeなどで公開された。

この3分40秒のアニメを共同制作したのは、池袋に区役所を置く豊島区と株式会社アニメイト。毎日新聞によると、制作費約3000万円を折半し、約1年かけて完成させたという。

池袋にはアニメイト本店があるほか、サンシャインシティ周辺の通りには、女性向けのアニメやマンガなどを扱う店が立ち並び「乙女ロード」とも呼ばれている。世界中の女性アニメファンに向けて「アニメの聖地」として、池袋をアピールするのが狙いだ。

2020年夏に旧区庁舎跡地にオープンするHareza池袋などが舞台。街を飛ぶフクロウを少女が追いかけていると、蒼井翔太さんが声を演じる少年に、フクロウが変身するというものだ。「誰もが主役になれる街・池袋」がテーマとなっている。

動画を実際に作ったのは「魔法少女まどか☆マギカ」などを送り出したシャフトだ。「物語」シリーズに参加した高津幸央さんが監督を務め、「ガールズ&パンツァー」や「弱虫ペダル」で知られる吉田玲子さんが脚本を担当した。ふくろうの化身である美少年は、公募で選ばれた原案をもとに、「物語」シリーズの渡辺昭雄さんがデザインした。

ネット上では、「流石のシャフト。素晴らしい。池袋愛を感じました」「 しょーたんの透き通るような美声が綺麗」などと反響を呼んでいる。


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出版社系初の週刊誌誕生、『週刊新潮』は今日も発売中です【創刊号ブログ#8】

雑誌週刊誌の両雄として君臨する『週刊新潮』
「創刊号マニア」を自称しておきながらも、自身が生まれる前の雑誌はそうそう所持してはいない。そもそも生まれていないので購入することができないのだから致し方あるまい。

そんな中、ちょっとした自慢が『週刊新潮』の創刊号。

『週刊文春』と並ぶ出版社系週刊誌の両雄だけに、手にしたいと考えていたものの、そう簡単に転がり込んでは来ない。2016年2月22号『週刊新潮』は「創刊号完全復刻版」を付録としており、こちらを眺めては感心していた。

しかし昨年、私自身が同誌から取材を受け、ほんの一段のさらに半分程度とは言え顔写真付きで掲載されるという縁を頂いた。連絡を受けた担当編集者に「御誌の創刊号を探しています」とこぼしたものの、もちろん降って湧くわけもない…。そう思っていたら、それからひと月もしないうちに、さした値段でもなく古本で出回っているのを発見。即、入手した。縁とは不思議なものだ。

創刊号は1956年2月6日発売。「2月19日創刊号」。発行元はもちろん株式会社新潮社。定価は30円。出版社初の週刊誌。それまでは新聞社系週刊誌のみが市場に出回っていた。『週刊文春』の創刊は1959年を待つ。編集兼発行人は佐藤亮一。

佐藤は新潮社の創業者・佐藤義亮の孫。創刊当時は2代目社長、父・佐藤義夫に次ぎ、副社長を務めていた。のち67年に3代目の社長となり96年から会長職となる。新潮文庫の奥付に記されていた名前として記憶にある方も多いだろう。

創刊時から編集長は佐藤亮一だったが、同誌には斎藤十一という名物編集者がいた。氏は同誌を牛耳り、「週刊新潮の天皇」とも呼ばれた。出版業界では、後に写真週刊誌『FOCUS』を企画したことでもその名を知られている。

創刊の1956年2月と言えば、終戦から10年と6カ月。この年、日本は国連に加盟し国際社会に復帰。気象庁が発足、大阪、横浜、神戸、名古屋、京都が初の政令指定都市となり、通天閣が再建された。東京タワーも新幹線もまだない。戦後二十年という節目に生まれた私にとっても「前の時代」だ。

表紙のイラストは当然、谷内六郎。1981年に急逝するまで、牧歌的な作風のイラストは、俗物的な社会風刺をポリシーとする週刊誌にとって、一縷の良心のように思われた。「しゅうかんしんちょうはあすはつばいです」という子供の声を活かしたCMとともに、昭和の風物詩だ。

創刊号表紙には「上總の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」との一文が掲載されている。この一文は、のちの同誌の表紙にはない。「ROKU」のサインは健在。

表2の広告はモノクロ。上下に分かれ、上段が住友海上火災、下段が三共株式会社の「新感冒錠ルル錠」、50錠で220円とある。この季節、頻繁に目にする「ルル」のCMは、この時代から存在したわけだ。表3表4とも広告が上下二段に分かれているとは、現代の編集者にとってはちょっとした驚きだ。

表2の対面からモノクロ・グラビアが始まり、タイトルは「東京のサラリーマン」。髪は七三に黒コート、その多くはメガネを着用したサラリーマンが東京駅の階段を埋め尽くしている。撮影は井草幸司。サラリーマンはすでに昭和30年代から痛勤にもまれ搾取される対象だった…そう印象づけるような一葉だ。21世紀になっても、平成が終わっても、労働者の生活に変わりはない。

目次は9ページに差し込まれているが、申し訳なさそうに下四分の一段に押し込められている。上三段は「人と職業」と題し、国鉄が昭和二十五年から特急つばめに登用「列車給仕」ミス・ツバメの岡千恵さんを取材している。その右ページは岡さんが働く模様を切り取ったグラビアだ。目次は1ページまるまる使うものと思い込んでいたが、黎明期の週刊誌はそうではなかったわけだ。

目次は、表紙「上総の町」に続き「オー・マイ・パパに背くもの」と題し「父と子のモラル戦後版」を特集に持って来ている。その後に短いルポが7本並ぶが、その総称が「週間新潮欄」とされている。この「週間」は誤植なのか…と思い悩む。が、本文を読むと、そちらも「週間新潮欄」と題されているので、そうではないようだ。

週刊新潮創刊号のメインは同社お得意の小説。「三大連載小説」と題し「鴨東綺譚」谷崎潤一郎、「柳生武芸帳」五味康祐(示偏の旧字)、「おかしな奴」大佛次郎の三本があり、さらに「青い芽」石坂洋次郎、「目白三平の逃亡」中村武志と計5本もある。

晩年の谷崎が週刊誌に連載を持ったというのは、それだけで興味深い。しかも、本作のモデルとされた女性から物言いが付き、連載6回で打ち切り。谷崎の幻の作品のひとつとなっているという逸話まである。全集にも収められていないため、同誌創刊号復刻版は谷崎研究家にとっても貴重な機会だったと言う。

目次では「タウン」という括りで、のちの「ぴあ」のように映画や演劇などの情報も掲載。

なんと私が昨年、同誌に掲載された「掲示板」というコーナーは、創刊号にもある。創刊号から続く企画に掲載されるとは、なんと名誉な! しかもこのコーナーに登場する第一号は谷崎。さらに三島由紀夫、小林秀雄、湯川秀樹…と錚々たるメンバーが続く。いや、これは私もいずれ巨匠と呼ばれる日が来る…と夢を見てもよいかもしれん!

さらに広告を眺めよう。中綴じのセンターは、ヤマサ醤油の見開きカラー広告。犬吠埼のイラストが、どーん!と展開されている。その前後には「キヤノンカメラ株式会社」、「御木本真珠点」とカラーで1ページずつ展開されている。

モノクロの表3は、上段が株式会社宮入菌剤研究所の「ミヤリサン」という胃腸薬。現・ミヤリサン製薬。下段は木村製薬の殺鼠剤「デスモア」の広告。こちらは現・アース製薬だ。表4、つまり裏表紙はカラー。上段が「東芝のマツダラジオ」。マツダなのか東芝なのかはっきりして欲しい。しかも、このラジオの価格が19,900円。週刊誌の660倍余の値段。現在、同誌は420円ゆえ、同換算を施すと約28万円のラジオという価値になる。いやはや。

下段は小西六。のちに「コニカ」となり、現在のコニカミノルタになる。2万4300円の「写真機」広告だ。こうした時代考証が可能な印刷物は平成が終わり、ますます希少になって行くに違いない。

同誌の販売部数は約28万5000部(2016年9月ABC調べ)。出版界において山ほどの創刊と休刊が繰り返される中、60周年を過ぎ、なお編み続けられる週刊誌に感心するばかり。「おそらく」という注釈付きながら、世の中に雑誌が存在する限り、最後まで発行され続けられる一冊だろう。しかし、出版社の元社員としては、そんな時代がやって来ないことを切に願う。

余談だが私の就職活動中、第一志望は新潮社、続いて岩波書店…だったと記憶している。実は旺文社からも内定を頂いたが、お断りした。その理由のひとつは、神楽坂駅で降り、第一志望だった新潮社の前を通過し、その奥にある旺文社まで毎日、通勤したくなかったから。旺文社には、この場を借り今一度謝っておきたい。新潮社が第一志望となるに至った雑誌の創刊号を次回、取り上げる。


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中国にもある地方問題と教育―『はじめての別れ』

(A First Farewell 第一次的离2018/中国)

―第31回東京国際映画祭「アジアの未来」部門作品賞受賞作

トランプ大統領の登場で、中国と米国の貿易摩擦が世界経済を揺るがしている。中国の経済成長も頭打ちとなっている。国全体としては人口13億人の大国であり、民族は漢民族が9割以上を占める。しかし、加えて55民族が中国国内の周辺に暮らしている。その”周辺”の様子が良く分かる作品である。

中国の地方を舞台にした本作は、この地域の”日常”が描かれている。美しい風景の中における子供たちが映像の中心。それもそのはず、地元出身の新人女性監督リナ・ワンが「故郷に捧げる詩」とした作品だからである。中国映画界では、最近、内モンゴル、チベットなど自治区出身の監督が次々に成長している。

中国の地方の乾燥した農村が舞台、主人公であるムスリム(イスラム教徒)の少年アイサは小学生で、聾唖でときどき家を抜け出して徘徊する母の面倒を見ながら、父親の農作業も手伝っている。アイサは仲の良い同級生の少女カリビヌールと一緒に遊びながら羊の世話をしている。一方、カリビヌールは”中国語”の成績が悪く、彼女の母親は中国語を習得しなければ将来がないと考えている。やがてアイサの母は養護施設に入ることになり、別れがやってくる。アイサにとってみればそれが初めてで、別れが続いてやってくる・・・。

その、風景は一時期の日本の地方のようにも思えた。農業では食べて行くのが難しくなり、都会への人口が移動始める。この作品の場合は、民族が違うので「言語」の壁もある。それは、戦前の日本が海外に移民していった歴史とダブル。しかし、現在の日本も同様で国際的な仕事において英語は必須となりつつある。

そもそも、現代の日本の地方の問題ともダブル。おカネだけばらまいてもダメで、企業・産業の育成こそ大事なである。その課題はアベノミクスでは地方銀行が担っている。金を貸すのではなくて、”人”を貸して、企業・産業を育成させようとしている。大変良い切り口ではないかと考えている。

筆者はよく海外出張する。この映画の舞台もアジアであるが、とくにアジア諸国で電車に乗ると、特に若者が必死に勉強する姿を見ることが多い。日本では若者も大人も、電車の中ではゲームをしたり、スマホをいじっていて、とても勉強しているようには見えない。それはあくまでも一面であるが、日本の国民の”やる気”や”能力”自体も低下が著しい。道徳観も低下し、犯罪も増えている。これではアジア諸国に追い抜かれるのも時間の問題である。言い方が難しいのであるが、前向きに勉強を継続する気持ちを持ち続けることが大事である。道徳や修身というか、自分で人生を切り開く気持ちを持たせることを教育することこそが必要ではないか。

 しかし、スタートアップと呼ばれるフィンテック新興企業に犯罪が多いのもまた残念なことである。これも”そもそも”のところが出来ていないからではないか。


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軍服だけで権力を手にした男の驚くべき実話。映画『ちいさな独裁者』監督インタビュー

映画『ちいさな独裁者』のワンシーン

少し皮肉を交えて言うと、2月8日から公開される映画「ちいさな独裁者」ほど、身だしなみの大切さを痛感させる作品はないかもしれない。

舞台は第二次大戦末期。若い脱走兵ヴィリー・ヘロルトは道端に打ち捨てられた車の中からナチス大尉の軍服を発見する。暖を取ろうとそれを着た矢先、別の脱走兵から本物の大尉と間違われ、彼を部下とする。これに味をしめたヘロルトは、次々と脱走兵を束ねて自分だけの部隊「ヘロルト親衛隊」を結成する。やがて、ヘロルトの部隊は政治犯や脱走兵を収容した施設に到達する。そこでヘロルトは強大な権力を行使し、恐るべき命令をくだす。

本作の物語は実話に基づいている。主人公のヴィリー・ヘロルトも実在の人物で、映画の中で描かれた恐るべき事件のほとんどは実際に起きた出来事だ。ただの脱走兵でしかない男が、軍服を身にまとうだけで権力を手に入れ、恐るべき暴君に変貌した。そして、彼のことを疑いもせず服従する者が何十人もいた。

日本版のメインビジュアルが見事だ。主演俳優の顔を大胆にカットし「主役は軍服」であることを強調している。

 

本作を観ると、人間という存在の不確かさに目眩がする。一体、普段自分が信じているものがなんなのか、すべては儚い幻想ではないのかと戦慄する。

本作の監督、ロベルト・シュヴェンケに本作について話を聞いた。

 

ヘロルトは特別な人間ではない

ロベルト・シュヴェンケ監督

 

——ヴィリー・ヘロルトという男は、大尉の軍服を着る前はどんな人物だったのでしょうか。後の残忍な行動につながる兆候などはあったのでしょうか。

ロベルト・シュヴェンケ監督(以下ロベルト):映画を作るにあたり、たくさんリサーチしましたが、戦前のヴィリー・ヘロルトにそうした兆候は見つけられませんでした。彼は戦争前は煙突掃除の見習いをしていました。19歳の時に徴兵されて、激戦区のモンテカッシーノにパラシュート舞台として配属されています。

彼はサディストでもなければ、イデオロギーに染まりきった人間というわけでもありません。ヒトラー・ユーゲントをクビになっていますし、ナチスに心酔しているわけでもないでしょう。どうやらカウボーイごっこをして遊んでいたらしく、それがナチスの思想にそぐわないということでクビになったらしいです。もしかしたら、彼にとってはすべてがそのようなごっこ遊びだったのかもしれませんね。

 

——映画を観てミルグラム実験を思い出しましたが、意識されましたか。

ロベルト:ミルグラム実験は、電気ショックを用いるなど実験方法に問題があるものですので参照していません。私が参考にしたのは、ナチス党員の日記や手紙です。

スタンフォード監獄実験やミルグラム実験よりも、ベトナムのソンミ虐殺の方が、この映画の状況に近いと思います。あの虐殺は必要のないものでしたが、あれに関わった誰か1人でも「ノー」と言えば止めることができたはずです。しかし、誰も「ノー」と言わなかった。関与した人間、それぞれに理由はあると思いますが、それは皆の選択の結果としてあのような虐殺が起きてしまいました。人間にはそうした獣のような本能があるのです。だから、誰でもそうした行為に加担してしまう可能性があるのです。

 

これは演技とは何かについての映画でもある

主演のマックス・フーバッヒャー。軍服を着ていない時は純朴な青年に見える。

 

——ヘロルトを演じたマックス・フーバッヒャーには、どのような演技の指示をしたのでしょうか。大尉を装う男を演じているというより、途中から大尉そのものを演じているような印象を受けました。

ロベルト:私にとって演技とはイリュージョンです。役者は2つの役を同時に演じることはできないものですが、変容していくさまを順番に演じていくことは可能です。ヘロルトは軍服を見つけた時から変わっていきますが、それは彼の中に、大尉としての新たな人格が生まれたということです。この映画は、その2つの人格がだんだんと重なり合っていく様子を見つめたものなのです。ですので、撮影はシーン順番どおりに行い、どのように彼自身が変わっていくのかを様子を見ながら進めていきました。また物語のどの時点がヘロルトがどのような状態であったかを明確に決めておき、俳優はそれに沿ってクリアに役作りできるようにしました。

軍服に身を包み不敵な笑みを浮かべるマックス・フーバッヒャー

 

——ナチスの軍服について質問です。改めて見ると大変クールなデザインです。このデザインそのものに人を狂わせる何かがあると監督は考えますか。

ロベルト:はい。ナチスの軍服はノーブルで権威を感じさせます。とても厳格で秩序のあるデザインだと思います。軍服のデザインをするというのはとても恐ろしいことだと思います。デザイナーも軍服のデザインひとつで人を変えてしまうことがあることを自覚してやっているのではないでしょうか。

映画『ちいさな独裁者』のワンシーン

 

——衣装と人格の関係という点について考えると、映画の撮影では衣装による人格の変化が日常茶飯事と言えないでしょうか。俳優は衣装を身につけると気持ちが入りやすいものだと思います。

ロベルト:おっしゃるとおりです。この映画は演技とは何かについての映画でもあります。私にとっては馴染み深い世界の話でもあるんです。俳優にもタイプがあるのですが、今回の作品で言えばヘロルト役のマックスは衣装によってその人物に入り込むタイプでしたが、アレクサンダー・フェーリングは着るものは関係ないといった感じでしたね。しかし、一般的には多くの俳優は衣装を役柄の理解の手がかりにするもので、衣装を見て「ああ、この役はこういうタイプなのか」と理解が進むことはよくあります。

映画『ちいさな独裁者』のワンシーン

 

権力という目に見えない幻想を人間はたやすく信じてしまう。しかし、そんな目に見えないものが存在するという前提で、人間の社会は営まれている。社会は確かにそうした幻想を必要としている。時に権力構造は秩序を作り出し、時には本作の物語のように混沌を生み出す。たったひとつの「服」を引き金にして。

筆者は、この映画を観て『カエアンの聖衣』というSF小説を思い出した。「服は人なり」という哲学で作れらたカエアン製の衣装は、着る人の外見だけでなく、内面や肉体面をも進化させる、というユニークな設定のSFなのだが、この映画を観ると、その荒唐無稽な哲学も俄然信憑性を帯びてくる。人格というものは、自分で思っているよりも、様々な外部環境に左右されるものなのではないだろうか。自分のすべてを自分でコントロールできると考えるのはうぬぼれなのだ。


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都内で発見された「バンクシーの絵」 過去に本人が映画などで紹介か

左が都内で見つかった絵。右は2010年にアメリカの週刊誌で取り上げられたバンクシー作品

覆面アーティスト「バンクシー」の作風によく似た絵が東京都港区で見つかった問題で、この絵が過去に本人が監督した映画などにも登場していたことが、ハフポスト日本版の調査で分かった。

■「バンクシーの作品ではないか」と都庁に情報提供

都内で見つかった「バンクシーの絵ではないか?」と話題になっている絵(拡大部分)

問題の絵は、20cm四方ほどの大きさ。バンクシー作品に頻出するネズミが、傘を差してカバンを持っている。新交通システム「ゆりかもめ」日の出駅(江東区)の近くにある、都所有の防潮扉に描かれていた。

都庁の文化振興部の担当者によると、2018年12月末に「バンクシーの作品ではないか」と都民から情報提供を受けて、騒ぎになるのを避けるために、防潮扉のパネルを撤去して、倉庫に保存した。今後は、バンクシーの作品かどうか鑑定作業を進めるという。

都内で見つかった「バンクシーの絵ではないか?」と話題になっている絵

バンクシーはイギリスのロンドンを中心に活動しているストリートアーティスト。素顔も本名も一切公開していない。2018年10月には、作品がオークションで落札された直後に、シュレッダーで自動的に裁断されたことで注目を集めていた。

 

■バンクシーの映画などに登場か

ネット上では2011年〜12年にも目撃報告があり、絵はこの頃にはすでに描かれていたものと考えられる。

バンクシーが監督して2010年に公開したドキュメンタリー映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」にも登場。iTunes Storeで配信している字幕版を確認したところ、23分39秒ごろに、バンクシーの活動を紹介するシーンで、今回発見されたものと見られるネズミの絵が映っている。

また、同年にアメリカの週刊誌「LA Weekly」の公式サイトに掲載されたバンクシーの記事では、この絵が「バンクシーのネズミ、東京 バンクシー提供」と写真が紹介されていた。

いずれも絵柄のほか、六角ビスの位置も酷似している。

LA Weeklyに「バンクシーのネズミ、東京、バンクシー提供」と紹介された作品

現在ハフポスト日本版では、バンクシー本人に「あなたの絵ですか」と、問い合わせ中だ。


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ハリウッドで障害者のストーリーが語られるのは嬉しい、でも俳優は健常者ばかりでうんざり。

イメージ写真

私は映画『The Upside』を見ていないし、今後見ることもないとないでしょう。1月11日に全米公開されたその映画は、『ブレイキング・バッド』のブライアン・クランストンが、元犯罪者を介護人として雇う四肢麻痺の億万長者、フィリップ役として主演しています。

今の所、映画の評価は月並みーでもそれが私が映画を見ない理由ではありません。私が障害を持つ女性として、健常者であるクランストンが障害者の役を演じている事に納得がいかないからです。

そう感じているのは私だけではありません。クランストンとこの映画は、Twitterで障害者コミュニティから大きな批判を受けています。それでも、クランストンは車椅子利用者のフィリップ役を演じる事を擁護しました。

ブライアン・クランストン

「俳優として、僕らは他の人になりきる事、演じる事を求められています」と彼は英国記者協会(British Press Association)に話しました。クランストンによると、様々な役は多様なバックグラウンドを持つ俳優によって演じられるのが理想とのこと。

しかし、これは見せ掛けを演じている、という問題だけではありません。障害は人種、性別、性的指向と同じくアイデンティティなのです。ハリウッドの白人化が間違っているのと同様に、障害者の物語から当事者を消し去ることは許されないのです。

“映画やTVドラマの中で、よく重要な役をたまたま障害を持っている俳優が演じる事は未だにとても稀です。”

もちろん、沢山の障害者の物語が映画で語られてきているのは嬉しい事です。映画『ブレス しあわせの呼吸』(2017年)で、私が使っている人工呼吸器の開発を手助けした、ポリオ感染者でありイギリスの障害者支持者、ロビン・カヴェンディッシュについて描かれていると知った時に私は歓喜し、存在を認められた気がしました。

しかし、その役をアンドリュー・ガーフィールドーまたもや障害を持たない俳優ーが演じると知って、心が沈みました。

映画『ワンダー 君は太陽』(2017)が特殊メイクで主演俳優を遺伝的な頭蓋顔面変形の10歳の男の子に仕立てて2018年アカデミー賞ののベスト・メイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされた時も同じように感じました。そしてその前は、『博士と彼女のセオリー』(2014年)でエディ・レッドメインがALSを発症した理論物理学者のスティーヴン・ホーキンス博士を演じてオスカーの主演男優賞を受賞。

そしてその前は、、、もう意図はお分かりでしょう。

クランストンは英国記者協会とのインタビューで、「障害のある俳優への機会不足」が生じているのを認めたが、それは障害のある俳優の中で役をもらう為に必要な「スターの地位」を確立している役者が少ないからだ、と反論しました。

では、そもそもどのやって「スターの地位」を確立すれば良いのでしょうか?ここで根本的な問題は、業界での障害のある俳優不足ではありません。それは、ハリウッドがまだ彼らをー当事者としての経験を演じるだけの才能と専門知識があるにも関わらずー、開拓可能な市場として認識していないからです。

有色人種やLGBTQの俳優は徐々にハリウッドで存在感を示してきています。それでも映画やTVの中で、よく展開された役柄をたまたま障害を持っている俳優が演じる事は未だにとても稀です。実際、障害を持つ人々がアメリカの人口の20%を占めていますが、TVドラマで障害のある役柄の95%は障害のない俳優によって演じられています。

クランストンは人気TVシリーズ『ブレイキング・バッド』のウォルター役でよく知られています。興味深い事に、この番組は私のお気に入り番組の一つであり、障害を持つキャラクターを実際に障害を持つ俳優が演じている数少ない番組でもあります。5シーズンの後2013年に好評のうち終了したこのこの犯罪ドラマでは、クランストンは高校の化学教師から麻薬の売人になった、脳性麻痺を持つ10代の息子を持つ父親役。(息子の障害はストーリーの中では小さな部分ですが)実際に脳性麻痺の障害を持つ俳優RJ・ミッテはクランストンの息子役で有名になりました。彼は妹の演技マネージャーに芝居を勧められ、「発掘」されました。

ハリウッドには、ミッテのように役をもらえるのを待っている俳優が無数にいます。昨年、全米キャスティング協会(Casting Society of America)によって初めて開催された「障害者の為のオープン・キャスティング・コール」には、1日だけで約900人の障害を持つ俳優がオーディションに参加しました。私は様々な役ー主役、助演、エキストラー全てでもっと障害のある俳優を見たいです。アクションスリラー、子供のアニメ、クリスマス映画でも見たい。そして業界人がもっと障害者に対して演技の道に進む事を勧めたら、、、どれだけの障害を持つ俳優をスクリーンで観る事ができるか想像してください。

障害を持つ人々は絶えず機会、スペース、プラットフォームの為に闘う事にうんざりしています。障害者の持つ才能がハリウッドで認められるまで、クランストンのような俳優は舞台を降り、マイクをその役を描写したくてたまらない当事者にあけ渡すべきです。

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。


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大坂なおみ選手の肌の色に違和感? テニプリコラボの日清「カップヌードル」CMで論争に

「新テニスの王子様」とコラボしたカップラーメンCM「いざ、グランドスラム編」より

テニス・全豪オープンで1月15日の初戦を圧勝した大坂なおみ選手。同じ日清食品所属の錦織圭選手と人気漫画「新テニスの王子様」とコラボした「カップヌードル」のCM動画が、ネットで話題となっている。

CMはテニプリの世界観に溶け込んだ2人が、グランドスラムを目指して修行する内容で、1月11日にSNSで公開された第一弾「修業編」では、豪華客船でくつろぐ2人やテニプリのキャラクやーの前に、三船入道コーチが空から登場。客船が潜水艦に変身し、特訓が始まる。

14日に公開されだ続編「いざ、グランドスラム編」では、2人がテニプリのキャラクターたちと対決。特訓で身につけたアニメならではの必殺技を習得する。どちらもSNSで公開されているものだが、夢の競演が好評だ。

ただ、このCMの大坂選手の肌の色に対し、「ホワイトウォッシュ(非白人を白人のように描くこと)ではないか」と違和感を指摘する声があがっている。

「肌の色をホワイトニングされてる」

「全然大坂なおみじゃない」

「ちょっと言葉を失う。これではまるで肌の色が黒いと何か問題があるようではないですか」

「ありのままで描けばいいのに」

(Twitterより抜粋)

ハイチ系アメリカ人の父親を持つ大坂選手の肌は美しい褐色だ。だが、たしかにCMの大坂選手の肌の色は他のキャラクターと変わらず、三舟コーチよりも白く見える。

一方、こうした声を過剰反応だとする反論も複数ある。

「錦織圭と並んだ時の印象も実写と比べてさほど違和感がない」

「本人監修してないわけないでしょ」

「特異な美的感覚を持つ和製アニメ絵に「ありのまま」など期待できない」

「あまり黒人の特徴を誇張して描くと差別的だと非難されますからね」

(Twitterより抜粋)

「大坂選手サイドも確認してもらっている」

1月15日に全豪オープンで初戦を突破した大坂なおみ選手

日清食品ホールディングスに取材すると「アニメの世界観の中で原画をもとに大坂選手サイドにも確認してもらっている」として、ホワイトウォッシュを否定した。

今回、『新テニスの王子様』とコラボレーションするという企画として、アニメの世界観の中で原画をもとに大坂選手サイドにも確認をしていただきながら、アニメ用のキャラクターデザインを行いました。その後も、関係者に随時確認していただきながら、今回のオリジナルアニメの設定として完成したものですので、ご指摘のありましたような意図はございません。

今後は、お寄せいただいたご意見も踏まえて、さらに慎重に企画を検討して参ります。

過去には海外でも

大坂選手がホワイトウォッシュされていると話題になったのは初めてではない。

2018年9月の全米オープンで優勝した際にも、ラケットを叩きつけるセリーナ・ウィリアムズ選手がラケットを叩きつける後方で「大人しくスリムな金髪の女の子」として描かれていると疑問視された。記事の中で「彼らは大坂なおみ選手をどう扱っていいか分からない」と指摘されている。

ただ、大坂選手はCM「修行編」を公開したカップヌードルの公式Twitterをリツイートしている。これまでも自らのアイデンティーについて「私は私」と発言しており、あまり気にしてはいないようだ。


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