ato-karucha

No Picture

「若い子はテレビを見る感じでもないでしょう」浜田雅功・矢部浩之がネット番組に本格進出、2人の思いとは?【独占インタビュー】

ナインティナイン矢部浩之さん、ダウンタウン浜田雅功さん

テレビから、スマホやPCで見るネットへ。芸能人の活躍の場は、大きく変わり始めている。

ダウンタウンの浜田雅功さん、ナインティナインの矢部浩之さんも、ネット番組に”本格進出”。11月9日、2人が出演するネット番組『戦闘車』シーズン2がAmazon Prime Videoで配信された。

番組は自動車をぶつけ合うゲーム。激しいアクション、多額の制作費などから「地上波ではできない」が売りのシリーズだ。

「時代はどんどんネットの方にいってしまう。ホンマにテレビ局、潰れますよ」と浜田さん。

「お茶の間の顔」として、日本に笑いと元気を届けてきた浜田さんと矢部さんは、自らの「ネット進出」をどう感じているのか? ハフポスト日本版の独占インタビューに答えた。

 ◇

ネット番組に出演して感じた「自由さ」

ーー『戦闘車』で、テレビでできないことをできた、という思いはありますか?

浜田:シーズン1もやっていますけど、僕はその時から思ってました。矢部にとっては今回が初めてのネット番組でしたから、より強く感じているんじゃないですかねぇ。

矢部:いや、本当そうですよね。もうできないことだらけでしたよね、地上波では。

浜田:昔やったらね、できたよね。

矢部:そうですね。昔やったらできてたし、まだ僕はやってたほうなんですよ。時代的には。

ーー参加者の千原せいじさんは、「昨今の地上波テレビではできなくて、溜まっていたストレス発散になった」と振り返っていました。

矢部:達成感というか、やり切った感はありましたね。

あとは、地上波だったとしたら、もう少し浜田さんとの絡み方が変わっていたかもしれないです。

今回は、もっと自由さがありましたよね。例えば、浜田さんを「ゴリラ」って呼んだり、イジったり、ツッコめたりですね。(笑)

テレビ番組のような「笑いを組み立てる」見せ方ではなくて、「大人が本気を出して遊ぶ」姿を見せる感じでした。そういう空気感があったので、浜田さんに「甘えられた」という気がしています。

ーー関係性も変わってくるところがあるんですね。

矢部:そうですね。もし岡村さんとコンビで出てたら、なおさらまた違うでしょうし。

岡村さんは異常にビビるんですよ、ダウンタウンさんと(明石家)さんまさんには。あれは何なんでしょうねぇ。(笑)

11月9日に配信された『戦闘車』シーズン2より。車好きで知られる芸能人やレーシングドライバー総勢21人が、浜田雅功さん率いる浜田軍と矢部浩之さん率いる矢部軍に分かれ、激戦を繰り広げる。

「若い子たちは、家に帰ってテレビを見ようという感じでもない」

ーーこれからネット番組の影響で、お笑い界やバラエティーは変わっていくと思いますか?

浜田:いやぁ。テレビがヤバくなっていくんじゃないですか?こっち(ネット)の方で面白いことができるってなると、ねぇ。

どんどん「テレビ離れ」みたいなことが起きていくんじゃないかというか…どうなんですかねぇ。(笑)

矢部:大御所の方もやりだすとね。

浜田:テレビ局、潰れるんちゃいますか?(笑)極論はね。

今の若い子たちは、家に帰ってテレビを見よう、という感じでもないですよね。時代はどんどんネットの方にいってしまっているので。

ーーネット番組は、ある意味ではテレビ業界にとっては「ライバル」とも言えます。明石家さんまさんは、以前インタビューでネット番組に進出する葛藤を打ち明けていました。お2人はその葛藤はお持ちですか?

浜田:正直に言って、それはもうしかたないと思いますね。葛藤は…ないですねぇ。(笑)

さんまさんは我々よりもっと上の年代ですから、テレビに貢献しつづけた年数が違いますよね。だからこそ、余計にそう思われるんやと思います。

矢部:僕は小さい頃からテレビに憧れて育ってきて、テレビに出る仕事を続けてお金をもらってきたので、正直に言って今のこの状況が不思議ではあります。

それこそ、自分がネットの番組に出るとは考えもしなかったですよね。

舞台ももちろんありますけど、芸人で成功すると言えば、テレビに出る。それが「当たり前」の時代を生きてきたので…。

ネットという「新しい仕事場」ができたことに対しては、正直僕はまだ付いていけてないというか、普通ではない、という気持ちです。

「先輩になるにつれて、どうしても気遣いされる」寂しさ

ーー浜田さんは今回、体を張って競技にも参加しています。後輩や若手芸人さんの立場からすると、大先輩の浜田さんに立ち向かうことに「やりづらさ」は感じますか?

矢部:確かに浜田さんをケガさしたらあかんし、葛藤はあるんですよ。でも、浜田さんに何かするっていうのが、一番面白い。お笑いの人間は、そこが迷いどころやと思います。

浜田:僕のチームのメンバーは、全然そんなこと思ってなかったですよ。それこそ(千原)せいじなんて頭おかしいですから!「アンタやりなはれ、アンタやりなはれ」って。「いや、なんで俺がやらなあかんねん」って(笑)。

浜田さんと矢部さんも自らカーアクションに参加し、「命がけ」でぶつかり合った。シーズン1よりも、規模感もハラハラ感もよりパワーアップした。

ーー後輩や若手芸人さんに対して「もっとグイグイきてほしい」という思いは、他の現場でも持っていますか?

浜田:そうじゃないと、多分面白くないでしょう?

後輩には言うんですけど、なかなかね。矢部もそこを普通にやってくれるし、グイグイくるんですけどね。若手はもっとやってくれてもいいと思うんですけどね。

ただ、そん時はノリでやれたとしても、終わってから「マジでキレられるんちゃうか?」って思ってるんちゃいますか。でも、本番のノリでやった以上、それで何か言うことはないですから。

ーー寂しい気持ちもあるんでしょうか。

浜田:先輩になるにつれて、どうしてもそういう気遣いされるんで。そこはちょっとね。

矢部:寂しいゴリラの後ろ姿は、かなり切ないものがありますからね。(笑)

浜田:本当に嫌な時は、嫌な顔しますから。「マジやで」っていう。

ーーそれが怖いんじゃないですか。(笑)

浜田:でも、関係ないですから。それこそせいじとかは。(笑)それがあの子の持ち味ですから、いいんですよ。

相方も自分も、やりたいこと、好きなことをやってるだけ

ーー相方の松本人志さんも、『ドキュメンタル』などで、ネットで新しいお笑いを届けることに挑戦していると思います。ご覧になっていますか?

浜田:(小声で)いいえ。でも、テレビのスポットCMでは見てますよ。(笑)

矢部:めっちゃわかりますそれ。僕もラジオの「オールナイトニッポン」を辞めたんですけど、(岡村さんが1人で続けている番組を)それから1回も聞いたことないですから。(笑)

浜田:わかるでえ〜。相方は好きなことやってれば、それでええと思ってますから。

矢部:1人1人の時は別の人間やから。そんで一緒になったらコンビの仕事します、っていう。

ーー松本さんもネットで、今できるお笑いの限界に挑戦されているので、「1人の時は別」と言いつつも、足並みが揃ってるな、と思いました。

浜田:それはそれは。ありがとうございます。(笑)でも、意識はしてないんですよ。お互いがやりたいこと、好きなことをやってるってだけの話です。

矢部:そういう距離感が一番やりやすいし、しっくりくるから、そういうスタイルを取ってるのかなって思いますけどね。

番組情報:『戦闘車』シーズン2

11月9日よりAmazon Prime Videoで独占配信中。


No Picture

BTS(防弾少年団)の「原爆Tシャツ」と「ナチス」問題を、私たちはどう考えるべきか?

BTS(防弾少年団)

防弾少年団(BTS)の『ミュージックステーション』出演が見送られた11月8日、韓国の音楽ケーブルテレビ局・Mnetの『Mカウントダウン』では、IZ*ONE(アイズワン)が初登場で見事に1位を獲得した。

10月29日にデビューしたばかりのIZ*ONEは、音楽サバイバル番組『PRODUCE 48』から生まれた12人組のガールズグループだ。日本からはHKT48の宮脇咲良と矢吹奈子、AKB48の本田仁美が加わっている。1位獲得直後には、日韓台混成のTWICEから祝福されていた。

東アジアの音楽シーンが日本を中心に回っていた状況は、10年ほど前にすでに終わっている。かと言って、K-POPが東アジア全域を支配したわけでもない。支配-被支配といった単純な構図ではなく、さまざまな国のひとびとが、場所(国)にこだわらず流動的に活動するグローバル状況が訪れている。

IZ*ONEにしろTWICEにしろ、あるいはタイ出身のメンバーを含むBLACKPINKにしろ、そして欧米圏でも大ヒットしているBTSにしろ、K-POPと呼ばれるそれらの表象には韓国的なナショナリティはさほど見られない。

が、そうした状況にときおり反動的な力が生じることがある。今回のBTSメンバーの「原爆Tシャツ」騒動はその典型だ。

今回のような騒動は、これまでもしばしば見られてきた。ただその場合、たいていは「旭日旗」を連想させるデザインが韓国で問題視されるケースだ。K-POPだけでなく、きゃりーぱみゅぱみゅなど日本のアーティストもその対象とされたことがあり、また、サッカーの国際戦でも問題となってきた。今回のBTSの「原爆Tシャツ」騒動は、(意味は大きく異なるが)これまで韓国で見られきた「旭日旗」騒動と一見よく似ている。

こうしたとき常に失望を感じるのは、そこでコミュニケーションが幾重にも渡って断絶していることだ。それを理解するためには、主要な登場人物それぞれが現在置かれている立場を考えてみるといい。

どこまで明確な意図をもって着用していたか?

まず「原爆」プリントのTシャツを着ていたBTSは、11月13日現在この件について公式な声明を発表していない。今後なんらかのメッセージを発信する可能性はあるが、かなり難しい状況に置かれていることは想像に難くない。なぜなら、そのTシャツには、「原爆」写真だけでなく日本の統治から解放されて万歳をするひとびとの写真があり、さらに「Liberation(解放)」と「Patriotism(愛国心)」という単語もプリントされているからだ。

BTSのメンバーが着用していた「原爆Tシャツ」。

BTSのメンバーが着用していた「原爆Tシャツ」。

日本からの解放は、韓国におけるナショナリズムを形成する主要な構成要素である以上、BTSメンバーはこの件で簡単に謝罪することはできない。もし謝罪すれば、今度は韓国で強いバッシングにあうからだ。

つまり、BTSは謝罪をしてもしなくても、日本と韓国のどちらかでバッシングを受け続ける可能性がある。いまだに沈黙を続けるのは、板挟み状況にあると考えていい。

次に、あの「原爆Tシャツ」をどこまで彼らが明確な意図をもって着用していたか、ということを考えなければならない。業界的に考えて、芸能人が表舞台に出るときの衣装はおおむねスタイリストが準備する。彼らはそれを着ただけの可能性もある。これは、11月12日になって米ユダヤ系団体が非難したと報道された、過去のナチスを模した衣装(帽子)やステージ上での振る舞いについても同様だ。

KPOP Boyband BTS Holocaust Photoshoot from r/trashy

ナチスを想起させるパフォーマンスをしたとして、批判を浴びている。

たとえ私物だったとしても、Tシャツやナチス帽のメッセージをどれほど意識して着用していたかは不明だ。それは、一般的にTシャツにプリントされた英語やイラストをしっかり確認して購入するひとがどれほどいるか考えれば明らかだろう(なお筆者はちゃんと確認するが)。なんにせよ、日本でも活動するBTSメンバーが明確な意図をもってあのTシャツを着たとは考えづらい。

また、「原爆Tシャツ」やナチス帽の意匠に含まれるメッセージを正面から捉えれば、日本への原爆投下とナチスをともに肯定することは、きわめて両立しがたい。第二次大戦期に独裁政権下でファシズムを突き進み、イタリアを交えて三国同盟を結んでいた両国の片方を否定し、片方を肯定したことになる。明確にこれは矛盾する。つまり、本人たちにおそらく大した意図はない。

もちろん意図の有無が、かならずしも行為の責任を回避する理由とはならない。原爆は多くの犠牲者を生み、深い傷を残した。ナチスの行為は「人道に対する罪」であり、その反省から戦後の国際社会は出発している。「意図はなかった」ですまされるテーマではない。ただ、彼らが現在置かれている板挟み状況を冷静に考えることで、沈黙の理由と議論を前向きに進める糸口も見えてくるはずだ。

一件の中心はインターネットの言論にある

一方、今回の一件のもうひとつの当事者であるテレビ朝日の態度もいまひとつはっきりしない。公式には以下のように説明されている

「以前にメンバーが着用されていたTシャツのデザインが波紋を呼んでいると一部で報道されており、番組としてその着用の意図をお尋ねするなど、所属レコード会社と協議を進めてまいりましたが、当社として総合的に判断した結果、残念ながら今回はご出演を見送ることとなりました」

その原因がTシャツであることは明示されているが、この文章からはそれがなぜ問題であるかについては曖昧だ。

ただ、仮に、テレビ朝日側が出演見送りの判断をしたとすると、その理由は簡単に想像がつく。おそらく視聴者からのバッシングを恐れている。しかもそれは局に対してだけでなく、スポンサーへの抗議も彼らは意識している。実際、2011年のフジテレビへの「韓流への偏重」抗議デモではそうした動きも生じた。

今回の一件の中心は、やはりインターネットの言論にある。

「原爆Tシャツ」のBTSメンバーが確認されるのは、昨年7月の有料動画サイトだったが、それが10月になって急激にネットで問題視され拡散した。その際、BTSを批判する言葉として頻繁に付記されたのが「反日」という言葉だ。拡散しているのは、ネット右翼と見なされる一部の嫌韓層とみられる。

辻大介氏など複数の調査では、こうしたネット右翼はネットユーザーの1~2%ほどでしかない(※1)ことが報告されている。また、田中辰雄氏と山口真一氏のネット炎上の調査によると、炎上の参加者もネットユーザーの1%ほどでしかない(※2)という。

つまり、非常にごく少数のネットユーザーの声に、多くのひとびとが翻弄されていることになる。にもかかわらずそれが社会的に目立つのは、彼らの声が大きく、同時に過激であるためだ。ネットでは声の大きさが、人数の多さと混同されがちになる。

少数者の声だからかならずしも無視していいわけではないが、彼らによる「反日」という非難は当然のことながら状況を(おそらく意図的に)単純化しているにしか過ぎない。

多くの韓国人は、73年前に日本の統治から解放されたことを喜んでいる。しかし、同時に多くの韓国人が日本文化に親しみ、日本人と交流を持っているひとも少なくない。100%日本を否定するひとも、100%日本を肯定するひとも、筆者の感覚だと、おそらくそれぞれ数%しかいないだろう。もしそうだとしたら、日本のネット右翼層と同じくらいの割合だ。

BTS

マスコミの力で「社会は極性化していく」

ここでの問題は、こうした説明するまでもないごく単純な状況に、日韓両国が大きく左右されてしまうことにある。なかでも、マスメディアがそれを増幅している側面は否めない。

今回の一件も、ネットの騒ぎにテレビ朝日が過剰に反応してしまい、結果的に事態を大きくしてしまった。こうした防衛機制が、ごく少数の者による大きな声の「反日」批判を、形式的に追認してしまうことにつながる。

このテレビ朝日の反応は、他のマスコミによってさらに増幅される。たとえばスポーツニッポンは、11日10日付で「BTS ”原爆T”で年末音楽特番全滅も」と煽り立てた。こうした展開こそがネット右翼の思う壺であり、そして社会は極性化していく。

むしろ今回の一件によって想像できるのは、『Mステ』スタッフやテレビ朝日の幹部に、現在の深刻なネット状況を読める存在がまるでいないことだ。アメリカ社会の分断とトランプ現象がネットによって引き起こされていると報道しているテレビ朝日が、まんまとネット状況に引きずられてそれに加担しているのは、非常に残念な状況と言える。『報道ステーション』で今回を一件をしっかりと検証すれば良いだろうが、おそらくそんなことはないだろう。

もちろんこれと同様のことは、韓国側のマスコミにも言える。たとえば「旭日旗」騒動において、ネットから発せられた極右の声を大きく増幅させているのはマスコミだ。「旭日旗」デザインの洋服を着た日韓の芸能人に、明確な意図があるケースはほとんどない。芸能人のちょっとしたミスを大騒ぎする一部ネチズンの声を、国際政治の問題に増幅させてしまう。それは報道姿勢としてやはり次元が低いと言わざるを得ない。

「原爆」について考えてほしい──広島出身の私からの希望

最後に今回の一件の幕引きについて、提案をしておく。

まずBTSは謝罪をする必要はない。なぜなら、炎上目的のごく一部の存在の行為をより激化させてしまうことに繋がりかねないからだ。彼らの目的は原爆について是非などではなく、ただの差別でしかない。

本当に彼らが熱心に原爆の是非を考えているならば、安倍総理がノーベル平和賞を受賞したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の事務局長との面会を拒否したこと(2015年)や、安倍政権下の日本政府が核兵器禁止条約交渉に不参加だったこと(2017年)も強く批判してきたはずだ。だが、むしろネット右翼はそうした安倍総理や日本政府の対応を強く肯定してきた層だ。よって、本気で議論をするつもりがあるとは思えず、謝罪をする必要はない。

だが、そうではないBTSやK-POPのファンに、「原爆」についてどう考えているか話すことはあってもいいだろう。彼ら自身の言葉で、その思いを丁寧に説明すればいい。

この「原爆」とは、単に広島・長崎に原爆が投下されたという事実だけではない。その犠牲者には、当時日本国民であった約4万人の朝鮮人が含まれていたことや、今年になって急展開した朝鮮半島の南北融和のなかで北朝鮮の核が主要議題であることも含まれる。「原爆」について考えてほしい──それは平和公園近くの高校に通った広島出身の私からの希望でもある。

BTSのリーダー・RMは、9月に国連で演説した。そこでは印象に残るこうした一節がある。

「昨日、私は間違いを犯してしまったかもしれません。でも、昨日の私は私です。今日の私も、過ちや間違いをともなったままの私です。明日は、ほんのちょっとだけ賢くなっているかもしれませんが、それも私です。これらの過ちや間違いが、私という人間であり、私の人生という星座の中で光り輝く星なのです。私は、ありのままの自分、過去の自分、そして将来なりたいと思う自分を、愛することができるようになりました」

ひとは間違うこともある

日本も韓国も「一発レッド社会」であってはならない。ミスをしたひとを容赦なく叩き続け、倒れてもさらに蹴り続けるような社会はだれも望んではいない。

日本と韓国の学校では常にイジメが大きな問題となっており、自殺率も先進国のなかで長らくトップ3に位置し続けている。そして、そんな緊張した社会に身を置いて、いつか自分や自分の愛するひとがミスをしたときに標的となる可能性について、少し想像してみるといい。

ひとは間違うこともある。BTSは「原爆Tシャツ」で失敗をした。国際的には決して許されない「ナチス」を連想させる衣装を着た。立ち止まって原爆やナチスについて考えて、自分の言葉で日本や韓国のファンに語りかけ、明日はまた一歩を踏み出せばいい。それでいいじゃないか。

 ◇

※1:辻大介「インターネット利用は人びとの排外意識を高めるか──操作変数法を用いた因果効果の推定」  『ソシオロジ』63巻1号(通巻192号)2018年

※2:田中 辰雄、山口 真一『ネット炎上の研究』(2016年/勁草書房)

 ◇

【UPDATE 2018/11/14 01:30】

BTSが所属するBit Hit Entertainment(ビッグヒットエンターテインメント)は13日夜、公式FacebookやTwitterを通して、「原爆Tシャツ」やナチス風のパフォーマンスに関する見解と謝罪文を発表。「傷ついたすべての方々に丁寧に謝罪いたします」とコメントした。

■松谷創一郎氏 プロフィール
1974年生まれ、広島市出身。商業誌から社会学論文まで幅広く執筆。得意分野は、カルチャー全般、流行や社会現象分析、社会調査、映画やマンガ、テレビなどコンテンツビジネス業界について。現在、『Nらじ』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。著書に『ギャルと不思議ちゃん論』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)、『文化社会学の視座』(2008年)等。社会情報学修士。武蔵大学非常勤講師。


No Picture

吉田寮は取り壊されても仕方ない。だが京都の街は救うべきだ!

京都大学吉田キャンパス

爽やかな秋晴れの一日。

京都大学吉田キャンパス内を歩いていると、構内掲示板に貼られたビラの、ある一文が目に留まった。

<Vedi Yoshida-ryo e poi muori.> 「吉田寮を見てから死ね」

日本人にも馴染みがあるらしいイタリアの諺、<Vedi Napoli e poi muori.>「ナポリを見てから死ね」をなぞったキャッチコピーだ。

10年ぶりに京都の街を訪れた私は、モダン化したその美しい街並みに感動しつつ、同時に、やるせない寂しさも感じていた。

「風情ある古都の街並みは、未来永劫に受け継がれてゆくべきだ」

という思いは、四条通りを東西に横断してみると、さらに強くなる。

かつて木造町屋が幹を連ねていたはずの通りには、背の高いビルが競い合うように伸びていた。

ヴェネツィアやローマ、フィレンツェに匹敵する歴史的景観は、徐々に消えつつあるのだ。

盆地を囲む山々と市内を流れる河川は、京都の街に、四季折々の風景をもたらした。

豊かな自然と調和していた趣深い街並みは、時を経て、都会特有の奇妙なほど整えられた街並みへと、確実に変化を遂げていった。

京都の街は、自然との繋がりだけでなく、和の心さえも見失いつつあるのではないか。

昔ながらの景観が残る小さな路地を歩きながら、私は自問自答していた。

なぜ、このような都市化・高級化が起こってしまうのか。

かの有名な枯山水の石庭がある龍安寺から南へと下り、妙心寺に至るまでの道中、気品ある老婦人に声をかけられた。

誘われるままに門をくぐり、古き良き佇まいを残す木造家屋へとあがらせてもらう。

女性は、自宅の一室を開放し、着物のリメイク品などを売る雑貨屋を開いていた。

「そこにな、まっくろけの、味気ないビルが建ってしもうたんよ」

女性は数年前まで、京都市中心部にある京町屋の一室を借りて、友人らと共に、ハンドメイド雑貨の展示会を開いていたそうだ。

女性に教わった場所へ向かうと、中庭もあったらしい立派な町屋の姿はなく、代わりに、10階建ての宿泊施設が堂々とそびえ立っていた。

女性が「味気ないビル」と呼んだその宿泊施設の下階には、見覚えのあるコーヒーチェーン店が白々しく看板を掲げている。

果たしてこの、日本中世界中あちらこちらで見かけるコーヒーチェーン店は、古都の中心地に店舗を構える必要があったのだろうか。

ある人はこう答えるだろう。 ー それが、市場の法則だ。

またある人は、こう答えるかもしれない。 ー 観光客だって、休むためにカフェは必要だ。

「どうして京都へ?」

観光で訪れている人々に尋ねてみた。

誰も、「いつものコーヒーが飲みたくて」とは答えない。

誰も、「新しくできたホテルに泊まりたくて」とは答えない。

「京都は、古典的日本の象徴だから」とか。

「昔ながらのお茶屋さんに行きたくて」とか。

「日本らしい庭園や街並みが見たくて」とか。

中には、小さな手に可愛らしい包み紙を持って、「こんぺいとう」と答えてくれる少女もいた。

彼らは、「京」を感じたくて、「和」を感じたくて、

東京や他の大都市では味わえない体験を期待して、京都へとやって来るのだ。

なのになぜ、昔ながらの町屋を取り壊してまで、他の都市と同じようなサービスを作り出すのか。

イタリア人に聞けば、「妻を取り戻すためにアソコを切り取った男みたい」と言われるようなことが、実際に起こっているのだ。

行政すらもあってないような、大抵のことがうまくいかない、イタリアのような国でさえ、

誰も、コロッセオ周辺の、ルネサンス期や中世の建造物を失ってもいいと考える人はいない。

たとえ、巨額のお金や、入手不可能な世界最高峰のワインや、世界一の美女で釣られても、だ。

歴史というのは、はるかにもっと、何を持ってしても価値をつけられないほど、貴重なものだからだ。

どうして、日本のような素晴らしい国で、文化の虐殺が起こってしまうのか。

なぜ、歴史が失われてゆくのを、悠々と見過ごしてしまっているのか。

先日、月への切符を手にしたという日本人実業家が話題になった。

芸術に関しても造詣が深いそうだが、月旅行という先進的なものに関心を抱く彼が、一方で歴史をおろそかにするとは思えない。

実際に、創作活動のインスピレーションを得られるようにと、アーティストを宇宙へと連れて行く計画を立てているというのだから、

長い歴史を生き延びてきた街並みを保護するべきだ、という考えに、きっと彼も賛同してくれるだろう。

もっとも、彼ほどの財産を持っていれば、京都の街を購入することで、いとも簡単に保護できてしまうのかもしれないが。

京都に滞在している間、京都大学吉田キャンパスにある吉田寮の見学ツアーに参加した。

歴史的建造物として、築105年にもなる吉田寮は保護されるべきだ、と案内役が力説する。

もっともだ。歴史は保護されるべきだ。私も、そう思う。

だが、一つだけ言わせて欲しいのは、

吉田寮が歴史的建造物として価値ある建物であると言うのなら、それ相応の扱いをしてはどうだろうか。

見た限り、寮に住み続けている150名ほどの住人は、とても「衛生的」とは言えない生活を送っているように見受けられた。

あれほどに不当な扱いを受けた建物の急速な老朽化は免れられないだろう。

まるで、ヴァイオリンの名器「ストラディヴァリウス」を、破壊的パフォーマンスが売りのロックバンド に渡してしまうようなものだ。

保護と保存を望むのであれば、もう少し慎重に、丁寧に、扱ってあげてはどうだろうか。


No Picture

「ボヘミアン・ラプソディ」のクイーン、日本語の曲があるって知ってた? 親日バンドは「空耳アワー」でも常連

イギリスのロックバンド「クイーン」の結成から全盛期までを再現した映画「ボヘミアン・ラプソディ」(ブライアン・シンガー監督)が11月9日、全国で一斉に公開された。

クイーンは日本のファンが多く、クイーンのメンバーたちも日本の文化などに愛着を感じていた。映画でもボーカルのフレディ・マーキュリーさんが日本の着物風の服を着る様子が描かれる。

クイーンと日本との深い関係について紹介する。

日本語の歌があった

サビの部分を日本語で歌う「Teo Torriatte(手を取り合って)」(1977年)という曲がある。元々の歌詞はローマ字で書かれているが、日本語だとこうなっている。

手を取り合ってこのまま行こう

愛する人よ

静かな宵(よい)に

光をともし

愛しき教えを抱き

クイーンが初めて来日したのは1975年。3000人以上のファンが羽田空港で待ち受け、日本武道館(東京)などで開いた公演の大成功を収めた。

熱烈な歓迎ぶりにクイーンは感激、感謝の意味を込めてこの曲を作り上げた。

この曲の誕生秘話について、音楽情報サイト「BARKS」が紹介している。

当時、日本の音楽誌の中でいち早くクイーンに注目し、熱心に特集などを組んでいた雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長を務めた東郷かおる子さんによると、クイーンが1976年に再来日した際、マーキュリーさんが書いた英語の歌詞を、通訳の日本人女性が日本語に訳したとみられるという。

この曲は5枚目のアルバム「華麗なるレース」の一番最後に収録されているほか、東日本大震災(2011年)が起きた直後に発売されたチャリティーアルバム「SONGS FOR JAPAN」にも入っている。日本とクイーンの絆を象徴する曲としてファンの間で愛されている。

「ジョジョ」にも登場

人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」で、クイーンにちなんだキャラクターがいる。第4部「ダイヤモンドは砕けない」に出てくる悪役、吉良吉影のスタンド、キラークイーンは、クイーンの楽曲「キラー・クイーン」にちなんだ。

「ジョジョの奇妙な冒険」(アニメ版)のキャラクター、吉良吉影とキラークイーン

吉良の攻撃「シアーハートアタック」や「バイツァ・ダスト」もそれぞれ、クイーンの楽曲「シアー・ハート・アタック」「Another One Bites the Dust(地獄へ道づれ)」から取っている。

作者の荒木飛呂彦氏は大の洋楽ファン。洋楽の曲名やバンドにちなんだ名前のキャクターを生み出している。

「空耳アワー」の常連

テレビ朝日系列の深夜番組「タモリ倶楽部」の中で、外国語の歌詞なのに日本語に聞こえる洋楽を視聴者から募る「空耳アワー」で、クイーンの曲は度々紹介されてきた。その主なものは次の通り。

「キラー・クイーン」

元の歌詞:Gunpowder, gelatin(火薬、爆薬)

空耳:頑張れ、田淵

※元プロ野球選手の田淵幸一さんをモデルにした漫画のタイトル「がんばれ!! タブチくん!!」に似ていると話題になった。

「ボヘミアン・ラプソディ」

元の歌詞:Too late, my time has come(もう遅い。僕の人生の最期が来た)

空耳:失礼、松ちゃんですか?

「愛にすべてを(Somebody To Love)」

元の歌詞:everybody wants to put me down(みんなが僕の足を引っ張ろうとする)

空耳:エブリバディ、わしゃコケた

「Ogre Battle (オウガ・バトル)」

元の歌詞:The ogre men are still inside(鬼たちはまだ中に隠れている)

空耳:横目がスケベくさい

「フラッシュのテーマ(Flash)」

元の歌詞:he’ll save everyone of us

空耳:いっせーので笑わす

日本人アーティストのメドレーも

ロックバンド「爆風スランプ」のギター担当、パッパラー河合さんがふんするアーティスト「女王様」が、クイーンの代表歌を日本語のメドレーで歌った。

「伝説のチャンピオン」の歌詞で、「We are the champions」を「我ら横綱」などと訳すなど、ユニークな和訳が注目を集めた。メドレーで披露した曲の名前と原曲名は次の通り。

さまよえる魂のための狂詩曲(ボヘミアン・ラプソディ)

自転車競争(バイシクル・レース)

殺し屋女王(キラー・クイーン)

ひらめき(フラッシュのテーマ)

いつかおまえを揺さぶる(ウィ・ウィル・ロック・ユー)

もう一人死ぬ(地獄へ道づれ)

愛と呼ばれるいわゆる一つのちんちくりんな事(愛という名の欲望)

我ら横綱(伝説のチャンピオン)

ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン)


No Picture

水溜りボンドが『世にも奇妙な物語」に出演。YouTuber初の快挙

人気YouTuberコンビ・水溜りボンドが11月10日に放送されるフジテレビ系のドラマ『世にも奇妙な物語 ’18秋の特別編』(午後9時〜午後11時10分)に出演する。

水溜りボンドの「トミー」

メンバーのトミーは、国仲涼子が主演する「あしたのあたし」に出演。カンタは、坂口健太郎が主演の「脱出不可」に出演する。

水溜りボンドの「カンタ」

▪️YouTubeでもコラボ番組を公開

また、同ドラマとのコラボ企画として、水溜りボンドによるドラマ動画がYouTubeチャンネルで11月9日20時に公開予定。

脚本と監督はトミーが手がけ、モデルでタレントの佐藤ひなこなどが出演するという。

「世にも奇妙な物語」とYouTuberのコラボは今回が初の試みとなる。一体どんな番組になるだろうか。

▪️トミーとカンタ、2人の思い

今回のコラボレーションについて、水溜りボンドの2人もコメントを発表している。

「今回、小さい頃から見ていた『世にも奇妙な物語』という番組と一緒に映像作品を制作できた事を大変光栄に思います。チャンネルでこの様な取り組みができました。関わったすべての方に感謝いたします! 皆さん、僕らと一緒に全力で楽しみましょう!」トミー(水溜りボンド)

「今回、世にも奇妙な物語とこのように関わらせて頂けたことが本当に嬉しいです。YouTubeを始めたときには、こうやってコラボレーションをすることは想像つきませんでした。チャンネル開設1年目から人気で大好きな都市伝説シリーズが、このような形になったことを、当時の自分たちに教えてあげたいです」カンタ(水溜りボンド)

また、フジテレビの編成企画を担当する狩野雄太氏は、「毎回、水溜りボンドさんが『世にも奇妙な物語」』をご紹介して下さっていて、大変有り難いなと思っていたら、ひょんな事から今回コラボ企画が実現する事になりました!」とコメント。

「本編では、カンタさんは違和感ない出演で逆にトミーさんは違和感満載な出方になっていて、ドラマにいいスパイスをもたらして下さいました。オリジナルドラマは YouTuber的な作り方とテレビ的な作り方が全く違っていて新鮮でした!」と、テレビとYouTubeの見どころを紹介している。

ハフポストの最新記事はこちら


No Picture

理想の上司vs.悪魔的起業家 ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』–高井浩章

「理想の上司像は?」という質問に、私は定番の答えをもっている。「パトレイバーの後藤さん」というのがそれだ。

 ゆうきまさみの『機動警察パトレイバー』(小学館)は、東京を舞台とする近未来SFマンガの傑作だ。多足歩行式ロボット「レイバー」が広く普及し、急増するレイバー犯罪に対処するため、警視庁が本庁警備部内に設置した「パトロールレイバー中隊」特車2課の活躍が描かれる。「後藤さん」はこの特車2 課の第2小隊を率いる後藤喜一隊長のことである。

「大人の世界」が作る味

 アニメ、実写と何度も映画化されたこのマンガが極上のエンターテインメントであることは、今さら指摘するまでもないだろう。掲載誌は『週刊少年サンデー』だったが、大人の鑑賞にも十分耐える。というより、大人でなければ十分味わえないほど、警察や企業など「大人の世界」の機微や緊迫感が作品の味を作っている。

 例えば、当時はテレビや映画でもほとんど取り上げられることがなかった警察組織内のキャリアとノンキャリの微妙な関係も、スパイスとして効果的に使われている。敵役のレイバー「グリフォン」の母体になる多国籍企業「シャフト・エンタープライズ」の社内抗争の綱引きも、戯画的ではあるが十分なリアリティーがある。多様なレイバーも技術発展の裏付けを持ったリアルな存在として描かれ、キャラクターの造形やそれぞれのドラマも丁寧で、恐ろしく完成度が高い。

「有事」に抜群の切れ味

 さて「後藤さん」である。

 このマンガの「表の主人公」は特車2課のレイバー98式AV(アドヴァンスト・ビーグル)、通称「イングラム」と女性操縦士である泉野明(いずみ・のあ)だ。彼女を中心とする若手の隊員たちの活躍と成長の軌跡がストーリーの軸なのは間違いない。

 だが、大人の読者がもっともシビれる登場人物は、後藤隊長だろう。

 昼行燈ともいわれる飄々とした風貌で、仕事は部下任せ、シリアスな場面でも不謹慎で乾いたジョークを連発する。「平時」は高田純次的ないい加減さを漂わせるこの中年男が、「有事」には抜群の切れ味をみせる。

 そのギャップに加え、「むき出しの肌のように敏感」と後藤が描写してみせる、ナイーブな若手隊員たちとの接し方の絶妙さが実に魅力的なのだ。

 野明やコンビを組む篠原遊馬(あすま)など20代の隊員たちは、次々にトラブルや「壁」にぶち当たる。後藤は、ある時には厳しい指導によって、またある時には対話や「飲みニケーション」で、部下の成長を促す。そうした場面では、後藤の警察官の社会的使命への真摯な姿勢と、諦念にも近い覚悟を持った現実主義者の顔がのぞく。

 隊員の士気を高めるべきとき、あるいは現場の判断を重視すべき局面では、組織内の手続きをすっ飛ばす決断力を発揮し、「上」との摩擦も辞さない。そして、隊員の不手際に際しては、組織の長として責任を取りながら、部下は責めず、むしろユーモアをもって柔らかく接し、「前」を向かせる。まさに「理想の上司像」ではないだろうか。

「組織のはみ出しモノ」

 この後藤と対峙する敵役、「シャフト」日本法人の企画7課課長の内海、別名リチャード・王(ウォン)も、後藤に引けを取らない魅力的なキャラだ。

 企画7課は表向きビデオゲームの開発を担っているが、実際には極秘プロジェクトとして戦闘用レイバー「グリフォン」を開発・製造している。「手段のためには目的を選ばない」男・内海は、企業の損得や倫理観などは眼中になく、「世界最強のレイバーを作り、それを見せびらかす」という自らの子供じみた欲望のため、当代最高性能を誇る特車2課の「イングラム」に挑戦する。

 新規プロジェクトに邁進する内海は社内起業家のような存在だが、会社からすれば悪魔のような異分子だ。開発資金が足りなければ社内システムをハッキングして使途不明金を不正流用し、グリフォンの少年パイロットは人身売買組織から調達。密輸やテロ支援もためらわない。反社会性は露わなのに、「世界最強のレイバーを作る」というビジョンと大胆な行動力に引っ張られ、エンジニアや企画7課のスタッフは内海と一蓮托生の道を歩む。この人材を引き付ける悪魔的な魅力も、スティーブ・ジョブスやイーロン・マスクなど狂気を宿した起業家に通じるものがある。

「パトレイバー」を傑作たらしめているのはこの後藤と内海というオジサンのキャラの立ち具合であり、2人の駆け引きや組織内遊泳術に作品の醍醐味がある。後藤と内海は直接対峙することはなく、終盤に電話で2度会話するだけだが、「組織のはみ出しモノ」という似たもの同士でもある両者の間には、物語を通じて因縁が絡み続ける。特に、ある事件を巡る電話での駆け引きは、緊迫感とユーモアのバランスが絶妙で、会話の流れや後藤の表情や仕草の描写が素晴らしく、漫画史に残る名場面といっても過言ではないだろう。

「ないもの」と「あるもの」

 オジサン2人の対決という本筋以外にも、この作品には「過去から見た未来像」と現実を比較するという楽しみ方がある。

 本作の時代設定は連載開始時1988年から10年後の近未来、つまり20世紀末となっている。今、その20年後の未来の目でみると、現実と比較して作中に「ないもの」と「あるもの」がパラレルワールドを覗き見するような興を与えてくれる。

「ないもの」の筆頭は携帯電話だ。堀井憲一郎は好著『若者殺しの時代』でテレビドラマを徹底検証し、携帯電話は「1989年に一部の人が使い始め、1995年にかなり出回り、1997年からみんなが持つようになり、1998年以降、持ってないことが許されなくなった」と簡潔にまとめている。『パトレイバー』の『サンデー』の連載は1994年に終わっている。自動車電話は何度か出てくるが、個人はまだポケベルどまりで、「すぐつかまらない」ことがしばしばトラブルの火種になる。つくづく、我々のコミュニケーションが「携帯以前」と「携帯以降」で様変わりしたのを感じさせられる。前述の後藤と内海の交渉シーンも、固定電話と公衆電話でなければ「味」が損なわれるだろう。

 逆に「あるもの」に目を向けると、本作の先見性には驚かされる。レイバーの性能を握るオペレーションシステムの対立という構図や、手の動作と連動したレイバーの操作系などのテクノロジーだけでなく、人手不足と外国人労働者受け入れ問題、自動運転の普及に伴う労働者側の失業への懸念、過激化する環境保護運動、日本の対テロ対策の甘さなど、その視野は社会問題にまで及んでいる。

 先見性という面では、巨大生物「廃棄物13号」事件のエピソードにみられる、「巨大怪獣と対決する政府・行政組織」という展開と撃退の決定打となる対抗策には、映画『シン・ゴジラ』の先行作という趣もある。

 今回、このコラムを書くにあたって再読した際には、第2小隊のまとめ役である熊耳武緒(くまがみ・たけお)の内海に対する愛憎半ばする複雑な思いが、意外なほど胸に響いた。ネタバレになるので詳細は避けるが、最終盤、熊耳が内海に「リチャード‼」と呼びかけるシーンが、強い印象を残した。不可解にも思える熊耳の一連の行動を説明しつくす、うなるような絶妙なセリフだ。ぜひ、本編で味わってみてほしい。

 映画版やアニメ版も一流のスタッフが腕を振るった秀作ぞろいで私も一通り見ているが、マンガ版がもっともバランスのよい娯楽作品に仕上がっていると思う。脇役も含め、魅力的なキャラクターたちに再会したくなると、ついつい再読してしまう。

高井浩章 1972年生まれ。経済記者・デスクとして20年超の経験があり、金融市場や国際ニュースなどお堅い分野が専門だが、実は自宅の本棚14本の約半分をマンガが占める。インプレス・ミシマ社の共同レーベル「しごとのわ」から出した経済青春小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』がヒット中。 noteの連載はこちら https://note.mu/hirotakai

関連記事

(2018年11月6日フォーサイトより転載)


No Picture

テクノ法要で極楽浄土にトリップ。異色の試みは「寺への危機感」とPerfumeから生まれた

10月30日のテクノ法要(東京国立博物館)

それは斬新な体験だった。カラフルな仏像が飛び交う映像が壁に映し出される中、リズミカルにお経が唱えられていく。10月30日、東京国立博物館で報道陣に先行公開された「テクノ法要」を聞いていると、極楽浄土にトリップしそうになった。

同館で12月9日まで開催している特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」とのコラボ企画だ。大報恩寺の住職を初めとする真言宗智山派の僧侶7人が、四つ打ちのテクノミュージックとプロジェクションマッピングに合わせて読経した。

(※動画の一覧はこちらへ)

作曲したのは、「テクノ法要」の発案者である朝倉行宣(あさくら・ぎょうせん)住職(51)だ。朝倉住職は浄土真宗本願寺派のため、宗派を超えたコラボレーションとなった。本番は11月6日午後3時〜4時に開かれる。

法要後の記者会見で、大報恩寺の菊入諒如(きくいり・りょうにょ)住職(55)は「音楽に合わせてお経を唱えるのは初めての経験でしたが、なかなか音に合わせるのも良い物だなと思いました」と話した。

 

■テクノ法要を生んだのは「寺への危機感」とPerfumeの曲だった

大報恩寺の菊入諒如住職(左)と、テクノ法要の発案・作曲者の朝倉行宣住職

テクノ法要は福井・照恩寺で朝倉住職が2016年5月から始まった。全国的に注目を集めるようになった。もともと音楽が好きで、若い頃はDJや照明のオペレーターをやっていたそうだが、どういう思いからテクノ法要を発案したのだろうか。ハフポスト日本版から質問に、朝倉住職は以下のように振り返った。

「まずは、寺への危機感ですね。これから寺はどうなっていくのかという危機感が大きい。それと、固定観念を持っているということに自分で気が付いたんです。

『お寺らしく』って言うけど、お寺らしさって何?『坊さんらしく』と言うけど、『坊さんらしさ』って何? そう考えていくと、本当は何もないはずなんです。どうすればいいか悩んでいたときに、お寺の飾り付けで、ろうそくが電球に変わっているのを見たとき、『ろうそくが本当で、電球だとウソなのか』と思ったんです。あれは光がお供えなので、電球でもろうそくでも変わらないわけです。

(仏具の)キラキラの飾り付けも誰かが作ったもので、自然にあったものは1つもない。お勤めの(お経)メロディーも一緒。唱名という形で、作った方がいて、それを唱える方がいて、音楽としてずっと継承されてきた素晴らしいものです。それを『今の技術でやったらどうなるだろう?』と素朴に思っちゃったんです。

あとは(アイドルユニットの)Perfumeの存在が大きいです。好きでライブを見に行ったときに『Dream Land』という曲があって、タイトルからして極楽浄土。歌詞もそれを匂わせるような内容でした。3人が羽衣のような衣装を着て、ふわっとステージに出てくるんですよ。その光と音の空間を見て、『これは極楽浄土でしょ!』と思っちゃったんです。そういうことが重なって『自分でも是非やってみたい』となりました。

『こんなことしたら怒られるよなぁ』と、うちの嫁さんに相談したら『やってみないと分からないでしょ。怒られたら、やめればいいじゃん』と、背中を押されて始めることになりました」

「Dream Land」を収録したPerfumeのアルバム「LEVEL3」


No Picture

「華氏119」は“21世紀のファシズム”の映画だ。マイケル・ムーア監督がいま日本人に伝えたいこと

マイケル・ムーア監督

友へ

悪い知らせを伝えるのは残念なことだが、昨年(2015年)の夏、ドナルド・トランプが共和党の大統領候補になるだろうと君たちに言った時も、俺ははっきりと伝えていた。そして今や、君たちにとってさらにもっとおぞましい、気の滅入るような知らせがある。それは、ドナルド・トランプが、11月の大統領選で勝つということだ。この浅ましくて無知で危険な、パートタイムのお笑いタレント兼フルタイムのソシオパス(社会病質者)は、俺たちの次期大統領になるだろう。

……

映画監督のマイケル・ムーア氏は2016年7月、ハフポストUS版のブログで、トランプ氏が次期大統領になることを予言していた。多くのアメリカの人々は、初の女性大統領の誕生を確信していたにも関わらずーー。

なぜトランプ大統領は誕生したのか。

11月2日に公開されたマイケル・ムーア監督の最新作「華氏119」は、圧倒的な事実の映像を積み重ねて、その理由を浮かび上がらせる。

私たちはオバマ前大統領の何を見ていたのか。ムーア監督の故郷、ミシガン州フリントの街でオバマ氏は何をしたのか。民主党は選挙で何をしたのか。「ラストベルト」と称される工業地帯の労働者たちは、どう感じていたのか。

事実の点と点をつなぎ、線にして時代を紡ぐムーア監督。大統領選だけでなく、選挙後のアメリカに生まれた新たな希望ーー立ち上がる若者たちや地域住民の姿も、彼のカメラはとらえている。

トランプ大統領の就任後、アメリカに起きた変化とは? 本作で日本の人々に伝えたいことは?11月6日の中間選挙を前に、インタビューを掲載する。

マイケル・ムーア監督

――ムーア監督は、トランプ大統領が就任してからの2年間をどう捉えていますか?

予想よりも悪い事態になった2年間だと思う。

いろいろ小さな変化が常に起こっているが、それに全部目を向けられていないのは悲しい。トランプ大統領がこの国を破壊しようとしている詳細に目が届かないことが……。

――例えば、どんな変化でしょう? もう少し具体例に説明してもらえますか。

例えば、アメリカには環境保護エイジェンシーというのがあって、子どもの環境保護エイジェンシーという部署がある。この部署は、子供の健康を守るための環境、空気や水といった環境を保護する仕事をしている。

トランプ大統領は、この部署のリーダーとスタッフを全員解雇した。

人は、それはちっぽけな事じゃないか、と言うかもしれない。ただ、このような事が毎日起こっている。トランプ大統領は、アメリカ政府の構造自体を破壊し解体しようとしているんだ。

ミシガン州知事を突撃。人体に有害な鉛が検出されたフリントの水を知事の家に撒き散らすムーア監督。

ーートランプ大統領の暴言やさまざまな問題行動を、野党やメディアは止めることができていません。

僕はその努力を精一杯している。彼をあざ笑っているだけでは打倒できないと思う。

最初は彼を本気にした人はいなかった。僕は彼が本気で大統領になろうとしていると思った。その僕の意見に耳を傾けてくれた人は誰もいなかった。

アメリカの「ビルー・マーハー」というリベラルなテレビのトーク・ショーに出演して、「トランプが選挙に勝つ」といったとき、僕はブーイングにあった。

さらに僕は、ミシガン、ウエスコンシン、ペンシルベニア州で勝つと具体的に指摘した。そして現実的に、トランプはこの3つの州で勝利した。

単にトランプを取り除くためにこの映画を作ったわけではないんだ。この映画のテーマはさらにシリアスなんだよ。

2016年アメリカ合衆国大統領選挙で、労働者階級や若者の支持を集めたバーニー・サンダース上院議員(左)にインタビューするムーア監督

――この映画で、日本の人たちに伝えたいことは?

この映画は、究極的にはファシズムについての映画だ。それも”21世紀のファシズム”だ。

トランプのような人間が、人を自分の味方につけ、社会を引き継ぐかたちをとっている。それも、人を強制するのではなく、「僕についてきてくれれば、僕は君たちのためにこんなことができる」というかたちなんだ。

非常に危険な事が起こっている。アメリカ以外の国でも同様なことが起こりつつある。

そういう意味で、この映画は日本にむけてのメッセージが多くこめられた映画だと思う。アメリカで起こっているようなことが日本で起こらないための警告だよ。

この映画を観た日本の観客が、首相に「トランプ大統領と距離を置いてほしい」という懇願の手紙を出してくれればと思う。

今のところ、安倍首相はトランプ大統領の親友の一人のように見える。よい事ではないね。

――”21世紀のファシズム”と表現されましたが、映画の中では、ヒトラーとトランプの共通点を指摘していますね。どういう意図でしょうか。

僕は、トランプがヒトラーのようだとは思っていない。その逆だ。ヒトラーはトランプのようだと言っているんだよ。

映画では、トランプの声がヒトラーの口から出てくる。もしトランプがヒトラーのようだと言いたいなら、トランプにハナヒゲやハーケンクロイツや腕章をつけたと思う。それはしなかった。

だが、あの時代のドイツと現代のアメリカには共通点があると思う。教育をうけた文化的な人間が、非常に悪い判断を下した、という点で。

――映画には、中間選挙の「台風の目」として注目される、白人男性候補を破ったヒスパニック系の20代女性も登場します。ムーア監督は、11月6日の中間選挙をどう予想しますか。

まだ分からないが、女性や若者が多く投票して津波のような効果をもたらすかもしれない。

そして共和党を負かすかもしれない。

ムーア監督。立ち上がった若者たちとともに。

逆に、多くの人がトランプ大統領への惨敗を痛感し、とくに(性的暴行疑惑も浮上した保守派の)ブレット・カバナー氏が最高裁判判事に選ばれてたことにあまりに落ち込んで、投票にもいかないかもしれない。

……..


真相は、『羅生門』?

引き続き芥川龍之介作品について書きます。

前回書きましたように、僕は芥川龍之介作品が大好きでこれまで15ほどの作品をアラビア語に翻訳し、新聞、雑誌、ネット上のサイト、自分のブログなどに掲載してきましたが、これまで僕の方針は、たとえ重訳でも既にアラビア語に翻訳された作品を避け、なるべくまだ翻訳されていない作品を翻訳することを心がけています。ところが、一つの芥川龍之介作品を翻訳のために調べているうち、既にアラビア語に翻訳された「藪の中」を再読しました。それに「藪の中」をもとに作られた『羅生門』という映画も再び見ました。

僕は子供の頃、『羅生門』という映画を大分前にエジプトの国営テレビで見たということははっきり覚えています。同じ頃に、ハリウッドでリメイクされた『七人の侍』の印象が記憶に残っています。

アラビア語に翻訳された「藪の中」を何回も読み返し、『羅生門』という映画を何回も見返した結果、アラビア語版に酷い誤訳がいくつかがあったのを発見しました。その誤訳の原因を調べたら、元になっている英訳版にあるということがわかりました。

例を挙げましょう。

旅法師は、「馬は月毛の、――確か法師髪の馬のやうでございました。丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? ――何しろ沙門のことでございますから、その邊ははつきり存じません。」と証言しています。

それは英訳版ではこうなっています。

「Her horse was a sorrel with a fine mane. The lady’s height? Oh, about four feet five inches. Since I am a Buddhist priest, I took little notice about her details.」

英語訳では(もちろん重訳のアラビア語訳でも)馬の丈は、真砂の身長になっています。しかし、その四寸という丈は、4尺4寸という意味で、英語訳だと4フィート5インチ、つまり計算すると133センチ位です。大人の女性の身長として妥当なのでしょうか。そもそも、その旅法師は馬に乗った真砂の姿しか目撃していないから、彼女の身長を把握するはずがありません。

もう一つの目立った英訳版の誤訳は、多襄丸の白状で「所が泣き伏した女を後に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、氣違ひのやうに縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云ふのです。」と言っています。

それは英訳版ではこう訳されています。

「I was about to run away from the grove, leaving the woman behind in tears, when she frantically clung to my arm. In broken fragments of words, she asked that either her husband or I die. She said it was more trying than death to have her shame known to two men.」

つまり二人の男の(多襄丸か武弘か)どっちが死ぬべきだというところ、英語訳では、台詞は多襄丸の台詞になっているのであなたのところが、「I」になっています。それがアラビア語では、真砂か武弘か死ぬべきだと訳されています。

その他の細かいところがあり、僕はやはり「藪の中」を新たにアラビア語に新訳をしなければならないと決意に至ったのです。そして出来上がった僕の新訳と元々訳されたアラビア語の旧訳に、誤訳の元の原因となった英訳と日本語の原作を全部合わせて僕のブログに掲載しました。

そういうことをしている最中に面白いことを発見したのでご紹介します。

『羅生門』という映画は、1951年に日本の映画界初となるベネチア国際映画際の金獅子賞、同年アメリカのアカデミー名誉賞を受賞し、黒澤明監督(1910~1998)と日本映画の黄金時代が始まるきっかけとなりました。

『羅生門』という映画は、昭和25年(1950年)に、黒澤明監督が自身の11作目の映画として、芥川龍之介の短編小説「藪の中」の内容を映像化したものですが、黒沢監督がそれに同じく芥川龍之介の「羅生門」という短編小説のタイトルとその羅生門前の場所と平安時代という設定にしたのです。

ところがそういう事実を把握している人はあまりにも少ないです。ましてや海外の人々にはほとんど知らないと言っても過言ではありません。大体の外国人は「羅生門」という物語はあの映画だと思っています。『藪の中』の存在すら知らない人がほとんどです。

そういうことで面白い現象が起きています。日本語でも、ある出来事を巡って、当事者は違うことを言って真相がわからない状況を、芥川龍之介の『藪の中』に因んで、「真相は藪の中」という言葉が生まれたとされるように、英語では、同じ状況を言い表すときに、映画『羅生門』に因んで「真相は羅生門」あるいは「羅生門効果」(Rashomon effect)という言い方が生まれたのです。


No Picture

史上最強のムンク展、見どころは「叫び」だけじゃない?

photo

「ムンク展 共鳴する魂の叫び」(朝日新聞社など主催)が上野・東京都ではじまっている。ノルウェーを代表する画家、エドバルド・ムンクの生涯をかけた創作活動が詰まった大展覧会で、オスロ市立ムンク美術館所蔵の「叫び」(テンペラ・油彩画)初来日で話題だ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」、ゴッホ「ひまわり」、ピカソ「泣く女」に並ぶ世界の美術史上最も有名な作品と言ってもいいだろう。

でも、本当に見どころは一作品だけ? 「叫び」だけではないムンクの魅力、刺激を受けたクリエイターの作品も面白い。

ムンク展、会場入り口にSony「BRAVIA」が8台並んでいる。映像作家のTAKCOMディレクションの映像作品だ。ムンクの筆致をなぞるかのように再現されたアニメーションは、あらたなムンクの魅力を引き出している。

会場内に足を踏み入れると約100点にもわたるムンク作品が並ぶ。そこにあるのは「叫び」だけでは捉えきれないあまりにも多彩な作品を描いた画家の生涯だ。例えば、「マドンナ」と題された女性の絵がある。「叫び」の人だと思って鑑賞すると、ちょっと意外な印象を持つ絵だ。

どこかもの悲しげで、それでいて生命とエロティシズムを感じさせる連作である。

ムンクはこんなことを言っている。「読書する人や編み物する女のいる室内画を、もう描いてはならない 呼吸し、感じ、苦悩し、愛する、生き生きとした人間を描くのだ」

彼の描かれている作品が、どうして2018年を生きる僕たちに響くのか。それは同じ人間が描かれているからだろう。「叫び」にあらわれた不安も、「マドンナ」に描かれた悲しみが漂う愛も、何の予備知識を持たずにみても絵から感じ取れるものがある。

それはムンクが徹底的に人間へ接近して描くことによって、作品が「普遍」を獲得したという証左でもある。ムンク展、最大の見所はやはり彼が描きたかった「人間」そのものなのだ。


CLOSE
CLOSE