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戦争は人を嘘に駆り立てる―“TELL ME LIES”

なぜ人間は、こうも他人の痛みについて無感覚でいられるのか。

なぜ我々は、北ベトナムの村人たちに爆弾を日々振らせ続けているアメリカに加担しなければいけないのか。もしくは、英国も参戦すべきだ、とシャンペン片手にパーティーで悠長に政治議論に花を咲かせていられるのか。1968年に制作されたこの映画は、こう問いかける。

焼身自殺をして殺戮への抗議をするヴェトナムの僧侶に対し、共産主義は人を殺すだけだと自由主義とのイデオロギー闘争を主張するタキシード姿の政治家をカットバックする。ドキュメンタリーと再現フィクション、アヴァンギャルドなミュージカルシーン(”Blow the Yellow Ass ” (黄色いケツをぶっ飛ばせ!) )に、ただただ馬鹿げたコメディをシニカルにモンタージュし、この世の矛盾と混沌を炸裂させる。カンヌで上映中止、ヴェネチア映画祭で二冠に輝くが劇場公開は悉く妨害され、短期間に終った問題作。

同じくヴェトナム戦争にまつわる写真表現を批評したスーザン・ソンタグの冷徹な知性も素晴らしいが、ピーター・ブルックの激情はもっと乱暴に人々の心を掻きむしる。人類が戦争を嘘で塗り固める身振りは、実は今もなんら変わっていない。現在向き合うべき問題を鋭く突きつけている。

“TELL ME LIES”(ピーター・ブルック監督, 1968&2012)


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1度の青信号で3000人が利用するも“人身事故はゼロ” スクランブル交差点から再起を図る渋谷のブランディング戦略

 2008年10月1日、観光立国の推進体制を強化するために観光庁が発足されると、2008年当時で約835万人だった訪日外国人の数は、2013年を境に1000万人を超えた(日本政府観光局データより。2017年では2869万人)。奇しくもその頃、渋谷を訪れる外国人観光客から、ある意見が多く寄せられるようになった。

 渋谷には、「渋谷のお土産」が無い。

  「無いというよりは、極端に無いんです。そもそも渋谷は、商業とビジネスで育ってきた街。109、西武、PARCO、レコードショップなど、国内外の人々が日々アップデートされる街。最先端のファッションやカルチャーを感じに来る場所です。例えば北海道なら、牛乳やジャガイモがある。それらがキャラメルやヨーグルト、チョコレートになる。大阪に行けば、お好み焼き、たこ焼きがある。でも、渋谷と言って思い浮かぶ『味』も特産品も無い。つまり、観光資源が無いんです」

 そう話すのは、一般財団法人渋谷区観光協会の理事長を務める金山淳吾さん(40)。観光案内所や観光マップ、地域のイベントづくりなどを担うために渋谷区観光協会が設立されたのも、同じ時期にあたる2012年のことだったという。

 では、渋谷の「観光資源」とは何か――。

 そんな課題と向き合っていた2015年のこと。東京大学と東京芸術大学の学生から、ブランドデザイン授業の一環として、「渋谷らしさ」を模したお土産のアイデアを受け取ったという。

  「渋谷ってお土産が無いよね、という話が発端になったようです。ペーパーにして4㎝ほどの厚さになる、学生たちのアイデアが詰まった冊子が渋谷区に届きました。その多くはハチ公とスクランブル交差点に関連したものでした」

 改めて渋谷の象徴であるハチ公とスクランブル交差点に着目したことで、さまざまなヒントや発見が、さらにアイデアをブラッシュアップする過程で学生たちが行ったリサーチによって、新たな気づきも得られたと金山さんはいう。

 「学生たちが警察にヒアリングをした結果、スクランブル交差点が利用されるようになって以降、『人身事故が一度も起こっていない』ということがわかりました。ピークタイムである夕方の17時~19時では、1回の青信号で3000人が渡る。1日にするとおよそ50万人(駅の乗降客数による算出)が利用する交差点で人身事故がゼロ。しかも、あんなに忙しい街なのに、人々がぶつからないことを前提に、秩序を保って行き交っている。それって、渋谷(日本)ならではの文化ではないでしょうか」

  2016年には、数多のアイデアから選ばれた初代「渋谷御守」のプロトタイプが作成された。スクランブル交差点の形をした御守型チャーム。表面の渋谷御守の文字上にはハチ公の足跡に見立てた印もあるいかにも渋谷らしい御守だ。今回2代目として誕生した「渋谷御守」は、表には渋谷のスクランブル交差点が、裏には忠犬・ハチ公の刺繍がされている。

  「スクランブル交差点は神社仏閣ではないので、当然、何の願掛けにもなりません。ただ考え方によっては、日々の安全、または人と人が『揉めない・ぶつからない』というストーリーを含んだ、渋谷らしいお土産になるのでは」と、金山さんは期待を語る。

  スクランブル交差点の刺繍を見ると、四辺に加え、斜めの1本しか刺繍が無いことに気づく。実はスクランブル交差点は正方形ではないため、長くなる斜めの一辺を通行可能にしてしまうと、青信号で渡り切れない人、さらには交通渋滞の原因にもなる。それを予防するための工夫だという。過去に人身事故が無ければ、細やかな工夫もある。実にユニークな交差点なのだ。

渋谷に潜在する「無形の魅力」を形づくる挑戦

 この一件を機に、「渋谷区のお土産を作る」という有識者の会が立ち上がった。しかし、流行や文化など「無形の魅力」から形ある商品を作る作業は容易ではなかった。

  「スクランブルという味を作ってみたらどうだろうか? という意見もありましたね。ハチ公の『8』と掛けて、8種の風味がスクランブルされた味とか(笑)。八つの酒蔵の味をミックスして日本酒を作ろうなどと盛り上がったりもしたのですが、それは日本酒の規定に抵触するということで断念しました。渋谷には東京タワーも無ければ、スカイツリーも無い。ましてや大きな牧場など……」

  結局、渋谷らしく、渋谷の流儀で訪れる人々を楽しませるには、イベントしかないという結論に至った。渋谷にあるコンテンツをネットワークさせて人々が楽しめる街にする。それが金山さんの考えだ。

  「そのためにまずは、作り手が集まりたくなる空間づくりが必要です。そこから先は各々の分野で観光資源やコンテンツを磨いてもらう他ないのですが、私たちがやるべきはまず、より魅力的な街づくりがしたくなる機運を作っていくことだと考えています」

  その他、パブリックスペースの有効活用と活性化、エンターテインメント化など、やりたいことを挙げれば枚挙に暇がない。しかしそこには、さまざまな制限もあるという。

  「日本では外国の都市のようなストリートパフォーマーの活動は、基本的には違法行為になってしまう。昔は歩行者天国がありましたが、今は道路使用許可を取得して特例的なイベントとして行う必要があるんです。外国人観光客の側に立てば、渋谷に行けば、面白いストリートパフォーマーがいるのでは? アイドルが歌っているのでは? という印象はあるはずです。パブリックスペースをステージに変えられたら、とても面白いことになると思っています」

  御守をきっかけに動き出した、渋谷の新たなブランディング戦略。金山さんたち渋谷区観光協会が掲げたスローガンは「PLAY!DIVERSITY SHIBUYA」。多種多様な楽しみが眠る渋谷のこれからが楽しみだ。

(C)AbemaTV

(2018年9月1日「1度の青信号で3000人が利用するも”人身事故はゼロ” スクランブル交差点から再起を図る渋谷のブランディング戦略」より転載)


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レバノン「キリスト教徒」「ムスリム」の大論争  映画『判決、ふたつの希望』監督インタビュー–フォーサイト編集部

 かつて「中東のパリ」と評されていた地中海の街ベイルート。1943年にレバノンがフランスから独立すると、首都となったベイルートには美しい街並みや海岸を目当てに観光客が押し寄せ、リゾート地として栄えたという。

 だが、シリア、イスラエル、パレスチナに囲まれた小国が、彼らの争いに巻き込まれないはずがなかった。イスラエルを追われたPLO(パレスチナ解放機構)を受け入れたことで、レバノン国内にパレスチナ難民が流入。キリスト教とイスラーム教の宗派対立に辛うじて安定をもたらしていたバランスが崩れ、1975年に内戦が勃発した。シリア、イスラエル、ヨルダンのみならず欧米諸国も介入し、1990年にようやく終結した頃には、ベイルートは壊滅的な被害を受けていた。

 復興が進む今も、内戦の爪痕が色濃く残っている。難民キャンプで暮らすパレスチナ人は、国籍も市民権も与えられず、厳しい就労制限の下、隠れて働いたりしている。そして、そんな彼らを「災いの元」と見做し、苦々しく思っている多くのキリスト教徒がいる。形式上、内戦は終わったとはいえ、今も彼らの心の中では感情的なしこりが解消されないまま残り、怒りが燻り続けているのである。

 8月31日公開の映画『判決、ふたつの希望』は、まさにその燻った怒りに些細なきっかけで火がつき、あれよあれよという間に国家的問題として拡大してしまうという物語。ベイルートで暮らすキリスト教系政党の熱心な支持者とパレスチナ難民という、「水と油」の2人の男が主人公だ。彼らが起こしたちょっとした諍いが大論争へと発展していく様が、少しばかりの滑稽さを交えて描かれている。

 レバノン映画史上初めてアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたこの話題作を手掛けたのは、ジアド・ドゥエイリ監督。1963年にレバノンのベイルートで生まれ、20歳の時にアメリカへ留学して映画の学位を取得。『パルプ・フィクション』でお馴染みクエンティン・タランティーノ監督のカメラアシスタントとして数々の作品に参加し、1998年から自身の監督作品を撮ってきた。

 公開に先立って来日した監督に、撮影の秘話やレバノンの実情を聞いた。

――本作のきっかけになったという個人的な経験について教えてください。

 数年前、私がベイルートのマンションで暮らしていた頃、好きで集めていたサボテンにベランダで水をやっていたら、下で道路工事の作業をしていた方に水がかかってしまい、少し口論になったのです。その時は私がすぐに謝りに行き、大ごとにならずに済んだのですが、もしあの時、状況が悪化して雪だるま式に膨れ上がっていたら、どうなっていたのだろうと、後になって思いまして。それが物語の最初のアイディアが生まれるきっかけになりました。

 この映画には、私がベイルートで「相手」を敵視して育った経験や正義の見方など、自分の中に30年来あったストーリーが反映されています。その扉が、些細なきっかけで開いたのだと思います。

「相手」というのは、キリスト教徒のこと。私が生まれた家庭は、スンニ派のムスリムでした。私自身は全く信仰心がなく、コーランも開いたことがありませんが、たまたま自分の家庭や部族がムスリムだっただけで、「キリスト教徒は敵」という見方が植え付けられてしまいます。特に私は内戦が起きた1970年代に子供時代を過ごしたので、私たちムスリムにとっての敵はキリスト教徒だと、自動的に思っていました。

 また本作の共同脚本家は私の元妻なのですが、彼女の家庭は私の逆で、キリスト教徒側。ムスリムを敵視している家庭で育ちました。だから私たちが映画の中で描いたことは、2人が本当によく知っていること、2人がその中を生きてきたことなのです。

 ただ、この映画は私がこれまで手掛けてきた他の脚本と同じように、とてもシンプルです。今回の主人公は、自分が不当な目に遭ったと感じていて、それを正そうとするのですが、状況が雪だるま式に、自分ではコントロールできないところまで膨れ上がっていく。そういうシンプルなストーリーです。

 社会的なメッセージみたいなものが全くないとは言いませんが、そういうものを意識的に打ち出したくてこの映画をつくったわけではありません。正義とは何か、贖罪とは何か、そういったものは僕には哲学的すぎます。

 もちろん、少年時代に経験した内戦は、私にもの凄い影響とインパクトを与えました。その経験が私の意識下にあるから、作品に自然と滲み出てくるのかもしれません。

 ですが、脚本を執筆する時は、そういうものを全部カットし、キャラクターのことだけを考えて書きます。作品中のクスッと笑うような瞬間も、私の見方を表しているわけではなく、単にキャラクターを有機的に書いていった中で出て来たシーンに過ぎません。

――撮影で苦労したことは?

 彼(笑)。主人公の1人、パレスチナ難民の「ヤーセル」を演じたカメル・エル=バシャさんですね。この役にはどうしてもパレスチナ人の俳優を使いたくて、彼と会わないまま、スカイプでやり取りしただけでキャスティングしてしまったのです。そうしたら、ほぼ舞台しか経験がなく、映画が初めてと言ってもいいくらいだった。舞台は映像作品よりも演技が大きくなってしまい、声のトーンも違う。映像作品の場合は、カメラのアングルや照明の位置を考えながら、動かないといけません。そういうことが分かっていなかったわけです。

 それでも私たちは、苦労しながら撮影を進めていきましたが、カメルさんはいちいち15テイクくらいかかってしまう。それに対し、もう1人の主人公、キリスト教系政党の支持者「トニー」を演じたレバノン人俳優のアデル・カラムさんは、1~2テイクで済むのです。

 撮影を終了した時は、「カメルさんのせいで、この作品がダメなものになった気がする」と、私は泣きながらプロデューサーに電話しました。作品編集の方にも連絡して、「最後までカメルさんは、映画の演技がどういうものか分からないまま終わってしまった。もう駄目だ」と、泣きついたのです。

 ところがその6カ月後、ベネチア国際映画祭で最優秀男優賞に輝いたのが彼だったのです。本当に驚きました(笑)。

 確かに撮影が終わって編集をしていた時に改めて見直してみたら、わりといい演技をしているのかもしれないと思ったのです。撮影期間中は感情的になりすぎていたなと。ただ撮影が終わった直後は本当に落ち込んでしまって、彼のキャスティングの失敗で作品がオジャンになったとまで思っていました。

 私としては、今までで最もパーソナルな作品ですし、持っているものすべてを注いでつくったという気持ちがあったので、うまくいって本当によかったと思っています。

 それに1番キツかったことは、実は映画をつくった後に待っていたのです。

――どんなことだったのでしょう?

 国家や政党が映画の公開に圧力をかけてきたのです。

 話がレバノン政治の細かいところに入ってしまうと、あまりにも複雑なので、簡単にしか触れませんが、この作品の途中にパレスチナ人が加害者だった虐殺事件が出てきます。それがパレスチナを支持する人たちに快く思われなかったわけです。

 パレスチナというのは、世界中のシンパシーを被害者として集めてきた人々であり国であります。でも、そんな彼らもまた虐殺の加害者なのだという非常にデリケートな問題を描いたため、彼らが非常にナーバスになってしまった。

 レバノンの場合、国内で映画を上映するには政府の検閲を通って許可を貰わねばなりませんが、この映画の公開に反対する人たちがたくさん集まり、政府に許可を出さないよう働きかけを行ったのです。幸い、許可がおり、ヒットもしたのですが、公開まで6カ月間も待たされました。

――監督は19歳で渡米したとのことですが、その理由は?

 1983年、高校を卒業して大学へ進学するタイミングで、アメリカへ渡りました。映画学校がレバノン国内になく、映画を勉強するためだったのですが、この頃のレバノンがカオスとも言えるような非常に悪い状況にあったことも確かです。1975年に始まり、1990年まで続いた内戦の真っただ中でした。

 イスラエルが侵攻してレバノンを占領したり、親イスラエルのハジール・ジュマイエル次期大統領が暗殺されたり、ベイルートに派遣されていたアメリカ海兵隊とフランス軍の兵舎が爆破され、数百名の死者が出たりということが次々に起きた時期ですから、アメリカへ行くのにちょうどいいタイミングだったのです。

 結局、15年間戻りませんでした。弟も1986年にアメリカへ来たものの、両親はレバノンに残ったので、その間はずっと離れ離れ。父は農業関係のビジネスマンで、母は弁護士をしています。

 実は2人とも内戦中に政党に参加し、攻撃対象にならないモスクの地下で、秘密のラジオ局を運営していたのです。モスクに来たふりをして中に入り、地下3階にある小さな部屋へ行く。そこにはアンプとマイクがあって、スピーカーがモスクの中に響くようになっている。両親が参加していた政党が武闘派だったので、自ずと「敵」という存在ができた。それが私が自動的に敵視していたキリスト教徒だったわけです。

 この作品は、私が経験してきたことの延長線上にあります。親が武闘派の政党に参加して戦っていたし、私自身、波乱の時期を過ごしている。その経験は、アメリカに15年渡っても消えるものではありません。自分というハードディスクに残り、世界の見方を形づくるものですからね。

 ともあれ、ご覧になってくださる方々には、楽しんでいただきたいのと、全然難しくないからね! ということをお伝えしたいです。

フォーサイト編集部 フォーサイト編集部です。電子書籍元年とも言われるメディアの激変期に、ウェブメディアとしてスタートすることになりました。 ウェブの世界には、速報性、双方向性など、紙媒体とは違った可能性があり、技術革新とともにその可能性はさらに広がっていくでしょう。 会員の皆様のご意見をお聞きし、お力をお借りしながら、新しいメディアの形を模索していきたいと考えております。 ご意見・ご要望は「お問い合わせフォーム」や編集部ブログ、Twitterなどで常に受け付けております。 お気軽に声をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

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(2018年8月31日フォーサイトより転載)


世界の分断を乗り越えるために必要なものとは。映画『判決、ふたつの希望』の描くもの

 世界中で分断が深刻化している。トランプ政権を抱えるアメリカ、欧州では難民受け入れに対する人々の意識は乖離しはじめている。寛容な世界に向かうどころか、民族的対立はますます根深くなっている。日本社会でも政治的意識、経済的格差、世代対立など、様々な場面で分断が進行している。

 8月31日より公開の映画『判決、ふたつの希望』は、そんな分断化する世界の急所を点いた作品だ。

 映画の舞台はレバノンの首都ベイルート。住宅街の違法建築の補修作業をしていたパレスチナ人の現場監督ヤーセルが、あるアパートのベランダから水漏れしているのを見つける。その家主は、キリスト教で右派政党支持者のトニーだった。二人はその場で口論となり、ヤーセルが悪態をついたことに腹を立てたトニーが建築会社に謝罪を要求するが、トニーの攻撃的な態度は事態を悪化させ、トニーもまたヤーセルに差別的な言葉を投げかけてしまう。

 ささいな口論から始まったこの争いは暴力沙汰となり法廷闘争に発展。レバノン右派支持者とパレスチナ人の争いであることから民族同士の対立も煽られ、国中を巻き込む大きな事件へと発展していく。

 なぜただの口論がそれほどの大騒動になりうるのか。そこにはレバノンの複雑な歴史も絡んでいる。映画は対立的な民族感情が生まれる歴史背景を抑えながら、レバノン固有の問題に着地せず、世界中で起こる分断の構図を見出す。

 そしてその分断を乗り越えるためには、人間にとって普遍的なものが重要であることを映画は示す。

 本作の監督、ジアド・ドゥエイリ氏の言葉も借りて解説する。

 

18の宗派が共存するレバノンの日常風景

 レバノンは18もの宗派が共存する国家だ。かつてはキリスト教が多数を占めていたが、近代の中東の紛争の歴史を経て、パレスチナ人などが難民として流入してきたことなどから、今では多くの宗教・宗派がモザイク状に存在している。

 そんなレバノンでは、日常生活においても宗派の違いを意識したコミュニケーションが求められるそうだ。

 アラブ映画研究家で、慶應義塾大学SFC研究所上席所員の佐野光子氏は、自らのレバノン滞在経験での日常生活をこう語る。

 タクシーに乗り込んだらまずはバックミラーとフロントガラスをチェックする。ミラーからぶら下がっているものが十字架のついたロザリオ(まさにトニーの車のミラーにもかけられていた)か、あるいはタスビーフ(ムスリムが使用する数珠)か。フロントガラスに貼ってあるステッカーはマリア像か、政治指導者の写真か、あるいはクルアーンの聖句か。

 カーラジオから流れているのはレバノンの歌姫フェイルーズか、あるいはナシードと呼ばれるイスラームの宗教歌か。これらの情報をもとに運転手のプロファイリングを行うことで安心して会話に入っていくことができるのだ。(映画のプレスシートより引用)

 レバノンでは日常生活において、このような宗教的地雷を踏まないよう注意深い観察眼が要求される。映画には、トニーがアクセントでヤーセルをパレスチナ人だと見抜くシーンがある。ドゥエイリ監督はレバノン人ならアクセントで人の属性を見分けることはたやすいことだと言う。

  

「アクセントの他にも宗教的なグッズ、例えば十字架ですがそういうものをすぐに見つけることができるのがレバノン人です。やはりそれはこの国では宗教が重要な意味を持つからです。レバノンを作るのも、滅ぼすのも宗教ですから」

 

 物語の発端となる諍いは、そういう環境で生まれたものだ。なぜ二人の男の口論が国を揺るがすほどの大事件に発展してしまうのか。上述のような、日常においても気をつけるささいな宗教的なコミュニケーションバランスを、このささいな事件がヒビを入れてしまい、普段抑圧されているわだかまりのような感情が噴出したのだ。

 

複雑な対立を乗り越える普遍の人間性

 

 二人の対立は、当人たちの思惑を超えた事態に発展する。弁護士たちの思惑も重なり、法廷闘争もどんどんヒートアップしていく。そこに問題を拡大解釈するメディアのフレームアップ機能も加わる。わかりやすい分断の構図は、メディアにとって格好の題材となる。数字がほしいだけの者にも、正義を掲げたい者にとっても。

 この対立に終わりはあるのか。映画はこの対立の克服には人と人との普遍的な付き合いこそが重要だと示唆する。この映画の優れた点は、レバノンの複雑な政治状況を浮き彫りにしたことではなく、その複雑さを乗り越えるものは実はシンプルなものだと描いているところだ。

 ドゥエイリ監督は映画作りにおいても大切なことは普遍性だと語る。

 

「重要なのは、どの文化にもある人間的な部分を描くことです。もちろん文化固有の具体性を掘り下げる作品にも素晴らしいものはありますが、私の映画はもっと普遍性に寄り添っています。この映画の舞台にベイルートを選んのだのは、私自身のベイルートでの体験をきっかけに生まれた作品だからです。もし東京で同じような体験をしたら東京を舞台に選んだでしょう」

 

 騒動が大きくなるのを尻目に、二人の当事者はある出来事をきっかけに互いの人間的な部分を見つめることになる。それがこの映画に描かれる希望だ。それはレバノン特有のものでも、キリスト教やイスラーム教特有のものでもまったくない、人間誰もが持つほんのちょっとの親切心だ。

 こうした大きな事件に直面した時、我々はしばしばその本質を見誤る。本質とは歴史的な対立か、宗派の違いか。この映画はそうではないと語る。

 

「この映画は、お互いが大きなコンテクストの中で個人が見えなくなってしまった二人が、互いのことを一人の人間なんだと認知した瞬間を描いているのです。友情というほど深いものですらないのです」

 

 世界を覆う分断を乗り越える希望は、愛ほど強い感情である必要はない。友情ですらなくてもいい。ただ、人が人であると見つめること、それだけだ。

 ものすごく複雑な背景をたどりながら、とてもシンプルな、それでいて圧倒的に力強い結論にたどり着く。まさに2018年に観る価値のある一本だ。


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「アンドロイドを通して人間は自分自身を見る」 オーケストラの指揮をするロボットに感情移入する理由

7月22日に日本初演が開かれたアンドロイド・オペラ「Scary Beauty」。情熱的に腕を振り上げて、30人近いオーケストラの指揮を取るのは人間ではない。東大や大阪大の研究者らによって作られた人間型ロボット「オルタ2」だ。

銀色の金属が剥き出しになったボディに、リアルな顔面がついた「オルタ2」の公演は、未体験の空間。公演名が「Scary Beauty」(不気味な美しさ)とは、言い得て妙だ。

公演のディレクションと、作曲・ピアノを担当したのは音楽家の渋谷慶一郎さんだ。公演の最後で、渋谷さんのピアノとオルタ2の歌唱のデュエットが終わると、会場は万雷の拍手で包まれた。

ハフポスト日本版の編集主幹・長野智子が、テクノロジーと芸術の可能性について渋谷さんにインタビューした。「ロボットと人間は恋に落ちるか?」と質問した前回の記事に続き、今回はオルタ2の歌詞に込めた思いのほか、アンドロイドの表現に人間が感情移入する理由について切り込んだ。

渋谷さんが考える人間とアンドロイドに共通する「本質」とは何だろうか?

 

「ストレンジな天才」の言葉をロボットが歌う

 オーケストラの指揮をする「オルタ2」

— アンドロイド・オペラを謳っているだけあって、オルタ2が歌いますよね。とても不思議な空間に感じましたが、どういう意図だったんですか?

まず最初に考えたのは何を歌うのが良いのか、ということです。言葉はすごく強いメディアです。アート寄りのいわゆるわかりやすく尖った人(笑)の中には「言葉がないほうが格好いい」という人も多い。僕自身も音楽を作るだけなら言葉も声も未だに無くてもいいんです。

ただ劇場作品、特にオペラになると言葉の威力は絶大です。当たり前なんですけど。僕の(初音ミクを使ったオペラ)「THE END」という作品は6年前に作って未だに世界中で公演していますが、お客さんの反応を見ていると、明らかに歌詞というか言葉で感動している側面がある。

で、今回の場合は僕自身がテクストを書くのではなくて、既に存在している「偏った普遍性」のような言葉を選んでいます。世界にはいろんな作家、哲学者、科学者、宗教家がいますが、「人類最後の7つの言葉」じゃないですけど、彼らの言葉の断片をアンドロイドが歌ったら面白いなと思いました。

—世界のどこの国の人が見ても「あっ」と思う言葉ということですよね。どんな内容なんでしょう?

僕が選んだのは、ある種のアウトサイダーというか「ストレンジな天才」みたいな人の言葉が多いんです。僕も全く正しくない人間だから、彼らを擁護したいという気持ちもあるんですけど(笑)、アウトサイダーというか「正しくないかもしれない」言葉の方が本質的だと思います。

また、哲学者のウィトゲンシュタインや、作家の三島由紀夫の遺作を歌詞にして思ったのは、人生の最後の作品には、感情の揺れ動きや、ある種の破綻・崩れみたいなものが存在する。こういう極めて人間的な事象を人間じゃないアンドロイドが歌うというのは別のリアリティが生まれる可能性があります。

 

アンドロイドを通して人間は自分自身を見る

—アンドロイドの表現に対して人が感情移入するようになってくると、例えば義手や義足などをめぐるテクノロジーへの見方も変わるかもしれませんね。

実際に人間の足よりも、義足のほうが速く走れるようになるのではないかとも言われています。2020年の東京オリンピックでは、義足の記録が健常者を塗り替えるかもしれないと言われています。

そうなってくると、義手や義足が「かわいそう」とかではなくて、「こっちのほうが格好いいし、美しい」みたいな見方をされると思うし、そうなるべきだと思います。アンドロイドはそこの認識の橋渡しにもなるだろうし、捉え方も変わってくると思います。

— そうなると、将来的に「人間は不要」となってしまいませんか?

僕はどっちかというと「人間は不要」と思っている方です(笑)。というか人間がボトルネックになっている側面は確実にある。ただ同時に、新しいテクノロジーと出会ったときの人間の可能性は計り知れないとも思います。

— なるほど、それで皆さん「人間を作りたいわけじゃない」とおっしゃっているんですね。

人間を目指して作っているわけではないですが、アンドロイドは人間に近い形をしているほうが面白いということはあります。すごく正確に指揮棒を振るメトロノームみたいなアンドロイドも選択肢としてはあるけど、見る側からすると全然面白くない。

オルタ2のようなアンドロイドに感情移入するのには理由があるんです。すごくミニマル(最小限度)な、極端に削ぎ落とした金属のボディで、装飾もほとんどないから、人間は鏡みたいに自分を見ることになるんです。

—そういうことかぁ。なるほど。

オルタ2の顔とか外見がすごくミニマルで、何も飾りがない。(鏡のように機能するという意味で)この場合はすごく有効なんです。

— オルタ2が笑うシーンがありましたが、あれは自分から表情を変えているんですか?

そうです。あれは僕も好きなんで「多めに」とは言いましたけど(笑)。いくつかの印象的な顔のバリエーションがあります。

— 面白いなぁ。アンドロイドが本当に音楽に没入している感じに見えるんですよ。気持ちよさそうに音に乗って笑って、恍惚としているように感じました。

そうですよね。でも、もしあなたが音楽を聞いているときに恍惚として笑うかというと、そこまで行くことはあまりないでしょう。ただ、演奏していたら笑うかもしれない。ということは、(あなたが)オルタ2のように演奏している自分を想像しているんです。

それがさっき言っていた「鏡みたいに自分を見る」ことなんですね!

そうそう。

 

公演を「Scary Beauty」と名付けた理由

 

— 今回の演奏はすごかったですね。日曜日の夜なのに、お客さんもたくさんいらしてました。やっぱり、オーケストラという最も人間らしい行動を、アンドロイドと一緒にどうやるのかと興味を持った方が多いようですね。

僕はコンピュータだけで電子音楽を作ることもあるし、ピアノも弾くし、今回みたいにオーケストラでやるときもある。だけど、最先端の電子音楽だけだと最先端なことが好きな人しか集まってこなくて、そこでのある種のジャッジの甘さというか内向きな雰囲気に飽きることはある。

それよりも、さまざまな分野の人が来たとき、総合的に「すごくいい」とか「美しい」とか印象に残る作品のほうが強い。これは僕がパリに住んだりする中で強まった指向性なんですけど。オーケストラとか指揮者というもの自体が、人間を象徴するものですよね。

同時にオーケストラは、すごく完成されたフォーマットで僕はこれに匹敵するのはギター、ベース、ドラムのスリーピースくらいしかないと思っていますけど、指揮者がタクトを振るというところの、指揮者をスコンと外してアンドロイドにしたのが今回です。

僕が手がけた初音ミクを使ったオペラ「THE END」では、ステージ上に人が誰もいないオペラでした。これはヨーロッパ人にとってはありえない。それと同じように、一番中心になるものをゴソッと抜いてやると、別の何かが見えてくるんです。

— そうなんですね。たとえば指揮者でも、昔の恋愛経験とか、さまざまな体験が指揮に影響を与えますよね。芸術家は、自分の経験を糧に表現行為をします。人工知能もいずれはそういう風になるのでしょうか?

今後、でしょうね。ただ、やっぱり人間が感情と呼ぶものと、アンドロイドの感情は、また違うものです。全く新しい感情というものがあってもいいと思うんです。

— 人間が持っていない感情が生まれると?

そう。だから、人間の行動をトレースさせるという方向は、そんなに面白くないんです。だから、今回の公演タイトルのScary Beautyというのも、そういう意味を込めたんです。

「Scary」という言葉は、日本語にすると「ちょっとキモい」みたいな意味です。気持ち悪いと美しいとかって、ほとんど混ざらない感情だけど、でも実際に生きていると、そういう感情が混ざっている瞬間って結構あります。だから、アンドロイド固有の感情みたいなものが、立ち上がる日がきたら、それは面白いんじゃないかと思います。

 

人間もアンドロイドも本質的には「危険なもの」

—最終的に渋谷さんがご自身の音楽や芸術の活動で、どんなものを目指していますか?

僕は両極端なものが一緒に混ざっているという状態が好きなんです。だから「ただひたすら美しい」とか「ただひたすら気持ちいい」という物ではなく、「Scary Beauty」のように、まったく真逆のものがあって「この気持ちを何て言ったらいいのかわからない」みたいなものが作りたい。

だから、将来的な夢で軍事ロボットでオペラが作りたいとよく言ってます(笑)。人を殺せるような軍事ロボットがステージに上がったら怖いですよね。コントロールミスが起きたら来場者はみんな殺されちゃうかもしれない。

でも、そのロボットが歌いだして奇跡的に新しくて美しい音楽が顕れたら、人は恐怖の隣り合わせで、それこそなんとも言えないとかどころじゃない体験をすることになる。オーケストラから客から、全部殺せる可能性を持っているロボットが奇跡的なバランスでそれを作る。ただ、人が感動とか言っている状態の裏には常にそういう危険な状態が潜んでいるのも他方の現実です。それを極端な状態で提示して新しい感動のようなものを作ってみたい。

今は、日本に限らずものの見方が否定的になっていますよね。他人のバッシングとか、毎週のようにメディアが誰かを潰したりして喜んでいる。ただ、肯定的な世界というのは別に楽園のようなものではなくて、(物事には二面性があるとい意味で)まずい側面もあるけど、こういう凄いこともできる…という可能性を示すということですよね。それは振れ幅があるほど面白いし、可能性というのはそういうものです。

— なるほどね。ある種、「二面性がある」というのは最も人間的な表現ですよね。

うん。だから、人間もアンドロイドも、全てを叩き壊す可能性があるから、本当は、とても危険なものです。それを見ないで「美しい物がいい」とか「感動したい」っていうのは甘い。物事に感動することの背後には、ものすごくひどい現実や、ものすごくひどい感情があります。僕は、その両方を肯定したいんです。

渋谷慶一郎さんのプロフィール

渋谷慶一郎さん(左)と長野智子

音楽家。1973年生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースする。代表作にピアノソロ・アルバム『ATAK015 for maria』『ATAK020 THE END』、パリ・シャトレ座でのソロコンサートを収録した『ATAK022 Live in Paris』など。また、映画「はじまりの記憶 杉本博司」、ドラマ「TBSドラマSPEC」など数多くの映画・TVドラマ・CMの音楽も担当。

2012年には、初音ミク主演による世界初の映像とコンピュータ音響による人間不在のボーカロイド・オペラ「THE END」をYCAMで発表。同作品は、その後、東京、パリ、アムステルダム、ハンブルグ、オーフスで公演が行われ、現在も世界中から上演要請を受けている。最新作であるアンドロイドとオーケストラによるモノオペラ「Scary Beauty」の全体ディレクションと作曲を行なっている。現在は東京とパリを拠点に活動を展開している。


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ロボットと人間は恋に落ちるか? アンドロイド・オペラ『Scary Beauty』の渋谷慶一郎さんに聞いた。

それは、異様な空間だった。人間そっくりのロボットが、うれしそうに笑いながら歌を歌っていた。さらに、手を動かして、オーケストラの指揮までしているのだ。想像すらしたことがなかった光景に、私はすっかり圧倒されてしまった。

7月22日、都内の日本科学未来館で開かれた公演「アンドロイド・オペラ『Scary Beauty』」だ。同館に常設されている人間型ロボット「オルタ2」がボーカルと指揮を担当し、国立音楽大学の学生と卒業生の有志がオーケストラを担当した。

歌を歌う、オーケストラの指揮をするというのは、とても人間らしい行為だ。それを敢えてロボットがする。30人近くのオーケストラがロボットの指揮に付き従う姿は、テクノロジーに支配された現代社会の縮図にも見える。

なぜこのような奇妙な公演が開かれたのか、そこに隠された意図とは……。公演のディレクションをした上で、作曲とピアノも担当した音楽家の渋谷慶一郎さんに、ハフポスト日本版の編集主幹、長野智子がインタビューした。

渋谷慶一郎さん(左)と長野智子

      

アンドロイドに疲れがたまった?

— 「Scary Beauty」日本公演のご成功、おめでとうございます。ご自身ではもう本当にやりきった、という感じですか?

やりきったというか「本番にギリギリ間に合った」という感じです。本番前日まで、すごい修羅場でした。完成度が望むところまで行かず、ずっとリハーサルしていたから、アンドロイドが疲れてきちゃったんです。

— アンドロイドでも、疲れるんですか?

上下運動の戻りが段々と、遅くなるんですよ。想定を超えた激しい動きをしたからなのか、他に原因があるのかは分かりません。とにかく、プログラムを何も変えていないのに、オーケストラの団員から「昨日の動きとスピードも全然違う」って声が出ました。

— それは面白いですね。人工知能でも疲れて気分が乗らなくなってくると。

「AIに仕事を奪われる」みたいな言説よりも、はるかにリアルですよね(笑)。もし、人間の指揮者の動きが通常と違ったら、「体の具合は大丈夫?」と心配されます。でも、機械の動きが遅れると「何か故障している」と言われる。でも一般的なコンサートだって、人間の指揮者が疲れてラグがあるのを、オーケストラが受け入れる必要があります。

アンドロイドの動きが前日までと違っても、「わかりました」「やりきろう」ってオーケストラの意識が一致したときに、ちょうど本番が来たんです。そしたら、本番は問題がなかったんですよ(笑)。ちょっとびっくりしました。

 

人間と機械の関係を逆転させたかった 

公演での「オルタ2」

— 「Scary Beauty」は、人工知能の「オルタ2」が指揮者になって人間のオーケストラを演奏させるという試みですよね。彼の人工知能が自分で判断して自動的に体が動く。

オルタ2は、誰にも命令されなくても、勝手に動きます。ただ、勝手に動いているだけじゃあ指揮にならないから、いくつか外からコマンドを入れていますね。

— なぜ、この試みをしようと思ったんですか?

Scary Beautyのプロトタイプの初演は2017年9月、オーストラリアのアデレード・フェスティバルでした。現地のオーケストラと一緒に、スケルトンというアンドロイドが歌を歌ったんですが、物足りない思いがありました。このときはアンドロイドがヴォーカリストとして歌うだけだったので、口の動きを合わせるというのはあるけど、基本的に歌は録音を流すだけ。もっと面白くないとダメだなと思いました。

その後、このワーナーミュージック・ジャパンのオフィスでプロデューサーの増井健仁さんに、(電子音楽家でキーボーディストの)ことぶき光さんを紹介してもらったんです。彼は冨田勲さんが作曲した「イーハトーヴ交響曲」でオーケストラと初音ミクが同期するシステムを開発した人です。

ことぶきさんと、人工生命研究者の池上高志さん(東京大学教授)らと盛り上がって、最初のミーティングなのに3時間半くらいオープンに議論したときに、「ロボットが指揮もしたら?」というアイデアが出たんです。

そのときに僕が思ったのが、普通は人間がマスター(制御する側)で、機械がスレーブ(制御される側)なんだけれど、関係が逆転したら面白いなということです。すでにそういう逆転は、世の中の至るところで起きています。

たとえば、相手としゃべっていても、スマートフォンをずっと見ている人っているじゃないですか。単なる携帯電話の時は起きなかったわけだから、これはすでにテクノロジーに支配されているとも言えるでしょう。

人と会話しながらスマホを見て、ときどきメールも打つという動作に関わる情報量って、100年前の人間には絶対になかった。人間の体は100年前と全く変わってないのに、情報量だけが増えた。人間は、どんどんテクノロジーと情報に浸食されている。僕はそのことをネガティブには捉えていなくてむしろ、良いモチーフになると思ったんです。

だから、もしアンドロイドが指揮する中で大暴走したとしても、人間がそれについていかなくちゃいけない…。そういうことができたら面白いと思いました。

— 人間が技術に引っ張られている現代社会の写し鏡にもなりえますね。

もちろん、今のテクノロジーのレベルだと、人間がリーダーシップをとる側面の方が大きいのが現実です。でも、テクノロジーを使って音楽をつくるということ自体が、後の時代から見ると「この時代はこうだった」というレポートになります。それになるべく率直に従うと「アンドロイドが人間を支配して、オーケストラを率いる」というのは、最初の枠組みとして面白いなと思いました。

 

アンドロイドの指揮、重要なのは「呼吸」だった

オーケストラの指揮をする「オルタ2」

— オーケストラは、とても人間らしい芸術の1つですよね。指揮者と楽器を弾く楽団員がいる中で、一番苦労したのはどの点ですか?

やっぱり、最初はオーケストラの人から「(オルタ2の)指揮がわからない」と言われちゃうところですね。

— オルタ2の指揮って、人間の指揮者だったらシャッと振るところを、モヤっと動いているような場面もありましたね。

シャッとやるところは結構あるけど、空気アクチュエーターで制御しているからパキッパキッとは振らないんですよ。その指揮の癖をオーケストラが掴まないと音楽にならない。でも、それって人間の指揮者でも実は起きていることです。

(ドイツ出身の)カルロス・クライバーのように名指揮者と言われる人も、一見すると適当に振っているようにしか見えないけど、リハーサルで細かくオーケストラに教え込んでいます。だから、そこでお互いに許容し合うほうが面白い気はするんですよね。

— そこでオルタ2が呼吸するように上下に小刻みに動くように工夫されたそうですね。どういう経緯だったんでしょうか?

あれは偶然の産物でした。夜通しでリハーサルする日々が続き、未来館のスタジオでオルタ2のさまざまな動きをつくる中で、たまたま肩でアンドロイドが息をしているような動きができました。その動画をオーケストラの団員に送ったら「これはいけるかもしれない。呼吸しているように見える」と言われたんです。

僕らはそれまで「手の動きでどうやったらアンドロイドを指揮者に仕立てられるか」と、一生懸命考えていました。でも、人間って会話する時も、音楽をする時も、相手の呼吸を見ていますよね。演奏者は演奏するとき、指揮者の呼吸を見るのが当然なんです。

オーケストラの演奏統括した現代音楽の作曲家の川島素晴さんが、最初にオーケストラ団員に話したときに「呼吸しないアンドロイドと私達がどうやって演奏するんですか?」って言われたそうです。オーケストラの演奏者にとっては、「どう振っているか」よりも「呼吸を感じられるかどうか」が重要で、そこで1回僕たちもリセットされたんです。

「呼吸か!」と思いました。オルタ2の肩と腰の上下運動を呼吸しているものとしてリズムを取ると、演奏者はだいぶ演奏しやすいんです。

でも、それって人間同士でも本質的なことじゃないですか。相手の目を見たり、呼吸を感じたりするのは、コミュニケーションでは基本的でかつ本質的なことです。アンドロイドと協働することで、人間関係やコミュニケーションの本質を発見するというのは面白いことだなと思いました。

 

ロボットと人間は恋に落ちるか?

渋谷慶一郎さん(左)と「オルタ2」

— 私は今回の公演を見ていて、最後のほうになると、もう完全に「オルタ2自身が音楽を楽しんでいるな」っていう感じがしてきました。一種の不思議な経験だったんですよね。

そう見えてくるんですよね。

— 完全にオルタ2の指揮であの演奏が行われたわけですよね。

そうです。ただ、僕もフォローはしています。ピアノを弾くことで、オルタ2のことを助けている。オルタ2とオーケストラを結ぶインターフェイスになっているんです。

— 最後に渋谷さんがピアノで、オルタ2と2人きりで演奏しましたね。オルタ2と渋谷さんが見つめ合う感じもありましたが、ロボットと人間が恋に落ちることもあるんじゃないですか?

将来的に、当然あり得ると思います。

— 渋谷さんもオルタ2と恋に落ちたのでは?

もうちょっと、アンドロイドの体が柔らかくなったらあるかもしれないです、嫌いじゃないんだけど(笑)。

ただ、自分の曲でオルタ2が指揮をしながら、めちゃくちゃに近いエモーショナルな動きをしたとき、すごく不思議な気持ちになりました。

アンコール前の本編最後の曲は、今回の公演のために作った新曲ですが、ちょっと変わった構成になっています。最後に「アー」ってオルタ2が、抑圧された絶叫のような声を伸ばすんだけれど、それが10数小節も続くんです。人間では息を吸わないといけないので不可能です。

「アー」と声を伸ばしている最中、アンドロイドの動きのプログラムを担当した土井樹君がオルタ2のそれまでの動きのプログラムを総動員して、めちゃくちゃに動かしたんです。パターンを思い切り突っ込んで、制御不能のような状態にしたんです。すると、演技を超えるような演技が現れた。横で見ていて、わけがわからないというか、すごく不思議な気持ちになりましたね。

— 最高ですね。これまでに存在しえなかった芸術の境地ですね。

だから、これを推し進めていくと、人間を模範にしない感情表現みたいなのがどんどん作られていくと思うんです。それを見たときに人間はどう思うのか?今回で完成じゃなくて、これで本当のスタートが切れたと思っています。

  

■渋谷慶一郎さんのプロフィール

音楽家。1973年生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立、国内外の先鋭的な電子音楽作品をリリースする。代表作にピアノソロ・アルバム『ATAK015 for maria』『ATAK020 THE END』、パリ・シャトレ座でのソロコンサートを収録した『ATAK022 Live in Paris』など。また、映画「はじまりの記憶 杉本博司」、ドラマ「TBSドラマSPEC」など数多くの映画・TVドラマ・CMの音楽も担当。

2012年には、初音ミク主演による世界初の映像とコンピュータ音響による人間不在のボーカロイド・オペラ「THE END」をYCAMで発表。同作品は、その後、東京、パリ、アムステルダム、ハンブルグ、オーフスで公演が行われ、現在も世界中から上演要請を受けている。最新作であるアンドロイドとオーケストラによるモノオペラ「Scary Beauty」の全体ディレクションと作曲を行なっている。現在は東京とパリを拠点に活動を展開している。


松井珠理奈はCG出演、AKB48新曲MVが異例の“未完成”公開

 AKB48の53枚目シングル『センチメンタルトレイン』のミュージックビデオが公開された。

 『センチメンタルトレイン』は、6月16日に行われた「第10回AKB48世界選抜総選挙」の結果を受けて制作された新曲で、ドラマ仕立てのミュージックビデオははかなさや寂しさが漂う”センチメンタル”な仕上がりになっている。

 総選挙で1位を獲得し、この曲でセンターを務めるはずだった松井珠理奈(21)は現在、体調不良のため活動を休止中。今回のミュージックビデオは、松井が出演する予定だったドラマのシーンを絵コンテで表現し、ダンスパートもCGで代用するなど、前代未聞の”未完成作品”として公開された。

 松井が活動復帰した際には、追加撮影と再編集を行った完全版が制作される予定で、CD購入者に配られるシリアルナンバーで視聴ができるように対応を検討しているという。

(2018年8月23日 AbemaTV/『AbemaNews』より転載)

Abemaビデオ▶松井珠理奈が出演した『矢口真里の火曜The NIGHT』はこちら


平成最後の夏。元コギャルを集めて『SUNNY 強い気持ち・強い愛』“同窓鑑賞会”をしてみた

ミニスカと、ラルフのカーデ。ハイビスカスのゴムで茶髪を上げて、ショッパーを斜めに担ぐ。足元はもちろんルーズソックス。

安室ちゃんとTKが「最強」で、放課後はカラオケかファミレスでバカ騒ぎ。

そんな青春時代を過ごしたアラフォー・アラサーたちを「懐かしさの波状攻撃」で号泣させる映画が、平成最後の夏に誕生した。

監督・大根仁。

『モテキ』や『バクマン。』など大ヒット作を生んだ邦画界のカリスマが次に挑んだのは、かつて”日本の原動力”だった女子高生たちの、”その後”の話。

作品には、こんな想いが込められている。

90年代のコギャルブームを牽引した女子たちも、今やアラフォー・アラサー世代。ママとして、ビジネスパーソンとして、そして”女性”として、様々に悩みを抱えて生きている。

篠原涼子演じる奈美も、家族の生活を支える専業主婦として平凡な日々に物足りなさを感じる毎日を過ごしていた。しかし、20年ぶりに再会した親友の芹香(セリカ)が末期ガンに侵されていると知り、日常は一変する。

芹香の最後の願いは、高校時代の仲良しグループ「サニー」のメンバーに再会すること。奈美はメンバー探しを始めるが、過去のある”事件”が尾を引き……。

芹香役の板谷由夏(左)と奈美役の篠原涼子(右)

今回ハフポスト日本版では、かつてコギャルだったアラフォー・アラサー女性に集合してもらい『SUNNY 強い気持ち・強い愛 ”同窓鑑賞会”』を実施。当時の流行と思い出を交えながら、映画の感想を語り合った。

大人になってからわかる。あれが”青春”だったって。

座談会に参加した服部さん(ライター:右)、篠田さん(編集者:右から2番目)、川口(ハフポスト日本版エディター:左から2番目)、川崎(ハフポスト日本版エディター:左)

川口:楽曲やプロップはもちろん、コギャル時代を演じた広瀬すずたちの見た目や雰囲気も、90年代がしっかり再現されていましたよね。

篠田:仲良しグループの空気感まで当時と同じでしたね。なんでも楽しくて、先生に怒られても笑ってて。将来のことを考えずに、毎日ただ夢中に過ごしていた頃を思い出しました。映画の冒頭でも「何があんなに楽しかったんだろう」って言ってたけど、その通り。

服部:あの頃、当事者たちは「これが青春なんだ」とは思ってなかった。でも、こうして映画として当時の世界観を振り返ってみると、私たちもすごくエネルギッシュに生きていたなって思いました。

「わたし」より「ウチら」。一人称はいつも「複数形」

川口:この映画を制作するにあたり、当時コギャルだった方々に小物を提供してもらったり、仕草や話し方の監修をしてもらったりしたそうです。ルーズソックスやミニスカ、ショッパーなど、様々なアイコンが登場していましたが、特に印象に残っているのは?

服部:私は、写真にグッときました。あの頃は写メとかもないから、みんな写真に『ポスカ』でいたずら書きしてたよね。「ずっとLOVE」とか、「ウチら最強」とか。「ひとり」とか「自分が」というよりも、仲間意識を表現する単語を多く使っていた気がする。一人称はいつも「ウチら」だった。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』パンフレットの一部。当時は写真に直接メッセージを書き込んでいた。

篠田:ルーズソックスもセーターも、今見てもかわいいよね。

あとすごいのは、こういうコギャル文化はどれも、東京の女子高生たちが作って発信していったカルチャーだったということ。ほかの流行に乗っかるわけでもなく、自分たちで「これがいい、かわいい」って判断して、自然発生的にスタイルができて、ムーブメントになっていた。

川崎:私は地方出身なので、広瀬すずが演じる奈美の心境に共感しました。コギャル文化に憧れるけれど、自分はなれないという、あの感じ。雑誌で見る世界とはほど遠いのだけど、精一杯ルーズソックスとか履いて、流行に近づこうとしていたな。当時、東京にはいなかったコギャル世代が観ても、きっと懐かしく感じるはず。

川口:ちなみに、劇中にも出てきた”ヒス”こと『ヒステリックグラマー』のあの黄色いショッパー、メルカリで出品されていたものを私も買いました(笑)

全員:ええ〜〜〜〜〜〜!?!?

HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)のショッパー。高校生にとっては高いからなかなかショッパーも持てず...使いまわしてました。ほかにも当時流行ったアイテムが多数登場し、懐かしさを感じられるのも見どころ。

結婚、子育て、仕事。状況は違っても、会えば一瞬で「あの頃に戻れる」

川崎:サニーのメンバーみたいに、どんなに仲が良くても、歳をとるとそれぞれにライフスタイルが変わって、昔みたいにしょっちゅう会ったりするのは難しくなるよね。

川口:SNSなどで近況は知りつつ、いざ会おう!となるとね。みんな忙しい時期や動きやすい時間帯が違って、合わせるのが少し億劫になったり。LINEのグループもあるけど、徐々に過疎っていったり(笑)

服部:でも、会えば楽しいし、奈美と芹香が20年ぶりに再会したときみたいに、一瞬であの頃に戻れるんだよね。

川口:そうなんですよ。まさにサニーのみんなと同じ。

服部:でも、こういう話を男性にしてみたら、「わからない」って言われました。男女差があるとは言い切れないけれど、女性同士の方が、時間を超えられやすいのかも。

篠田さんと服部さんも、映画に共感する世代。

篠田: 奈美が芹香と20年連絡を取っていなかったことを、奈美の旦那さんが「女の友情ってそんなもんだよな」みたいに言っちゃうのも同じだよね。逆説的というか、自分たちがわからないから、そう言っちゃう、みたいな。

奈美からしたら、たしかに疎遠ではあったけど、会えば昔と同じくらい仲良しだし、時間や距離は関係ないっていう話だよね。

服部:重要なのは「濃さ」だもんね。

平成最後の夏の終わりに、安室ちゃんが引退するということ

川口:本作『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を語る上で欠かせないのが、小室哲哉や安室奈美恵に代表される、90年代の大ヒットソングです。

シーンごとにテーマとなる楽曲を決めてから撮ったのでは?と思うほどマッチングしていて、ミュージックビデオを見ているみたいだった。

川崎:耳慣れた音楽が各シーンで象徴的に使われていて、イントロ流れ始めただけで泣けた(笑)どの楽曲が印象的だった?

服部:私はもちろん、安室ちゃん。現代を生きる篠原涼子と、90年代の広瀬すずが、曲を媒介にして心情がシンクロするシーンにかかっていた『SWEET 19 BLUES』が、最高。

川口:夕暮れバックの安室ちゃんは、反則だよね。泣かないわけない。

安室ちゃん引退まであと少し...。

服部:安室ちゃんは昔から大好きです。歌う姿も生き様もかっこよくて。いつの時代もトップランナーとして時代の先端を走ってきたヒーロー。気取っていないし、誰のことも見下さない。遠い存在なんだけど、親近感もあって。

篠田:当時の安室ちゃんは今でいうアイドルみたいなくくりだったけど、他のアイドル的な女性歌手とはやっぱり違っていた。ちょっと影があるっていうか、そこがすごく私たちには刺さってました。男ウケとか狙ってなかったし。

服部:等身大というか、本当に私たちの代弁者でした。心の中のモヤっとした部分を言ってくれている感じ。女子高生ながら、みんな言葉にできないフラストレーションみたいなものがあった気がする。

篠田:そうだね。みんな楽しそうに騒いで、はしゃいでいたんだけど、本当は色々考えたり、悩んだりもしていた。だから安室ちゃんに惹かれたのかもしれない。

服部さんの私物、当時大人気だった雑誌『ストリートニュース』略して『ストニュー』。妻夫木くんが若い!

ママもビジネスパーソンも。8月31日だけは、映画を観てカラオケ行こうよ

川口:平成最後の夏休みの、最終日になる8月31日に、本作は公開となります。奇しくも約半月後の9月16日には、安室ちゃんが引退。そして小室哲哉さんが最後に映画音楽を手掛けた作品でもある。そう考えると、カタルシスの塊みたいな映画ですよね。

川崎:こんなにたくさんの偶然が一致することって、そうそうないよね。

今年の8月31日は、コギャルに戻って、みんなで映画を観てからのカラオケコースで。私も夫に言おうかな、「8月31日は子どもの面倒よろしくね」って(笑)

服部:実際、この映画を観たら友達に会いたくなりました。

みんなで映画を観て、感想を言い合いながら「ウチらのときはこうだった」って思い出話もして、そのままカラオケで安室ちゃん(笑)。めちゃくちゃ盛り上がりそう。

「これからカラオケ行きます?」「じゃ、TKしばりで」

篠田:せっかくだから『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の”応援上映会”をやってほしい!みんなで、大声で歌いながら観るんです。流行りの絶叫上映みたいに。

服部:いいですね。実際、映画観ている最中ずっと口パクで歌ってましたし(笑)その後も、安室ちゃんを聴きながら帰りました。

全員:私も(笑)

ただの過去賛美ではない。「これからの20年」を考えるための映画でもある

服部:あと私、この映画を観て「これからの20年をどう生きるか」ということも考えました。楽しいことも辛いことも経験しながら20年が経って、今の自分がいるんだけど、きっとこれからの20年の方がもっといろんなことが起こるんだろうな、と。

川口:確かに、この映画を観て20年後のことを考えるのは、すごく正しい効果だと思います。

「ルーズソックスが可愛かった」「あの頃ウチら最強だった」と言って終わるのではなく、この20年間をどう過ごしてきたか振り返って、そして今いる自分の環境を改めて客観視してみる。その延長線上で、これから先のことを考える。

「人生は”自分が主人公の物語”である」ということを再認識するための映画なのかも。

平成最後の夏休みに、観に行こう。

*****

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描くのは、過去と現代の”邂逅”だ。

ポップでキュートな90年代ミュージックを背景に”はっちゃける”私たちと、大人になって酸いも甘いも経験した”地に足のついた”私たちが、この2時間だけは、時代を超えて手を取り合う。歌って、踊る。みんな一緒に。

だからこそ。

平成最後の夏に、安室ちゃんが引退する前に、あの頃の「ウチら」に戻って、みんなで一緒に映画を観に行こう。カラオケに行こう。

これからも「最強」でいるために。


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全員アジア系のハリウッド映画「クレイジー・リッチ!」予想覆す大ヒット

キャスト全員がアジア系の映画『クレイジー・リッチ!』が、専門家の予想を覆し、全米で大ヒット中だ。クレイジーリッチ!のヒットは、「アジア系俳優を起用した映画は、収益を上げられないリスクがある」という考えを覆した。

8月15日に公開されると、最初の週末の興行収入が2500万ドル(約27億6000万円)で初登場首位になった。さらに5日間での興行収入が3400万ドル(約37億5000万円)を超えた。

映画批評サイト「ロッテントマト」でも93%の高評価を得ている。

出演者が全員アジア系のハリウッド映画は、1993年の『ジョイ・ラック・クラブ』以来、なんと25年振りだ。

シンガポール出身の作家ケヴィン・クワンの小説が原作。

物語は、ニューヨーク出身のレイチェル(コンスタンス・ウー)が、恋人のニック(ヘンリー・ゴールディング)と一緒に、彼の家族のいるシンガポールを初めて訪れるところから始まる。

レイチェルはそこで初めて、ニックが大富豪の御曹司だったという事実を知り、驚愕する。そして、ニックの母親からも、きちんと認めてもらいたいと奮闘する様子が描かれている。

食べ物やファッション、言語などアジアのカルチャーが描かれている。

ヘンリー・ゴールディング

なぜ、出演者がアジア系で固められていることが、そんなに重要なのだろうか。

イギリス人の父とマレーシア人の母を持つヘンリー・ゴールディングは、ハフポストUS版にこう語った。

「この映画が重要なのは、一般の人たちに気付きをあたえてくれるからです。クレイジー・リッチ!を観た人は、映画の素晴らしく豪華なストーリーや、アジア系として生きるとはどういうことかの意味を広めてくれるでしょう。アジア人の存在が見えるようになり、そして普通のものになるために、映画というのはとても重要なフォーマットです。社会的に大きな影響力があります」

アメリカでは、黒人が主人公の映画「ブラックパンサー」も、スーパーヒーロー映画として最高の興行収入を記録したばかり。

「マイノリティのストーリーは売れない」と言われた時代は、もう過去のものと言っていいだろう。

クレイジーリッチ!は日本では9月28日から公開される。

ハフポストUS版の記事を翻訳・加筆しました。


傑作『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督が語る。「天才」だった自分がボコボコにされてから

上田慎一郎監督

製作費300万円で作られた映画『カメラを止めるな!』が、異例の快進撃を続けている。同作の監督・脚本・編集を手がけた上田慎一郎監督は、”異色”の経歴の持ち主だ。20代前半で借金苦に陥り、ホームレスになった経験もあるという。ここに至るまでにどんな苦労があったのか? そしてそれをどう乗り越えてきたのか? その人生観と哲学を語ってもらった。

「やめとけ」と言われると燃えるタイプ

『カメラを止めるな!』には、37分ワンカットの「ゾンビサバイバル」のシーンがあります。それを「撮る」と言ったとき、いろんな大人から「無理だ」「できるわけない」と言われました。

映画『カメラを止めるな!』より

「ゾンビもの」というのは仕掛けが多くて、「カット割り」があってこそできるのが常識。最初は撮影スタッフにも「ワンカットは無理だから『ワンカット風』にしましょう」と止められました。ただぼくは「やめとけ」と言われると燃えるタイプなんです。

学生の頃からそうでした。高校生のとき、琵琶湖をいかだで横断することに挑戦したのですが、そのときも「よせよせ」とさんざん言われた。でも、そう言われると燃える。

「成人式で流すムービーを作ってくれ」と言われたときも、120人くらいの同級生ほぼ全員に会いに行って夢を語ってもらいました。卒業してみんな散り散りになってるから、まわりからは「絶対無理だ」と言われましたが、それもなんとかやりとげた。

思い返すと、自分がやってきたことって、最初は絶対「やめとけ」と言われていたことが多い。「やめとけ」「よせよせ」「無理」「不可能だ」という言葉が「薪」となり、「炎」がより燃えていくんです。

ホームレスにもなった。けれど、悪いことを全部「ネタ」にできれば最強

20歳のときに映画監督になるために上京してからは、失敗続きでした。悪い大人にそそのかされてネズミ講みたいなものに騙され、ウン百万円くらい借金を背負ったり、「本を出版しないか」と言われて200万円くらい借金して、ホームレスになったりした。……ただ、そこまで凹んではいませんでした。

ぼく、中学生の頃は毎日ノートにぎっしり日記を書いていたんですよ。インターネットができてからはブログを毎日書くようになった。自分の身に起きたことをブログに書く習慣があったんです。

だから、たとえ悪いことが起きても、それを客観視しておもしろおかしく書くことができたんです。どんなに悪いことや悲しいことがあっても、全部それを「ネタ」にできる。つまり「悪いこと」は起きないんです。「失敗した!おっしゃー、ブログに書こう」っていう感じですね。

コメディの世界の見方をそのころからしていたのかもしれません。チャップリンが言っていることですけど「寄ってみれば悲劇に見えることも、引いてみれば喜劇に見える」という。そういう考え方が昔からありました。

映画『カメラを止めるな!』より

「俺はなんで東京に来たんだろう」と号泣した25歳の夜

20歳から25歳のあいだに相当数の失敗をしました。200万円の借金をし、ネズミ講で友だちを失いかけ、家をなくし……。それをブログに書くことで「笑い」に変えてきました。

でも、25歳のある夜。突然「俺はなんのために東京に来たんだろう」ってすごく泣いたことがあったんです。

近道をして映画監督になろうとしてたつもりだけど、結局はただ「映画だけで勝負するのが怖かった」だけなのかもしれない、と思った。もし映画だけをやって、それでもうまくいかなかったら、自分に才能がないってバレてしまう。「映画だけをつくる」ということから逃げて、他のことをしていた自分に気づいたんですね。だから、「映画一筋でやろう」と覚悟を決めてやり始めたのが25歳のときでした。

そこで、当時盛り上がっていたミクシィで「自主映画のスタッフ募集」というのを見つけ、「スタジオメイズ」という団体に入りました。

それまではハンディカムでしか撮ったことなかったのですが、ガンマイクを構えたり、DVXという大きめのカメラを使って、本格的な映画制作を3カ月くらい学びました。それで「よしわかった。じゃあ俺、独立します!」と言って独立しました。……だから、まだぜんぜん生意気なんです。

無数の成功体験と無数の大失敗でバランスがとれた

ぼくは、中学高校時代から「成功体験」がすごく多かったんです。

中学の国語の授業で、班ごとに劇をやるという授業があって、みんなは『桃太郎』とかすでにある物語をベースにしていたんですけど…ぼくは「オリジナルでやりたい」と言って、自分で脚本を書いてやったんです。それが人生で初めてちゃんと書いた脚本なんですが、これが国語の先生にすごく認められて、全校生徒の前で演劇をやりました。

高校生のときは、文化祭で映画を作って上映していました。それで3年連続で最優秀賞をとったんです。その後演劇部にスカウトされて、毎年地区予選落ちだった演劇部が、ぼくが作・演出をしたことで、近畿地区2位までいったんです。

そのあと、20から25歳のとき、調子に乗って大失敗してしまうことになるんですが…調子に乗るだけの成功体験が多かった。「自分なんて」という考えはまったくないくらい生意気だった。とにかく突き進む。「俺は天才だ」と。

その「天才だ!」と言っていた自分が、20から25歳でボコボコにされて、バランスが取れたんだと思います。田舎の町では注目を浴びていたかもしれないけど、東京では「お前なんて」とボコボコにされて、謙虚さというものが加わりバランスが取れて、いまがある気がします。

失敗は利子がついて返ってくる

25歳までのあいだに山ほど失敗をしてきたので、30代になったときにそれらの失敗にすごい「利子」がついて返ってきた気持ちになったんですよ。

ぼくは一度ホームレスになったのにここまで復活できてますから、25歳くらいまでは、どんなにひどいことになったって戻ってこれるはず。だから、25歳くらいまでは「失敗を集める」くらいの気持ちで生きる方がいい。その気持ちでいたら、失敗したときに落ち込まないじゃないですか。「お、今日はひとつ失敗できたな」って。

そして、ブログに書くなど、その失敗をアウトプットする場をつくれば、失敗を「エンタテインメント化」するという思考も身につく。「失敗を俯瞰してエンタテインメントにする」というのはコメディの根幹。ぼくはそれをずっとやってきたので、それがよかったのかもしれないです。

「悲劇だ!」と思っても「それは本当に悲劇か?」と問い直してみるとか…。そうすると、実は笑い飛ばせないことってそんなに多くはないんじゃないか。

「ネズミ講に騙されて、ホームレスになった」というのは、自分だったら死にたくなるくらいにショックなできごとかもしれないですけど、いまぼくがこうして話をしても、だいたい笑い話になるんです。だから、ほとんどのことは笑い話になると思って生きるといいかもしれません。

映画『カメラを止めるな!』より

自己啓発系の言葉に思うこと

ぼくもいろんな自己啓発本を読んで「死ぬこと以外はかすり傷」みたいな言葉を見て、奮起していました。でも、補足しておきたいのは、そういう言葉はすごくいいなと思う反面、危険な一面もあると思っています。

一時期はその言葉で火照ることができるかもしれないですけど、それを続けられるような「仕組み」を自分に作らないと続かないと思うんです。大切なのは、そういうメンタルを続けられるような「仕組み」をつくることだと思います。ぼくの場合はそれがブログだった。

ブログに自分の失敗を書いて、それを見ている人に楽しんでもらう、という「使命」を自分でつくっていました。ただ単に「失敗を集めよう」とか「失敗したらそれを喜ぼう」というだけじゃ精神は持たない。それを自分の生活の中に仕組み化する。それがうまくいくコツなんだと思います。

あとは、僕は妻(アニメ・映画監督のふくだみゆき氏)と結婚してから、より外で戦えるようになった、という感覚があるので、自分の絶対的な味方を作ることも大事じゃないかなと思います。

大量に失敗したあとの成功じゃないと、強度が低い

映画をつくっている若い世代の人が、『カメラを止めるな!』を観て、ぼくにメールをくれるときがあるんです。「上田さんは映画をつくるときに絵コンテを描かれますか?」とか、「キャスティングはどういうことに気をつけたらいいですか?」とか…。でもぼくは「いや、まず撮れよ!」と思うんです。

一発目から成功しようとしているところが失敗だぞ、と。とりあえず大量に失敗した上での成功じゃないと「強度の高い成功」とは言えないと思うんです。

いまはiPhoneを使って、自分の友だちや家族を撮って、編集もすぐできます。撮ったものを見て「何がいけなかったか」というのを感覚と体で学んでいく。そのほうが絶対に速いと思うんですよ。「映画教本」から学んで、ちょっと「知識がついた」という感覚になるよりもぜんぜん速い。

「コケない」ということは、「走ってない」ということなんです。「コケる」というのは走ったり、挑戦している証拠。だからどんどんコケていい。失敗していいんです。コケずに失敗しないよりも、走ってコケるほうが、絶対あとに経験となって自分の身に返ってくると思います。

ぼくはコメディをつくっているので「カッコつけるほうがカッコ悪い」と思っちゃうんですよね。カッコ悪いほうがカッコいいと思っちゃう。ダサいほうが人間としてはカッコいい。まだ、偉そうなことを言える立場じゃないですが「とにかく転がり続けろ」というのは伝えたいですね。

(聞き手・執筆:竹村俊助、編集・撮影:生田綾)

映画『カメラを止めるな!』大ヒット公開中

製作:ENBUゼミナール
配給:アスミック・エース=ENBUゼミナール
©ENBUゼミナール


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