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男らしさの呪縛を捨てれば、もっと自由になれる。70年代NYが舞台『ビール・ストリートの恋人たち』の現代性

今回が初来日となったバリー・ジェンキンス監督

女性の社会進出、MeToo運動の高まりなどを受けて、ジェンダーの問題は世界中で議論されるようになってきた。

それと同時に「男らしさとは?」という問いもまた、これまでになく真剣に捉えられるようになった。

黒人社会で生きるゲイ男性の受難と愛を描いてアカデミー作品賞に輝いた『ムーンライト』から2年、バリー・ジェンキンス監督の最新作『ビール・ストリートの恋人たち』が2月22日より公開される。

 黒人男性を主人公とする2つの作品を通して、ジェンキンス監督は「男らしさ」とどう向き合ったのか。また、それは現代社会においていかなる意味を持つのか。来日中の同監督に話を聞いた。

 

『ビール・ストリートの恋人たち』は、ジェンキンス監督が念願だったジェームズ・ボールドウィンの小説の映画化だ。

ボールドウィンは、アメリカ文学史における重要人物の1人で、黒人として、またゲイとして差別や性の問題に向き合った作品を数多く発表し、公民権運動においても重要な役割を果たしている人物だ。

監督は『ムーンライト』製作前から本作の脚本を書いていたが、映画化権の取得は容易ではなく、まずは自分を知ってもらうことが必要だったと語っている。前作でオスカーを受賞し、その手腕を認められ満を持しての映画化となる。

ジェンキンス監督は、ボールドウィンの小説について「男らしさとは、さらに、黒人の男らしさとは? ということを考えるきっかけになった」と語る。

また、本作の原作については「抵抗と怒りに満ちた表現がある一方で、みずみずしく、ロマンティックで、希望に満ちていて、その2つが見事なバランスで両立している」と評している(公式プレスより)。

『ビール・ストリートの恋人たち』

2人のゲイの黒人男性作家の視点

ジェンキンス監督の映画は、男らしさを称揚しない。

『ムーンライト』は黒人社会で生きるゲイの男性シャロンの受難を描いていた。少年時代、高校時代、そして青年時代の3つの年代が描かれるが、とりわけ青年時代のシャロンの変わりように驚いた観客は多かっただろう。

ひ弱でいじめられていたシャロンが、青年時代には筋骨隆々に「武装」して、自らを偽りながら生きている。男らしく、強さを装わないと生きていくのが困難な世界で、シャロンは愛する者の前でだけ本当の自分に戻れた。

シャロンの心情を鮮やかに描き上げた『ムーンライト』の原作者タレル・アルバン・マクレイニーと、『ビール・ストリートの恋人たち』の原作者ジェームズ・ボールドウィン。ともにゲイの黒人男性であり、アメリカ社会における黒人差別以外に、黒人社会の中で同性愛差別に苦しめられた人たちでもある。

ジェンキンス監督は、2つの映画が“男らしさを称揚しない”作品に仕上がったのは、原作の筆致を尊重した結果だと言う。ことさら意識して、男らしさを遠ざけようとしたというよりも、自分の感情に従って、こういう時はどうするだろうと純粋な反応に従って作ったのだと語る。

一方で、監督自身は典型的なマスキュリン的発想には興味なく生きてきたそうだ。マクレイニーやボールドウィンの人間観はごく自然に、監督自身の人間観と相性が良いのだろう。

『ビール・ストリートの恋人たち』

「男は女を守るべき」という思い込みが招く悲劇

ジェンキンス監督は、ボールドウィンの小説によって「男らしさ」について考えることになったことは上述した通りだ。本作において、ボールドウィンの男らしさへの疑問が端的に表出しているシーンがある。

主人公のティッシュ(キキ・レイン)とファニー(ステファン・ジェームス)が、差別主義者の白人警官に難癖をつけられた後の会話だ。

 

ファニー「Don’t ever try to protect me.(もう俺をかばったりするな)」

ティッシュ「But you were trying to protect me.(でもあなただって私をかばってくれたでしょう)」

ファニー「It’s not…the same…thing.(それとこれとは同じじゃない)」

(※訳は筆者による:英語のセリフは公式の脚本から引用)

 

どうして「同じ」ではないのだろうか。愛し合う男女が互いを守り合う、美しいことではないか。しかし男であるファニーは、彼女のティッシュに守られたことでプライドを傷つけられたような思いを抱えてしまう。

ジェンキンス監督は、このシーンについて、こう語る。

「あれは原作通りの台詞ですが、70年代の男女観としては一般的ではないかと思います。ただ、いまだにこういう男性像を捨てきれない人は多いんじゃないでしょうか。

例えば男女の夫婦において、女性がお金を稼ぎ生計を立てて生活を守ってくれるという状態を受け入れがたいと感じる男性はいまだ多いと思います。アメリカでは、男性こそが一家の大黒柱で、家族を守る役目は男のものだとずっと考えられてきましたから。

若いティッシュとファニーの2人は、本当はお互いに守り合うべきなんですが、悲しいことにファニーは、男らしさについてステレオタイプなイメージを捨てきれていないんです。だから、ティッシュがファニーをかばったときに、自分の男性性が剥ぎ取られたような恥ずかしさを感じてしまったんです」

男はいつでも強くあらねばならず、女を守らねばならない。

 ファニーはこのステレオタイプな男らしさの思い込みのせいで、大きな代償を払うこととなり、2人の愛に満ちた生活に困難をもたらすことになってしまった。

当然、白人警官による劣悪な人種差別がまず根底にあるのだが、それだけでなく、男性性の発露によって冤罪が引き起こされるという構造が、ボールドウィンならではの感性であり、現代の観客にも深い問いかけを与えるポイントだろう。

実際、ファニーが警官の横暴からティッシュをかばった瞬間、ティッシュは喜ぶどころか困惑している。まるで知らない人間を見るように。

「ファニーにとってもあの行動は、自分のイメージとはかけ離れたもので、彼自身すらあの瞬間困惑しているんです。あの瞬間、自分も知らなかった、染み付いた男性性が出てしまったんです」

前作『ムーンライト』(16年)でアカデミー賞作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督。黒人だけのキャスト、監督、脚本による作品での作品賞受賞は史上初

日本人男性が『ムーンライト』に共感した理由

黒人男性の「男らしさの呪縛」を浮き彫りにするジェンキンス監督の2つの作品。決して、自分たちとは関係のない物語ではない。

ジェンキンス監督は、LAでの『ムーンライト』の取材を受けた際、日本人ジャーナリストが語ったことを回想した。

「日本人の女性ジャーナリストが、『ムーンライト』は日本の男性の心も捉えている、なぜなら日本の男性のビジネスパーソンたちは、出世のために男らしくあらねばならないからだと言っていました。

例えば、誰よりもビールが飲めるように装ったり、感情を表に出さずストイックに仕事に向かったりという具合に。そういう姿勢が、『ムーンライト』の第3章の、ギャングのような格好をして、歯に金のグリルをはめて自らを偽るシャロンの姿に重なるというんですね」

体育会系、という言葉で表される共同体はとりわけ典型的なものだろうが、過剰に体育会系的な職場でなくても、大なり小なり、男らしくあらねば、というプレッシャーを感じたことがある男性は少なくないのではないか。

「それはとても危険なこと」だとジェンキンス監督は語る。

「男らしくあろう、強くあろうと装い続けると、悩みを抱えても誰にも打ち明けられない状態になってしまいます。それは大変危険です。

例えば、仕事で受けたプレッシャーを、他の誰にも打ち明けられずに溜め込めば、その圧力は最後には自分だけでなく、家族や周囲をも傷つけることになるでしょう」

男らしさの圧力が、回り回って、世の中に「別の圧力」を生んでいるかもしれない。弱さを認めることで、男はもっと楽になれるのではないかとジェンキンス監督は語る。

「私は、人が脆くあることは決して悪いことではないと思います。男らしさにこだわらなければ、人はもっと広い世界を知ることができるようになると私は思います」

ファニーも男らしさの呪縛から逃れることができたなら、刑務所に行くことなく、文字通り「自由」であれたかもしれない。人種差別とジェンダーの同調圧力の2つの社会的な不自由に挟まれた2人の愛を、ジェンキンス監督はそれでも希望を失わずに美しく描きあげた。


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「一生、ロリータやめない」 35歳、青木美沙子は“年相応のファッション” の呪縛と戦う

青木美沙子さん、35歳。リボンやフリル、レースなどが付いた“ロリータ服”に身を包む姿はまるで、お姫様のようだ。 

15歳の時、原宿でロリータファッション誌「KERA」のモデルとしてスカウトされた。それから20年、流行のファッションに脇目もふらずにロリータを愛し続け、今や世界中のロリータたちのカリスマ的存在だ。

お姫様のようなファッションは、時に“バカっぽい”などと見下されたり、そろそろ卒業したら? と不要に諭されたりすることもあった。しかし彼女は「一生、ロリータをやめない」と宣言する。

いくつになっても同じスタイルを貫きたいーーそう思わせるファッションの魅力とは何だろうか? 青木さんに話を聞くと、私たち日本人が囚われている「年相応のファッション」というものに対する呪縛が浮かび上がってきた。

「ハフトーク」に出演したロリータモデルの青木美沙子さん

ロリータは、コンプレックスの塊だった自分を救う「戦闘服」

 「ロリータは私にとって戦闘服のようなものなんです」。

可憐で愛らしい洋服に身を包みながら「戦闘服」という過激な言葉を口にする青木さん。弱くてコンプレックスだらけの「ネガティブな自分」と戦い、前向きにしてくれるのがロリータファッションなのだという。

《10代の頃、自分の体型が嫌いでした。足は太くて、アトピーもあって。自分に自信が持てなくて、クラスでも目立たない存在だったんです。

そんな私が、ロリータを着ることで強くなれた。ロリータって身体のラインをふわっと隠すことができるんです。

自信がない部分は隠したっていい。そうやって世の中に出ていけばいい。そう思わせてくれたのがロリータだったんです。》

彼女は看護師として働くかたわら、今もロリータモデルとして最前線で活動している。

 

世界に羽ばたくロリータ文化。

ロリータは近代西洋のファッションに着想を得た日本発祥のスタイルで、1990年代に東京・原宿で生まれた。

可愛らしくて甘い印象のスウィートロリータ、少しくすんだ色で大人っぽさを演出できるクラシックロリータ、黒や赤を多用したゴシックロリータ(ゴスロリ)、お姫様らしさ全開の姫ロリータなど、色んなスタイルがある。

青木さんは、日本発のロリータファッションの素晴らしさを世界中に伝えたいという思いで2013年、日本ロリータ協会を設立。アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、アジアの25カ国50都市以上を訪問し、ロリータの魅力を“布教”し続けてきた。

気候も文化も違うそれぞれの地で、日本発のロリータファッションと現地の伝統が融合し、新たな流派のようなものが出来ていくのも面白い。

日本では着物と組み合わせたような「和ロリ」、中国ではチャイナ服と合わせた「華ロリ」というスタイルが人気だという。

ひとえにロリータといっても多様なスタイルがある。この「選択肢の多さ」もロリータの魅力だと青木さんは言う。 

ユニークなことに、着る頻度によって異なるネーミングがつく。

病院で白衣を着ている時以外はいつもロリータ服を着ている青木さんは「毎日ロリ」。他方、週末だけロリータ服を楽しむ「土日ロリ」もいる。

仕事や学校通いで普段はなかなか自由に好きな服を着られなくても、休みの日には大好きな洋服を着て本当の自分を解放したい。そんな思いがあるのだろう。

 

中国廈門でイベントに参加する青木美沙子さんブラジル・サンパウロでファンにサインをする青木美沙子さん

 

ロリータは「男ウケ」が悪い。でも…。

世界中の女性たちを魅了してやまないロリータファッションだが、青木さんいわく「男ウケがすこぶる悪い」のだという。

結婚がしたい、彼氏が欲しいーーそんな思いから出会い系アプリに登録し、実際に12人の男性と会ったという青木さん。

 《会った瞬間、相手がサーーーーーってドン引きしていく音が聞こえるんですよ。会う前にスマホでメッセージのやりとりをしている時には、趣味の話、医療に関する話などについて、対等に会話していたはずなのに。私のロリータ服を見た瞬間、格段に会話のレベルが下がる。下に見られているのがわかるんです。》

男性たちがかける言葉はこうだ。

「コリン星からきたのかな?」

「毎日、マカロン食べてるの?」

「おうちはお城なの?」

まるで子供の相手をするかのような口ぶりで質問をしてきたかと思うと、挙げ句の果てに「そんなファッションやめなよ」と“諭そう”としてくるのだという。

理解してくれる男性がいるはずだ、と最初は信じていたけれど現実はそうじゃなかった、と青木さん。驚くべき話だが、出会い系アプリのプロフィール欄に、彼女のもう一つの仕事である「ナース」を入力すると、「今度は急にモテはじめる」のだという。

 《ロリータに対する偏見は大きいと思います。これを理解してくれる男性と付き合いたいですがなかなか…。

中国では派手な服装の女性がモテるから、男性からもロリータは人気があります。でも日本人は保守的な人が多い。一緒にデートしていて目立つ女性は嫌なんだと思います。

どうしても、みんなと一緒がいい、目立たない方がいい、というカルチャーなので、ロリータは奇抜な格好として変な扱いを受けてしまう。》

《私たちの方にも責任があるなと感じています。ロリータってどうしてもイロモノのような感じで、メディアでも面白おかしく扱われてしまいがち。それを見て誤った理解をしている方が多いんでしょね。

そういう意味では私たちにもまだまだ足りていない部分もあるし(適切な理解を得るために)頑張らないと思います。》

 

ロリータは一生やめない。ファッションは自由でいいはずだから。

出会い系アプリを通じた恋愛がうまくいかなくとも、男性に敬遠されようとも、青木さんは「ロリータは一生やめません」と断言する。

《何というか、恩があるんです。ロリータは、自分のネガティブなところと向き合う力をくれた。自分を変えてくれたし、人生を支えてくれたものなんです。 

こうして先頭に立つことで、同じようにロリータに救われている人たちの希望でありたい。35歳の私が続けていることで勇気が出る人もいると思うんです。出産や子育てで一度ロリータをやめて、また帰ってくる人たちもいるから、そういう人たちの受け皿にもなりたい。

それに、プライドや使命感もありますけど、何よりもロリータが好きなんです。カワイイじゃないですか。どんなにみんなの思いを背負っていても、自分が好きじゃなきゃ続けられないですしね。》

好きだから着続けたい。

カワイイから着続けたい。

ロリータへの一途な愛を語ってくれた青木さん。最後にあえて「本当にいくつになってもロリータファッションを続けますか?」 と問うと、青木さんは淡々とした口調でこう答えた。

《年齢によって、ファッションを変える必要はないと思います。20代だからこの服、30代だからこの服、ママだからこの服、という思い込みはおかしい。おばあちゃんになっても、男性でも、ロリータを着ていいんです。私の夢は、まだ見ぬ娘との親子でロリータを着ること。ファッションはもっと自由でいいと思うんです。》

ロリータ大使として、25ヵ国以上をめぐってきた青木さんはこう続ける。

《ファッションだけじゃない。結婚や職業選択もそう。年齢で色々規定するのは日本人ならではの感覚じゃないでしょうか。35だからロリータ着ちゃいけないとか、結婚してなきゃおかしいとか…。そういう考え方こそおかしいし、実はすごく勿体無いんです。 

年齢で何かを諦めるなんて勿体無くないですか? 好きなら絶対、諦めちゃいけない。私はそう思うんです。》


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カール・ラガーフェルド氏が死去 シャネルのデザイナー、85歳

カール・ラガーフェルド氏

フランスのラグジュアリーブランド「シャネル」のデザイナーを務めるカール・ラガーフェルド氏が2月19日、死去した。85歳だった。同ブランドの公式Instagramで伝えられた。

ハフポストUK版によると、ラガーフェルド氏は1月のシャネルのオートクチュール・コレクションを体調不良のため欠席していた。

ラガーフェルド氏は1983年にシャネルのクリエイティブ・ディレクターに就任。フェンディのデザイナーも務めた。ファッション界に革命をもたらしたシャネルの世界観を作りあげ、長きに渡りブランドを支え続けた。

シャネルの公式Instagramアカウントは19日、ラガーフェルド氏の写真を投稿。

シャネルの創業者、ココ・シャネルに関するラガーフェルド氏の言葉として、「私の仕事は彼女がしたことをするのではなく、彼女が”したであろうこと”をすることです」との発言を引用し、故人を悼んだ。

また、ラガーフェルド氏の右腕として知られるヴィルジニー・ヴィアール氏が後任に就くことを発表した。

 シャネルを立て直した偉大な貢献者

創業者ココ・シャネル亡き後、不振が続いていたシャネルを見事に立て直したラガーフェルド氏。

その後、30年以上に渡りファッション界を牽引し、「モード界の皇帝」とも呼ばれた。ファストファッションブランドのH&Mからコカ・コーラまで幅広いブランドとコラボするなど、革新的な取り組みを続けた。

2000年には、ディール・オムの細身スーツを着るために、42キロの減量をしたことも話題となった。

つねに注目を集める一方で、ベールに包まれた存在でもあった。年齢を公式には明かさず、いつも黒いサングラスをかけて素顔を隠していた。

シャネル、2015年春夏プレタポルテコレクションより。

【2019/2/20 0:30】記事をアップデートしました。


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業田良家『自虐の詩』 複雑すぎる人間の本性を4コマで描く伝説のマンガ

業田良家『自虐の詩』(竹書房)

お気に入りの小説やマンガが映画化されると聞くと、「やめておけばいいのに……」と思うことは少なくない。原作に対する愛着が深いほど、「汚される」という懸念が強まるからだ。

これまで、「映画化なんてムチャはよせ」と思った筆頭格は、小説ではアゴタ・クリストフの『悪童日記』、マンガでは業田良家(ごうだよしいえ)の『自虐の詩』だ。前者は劇場に足を運んで「まあ、こんなもんだよな」と達観し、「無かったこと」として処理したが、後者はどうにも見る勇気が起きず、未見のままだ。

「もうダメ」ってなる

業田の代表作『自虐の詩』は、「泣ける4コマストーリー漫画」の代名詞的存在だ。

手元の竹書房の文庫版上巻に収められたインタビューで、漫画家・内田春菊は何度読んでもラストに差し掛かると「『もうだめ』ってなっちゃって最後まで泣きっぱなし」と語っている。白状すると、私も再読するたびに「熊本さん」が出てくるあたりから「泣き笑いモード」になってしまう。しかも、これは内田もインタビューで指摘していることなのだが、年齢を重ねるごとに「泣きポイント」が増えているのだ。

なぜこのマンガには、いい歳をした大人の心を強く揺さぶる力があるのだろう。

未読の方のために、簡潔に作品の概要をまとめておこう。

主人公は内縁の夫婦である森田幸江と葉山イサオの2人。イサオは無職で、いわゆる「ヒモ」のような生活を送るどうしようもない男で、定食屋「あさひ屋」に勤める幸江のわずかな稼ぎを酒やギャンブルで浪費する。そんなイサオに、いかにも不幸と貧乏を呼び寄せそうな容姿の薄幸の女・幸江は心底惚れている。

この2人を軸に、物音が筒抜けの壁の薄い安アパートの「隣のおばちゃん」や、「あさひ屋」のマスター、イサオの子分のタロー、幸江の父・家康(すごいネーミングだ……)など一癖あるキャラクターたちが絡んで、物語は進む。

綱渡りのような離れ業 

「物語」と言っても、本作は4コマ漫画なのでストーリー漫画のように、話の筋が綺麗に流れるわけではない。『週刊宝石』に掲載された時点では、『自虐の詩』は「幸江・イサオ」以外の物語もとりまぜた連載だったようだ。

作品の前半はひたすら「不幸を引き寄せる幸江」をネタにしたギャグが続く。オチの多くは、『自虐の詩』名物のちゃぶ台返しだ。イサオの悪癖のちゃぶ台返しは、徐々に他のキャラクターもぶちかます定番ネタになっていく。

「ちゃぶ台返しモノ」のあたりは、ネタは練られてはいるものの、はっきり言ってしょうもないギャグ漫画でしかない。だが、そのしょうもない4コマ漫画が後半、ドラマチックな「泣ける漫画」に豹変する。

幸江の悲惨な子供時代の回想シーンが増えるにつれて作品のストーリー性が高まり、中学の同級生の「熊本さん」の登場、イサオとの出会いのあたりから読者はグイグイと引き込まれ、ネタバレになるので詳細は書けないのだが、最後は内田が言うところの「もうだめ」という境地に持っていかれる。

ジェットコースターにたとえれば、前半のくだらなさでカタカタと位置エネルギーを稼ぎ、そこから一挙に急カーブあり、ループありの波乱の展開が待っている。

さらにこの作品が凄いのは、この怒涛の後半部分でも、ただの「お涙頂戴」には走らず、作者・業田が「ギャク4コマ」の常道をはみ出さないで、各話にきっちりオチをつけて笑いを取ってくることだ。笑いと涙を行き来するバランス感覚は、まさに綱渡りのような離れ業としか言いようがない。

小気味よいリズム感

未見なのに評価を下すのはフェアではないが、私が「映画では再現不可能だろう」と感じるのは、この離れ業がマンガという表現手段、それも4コマギャグ漫画という縛りのきついジャンルだからこそ、可能なものだと考えるからだ。

「ストーリー性が強い4コマ漫画」には、ちょっと思いつくだけで『ぼのぼの』(いがらしみきお)や『あずまんが大王』(あずまきよひこ)など、マンガ史に名を残すであろう作品があり、特異な手法ではない。むしろ、いわゆる「日常系」などを含めて定着したジャンルになっていると言っていいだろう。

これは、4コマ漫画の特性がある種のストーリー展開において有効なツールになりうるからだろう。4コマ漫画は、通常のマンガの演出の肝である見開きや「コマ割り」が使えないという制約を背負っている半面、「4コマで一区切り」という縛りが作品の進行と読者の読むペースに自然なリズムをもたらす強みを持つ。

『自虐の詩』でも、前半のギャグ主体の部分はもちろんのこと、後半部分でもこの小気味好いリズム感は大きな武器になっている。ストーリー漫画なら1話分に相当するエピソードが、4コマあるいは8コマ単位の怒涛のリズムで畳みかけられる。

「均等なコマ割り」という制約を逆手にとった名場面もある。「熊本さんのロングショット」と言えば、ピンとくる方がいるかもしれないあるシーンは、見開きや大ゴマではないからこそ、胸に迫る描写になっている。私は毎回、ここで「もうだめ」となってしまう。

なお、正確に言えば、本作には半ページの大ゴマを含む「5コマ漫画」が数本置きに挿入される。前半はこの「大ゴマ」に特に存在感はない。だが、クライマックスに入ってからの数枚は、この「大ゴマ」の1枚絵が素晴らしい効果を上げている。

再読するたび出る「味」

そして、『自虐の詩』を名作たらしめているのは、こうした「4コマ漫画マンガならでは」の巧みな作劇術を用いながらも、ストーリーテリングではテクニックに走らず、真正面から「人間」を描いている姿勢だ。

未読の方々のためにこれ以上、余計なことは書きたくない。「まずは黙って読んでくれ」としか言えない。あえて野暮な解説をするなら、優しさと残酷さ、勤勉と怠惰、決心と迷いなどなど相反するものが同居する、どうしようもない人間の本性と、絶望と救い、幸と不幸が綾なす人生のタペストリーが、下手な小説など及びもつかない深みをもって語られる。いや、やはり、こんな言葉は野暮だ。とにかく読んでほしい。

蛇足ながら、この作品の連載期間が1985年から1990年までで、『BSマンガ夜話』に取り上げられ、映画化につながるブームのきっかけとなったのが2004年だった、という事実が個人的には非常に興味深い。日本がバブルの絶頂に駆け上がる時代に貧困をテーマにした作品が描かれ、「失われた20年」のボトムに近い時期に「再発見」されたわけだ。このタイムラグは、作者・業田の持つ普遍性と先見性、日本社会の価値観の変遷を映し出しているように思える。

竹書房の文庫版なら上下巻でわずか1200円ちょい、マンガを読みなれた人なら1時間もあれば読み通せてしまうコンパクトな作品だ。しかも、歳を重ねて再読するたび「味」が出る。手元に置いておいて損はないと自信をもって保証する(高井浩章)。

(2019年2月15日フォーサイトより転載)


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便所サンダル、顔ハメ看板…。あらゆるジャンルのマニアが集まるイベント、秋葉原で開催

便所サンダル、ゴムホース、空想地図ーー。さまざまなジャンルのマニアが集まるイベントが2月16〜17日に東京・秋葉原のアーツ千代田3331で開かれている。合同会社「別視点」主催。初日の16日は800人以上が集まる盛況となった。

メイン会場の2階体育館では、約100組のマニアたちが所狭しと繰り広げる独自の世界観がカオスのようだ。1階や地下1階では、それぞれのマニアたちによるトークライブやワークショップも行われる。

 

17日は、日本唯一の便所サンダルの通販サイト「ベンサン.jp」の店長による「絶対にすべらない便所サンダルトークライブ」も開催。

便所サンダル

約3800枚の顔ハメ看板と向き合ってきたマニアと、顔ハメ姿を裏側から撮影するマニアによるトークバトル「顔ハメ看板、裏から撮るか表から撮るか」も。

入場料は当日800円。17日の開催時間は11~18時。


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不正をする企業人であることと、良き夫や父であることは両立してしまう。話題作が挑む、人間の想像力の限界

厚生労働省の毎月勤労統計の不正問題が波紋を呼んでいる。

不正の動機や規模などまだわかっていない事は多く、国会の争点にもなっているようだが、これほど基幹統計という、国の政策を左右する数字が軽視されているという事実は衝撃だ。

統計とは国家の進路を決める上で基礎となる情報だが、これが間違っていては国が進むべき道もわからなくなる。どこかに行こうと地図を開いたら、その地図が狂っていたり、コンパスがきちんと北を示さなかったらどうにもならないのと同じだ。

データの不正を行っているのは行政だけではない。大企業の偽装データに関するニュースが近年話題になることも少なくない。

数字の重大さというのは、数字ばかりを眺めていると、つい忘れがちになるかもしれない。膨大なエクセルデータを日々眺めていると、一つ一つのセルに打ち込まれた数字に果たしてどんな意味があるのか、わからなくなってくる瞬間があるかもしれない。

しかし、政府統計にしろ、民間企業のデータにしろ、数字の向こう側には人間がいる。その数字を基に算出された雇用保険を受け取る人間がいるし、安全データに問題ないと思って乗り物を運転したりする人間がいる。

不正を行う企業や組織は、果たして「数字の向こう」にいる人間のことをどれだけ想像できているだろうか。

そんな社会の状況と呼応するかのように、数字の改ざんを巡る2本の映画が公開中だ。池井戸潤原作の『七つの会議』と俳優の山田孝之がプロデュース業に挑んだ『デイアンドナイト』だ。

この2つの映画は、信じがたい不正のニュースの「なぜ」に答えを与えてくれるように思う。少なくとも、ニュースだけでは伺いしれない、不正に関わる人間社会の厚みをわかりやすく見せてくれている。

ネジ1本にかかる命

野村萬斎や香川照之など、豪華キャスト共演で話題の『七つの会議』は、ネジの強度偽装を巡る物語だ。

中堅メーカー・東京建電の営業一課長の坂戸(片岡愛之助)がパワハラで飛ばされ、気弱な原島(及川光博)がそのポストに収まる。結果主義の北川部長(香川照之)に会議で詰められている最中に、原島の座っていた椅子が壊れ、尻もちをついてしまう。間抜けな格好に一課の社員は爆笑しているが、部長の北川とぐうたら社員の八角(野村萬斎)の2人だけは表情を凍りつかせている。

その椅子のネジには、東京建電も契約している、ある下請けメーカーのものが使われていた。そのメーカーのネジは東京建電の販売した新幹線や電車、飛行機の座席にも使用されているものだ。

実はそのネジの強度は安全規定の半分程度しかないもので、東京建電は下請けも巻き込んだ不正を行っていたのだ。

たかがネジ1本の数字だが、それが誤魔化されていたがゆえに、多くの命が危険にさらされている。新幹線の走行中に座席が故障したら、飛行機の離陸時に椅子が壊れたら…。

たかがネジ1本だが、それは多くの場所で人命を支えている。

組織ぐるみで偽装を隠蔽しようとする東京建電だが、偽装・隠蔽を決めた者たちは目の前の数字しか見えていない。ノルマ、売上、予想される賠償額etc…。その数字の向こうにいる人間は見えていないのだ。

そんな中、八角だけは過去に犯した罪により、数字の向こう側を見ようとする努力を忘れていない。

「事故が起きる確率なんて何万分の一」

山田孝之がプロデューサーに挑んだ意欲作『デイアンドナイト』は、地方の自動車産業における不正を発端にした人間ドラマだ。『七つの会議』は不正の隠蔽を暴く過程をスリリングに描いているが、こちらの作品は不正告発後の受難を描いている。

父の自殺の報を受け帰郷した明石幸次(阿部進之介)は、父の自殺の理由が大企業の不正を告発したことだと知る。明石の父の会社も下請けとして世話になっている大手自動車企業が、タイヤのハブベアリングの強度のデータを改ざんしていた。その強度が弱いとタイヤが急に外れる危険もあるという。

しかし、その企業は地域経済で支配的な立場にあり、逆に明石の父はデマを流したと流布され、村八分にされてしまい、最後には自殺するまで追い詰められ、家族は多額の負債を抱え込まされることになる。

不正は承知しているが、実態はだれも犠牲者は出ていない。騒ぐほうがおかしいと自動車企業の幹部の三宅(田中哲司)は言う。

三宅「事故が起きる確率なんて、何万分の一もないのに、正義ぶって、何百億もの損害生んで、何千人もの人に迷惑かけてるわけでしょ。どっちが正しいかなんて考えたらすぐわかるでしょ」(映画『デイアンドナイト』より)

まだ事故は起きていないが、安全基準を満たさない部品で作られた車に大勢の人が乗っている。三宅もまた、『七つの会議』の重役たちのように数字の向こう側の人間が見えていないのである。

だが、この映画で描かれるのは、その向こう側にある難しさだ。仮に数字の向こう側の人間のことまで想像できていたとしても、告発という行為はとても難しい。

なにしろ、明石の父の行動は、自分のみならず、家族まで不幸になる結果を招いたのだ。家族にまで危害が及んでも社会正義を貫くことができるのか。

主人公の明石の家庭の不幸とは対照的に、三宅は裕福な家でごく真っ当な家庭を営んでいる。不正をする企業幹部であることと、家では良き夫であり、良き父であることは両立する。

山田孝之がプロデューサーを務めた『デイアンドナイト』

自分の生活が不正に支えられたものだとしたら

『七つの会議』のネジの不正で、リコールした場合の予想される賠償額は会社が吹き飛ぶレベルのものだ。知らずのうちにとはいえ、東京建電の社員の生活はある意味、ネジの不正の上に成り立ってしまっている。

『デイアンドナイト』の三宅が言うように、『七つの会議』でも、作中でネジのせいで死んだ人間はいない。被害に遭ったのはせいぜい、椅子が壊れて尻もちをついた原島ぐらいだ。であれば会社を守ることは大勢の社員の生活を守ることであり、それはもしかしたらある種の正義なのかもしれない。

実際、『デイアンドナイト』の三宅は自分を正義だと考えている。三宅の務める自動車会社は地域で支配的な地位にある。それは多くの関連会社がその企業の世話になっているということであり、倒産すればその地域経済が傾くかもしれないということでもある。

三宅には、地域の人々の生活を守っているという自負もあるのだろう。しかし、その正義感は数字の向こう側まで届いていないのである(狭い範囲の正義感は言い換えれば「保身」なのかもしれない)。

自分や周囲の人々の生活が不正の上に成り立っているとしたら、あなたならどうするだろうか。数字の向こうの人間よりも、どうしたって親しい人間の方が情愛も愛着もある。それでも数字の向こうの人間のことを想像する、ということが自分にできるだろうか。

厚労省の役人の方々はきっと頭の良いエリートばかりだろうし、きっと想像力のある人々だろう。そして同僚たちと飲みに行く日もあれば、休日に家族とでかけたりもするのだろう。

そんな生活をおくる中で、数字の向こう側の人々にも同じような生活があることを忘れてしまう瞬間があったのかもしれない。ニュースだけではわからない「心のひだ」を、物語なら想像できる。

そういう想像力を失わないために、物語は社会に必要とされるのだ。

 


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「打首獄門同好会」とはどんなバンド?『布団の中から出たくない』『ニクタベイコウ!』『日本の米は世界一』、日常を熱く歌い上げる

「打首獄門同好会」公式サイトより

打首獄門同好会という3人組バンドが注目を集めている。2004年に結成し、2018年3月にはインディーズバンドながら、日本武道館でワンマンライブを成功させた。

■打首獄門同好会とは?

打首獄門同好会はギターヴォーカルの大澤敦史さん、ドラムの河本あす香さん、ベースのjunkoさんから成る3人組のバンド。2004年に結成され、2006年から現メンバーとなった。

2018年12月に、メンバーのjunkoさんの誕生日を祝う「junkoさんお誕生日会」で、junkoさんが他のメンバーより20歳以上年が離れていて、還暦を迎えたことを突然発表し、世間を驚かせた。

音楽のジャンルは「生活密着型ラウドロック」と呼ばれている。

 ■「生活密着型ラウドロック」とは?

「ラウドロック」は、ロックの種類のひとつで、ヘヴィメタルのように曲調が激しいことが特徴。

打首獄門同好会は、ラウドロックとして、「米や肉を好きな思い」、「寒い日の朝、布団の中から出たくない感情」など身近なテーマを扱うことから、「生活密着型ラウドロック」と呼ばれている。

その歌詞は、「もう布団の中から出たくない 布団の外は寒すぎるから」や「風呂入って速攻寝る計画」という日常で誰しもが感じる「あるある」を歌にしたもの。

さらに、「日本の米 We want 米 至宝の愛 真っ白に炊きたてご飯が輝く」や「何食べたい?肉食べたい カルビ ロース サーロイン スネ ヒレ ハラミ レバー マルチョウ ハツ タン」という食べ物への愛を歌にしたものが多い。

 

■名前の由来は?

「打首獄門同好会」という印象的な名前はなぜ付けられたのだろうか。

先ずは、バンド名の意味を新明解国語辞典(第六版)で紐解いてみよう。

打首は、「昔、刀で首をきり落とした刑」。獄門は、「(牢獄の門の意)江戸時代、斬首された重罪人の首を一定の場所において、人目にさらしたこと。またその刑罰」。同好は、「趣味や興味の対象が同じであること(人)」となっている。

単純に考えれば、「刀で首をきり落としたり、その首を人目にさらしたりした刑罰へ興味をもつ人たち」と解釈できる。物々しすぎるバンド名だ。

名前の由来は公式サイトに記載されている。

バンド結成時に、ドラムの河本さんが「なんか和風な名前がいい・・・たとえばチョンマゲトリオとか」と言い、チョンマゲトリオだけは避けたいと考えた大澤さんが、「『打首獄門同好会と、切腹愛護団体と、終生遠島協同組合、どれがいい』と初代ベーシスト高山明に詰め寄って決まっただけの話である」とのこと。

大澤さんが、候補となった3つの言葉を思いついた理由は「和風な名前と考えて、大澤家の親父さんがよく見ていた遠山の金さんの台詞から適当に引用しただけ」と述べている。


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「クイック・ジャパン」の水溜りボンド特集、全容が明らかに。発売前から話題、東海オンエアのてつやも…

『Quick Japan』vol.142の表紙

2月23日(土)に発売されるカルチャー雑誌「Quick Japan(クイック・ジャパン)」(太田出版)最新号で、YouTuberの水溜りボンドが50ページにわたって特集される。若い世代から強い支持を集めている2人の登場に、発売前からAmazonの売れ筋ランキングでトップ10入りするなど、注目が集まっている。

水溜りボンドは、2015年1月に始動したトミー、カンタから成る2人組のYouTuber。毎日夜8時に欠かさず動画を投稿しており、チャンネル登録者数は370万を超えている。

水溜りボンド特集、全容が明らかに

「Quick Japan」がYouTuberを特集するのは、創刊以来初めて。2月15日、特集号の詳細が明らかになった。

誌面では、カンタ×TAKUYA∞(UVERworld)、トミー×田村淳(ロンドンブーツ1号2号)の対談企画が実現。

「YouTuberからカンタ/トミーに寄せて」と題した企画では、HIKAKINやはじめしゃちょー、SEIKIN、ワタナベマホト、てつや(東海オンエア)、おるたな ChannelなどのYouTuberが登場する。

さらに、「関係者が見た水溜りボンド」として、UUUM株式会社の代表取締役・鎌田和樹氏、Google Japan G.K.の山本光氏、放送作家の鈴木おさむ氏らも出演するという。

他にも、ソロインタビューや2人揃ってのインタビュー、NGT48の荻野由佳、加藤諒、ゆうたろうが参加する「ファンからひとこと」、「ベスト動画リスト30本」など、目白押しの内容だ。

第2特集はサンドウィッチマンが所属するグレープカンパニー

同じ号に掲載される第2特集では、人気お笑い芸人サンドウィッチマンが所属するグレープカンパニーを特集する。永野やカミナリ、東京ホテイソンなど、個性豊かな芸人を排出する同事務所の秘密に迫るという。

第3特集では、2018年のフジロックに出演するなど、人気が高まるロックバンドのKing Gnuが登場。

「Quick Japan」vol.142は、2月23日(土)に発売。価格は1000円(税抜)。

 


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過激ゆるキャラ「ちぃたん☆」、テレビ東京のアニメも放送見合わせ

ゆるキャラ「ちぃたん☆」

高知県須崎市のゆるキャラをめぐるトラブルをめぐり、テレビ東京は2月15日、4月スタート予定だった新アニメ「妖精ちぃたん☆」の放送を見合わせると発表した。

ちぃたん☆」は、体を張ったアクロバティックな動画が人気の東京・秋葉原出身のコツメカワウソの妖精。テレ東の子ども向けバラエティー番組「きんだーてれび」で、頭に乗せたカメちゃんと一緒に、アニメの世界でも活躍する……予定だった。

「ちぃたん☆」は同名のコツメカワウソが観光大使を務めていた須崎市のゆるキャラ「しんじょう君」にそっくりで、市のイベントなどでしんじょう君と仲良く共演していたこともあったが、著作権をめぐって運営事務所とトラブルになっていた

テレビ東京広報部は「ちぃたん☆運営サイドと須崎市との間に見解の相違があり、現時点では放送を見合わせるべき、との結論に至りました」とコメント。

放送中止か延期かについても「現時点では全く未定です。状況の推移を見守りたいと思います」と回答した。

テレビ東京の発表

この度、4月3日より毎週水曜日あさ7:30~、『きんだーてれび』(テレビ東京系6局ネットほか)枠にてテレビアニメ「妖精ちぃたん☆」の放送を予定しておりましたが、諸事情により放送を見合わせとさせて頂くことになりました。
変更後のラインナップにつきましては、決定次第お知らせ致します。
放送を楽しみにしていた視聴者の皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解の程お願い申し上げます。

 

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ナンバーガールがオリジナルメンバーで再結成 「RISING SUN」に出演決定

2002年に解散したロックバンドNUMBER GIRL(ナンバーガール)が、オリジナルメンバーで再結成する。2月15日、8月に開催されるロックフェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO」に出演すると発表された。

 

【お知らせ】
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZOへの出演が決定致しました。#numbergirl#ナンバーガールpic.twitter.com/BeB91y7kEV

— NUMBER GIRL (@numbergirl_jp) February 15, 2019

 

NUMBER GIRLは、向井秀徳(Vo,Gt)、田渕ひさ子(Gt)、中尾憲太郎(B)、アヒト・イナザワ(Dr)から成るロックバンド。2002年、札幌のライブハウス・PENNY LANE24での公演をもって解散した。

公式サイトには、活動再開に受けた向井秀徳のコメントも掲載されている。

▼向井秀徳のコメント

「2018年初夏のある日、俺は酔っぱらっていた。そして、思った。

またヤツらとナンバーガールをライジングでヤりてえ、と。

あと、稼ぎてえ、とも考えた。俺は酔っぱらっていた。

俺は電話をした。久方ぶりに、ヤツらに。

そして、ヤることになった。

できれば何発かヤりたい。」 

 

 

 

【お知らせ】
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZOへの出演が決定致しました。#numbergirl#ナンバーガールpic.twitter.com/BeB91y7kEV

— NUMBER GIRL (@numbergirl_jp) February 15, 2019


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