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松井珠理奈はCG出演、AKB48新曲MVが異例の“未完成”公開

 AKB48の53枚目シングル『センチメンタルトレイン』のミュージックビデオが公開された。

 『センチメンタルトレイン』は、6月16日に行われた「第10回AKB48世界選抜総選挙」の結果を受けて制作された新曲で、ドラマ仕立てのミュージックビデオははかなさや寂しさが漂う”センチメンタル”な仕上がりになっている。

 総選挙で1位を獲得し、この曲でセンターを務めるはずだった松井珠理奈(21)は現在、体調不良のため活動を休止中。今回のミュージックビデオは、松井が出演する予定だったドラマのシーンを絵コンテで表現し、ダンスパートもCGで代用するなど、前代未聞の”未完成作品”として公開された。

 松井が活動復帰した際には、追加撮影と再編集を行った完全版が制作される予定で、CD購入者に配られるシリアルナンバーで視聴ができるように対応を検討しているという。

(2018年8月23日 AbemaTV/『AbemaNews』より転載)

Abemaビデオ▶松井珠理奈が出演した『矢口真里の火曜The NIGHT』はこちら


平成最後の夏。元コギャルを集めて『SUNNY 強い気持ち・強い愛』“同窓鑑賞会”をしてみた

ミニスカと、ラルフのカーデ。ハイビスカスのゴムで茶髪を上げて、ショッパーを斜めに担ぐ。足元はもちろんルーズソックス。

安室ちゃんとTKが「最強」で、放課後はカラオケかファミレスでバカ騒ぎ。

そんな青春時代を過ごしたアラフォー・アラサーたちを「懐かしさの波状攻撃」で号泣させる映画が、平成最後の夏に誕生した。

監督・大根仁。

『モテキ』や『バクマン。』など大ヒット作を生んだ邦画界のカリスマが次に挑んだのは、かつて”日本の原動力”だった女子高生たちの、”その後”の話。

作品には、こんな想いが込められている。

90年代のコギャルブームを牽引した女子たちも、今やアラフォー・アラサー世代。ママとして、ビジネスパーソンとして、そして”女性”として、様々に悩みを抱えて生きている。

篠原涼子演じる奈美も、家族の生活を支える専業主婦として平凡な日々に物足りなさを感じる毎日を過ごしていた。しかし、20年ぶりに再会した親友の芹香(セリカ)が末期ガンに侵されていると知り、日常は一変する。

芹香の最後の願いは、高校時代の仲良しグループ「サニー」のメンバーに再会すること。奈美はメンバー探しを始めるが、過去のある”事件”が尾を引き……。

芹香役の板谷由夏(左)と奈美役の篠原涼子(右)

今回ハフポスト日本版では、かつてコギャルだったアラフォー・アラサー女性に集合してもらい『SUNNY 強い気持ち・強い愛 ”同窓鑑賞会”』を実施。当時の流行と思い出を交えながら、映画の感想を語り合った。

大人になってからわかる。あれが”青春”だったって。

座談会に参加した服部さん(ライター:右)、篠田さん(編集者:右から2番目)、川口(ハフポスト日本版エディター:左から2番目)、川崎(ハフポスト日本版エディター:左)

川口:楽曲やプロップはもちろん、コギャル時代を演じた広瀬すずたちの見た目や雰囲気も、90年代がしっかり再現されていましたよね。

篠田:仲良しグループの空気感まで当時と同じでしたね。なんでも楽しくて、先生に怒られても笑ってて。将来のことを考えずに、毎日ただ夢中に過ごしていた頃を思い出しました。映画の冒頭でも「何があんなに楽しかったんだろう」って言ってたけど、その通り。

服部:あの頃、当事者たちは「これが青春なんだ」とは思ってなかった。でも、こうして映画として当時の世界観を振り返ってみると、私たちもすごくエネルギッシュに生きていたなって思いました。

「わたし」より「ウチら」。一人称はいつも「複数形」

川口:この映画を制作するにあたり、当時コギャルだった方々に小物を提供してもらったり、仕草や話し方の監修をしてもらったりしたそうです。ルーズソックスやミニスカ、ショッパーなど、様々なアイコンが登場していましたが、特に印象に残っているのは?

服部:私は、写真にグッときました。あの頃は写メとかもないから、みんな写真に『ポスカ』でいたずら書きしてたよね。「ずっとLOVE」とか、「ウチら最強」とか。「ひとり」とか「自分が」というよりも、仲間意識を表現する単語を多く使っていた気がする。一人称はいつも「ウチら」だった。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』パンフレットの一部。当時は写真に直接メッセージを書き込んでいた。

篠田:ルーズソックスもセーターも、今見てもかわいいよね。

あとすごいのは、こういうコギャル文化はどれも、東京の女子高生たちが作って発信していったカルチャーだったということ。ほかの流行に乗っかるわけでもなく、自分たちで「これがいい、かわいい」って判断して、自然発生的にスタイルができて、ムーブメントになっていた。

川崎:私は地方出身なので、広瀬すずが演じる奈美の心境に共感しました。コギャル文化に憧れるけれど、自分はなれないという、あの感じ。雑誌で見る世界とはほど遠いのだけど、精一杯ルーズソックスとか履いて、流行に近づこうとしていたな。当時、東京にはいなかったコギャル世代が観ても、きっと懐かしく感じるはず。

川口:ちなみに、劇中にも出てきた”ヒス”こと『ヒステリックグラマー』のあの黄色いショッパー、メルカリで出品されていたものを私も買いました(笑)

全員:ええ〜〜〜〜〜〜!?!?

HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリックグラマー)のショッパー。高校生にとっては高いからなかなかショッパーも持てず...使いまわしてました。ほかにも当時流行ったアイテムが多数登場し、懐かしさを感じられるのも見どころ。

結婚、子育て、仕事。状況は違っても、会えば一瞬で「あの頃に戻れる」

川崎:サニーのメンバーみたいに、どんなに仲が良くても、歳をとるとそれぞれにライフスタイルが変わって、昔みたいにしょっちゅう会ったりするのは難しくなるよね。

川口:SNSなどで近況は知りつつ、いざ会おう!となるとね。みんな忙しい時期や動きやすい時間帯が違って、合わせるのが少し億劫になったり。LINEのグループもあるけど、徐々に過疎っていったり(笑)

服部:でも、会えば楽しいし、奈美と芹香が20年ぶりに再会したときみたいに、一瞬であの頃に戻れるんだよね。

川口:そうなんですよ。まさにサニーのみんなと同じ。

服部:でも、こういう話を男性にしてみたら、「わからない」って言われました。男女差があるとは言い切れないけれど、女性同士の方が、時間を超えられやすいのかも。

篠田さんと服部さんも、映画に共感する世代。

篠田: 奈美が芹香と20年連絡を取っていなかったことを、奈美の旦那さんが「女の友情ってそんなもんだよな」みたいに言っちゃうのも同じだよね。逆説的というか、自分たちがわからないから、そう言っちゃう、みたいな。

奈美からしたら、たしかに疎遠ではあったけど、会えば昔と同じくらい仲良しだし、時間や距離は関係ないっていう話だよね。

服部:重要なのは「濃さ」だもんね。

平成最後の夏の終わりに、安室ちゃんが引退するということ

川口:本作『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を語る上で欠かせないのが、小室哲哉や安室奈美恵に代表される、90年代の大ヒットソングです。

シーンごとにテーマとなる楽曲を決めてから撮ったのでは?と思うほどマッチングしていて、ミュージックビデオを見ているみたいだった。

川崎:耳慣れた音楽が各シーンで象徴的に使われていて、イントロ流れ始めただけで泣けた(笑)どの楽曲が印象的だった?

服部:私はもちろん、安室ちゃん。現代を生きる篠原涼子と、90年代の広瀬すずが、曲を媒介にして心情がシンクロするシーンにかかっていた『SWEET 19 BLUES』が、最高。

川口:夕暮れバックの安室ちゃんは、反則だよね。泣かないわけない。

安室ちゃん引退まであと少し...。

服部:安室ちゃんは昔から大好きです。歌う姿も生き様もかっこよくて。いつの時代もトップランナーとして時代の先端を走ってきたヒーロー。気取っていないし、誰のことも見下さない。遠い存在なんだけど、親近感もあって。

篠田:当時の安室ちゃんは今でいうアイドルみたいなくくりだったけど、他のアイドル的な女性歌手とはやっぱり違っていた。ちょっと影があるっていうか、そこがすごく私たちには刺さってました。男ウケとか狙ってなかったし。

服部:等身大というか、本当に私たちの代弁者でした。心の中のモヤっとした部分を言ってくれている感じ。女子高生ながら、みんな言葉にできないフラストレーションみたいなものがあった気がする。

篠田:そうだね。みんな楽しそうに騒いで、はしゃいでいたんだけど、本当は色々考えたり、悩んだりもしていた。だから安室ちゃんに惹かれたのかもしれない。

服部さんの私物、当時大人気だった雑誌『ストリートニュース』略して『ストニュー』。妻夫木くんが若い!

ママもビジネスパーソンも。8月31日だけは、映画を観てカラオケ行こうよ

川口:平成最後の夏休みの、最終日になる8月31日に、本作は公開となります。奇しくも約半月後の9月16日には、安室ちゃんが引退。そして小室哲哉さんが最後に映画音楽を手掛けた作品でもある。そう考えると、カタルシスの塊みたいな映画ですよね。

川崎:こんなにたくさんの偶然が一致することって、そうそうないよね。

今年の8月31日は、コギャルに戻って、みんなで映画を観てからのカラオケコースで。私も夫に言おうかな、「8月31日は子どもの面倒よろしくね」って(笑)

服部:実際、この映画を観たら友達に会いたくなりました。

みんなで映画を観て、感想を言い合いながら「ウチらのときはこうだった」って思い出話もして、そのままカラオケで安室ちゃん(笑)。めちゃくちゃ盛り上がりそう。

「これからカラオケ行きます?」「じゃ、TKしばりで」

篠田:せっかくだから『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の”応援上映会”をやってほしい!みんなで、大声で歌いながら観るんです。流行りの絶叫上映みたいに。

服部:いいですね。実際、映画観ている最中ずっと口パクで歌ってましたし(笑)その後も、安室ちゃんを聴きながら帰りました。

全員:私も(笑)

ただの過去賛美ではない。「これからの20年」を考えるための映画でもある

服部:あと私、この映画を観て「これからの20年をどう生きるか」ということも考えました。楽しいことも辛いことも経験しながら20年が経って、今の自分がいるんだけど、きっとこれからの20年の方がもっといろんなことが起こるんだろうな、と。

川口:確かに、この映画を観て20年後のことを考えるのは、すごく正しい効果だと思います。

「ルーズソックスが可愛かった」「あの頃ウチら最強だった」と言って終わるのではなく、この20年間をどう過ごしてきたか振り返って、そして今いる自分の環境を改めて客観視してみる。その延長線上で、これから先のことを考える。

「人生は”自分が主人公の物語”である」ということを再認識するための映画なのかも。

平成最後の夏休みに、観に行こう。

*****

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描くのは、過去と現代の”邂逅”だ。

ポップでキュートな90年代ミュージックを背景に”はっちゃける”私たちと、大人になって酸いも甘いも経験した”地に足のついた”私たちが、この2時間だけは、時代を超えて手を取り合う。歌って、踊る。みんな一緒に。

だからこそ。

平成最後の夏に、安室ちゃんが引退する前に、あの頃の「ウチら」に戻って、みんなで一緒に映画を観に行こう。カラオケに行こう。

これからも「最強」でいるために。


No Picture

全員アジア系のハリウッド映画「クレイジー・リッチ!」予想覆す大ヒット

キャスト全員がアジア系の映画『クレイジー・リッチ!』が、専門家の予想を覆し、全米で大ヒット中だ。クレイジーリッチ!のヒットは、「アジア系俳優を起用した映画は、収益を上げられないリスクがある」という考えを覆した。

8月15日に公開されると、最初の週末の興行収入が2500万ドル(約27億6000万円)で初登場首位になった。さらに5日間での興行収入が3400万ドル(約37億5000万円)を超えた。

映画批評サイト「ロッテントマト」でも93%の高評価を得ている。

出演者が全員アジア系のハリウッド映画は、1993年の『ジョイ・ラック・クラブ』以来、なんと25年振りだ。

シンガポール出身の作家ケヴィン・クワンの小説が原作。

物語は、ニューヨーク出身のレイチェル(コンスタンス・ウー)が、恋人のニック(ヘンリー・ゴールディング)と一緒に、彼の家族のいるシンガポールを初めて訪れるところから始まる。

レイチェルはそこで初めて、ニックが大富豪の御曹司だったという事実を知り、驚愕する。そして、ニックの母親からも、きちんと認めてもらいたいと奮闘する様子が描かれている。

食べ物やファッション、言語などアジアのカルチャーが描かれている。

ヘンリー・ゴールディング

なぜ、出演者がアジア系で固められていることが、そんなに重要なのだろうか。

イギリス人の父とマレーシア人の母を持つヘンリー・ゴールディングは、ハフポストUS版にこう語った。

「この映画が重要なのは、一般の人たちに気付きをあたえてくれるからです。クレイジー・リッチ!を観た人は、映画の素晴らしく豪華なストーリーや、アジア系として生きるとはどういうことかの意味を広めてくれるでしょう。アジア人の存在が見えるようになり、そして普通のものになるために、映画というのはとても重要なフォーマットです。社会的に大きな影響力があります」

アメリカでは、黒人が主人公の映画「ブラックパンサー」も、スーパーヒーロー映画として最高の興行収入を記録したばかり。

「マイノリティのストーリーは売れない」と言われた時代は、もう過去のものと言っていいだろう。

クレイジーリッチ!は日本では9月28日から公開される。

ハフポストUS版の記事を翻訳・加筆しました。


傑作『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督が語る。「天才」だった自分がボコボコにされてから

上田慎一郎監督

製作費300万円で作られた映画『カメラを止めるな!』が、異例の快進撃を続けている。同作の監督・脚本・編集を手がけた上田慎一郎監督は、”異色”の経歴の持ち主だ。20代前半で借金苦に陥り、ホームレスになった経験もあるという。ここに至るまでにどんな苦労があったのか? そしてそれをどう乗り越えてきたのか? その人生観と哲学を語ってもらった。

「やめとけ」と言われると燃えるタイプ

『カメラを止めるな!』には、37分ワンカットの「ゾンビサバイバル」のシーンがあります。それを「撮る」と言ったとき、いろんな大人から「無理だ」「できるわけない」と言われました。

映画『カメラを止めるな!』より

「ゾンビもの」というのは仕掛けが多くて、「カット割り」があってこそできるのが常識。最初は撮影スタッフにも「ワンカットは無理だから『ワンカット風』にしましょう」と止められました。ただぼくは「やめとけ」と言われると燃えるタイプなんです。

学生の頃からそうでした。高校生のとき、琵琶湖をいかだで横断することに挑戦したのですが、そのときも「よせよせ」とさんざん言われた。でも、そう言われると燃える。

「成人式で流すムービーを作ってくれ」と言われたときも、120人くらいの同級生ほぼ全員に会いに行って夢を語ってもらいました。卒業してみんな散り散りになってるから、まわりからは「絶対無理だ」と言われましたが、それもなんとかやりとげた。

思い返すと、自分がやってきたことって、最初は絶対「やめとけ」と言われていたことが多い。「やめとけ」「よせよせ」「無理」「不可能だ」という言葉が「薪」となり、「炎」がより燃えていくんです。

ホームレスにもなった。けれど、悪いことを全部「ネタ」にできれば最強

20歳のときに映画監督になるために上京してからは、失敗続きでした。悪い大人にそそのかされてネズミ講みたいなものに騙され、ウン百万円くらい借金を背負ったり、「本を出版しないか」と言われて200万円くらい借金して、ホームレスになったりした。……ただ、そこまで凹んではいませんでした。

ぼく、中学生の頃は毎日ノートにぎっしり日記を書いていたんですよ。インターネットができてからはブログを毎日書くようになった。自分の身に起きたことをブログに書く習慣があったんです。

だから、たとえ悪いことが起きても、それを客観視しておもしろおかしく書くことができたんです。どんなに悪いことや悲しいことがあっても、全部それを「ネタ」にできる。つまり「悪いこと」は起きないんです。「失敗した!おっしゃー、ブログに書こう」っていう感じですね。

コメディの世界の見方をそのころからしていたのかもしれません。チャップリンが言っていることですけど「寄ってみれば悲劇に見えることも、引いてみれば喜劇に見える」という。そういう考え方が昔からありました。

映画『カメラを止めるな!』より

「俺はなんで東京に来たんだろう」と号泣した25歳の夜

20歳から25歳のあいだに相当数の失敗をしました。200万円の借金をし、ネズミ講で友だちを失いかけ、家をなくし……。それをブログに書くことで「笑い」に変えてきました。

でも、25歳のある夜。突然「俺はなんのために東京に来たんだろう」ってすごく泣いたことがあったんです。

近道をして映画監督になろうとしてたつもりだけど、結局はただ「映画だけで勝負するのが怖かった」だけなのかもしれない、と思った。もし映画だけをやって、それでもうまくいかなかったら、自分に才能がないってバレてしまう。「映画だけをつくる」ということから逃げて、他のことをしていた自分に気づいたんですね。だから、「映画一筋でやろう」と覚悟を決めてやり始めたのが25歳のときでした。

そこで、当時盛り上がっていたミクシィで「自主映画のスタッフ募集」というのを見つけ、「スタジオメイズ」という団体に入りました。

それまではハンディカムでしか撮ったことなかったのですが、ガンマイクを構えたり、DVXという大きめのカメラを使って、本格的な映画制作を3カ月くらい学びました。それで「よしわかった。じゃあ俺、独立します!」と言って独立しました。……だから、まだぜんぜん生意気なんです。

無数の成功体験と無数の大失敗でバランスがとれた

ぼくは、中学高校時代から「成功体験」がすごく多かったんです。

中学の国語の授業で、班ごとに劇をやるという授業があって、みんなは『桃太郎』とかすでにある物語をベースにしていたんですけど…ぼくは「オリジナルでやりたい」と言って、自分で脚本を書いてやったんです。それが人生で初めてちゃんと書いた脚本なんですが、これが国語の先生にすごく認められて、全校生徒の前で演劇をやりました。

高校生のときは、文化祭で映画を作って上映していました。それで3年連続で最優秀賞をとったんです。その後演劇部にスカウトされて、毎年地区予選落ちだった演劇部が、ぼくが作・演出をしたことで、近畿地区2位までいったんです。

そのあと、20から25歳のとき、調子に乗って大失敗してしまうことになるんですが…調子に乗るだけの成功体験が多かった。「自分なんて」という考えはまったくないくらい生意気だった。とにかく突き進む。「俺は天才だ」と。

その「天才だ!」と言っていた自分が、20から25歳でボコボコにされて、バランスが取れたんだと思います。田舎の町では注目を浴びていたかもしれないけど、東京では「お前なんて」とボコボコにされて、謙虚さというものが加わりバランスが取れて、いまがある気がします。

失敗は利子がついて返ってくる

25歳までのあいだに山ほど失敗をしてきたので、30代になったときにそれらの失敗にすごい「利子」がついて返ってきた気持ちになったんですよ。

ぼくは一度ホームレスになったのにここまで復活できてますから、25歳くらいまでは、どんなにひどいことになったって戻ってこれるはず。だから、25歳くらいまでは「失敗を集める」くらいの気持ちで生きる方がいい。その気持ちでいたら、失敗したときに落ち込まないじゃないですか。「お、今日はひとつ失敗できたな」って。

そして、ブログに書くなど、その失敗をアウトプットする場をつくれば、失敗を「エンタテインメント化」するという思考も身につく。「失敗を俯瞰してエンタテインメントにする」というのはコメディの根幹。ぼくはそれをずっとやってきたので、それがよかったのかもしれないです。

「悲劇だ!」と思っても「それは本当に悲劇か?」と問い直してみるとか…。そうすると、実は笑い飛ばせないことってそんなに多くはないんじゃないか。

「ネズミ講に騙されて、ホームレスになった」というのは、自分だったら死にたくなるくらいにショックなできごとかもしれないですけど、いまぼくがこうして話をしても、だいたい笑い話になるんです。だから、ほとんどのことは笑い話になると思って生きるといいかもしれません。

映画『カメラを止めるな!』より

自己啓発系の言葉に思うこと

ぼくもいろんな自己啓発本を読んで「死ぬこと以外はかすり傷」みたいな言葉を見て、奮起していました。でも、補足しておきたいのは、そういう言葉はすごくいいなと思う反面、危険な一面もあると思っています。

一時期はその言葉で火照ることができるかもしれないですけど、それを続けられるような「仕組み」を自分に作らないと続かないと思うんです。大切なのは、そういうメンタルを続けられるような「仕組み」をつくることだと思います。ぼくの場合はそれがブログだった。

ブログに自分の失敗を書いて、それを見ている人に楽しんでもらう、という「使命」を自分でつくっていました。ただ単に「失敗を集めよう」とか「失敗したらそれを喜ぼう」というだけじゃ精神は持たない。それを自分の生活の中に仕組み化する。それがうまくいくコツなんだと思います。

あとは、僕は妻(アニメ・映画監督のふくだみゆき氏)と結婚してから、より外で戦えるようになった、という感覚があるので、自分の絶対的な味方を作ることも大事じゃないかなと思います。

大量に失敗したあとの成功じゃないと、強度が低い

映画をつくっている若い世代の人が、『カメラを止めるな!』を観て、ぼくにメールをくれるときがあるんです。「上田さんは映画をつくるときに絵コンテを描かれますか?」とか、「キャスティングはどういうことに気をつけたらいいですか?」とか…。でもぼくは「いや、まず撮れよ!」と思うんです。

一発目から成功しようとしているところが失敗だぞ、と。とりあえず大量に失敗した上での成功じゃないと「強度の高い成功」とは言えないと思うんです。

いまはiPhoneを使って、自分の友だちや家族を撮って、編集もすぐできます。撮ったものを見て「何がいけなかったか」というのを感覚と体で学んでいく。そのほうが絶対に速いと思うんですよ。「映画教本」から学んで、ちょっと「知識がついた」という感覚になるよりもぜんぜん速い。

「コケない」ということは、「走ってない」ということなんです。「コケる」というのは走ったり、挑戦している証拠。だからどんどんコケていい。失敗していいんです。コケずに失敗しないよりも、走ってコケるほうが、絶対あとに経験となって自分の身に返ってくると思います。

ぼくはコメディをつくっているので「カッコつけるほうがカッコ悪い」と思っちゃうんですよね。カッコ悪いほうがカッコいいと思っちゃう。ダサいほうが人間としてはカッコいい。まだ、偉そうなことを言える立場じゃないですが「とにかく転がり続けろ」というのは伝えたいですね。

(聞き手・執筆:竹村俊助、編集・撮影:生田綾)

映画『カメラを止めるな!』大ヒット公開中

製作:ENBUゼミナール
配給:アスミック・エース=ENBUゼミナール
©ENBUゼミナール


渡米10年目にしてオフ・ブロードウェイ・デビュー。私がニューヨークに居続ける理由。

何度見ても写真に収めたくなるマンハッタン・スカイライン。

2018年、6月3日。

その日、私はマンハッタンの劇場にいて、自分にとっていわゆる「オフ・ブロードウェイ・デビュー」となった舞台『Time’s Journey Through a Room』(*1) に出演していました。

2009年、6月3日。

その日、私はグランド・セントラル駅の近くにいて、「Heavy」のスティッカーが貼られた巨大なスーツケースを引きずりながら、途方にくれていました。ジョン・F・ ケネディ国際空港から市内に向かうバスの中で、パスポートと所持金のすべてを盗まれてしまったからです。財布は空っぽ、頭は真っ白でしたが、この日から憧れのニューヨーク生活が始まると思うと、胸は期待ではち切れんばかりでした。

6月3日は、私の渡米記念日です。 今年の記念日をもって、私のニューヨーク在住歴は丸9年となり、10年目に突入しました。

この景色の中には、何人の人がいるんだろう、、、

  • 10年後を知っていたら、ニューヨークには来ていなかったかも。

毎年この時期は、「渡米当時の私が、今の私を見たらどう思うだろう」というようなことを悶々と考えてしまいます。

6月までの間、上記の舞台に参加できたことは、我ながら身にあまる光栄だったと今でも思います。ただ、渡米当時の私に、「あなたは9年経たないとオフ・ブロードウェイ・プロダクション(*2) の舞台には立てないよ」、という事実だけを教えてあげたら、彼女はとっとと日本に帰ってしまったかもしれない、とも思います。

あの時は、ニューヨークで頑張ったら、きっと、ぐんぐんスキルアップして、いろんな仕事ができて、楽しい未来が待っているはず!ということばかりを考えていて、知らなかったこと、わかっているつもりでわかっていなかったことが多すぎました。

  • ここが辛いよ、ニューヨーク。

どこに住んでいようとも困難はつきものですが、外国人としてアメリカ合衆国で生活していくのは、決して簡単とは言えません。

まず、外国人である私たちは、ビザを取って、それを存続させていないと、この国には住み続けられません。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、俳優として働くために必要なアーティスト・ビザ(O-1)や、アーティスト・グリーンカード (EB-1) を取得するためには、多額の費用と、これまでの実績を証明する長い長いプロセスが必要です。

自分が一生懸命積み上げてきた実績が全否定されるかのような敗北感、拠り所にしてきた価値や信念を嘲笑われるかのような屈辱感、常に演じる仕事に関わっていないとアメリカには居られないという焦燥感と恐怖が、ビザ取得の過程にはついて回ります。また、実績を証明するために必要な推薦状を求めて頭を下げて回る中で起こり得るパワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメントの数々を、私は何度も見聞きしてきました。

外国人が学生の間は、特別な許可をもらわないとお金を稼げませんし、就労ビザを持っていても、ビザカテゴリーの仕事以外の副業は基本的にはできません。それにも関らず、生活費、学生ローン、必要経費の数々は、容赦なく財布と銀行口座に襲いかかります。高騰し続ける家賃は東京の3倍4倍(*3) はするかというほどで、人見知りを我慢して数人とルームシェアをして寝どころを確保するも、家主やルームメイトとのトラブルは日常茶飯事。ラーメンだって、メンマと替え玉を追加注文すれば1杯20 ドル (約 2237円) は当たり前。仕方がないから同じものばかり食べていると、栄養不足でやつれたり、抵抗力が落ちて寝込んだりします。

さらに、仕事でも私生活でも、1秒で「言葉がわからない人」というレッテルを貼られ、身構えられてしまうレベルの英語しか話せなくても、自分の考えを主張し続け、自分は「どこの馬の骨かもわからない」者ではないことを証明できなければ、誰も足を止めて向き合ってはくれません。

もちろん、日本の家族や友人にも気軽には会えません。大切な人が亡くなったり、病気や怪我をしたり、事件や事故又は天災の被害にあっても、すぐには駆けつけられません。このために眠れずに過ごした夜は数え切れません。私にはこれが一番辛かった。

他にも挙げればきりがありませんが、このように、ビザ、お金、言語、人間関係、心身の健康などの面で、果たしてニューヨークにいる意味はあるのだろうかと自問自答させられる場面がこれほど多く訪れるとは、渡米当時は想像できていませんでした。

  • それでも居たい、ニューヨーク。

では、私はなぜニューヨークに居るのだろう。9年間も居続けてしまったのはなぜだろう。

こちらでアメリカ生活の大変さを回想していたら思わず泣きそうになりましたが (笑)、ニューヨークに住んだ9年は、決して辛いことだけではありませんでした。住んでみないとわからなかったニューヨークの素晴らしさも、たくさん知ることができました。

自分の才能や技術の不足ぶりに絶望した時に、思わぬところで評価を得たり、もう終わりにしようと思った時に、思わぬチャンスが舞い込んできたり。

私個人の生活を振り返ると、そんな小さな希望の糸を必死に紡いで命綱にし、まだやろう、あと少しやろう、と思っているうちに、汚くてうるさい地下鉄にも慣れ、訛りのある英語も大声で話すようになり、チーズケーキの大きさにも驚かなくなり、マンハッタン内の自転車走行が安全な道を熟知し、1ヶ月の食費を150ドルにする節約術を覚え、キャットコールをされても物怖じせずに睨み返すようになり、ゴキブリやクモを殺すことなく窓の外に逃がす技を習得し、近所のハトたちの顔の見分けがつくようになり、気がついたら9年経ってしまった 、というのが正直な感想です。

ニューヨークは、「個」を尊重する文化があり、チャンスの扉が開いている街です。キャリアや家族の形などに関して多様な生き方を選択をしている人たちが身近にいて、「私もこういう人間になりたいな」と思わせられるロールモデルには事欠かない街です。

「個」を尊重するからこそ孤独が浮き彫りになり、チャンスがたくさんあるからこそ競争が激しく、選択肢が多いがゆえに価値観や考えが相容れない人同士が衝突します。しかし、それを補って余りある街の魅力が、きっと結果的に9年もここに居てしまったことの理由だろうと思います。

なんだかこう書くと、タチの悪い恋愛にはまるパターンの典型みたいですが、「続けていればいつか何か良いことが起こりそう」、「自分はこれだけ頑張れたのだからもう少しいけそう」、と信じられる場所が、私にとってはニューヨークだったのかなと思います。

  • 未来への希望と、自分への信頼の感覚を得られる街。

「俳優って、自分ではやめどきがわからなくない?やめどきがわからないまま、歳だけとっちゃった俳優崩れみたいな人たち、ニューヨークにはいっぱいいるよね。」

と、かなり昔に日本人のお知り合いの一人に言われたことがあります。かなり昔すぎて、どんな適当な返事をしたかは忘れてしまいましたが、胸の奥で何かがぎゅっと締め付けられたような感覚になったことは、今でも鮮明に覚えています。

未来への希望と、自分への信頼の感覚を与えてくれるニューヨークは、私に限らず夢や目標を持ってやってくる者たちにとっては、ある意味、罪な街なのかもしれませんね。。。

来年は飛躍の年になる、来年は飛躍の年になる、とフォーチューン・クッキー (*4) に言われ続けて、気がついたら人生終わっている、というようなことにならない気がしないでもありませんが、、、

ニューヨーク10年目、私はますます元気です!

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  • 次の投稿では、そんな私のニューヨーク生活において、最も多くの時間と労力と精神力を注いで制作してきたパッション・プロジェクトである連続ドラマ『報道バズ』をご紹介します。ニューヨークの日本人仲間2人と4年以上にわたり取り組んできた本作は、セクハラ、ネット炎上、メディアの在り方をテーマにした6話完結の物語で、現在クラウドファンディングを行い完成・配信のための資金を募っています。
  • この投稿は、著者のブログ『気まマホ日記』から一部を改定して転載されました。

☆☆☆

(*1) 「Time’s Journey Through a Room」は、第49回岸田國士戯曲賞を受賞した岡田利規さん作「部屋に流れる時間の旅」の小川彩さん翻訳による英語版の脚本を、ザ・プレイ・カンパニー(The Play Company, The PlayCo)のプロデュースによってオフ・ブロードウェイ・プロダクションとしてニューヨークで上演した舞台。 同プロダクションは、米ニューヨーク・タイムズ紙の「Critic’s Pick(舞台批評家がオススメする舞台)」に選ばれ、その他舞台批評家の間でも好評のうちに千秋楽を迎えることができました。貴重なお時間を割いて足を運んでくださった皆様、支えてくださった皆様に、俳優として関わっただけの私からも心よりお礼を申し上げます。また、このような海外の素晴らしい作品をオフ・ブロードウェイ・プロダクションの舞台としてプロデュースし続けているザ・プレイ・カンパニーの皆様に、心からの感謝と敬意を表明いたします。

(*2) オフ・ブロードウェイ・プロダクションとは、舞台俳優や舞台監督などの組合である Actor’s Equity Association (アクターズ・エクイティ・アソシエーション、AEA、米国俳優協会) の契約のうちの「Off-Broadway Contract(オフ・ブロードウェイ契約)」が適用される舞台で、組合俳優の出演料、1日のリハーサルや休憩の時間・回数、公演期間などに厳密な規定があります。しかしながら、組合の契約が適用されず前述の規定がない舞台でも、「オフ・ブロードウェイ」とだけ呼ばれることもあるようです。

(*3) Business Insiderによると、今年のマンハッタンの平均家賃は3,667ドル(約41万円) だそうです。。。

(*4) 主に中華系レストランで、食事の最後にもらえることがあるクッキー。中が空洞になっており、占いが書かれた紙が入っています。


フジロック、YouTubeで生配信するアーティストは? エレカシ、Suchmos、モンパチも…

7月27日から3日間にわたって開催される「FUJI ROCK FESTIVAL’18」で、一部出演アーティストのステージがYouTubeでライブ配信される。23日、対象アーティストのラインナップが発表された

フジロックのステージが世界に向けてライブ配信されるのは、1997年に始まって以来初めてのこと。エレファントカシマシやサカナクション、Suchmosなど、40組以上のアーティストが配信対象のラインナップに並んだ。

●ライブ配信するアーティストは?

出演日ごとに、ライブ配信対象アーティストを紹介する。それぞれのアーティストが登場する時間は、公式サイトのタイムテーブルから確認できる。

なお、配信アーティストが追加されたり、予告なく変更される場合もある。(※追加発表があれば、都度記事をアップデートします)

【1日目(7/27)出演アーティスト ※50音順】

ALBERT HAMMOND JR
エレファントカシマシ
GLIM SPANKY
jizue
MAC DEMARCO
ミツメ
MONGOL800
N.E.R.D(ヘッドライナー)
neco眠る
ODESZA
Ovall
PARQUET COURTS
POST MALONE
ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA(feat. 仲井戸”CHABO”麗市、甲本ヒロト、奥田民生、トータス松本)
サカナクション
ストレイテナー
TUNE-YARDS
YEARS & YEARS

【2日目(7/28)出演アーティスト ※50音順】

ASH
CARLA THOMAS & HI RHYTHM W/VERY SPECIAL GUEST VANEESE THOMAS
D.A.N.
eastern youth
ハンバート ハンバート
JOHNNY MARR
小袋 成彬
OLEDICKFOGGY
RANCHO APARTE
シャムキャッツ
STARCRAWLER
The Birthday
toconoma

【3日目(7/29)出演アーティスト ※50音順】

ANDERSON .PAAK & THE FREE NATIONALS
浅井健一 & THE INTERCHANGE KILLS
Awesome City Club
cero
CHVRCHES
DIRTY PROJECTORS
FISHBONE
HINDS
HOTHOUSE FLOWERS
KACEY MUSGRAVES
KALI UCHIS
King Gnu
odol
Suchmos
THE FEVER 333
VAMPIRE WEEKEND

●YouTubeでの生配信、決め手は…

ラインナップには、邦楽アーティストの名も多数並んでいる。

同フェスを運営するSMASHによると、フジロックの存在や出演するアーティスト、特に邦楽アーティストを「世界に知ってもらえること」が、YouTubeでのライブ配信に踏み切る決め手になったという。

SMASHの担当者は7月5日、ハフポスト日本版の取材に対し、以下のように展望を語っていた。

「フジロックフェスティバル自体そして、出演いただくアーティスト、特に邦楽アーティストをYouTubeによる全世界配信で世界に知ってもらえることが、ライブ配信を決めた一番の理由です」

「今までフジロックの名前は知っていたが、サイトを見たり、出演アーティストを知ろうとしていなかった方にも気軽に見ていただき、興味をもっていただける機会になればと思います」

全世界での発信をきっかけに、邦楽アーティストの認知が広がり、世界進出のチャンスが生まれる可能性もある。また、「仕事で行けない」などの理由で参加を断念する人や、小さな子どもがいて参加できないという人も、気軽にフジロックを楽しめるようになる。

いよいよ間近に迫ったフジロック。YouTubeでのライブ配信をきっかけに、世界中の音楽ファンがフジロックの魅力を堪能し、アーティストを発掘する機会が増えることに期待したい。


No Picture

アジカン後藤正文、ライブ会場で子ども用の防音ヘッドフォン貸し出しを宣言 耳を「守って」

後藤正文

ロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんが7月18日、自身のブログを更新し、小さい子どもがライブに来場する際、大音量から耳を守るために防音ヘッドフォンや耳栓などを着用するよう呼びかけた。また、今後ライブ会場で子ども用の防音ヘッドフォンの貸し出しも始めるという。

後藤さんは、「アジカンからのお願い」と題したブログを公式サイトに掲載。「最近はライブ会場で未就学や小学生の児童を見かけることが増えました」と、親子連れのライブ参加者について自身の考えをつづった。

「バンドとしては、子どもたちのコンサートへの参加は基本的にウェルカムだということをまずは記します」と前置きした上で、「スピーカーから出る音の音量を考えると、はっきりと子どもたちの耳には良くないことも事実だと思います」と指摘。

2018年6月からスタートしたツアーでは、安全ではない場所から無防備にライブを観る子どもなどを目にし、「いくつかの会場でライブに集中できない事態に遭遇」したという。子どもの入場を規制することについては「なるべく扉を閉じたくない」とつづり、子育て世代にもライブを楽しんでほしいとの思いを吐露した。

今後の対策として、次のツアーから、周りの騒音などを防ぐ効果のあるイヤーマフ(防音保護具)の貸し出しを始めると宣言。また、子育て世代に向けて、子どもと一緒にライブに参加する際は、イヤーマフや耳栓などを用意するよう呼びかけた。

今後、俺たちは次のツアーから、イヤーマフ(子ども用の防音ヘッドフォン)の貸し出しを始めようと思います。けれども、それは忘れた人や、そもそもそうした器具の存在を知らなかった人たち用だと考えてください。また、子どもたちの耳を守る必要性を知ってもらうためにも貸し出しを行います。同時に、児童のイヤーマフの着用を入場時のチェック事項に盛り込むつもりです。

「アジカンからのお願い」, 2018/7/18)

子どもの健康に配慮した決断に対し、Twitterでは、「アジカンの提案、素晴らしいです」など賞賛するコメントが寄せられている。

日本最大のロックフェス「FUJI ROCK FESTIVAL」でも、公式グッズとしてイヤーマフが新たに発売された。20dBの遮音性があり、ヘッドバンドでサイズを調整できるという。20周年を迎えるフジロックでは、近年、子連れの参加者も増えている。

子どもと一緒に安全にライブを楽しみたい人にとって、運営側にこうした配慮が行き届いていることは心強い。


子ども時代の想い出を映画化。31歳新鋭監督の瑞々しい感性が光る『悲しみに、こんにちは』

 スペインの新人監督、カルラ・シモンの鮮烈な長編デビュー作『悲しみに、こんにちは』が7月21日より公開される。

 幼い頃にエイズで母を亡くした監督の実体験を映画化した本作は、第67回ベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞、アカデミー外国語映画賞のスペイン代表作品にも選出されるなど、高い評価を受けた。

 1993年の夏、母親を亡くした少女フリダは、カタルーニャの田舎に住む叔母夫婦に引き取られる。フリダは母の死をまだ受け止められずにいる。母の死因が、当時不治の病とされていたエイズであることもフリダは知らない。叔母夫婦とその娘、アナはフリダを暖かく迎え入れるが、フリダはかけがえのない夏を過ごすのだが、新しい家族と慣れない土地、そしてエイズを恐れる周囲の目線のため、フリダは孤独を抱え込んでいる。

 突然の母の死、新しい土地への戸惑いを抱えながらも、フリダは夏を満喫していく。しかし、少女は母の死を受け止め前に進まねばならない。陽光きらめくスペインの田舎を舞台に、家族の暖かさと死と孤独に直面する少女を瑞々しく活写した作品だ。

 カルラ・シモン監督に本作についてうかがった。

自分の癒やしのための映画じゃない

――この映画は監督の子ども時代の話を元にしているそうですが、この映画を作るきっかけはなんだったんでしょうか。

カルラ・シモン監督(以下シモン):多くの人に、自分の心の傷を癒やすために作ったのかと聞かれたのですが、そういうわけではないんです。これは私の確かに私の幼少期の体験を元にした物語で、それなりにこの出来事に対して傷を負ったとは思います。けれど、それから長い月日を経ていますから私なりに消化しています。それよりも、子どもが死に直面した時、どう感じるのだろうということを描きたかったんです。

――あなたの個人的な体験を元にした作品ですが、とても普遍的な感情を描くことに成功していると思います。自らの私的な物語を普遍的なものにできると、いつ確信を得たのでしょうか。

シモン:私のこの体験を多くの人に話すと、大抵とても関心を持ってくれるので、多くの人を引きつけることができるのではとは思っていました。でも映画を作る前から強い確信があったわけではなりません。これが普遍的なものを描いているのだと本当に確信できたのは、映画を作り終えて、世界の人々に見てもらった時ですね。多くの国の映画祭に行きましたが、みなが同じような感情を抱いてくれたので、それでようやく確信を持てました。

 家族愛は誰にとっても大切なものだし、だれもが親しい人の死を経験しています。それにこの映画は90年代の設定なので、その頃を覚えている人には懐かしいものでもあったのでしょうね。

――ご自身の体験を映画にするので、独りよがりなものにならないように気をつけたと思うんですが、どんな点に気をつけましたか。

シモン:たくさん本を読んで、子どもが死に直面する時どんな感情を抱くかを学びました。それと、自分と距離を置く作業が重要でしたね。キャスティングの際も、最初は自分に似ている子を選ぼうとしていましたが、重要なのは外見ではないと気づき、もっと性格を重視するようにしましたね。ロケ場所も自分の過ごした土地そのままではなく、少し離れたところにして自分の想い出と距離を取ることにしました。

 

――この映画は、カメラが常に第三者の目のような視点だと思いました。なぜこのような観察的な視点になったのですか。

シモン:観客にフリーダのいる世界を体験してほしいと思ったので、ホームビデオのようなイメージで撮影しました。それを観察的な視点、あるいはドキュメンタリーのようだという人は多いですね。長回しもホームビデオ風にするための工夫の1つです。一度ミスが出ると最初からやり直しになってしまうので、リスクのあるやり方ですが、どうしても必要なことでした。

 製作中は、監督として自分の人生に距離を置いていたので、物語に入り込むことが出来なかったんです。でも完成した作品を観て、本当に自分の子どもの頃を思い出しました。女優である私の妹もこの映画に出演していますけど、彼女は撮影中も昔を思い出してしょっちゅう泣いていましたけど。(笑)

 

母が得た自由とその代償

――今回映画化する時に改めて自分の子ども時代を振り返って新しい発見はありましたか。

シモン:映画を作る上で一番難しかったのは母をどう描くかということでした。知り合いの編集者に最初の脚本を読んでもらった時に、母親の存在感を感じないと指摘されました。それもそのはず、この映画で描いたように、私は母を幼い時に亡くしていて、彼女との想い出がほとんどないのです。だから母の存在をリアリティを持って描けなかったのです。

 なので、私は自分の母を再発見するために、母の死に対してどう感じていたかを質問させてもらいました。それから母が友人に宛てた手紙をたくさん読ませてもらいましたね。そうやって私の知らない母を作り上げていったんです。

――実の母親について具体的にどんなことを発見しましたか。

シモン:この映画の前に『ゆりかご』という短編映画を作ったんですが、それは母が旅した足跡を私自身が辿って、彼女の手紙を朗読するという内容です。短編映画の製作で彼女の訪れた場所を辿ったことで、母という人物をとてもよく知ることができたと思います。彼女が体験したことを私自身が追体験したような気持ちになれましたね。

 彼女の手紙を読んでわかったことは、私の母はとても激しい人生を送った人だったということですね。彼女の若い頃はフランコ軍事政権が倒れて自由が訪れたばかりの時で、若い人々はその自由を謳歌するためにいろんなことに挑戦していました。彼女もそんな一人でいろんなことを試していたようです。その中の一つにドラッグもありました。手紙には今日、こんなドラッグを試してみたなど詳細に書いてありましたね。

 しかし、その自由への希求の代償として、彼女はエイズを患うのです。ただ彼女はそれは全て自分に責任があることも自覚していたようです。彼女はとても強い意志を持った人だったんです。自分の娘に母乳をあげられないことを悩んだこともあるようです。それでも母は、人生を前向きに、活き活きと過ごしたみたいです。

 それから彼女はクリエイティブな才能もあったみたいですね。とても美しい文章を書くんですよ。

 

――母のエイズの問題などはありますが、映画の中ではそこはあまり強調されていませんね。

シモン:ええ、子どもの視点で描くことが大事だと思っていましたから。私自身、母がエイズで亡くなったことを知ったのは12歳の時です。主人公のフリーダの年には知らなかったのですよ。だから映画の中でエイズという言葉を一切出しませんでした。エイズという単語は強い意味を持ちます。それを言ってしまうとエイズに関する映画になってしまうと思ったんです。私はエイズの映画を作ろうとしたわけはなく、子どもが死をどう受け入れるのかを描きたかったんです。


「一発屋芸人には才能がある」 髭男爵・山田ルイ53世さんは断言する

「あの人、最近消えたよね」

「今テレビに出まくってるけど、すぐ消えそう」

ネットで、飲み会の席で、しばしばこんな風に話のネタにされる「一発屋芸人」たち。彼らの人生にスポットライトを当てた書籍『一発屋芸人列伝』(新潮社)が5月に発売され、反響を呼んでいる。

著者はお笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さん。自らも「一発屋芸人」の1人だ。貴族風の衣装に身を包み、「ルネッサ〜ンス!」とワイングラスを掲げる”乾杯ネタ”でお茶の間の人気者になった。

山田さんが筆を取るモチベーションになったのは、「一発屋芸人」と称される彼らが心ない言葉で評価されてしまうことへの「悔しさ」だったという。

ネットが普及し情報があふれる現代社会では、目まぐるしいほどのスピードでブームが移り変わる。一発屋芸人たちは、まるで突風を起こすかのようにテレビ界に颯爽と現れ、話題をさらい尽くしたあと、人知れずブレイクの波から去っていく。

レイザーラモンHG、コウメ太夫、テツandトモ、とにかく明るい安村、波田陽区…。

『一発屋芸人列伝』の目次には、かつてテレビで脚光を浴びた芸人11組の名が並ぶ。

波田陽区(2015年撮影)

ハローケイスケ(2015年撮影)

髭男爵(2015年撮影)

「正統派漫才」とは一線を画するその芸風ゆえか、彼らは「嘲笑」の的になりやすい。テレビでも、Twitterでも、メディアでも、ブームが過ぎた後は「消えた芸人」として扱われてしまう。

「ネットでエゴサーチをしていると、誰かもわからない人に『おもんない』と言われたりして。『いやいや、おもろいから売れとんねん』とも思いますし、『なんでそんなこと言われなあかんねん』と。幼稚な怒りですけど、悔しさみたいな感情があって、根源的なところではその単純な思いがモチベーションになっています」

山田さんはそう話す。一貫して主張するのは、一発屋芸人は才能を持った人たちである、ということだ。

「みんな1回大きく売れただけあって、才能豊かで、しっかり芸の発明をしていたことが取材を通して再確認できました。全部に、みんなのギャグに理由があるというか。一発屋芸人はただ奇をてらってやっている、と思われがちなんですけど、実は全然違う。あまり芸人の立場からお客さんに向けて言うことじゃないんですが、まあ、僕1人ぐらい言う奴がいてもいいやろう、と思っています」

「売れるにはそれなりの理屈というか、ちゃんとした仕組みがある。それぞれの芸人の生い立ちから彼らが過ごしてきた人生、芸人になってから売れるまでの暮らしとか思いみたいなものが『フォー!』(レイザーラモンHGの決めポーズ)になったり、『右から来たものを左に受け流すの歌』(ムーディ勝山の持ちネタ)になったりするんです」

山田さんはそう話す。芸人が芸人について書くことの難しさはあったが、”傷の舐め合い”にならないよう、距離感に気をつけたという。

時にはツッコミを入れながら、フラットだが愛のある視点で芸人たちの個性とおもしろさをありありと映し出し、編集者が選ぶ「第24回雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。

レイザーラモンHG(2005年撮影)

ムーディ勝山(2015年)

『一発屋芸人列伝』が描くのは、テレビを見ているだけでは知ることができない、芸人たちの「素の顔」だ。ともすれば「イメージダウン」してしまうかもしれない一面ですら、赤裸々につづられている。

例えば、かつて「なんでだろう〜♪」のフレーズで一世を風靡したテツandトモ。現在は地方営業で大人気の彼らだが、作中には彼らのプロフェッショナルな一面を物語る、こんなエピソードが紹介されている。

テツandトモ含む一発屋芸人が出演するバラエティー番組の企画で、当時天才子役として注目を浴びていた芦田愛菜さんがゲストとして登場した時のこと。芦田さんが「なんでだろう〜♪」のリズムに合わせて番宣をするという内容だったが、こんなハプニングがあったという。

途中、愛菜ちゃんが上手くリズムに乗れなくなり、釣られて、テツも言い淀む。

次第に展開がグダグダになってきたその時、

「お前がちゃんとやれよ!!」

トモの、ツッコミと呼ぶにはあまりにも剥き出しの苛立ち……怒りが爆発した。

一気に緊張感を増す「旬じゃないルーム」(※)。息を呑む一発屋の面々。何より、天才子役の顔が引きつるのを筆者は初めて見た。

以来、トモがどれだけニコヤカに振る舞っていても、

(本当は”あれ”なんだ……)

未だに、あの空気が忘れられない。

P.78〜P.79より / ※編集部注:番組内の企画名

その後の山田さんのインタビューで、トモさんは当時の心境について、「ちゃんとしたかった」「営業でも、30分でと言われたら、30分で終わらせたい」と振り返ったという。プロ意識に徹するがゆえの、相方への厳しい叱責だった。

テツandトモ(2003年撮影)

プロの現場で起きたことだ。でも、もしこの一幕をお茶の間の子どもたちが見たり、知ったりしたら、どうなるのだろう…。こんな生唾を飲み込んでしまいそうなリアルな出来事も、山田さんはあるがままにつづっている。

「夢、壊れました?」と、山田さんはどこか”してやったり”の表情で笑う。

「本来、お茶の間の皆さんというか、お客さんでもある『視聴者』に伝えるべきではないことを書いてますからね」

「基本的に、ここに書いてる人たちの話は、全部芸人さんにも事務所にも原稿チェックをしていただいてます。でも『ここは切ってくれ』みたいのはなかった。テツトモさんも『大丈夫です、書いてください』というスタンスだったんで、逆に『すごいな、潔いな』というか。プロ意識が高いんです、テツトモさんは。特にトモさんは」

同著は月刊誌『新潮45』の連載を書籍化したものだ。「子どもは読者のターゲットと考えていない」と前置きしつつも、山田さんはこう話す。

「ただ、僕はそういうところも大人は子どもに見せるべきやな、とも思っていて。たとえば、今は何でも『0か100か』、わかりやすい味しか子どもに教えない。大人ですら、それこそネット空間とかでは、本当に『勝ちか負けか』みたいな、この2つしかない状況が多いですよね」

「いずれにせよ、みんなで叩いたり持ち上げたり、不気味なほどに二極化しているというか、単純な味しかみんな理解しないようになっている。そういう意味では、この本に載ってる人たちの人生は非常に複雑で、芳醇で、発酵食品のような味わい深いものだと思います。それがいいな、と思いますし、伝わってほしいと思うんです」

世間から「消えた」と言われる一発屋芸人たちの”その後”の人生は多様だ。

ラップ芸のジョイマンは、Twitterで「消えた」と呟く人たちに「消えてないよ!」と次から次へとメッセージを送ったり、お客さんが1人も来ないサイン会の様子をツイートしたりして、話題を呼んだ。波田陽区は福岡で再起を図っているところだ。キンタロー。さんはテレビ番組の企画で社交ダンスに打ち込み、日本代表に選ばれた。

ジョイマン(2015年撮影)

キンタロー。(2014年撮影)

「一発屋」として一世を風靡した彼らは、また大きな花火を打ち上げるために、今もしのぎを削っている。

芸能人に向かって、大上段に構えて『お前なんかおもんないわ』というのは自由ですけど…その意見に対して『そういうお前は何様やねん』と心の中でツッコんでいる人もいるはずで。去年テレビ番組で、その厳しい目を自分自身に向ける勇気はあるのか、みたいなことを言ったんですが、そういう意味でこの本に登場する人たちは、その厳しい目をみんな自分に向けています。本当に、1番厳しい目を自分の人生とか芸に向けている人たちですから

最終章では、自らのコンビ・髭男爵について書いた。

担当編集者から「最後は髭男爵で」と言われていたが、半年間は拒み続けたという。「相方のことをちょっと悪く書いて逃れるっていう迂回の仕方をしてます」と言いつつも、悩んだ末につづった自らの「列伝」には、まさしく「発酵食品のような味わい深さ」がつまっていた。

相方・ひぐち君との哀愁入り混じった「コンビ仲」が特に印象的だ。「コンビを組んで2、3年は、『どうせ樋口は帰る場所がある人間だ』と余り信用もしていなかった」(P.221)とドライな本音も赤裸々につづられた。

山田さんは中学生から芸人になるまでの6年間、引きこもりを経験している。これは2015年に自伝『ヒキコモリ漂流記』が出版され、広く知られたことだ。

「追い詰められていましたから、やっぱり。20歳まで6年間引きこもっていて、本当に社会の一員でも何でもなくなっていた状況でずっと生きていたもんですから。もう誰の言うことも信用できない、みたいな感じになっていたんですね」

その追い詰められていた時期に「髭男爵」の一員としてスタートを切った、10年後。”挫折”の日々を微塵にも感じさせないような、明るい「ルネッサ〜ンス!」のかけ声で、山田さんとひぐち君はブレイクした。試行錯誤し、笑いを追求した結果の大ヒットだった。

髭男爵(2009年撮影)

「視聴者」である私たちは、テレビに映る芸人たちの「本当の顔」を知らない。テレビの向こう側にいる彼らが何を思っているのか、本当はどんな人でどんな人生を送ってきたのか、「表」を映し出すだけのバラエティー番組を見て推し量ることは難しい。

だからこそ、「消えた」なんて後ろめたさを持たずに言えるのかもしれない。けれどもう少し、その前後のドラマにも、思いを馳せてみたい。

「ここまで来たらね。50歳とか60、70歳ぐらいになっても、シルクハットをかぶってひぐち君もあんな格好して、『何とかかーい』とか言うてたら、逆におもしろいかな、ということで。今はコンビとしてはそこを目指してます」

ひぐち君はワイン道を極めるために、「ワインエキスパート」の資格を取得した。髭男爵の2人のコンビとしての活動は、今は地方営業が主だという。数ある「一発屋芸人」たちと同じように、もちろん、山田さんの芸人人生も続いているのだ。


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ワールドカップで「素敵すぎる」活躍を見せた選手と監督(画像)

多くの波乱を呼んだグループリーグが終了し、ついに決勝トーナメントがスタートしたロシア・ワールドカップ。ますます盛り上がりを見せる中で、注目してしまうこと… そう、「かっこよすぎる活躍を見せる選手」だ。今回は監督を含め、15人を紹介する。

ポルトガル代表 / クリスティアーノ・ロナウド

言わずと知れたスター選手。所属するレアル・マドリードをUEFAチャンピオンズリーグ3連覇に導き、年間最優秀選手に贈られるバロンドールを5度受賞している。

コロンビア代表 / ハメス・ロドリゲス

グループリーグ初戦で日本と対戦したコロンビア代表のエース。4年前のブラジル・ワールドカップでは得点王に輝いている。

スペイン代表 / セルヒオ・ラモス

グループBを首位で通過したスペインのディフェンダー。数々のスター選手を擁するレアル・マドリードのキャプテン。

ウルグアイ代表 / エディンソン・カヴァーニ

今大会大活躍を見せているカヴァーニ。決勝トーナメントのポルトガル戦では決勝点を決め、ウルグアイを8強に導いた。

フランス代表 / アントワーヌ・グリーズマン

決勝トーナメントでアルゼンチンを破ったスター軍団・フランスのフォワード。アトレティコ・マドリード所属。2016年にはバロンドールの最終候補に残っている。

ドイツ代表 / マヌエル・ノイアー

まさかのグループリーグ敗退となったドイツの守護神。優勝した前回のブラジル・ワールドカップでは最優秀ゴールキーパーに選ばれた。所属するバイエルン・ミュンヘンではキャプテンを務める。

エジプト代表 / ラマダン・ソブヒ

エジプトの若手注目選手。昨年、エジプトの伝説的ゴールキーパー、エル・シャハト・エクラミーの娘と結婚した。イングランドのハダースフィールド・タウンFC所属。

ポーランド代表 / ヤン・ベドナレク

今大会、日本戦でゴールを決めたベドナレク。日本代表・吉田麻也と同じサウサンプトンFCに所属している。

コスタリカ代表 / クリスチャン・ガンボア

前回のブラジル大会では8強入りをしたコスタリカのボランチ。スコットランドの名門、セルティックFCに所属している。

スイス代表 / ヤン・ゾマー

決勝トーナメントに進んだスイスのゴールを守るキーパー。ブンデスリーガのボルシア・メンヒェングラートバッハでプレーしている。

アイスランド代表 / ルリック・ギスラソン

今大会、初のワールドカップ出場を果たしたアイスランド代表のミッドフィルダー。ブンデスリーガのSVザントハウゼンに所属。

ナイジェリア代表 / ウィリアム・トロースト・エコング

ナイジェリアとオランダのハーフ。リオデジャネイロオリンピックでは全ての試合に出場し、銅メダル獲得に大いに貢献した。

日本代表 / 柴崎 岳

グループリーグ3戦連続で先発出場した柴崎。攻守の要で、日本代表に欠かせない存在となった。決勝トーナメントでも活躍に期待したい。

■選手だけでなく、監督もかっこいい。

セネガル / アリウ・シセ監督

日本でも大きな話題となった、セネガルのシセ監督。今大会最年少、42歳でセネガルを率いたシセ監督はインタビューでの紳士な発言も注目された。

モロッコ / エルベ・ルナール監督

白シャツがトレードマークのルナール監督は、フランス出身の49歳。2016年2月からモロッコの指揮官となり、5大会ぶりのワールドカップ出場に導いた。


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