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家の前にあった樹齢110年の巨木が腐ってきて…→図書館にしてみた【画像】

自宅前の木をくり抜いて作った図書館が話題だ。

It’s beginning to look a lot like Christmas!

Sharalee Armitage Howardさんの投稿 2018年12月13日木曜日

米アイダホ州に住む司書のシャーローリー・アーミテージ・ハワードさんの家の庭には、古い大きな木があった。樹齢110年を超えるポプラの巨木。しかし、この木が腐り始めたことに、ハワードさんは気づく。

そこでハワードさんは、この古木を図書館にして住民に役立ててもらうアイデアを思いついた。

Ok, this project isn’t quite finished… but I can’t wait to share it. We had to remove a huge tree that was over 110…

Sharalee Armitage Howardさんの投稿 2018年12月10日月曜日

動画では、木の内部の様子もわかる。

ハワードさんは2018年12月、作成途中の図書館の様子をFacebookに投稿。8万件以上のいいねを獲得した。

「リトル・フリー・ライブラリ」で自宅に図書館を作った

米メディアのKREMテレビによると、この木は中心部が腐り始めており、ハワードさんの家族は木を取り除こうと考えていたという。

しかし、ハワードさんは木を取り除かず、非営利団体の「リトル・フリー・ライブラリ(小さな無料図書館)」に加入した。本の交換を推奨する団体だ。

リトル・フリー・ライブラリのしくみはこうだ。

  1. まず郵便ポストのような箱を自宅などに設置する。
  2. 次にこの箱に、自分の好きな本や、地域の人たちに読んでもらいたい本を入れておく。
  3. 近隣住民は自由にこの箱の本を借りて良い。
  4. 読み終わったら、また箱に返しておく。

団体は、図書館を作るための「キット」を販売したり、自分で図書館を作りたい人にその方法を教えたりしている。全世界88カ国で、約7万5000の登録があるという。

Can you imagine if you’d grown up without books? For many kids, that’s a reality. But you can help, starting in your own front yard. Start a Little Free Library: LittleFreeLibrary.org/start

Little Free Libraryさんの投稿 2018年11月9日金曜日

KREMテレビによると、今回ハワードさんは団体の支援を受けて、巨木を図書館に作り変えた。木の上部を切り倒したあと屋根をつけ、木の中をくりぬいて本棚を設置。室内に照明もつけた。

ハワードさんは今回のプロジェクトのようなことで「世界をより住みたくなる場所に変えられる」と話している。


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宝塚・花組トップ娘役が決定 明日海りおさんの4代目相手役に

宝塚大劇場前=2014年2月24日、兵庫県宝塚市 

宝塚歌劇団は1月11日、花組の次期トップ娘役に華優希(はなゆうき)さんが就任すると発表した。4月28日にサヨナラ公演「CASANOVA」で退団する仙名彩世(せんなあやせ)さんと交代で、トップスター明日海(あすみ)りおさんとコンビを組む。

華さんは京都市出身の100期生。2014年に「宝塚をどり」で初舞台を踏み、15年に花組に配属された。2017年に行われた人気漫画をミュージカル化した「はいからさんが通る」でヒロインを華やかに演じた。トップ娘役としてのお披露目は、6月25、26日に横浜アリーナで行われるコンサート「恋スルARENA」(斎藤吉正氏作・演出)。

また、人気スター鳳月杏(ほうづきあん)さんは、「CASANOVA」千秋楽後の4月29日付で月組に組み替えする。

さらに、人気少女漫画「花より男子」(原作・神尾葉子)のミュージカル化も合わせて発表された。主演は2番手スターの柚香光(ゆずかれい)さんで、脚本と演出は野口幸作氏が手がける。

【訂正】当初、タイトルで「明日海りおさんの3代目相手役」と記載していましたが、正確には「4代目相手役」でした。訂正いたします。(2018/01/11 18:53)


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昭和四十年男の必需品、最後発FM誌『FMステーション』開局【創刊号ブログ#7 前編】

最盛期には50万部を記録したFM誌

「FM誌」という雑誌カテゴリーがかつて存在したことを知る世代は、現在40代以上の方々だろう。ここでは私が会社員として「編集者」だった最後の雑誌、『FMステーション』を取り上げる。

ラジオのAMとFMという変調方式の差異によりかつて、AMはトーク、FMは音楽という暗黙の棲み分けがなされていた。

よって「深夜ラジオ」という冠は、かの「オールナイトニッポン」のようにAMのトーク番組にこそふさわしく、FMには無縁の形容詞だったとして過言ではなかろう。

FMではいつも音楽が流れ、懐のさみしい中高生は自身の好きな音楽を、このFMを介して探し、時として手に入れていた。

「手に入れる」際に必要だったのが「FM誌」。

FM誌にはFMラジオの番組表が掲載され、自身の好きなミュージシャン、好きな曲が「何月何日の何時から」オンエアされるかが、可能な限り記されていた。

よってラジカセだろうがコンポだろうが、お目当ての時間に設定し、好みの音源を録音したものだ。

当時の録音「媒体」と言えば、当然「カセットテープ」。「オープン・リールテープ」から格段に進化したとは言え、脆弱な「磁気テープ」に書き込むシステムだ。

フロッピー・ディスクもMDもない、ましてやDVD-ROMやハードディスクなど、少なくとも一般家庭には存在しなかった。「クラウドに保存」など、間違いなく近未来的なソリューションだ。

そんな録音の船頭であるFM誌の最後発『FMステーション』が、ダイヤモンド社から創刊されたのは1981年7月6日。発行人は坪内嘉雄、編集人は高橋直宏。

同誌は同社の自動車誌『CAR&DRIVER(カードラ)』姉妹版として同年3月にプレ創刊号をリリース、この6月に本格創刊となった。

FM誌はすでに共同通信社から『FMfan』、小学館から『FMレコパル』、音楽之友社から『週刊FM』が先行発売されていた。

正式誌名が長いのでそれぞれ「エフステ」、「ファン」、「エフレコ」、「シュウエフ」と略称されていた。なぜか「ファン」だけFMの呼称がつかない。

『エフステ』は創刊から一年ほど赤字続きで「いよいよ休刊か」という憂き目もあったらしい。

しかしその後、神風が吹いたごとく売上を伸ばし、雑誌業界では珍しいことに、最後発の同誌が最盛期には50万部を記録。もっとも名を売ったFM誌となった。

これにはいくつかの理由があろう。

最大の理由は判型。それまですべてB4サイズだったFM誌においてA4サイズでリリース。最大の売りだった「番組表」が他誌と比べ圧倒的に見やすかった。

さらに米音楽チャート誌『キャッシュ・ボックス』と提携したことにより、洋楽全盛だった当時の風を呼び込んだ。加えて表紙には鈴木英人のイラストを起用、「垢抜けた」デザインは物珍しかった。

実際、当時高校1年生だった私はそれまでのダサいFM誌に比べ、「自分たち若い世代に向けた雑誌だ」と感じた。発売日と同時に本屋に足を運び、同誌をゲット。

帰宅後、蛍光ペンで気になる番組をマーカーし、カセットテープに録音した。時代の流れとともに大部分を破棄したが、今でも100本ほどのカセットが残されている。

鈴木英人の手による創刊号の表紙は、シーナ・イーストン。スコットランド出身の彼女は1980年にデビュー。81年6月、アルバム『モダン・ガール』がオリコン洋楽チャートで1位となった、まさに旬のシンガーだった。

英人のイラストを切り抜き用カセットレーベルとして付録に挿入、これが人気を博し、英人のイラストは同誌の顔となる。このカセットレーベル入りのテープが自宅に残されているという40代以上はけっこうな人数に登るに違いない。

創刊前、英人はまだ無名に近かったらしく、「カードラ」の表紙イラストを担当していた小森誠の推薦だった。

誌名も物議を醸し出したという。

昭和な当時は「ステーション=駅」という固定概念があり「FMステーションって、鉄道雑誌?」と揶揄されたらしい。私の入社当時、編集長を務めていた恩藏茂によると「ステーションという言葉をメジャーにしたのは『FMステーション』」とのこと。

「FM局」という意の誌名にそれほどの創意工夫が見られるとも思わないが、時代の流れとはそんなものなのだろう。

TV番組「ニュース・ステーション」、「ミュージック・ステーション」などのネーミングも「エフステ」ありきだったとか。同誌がなかったなら現在の「報道ステーション」も存在しなかったのだろうか…うーん、はて、いかに。

創刊当時は「オーディオ」の全盛期。表2にはTORIOKT900とKT1000というラジオ・チューナーの広告がドーンと見開きになっている。「チューナー」なんて言葉を、今の若者は知らんのではないだろうか。そして女性誌でもないのにこうした広告が8ページまで続く。広告局の大盤振る舞い…だろうか。

目次は右半ページに無意味に小森誠のイラストが掲載されている。ここに着目した読者は皆無だったに違いない。

巻頭は「本誌独占●海外取材喜多郎のエジプト・イメージ紀行」でスタート。独占取材のわりには、書き手が朝日新聞記者であったりする点はご愛嬌。それにしてもエジプト取材からスタートとは、創刊当時のエフステは豪奢だったのだ。

「栄光のオールディーズ大特集」は残念ながら高校生にとってはどうでもよかった。1955年からのポップスの年表が掲載されているが、今の若者が過去の音楽に興味を持たないよう、当時の高校生にとってはそんな古びた音楽に意味はなかった。

私は、これを勝手にビートルズ世代の恩藏の企画だと思いこんでいる。当初、売れ行きが悪かったというのも頷ける。

私が入社した当時も続いていた「WHO’SWHO」では、ノーランズ、ドゥービー・ブラザーズ、アバ、三原順子、クリスタルキングなどを取り上げている。確かにジャンルにこだわる様子はない。

オーディオ・コーナーは「森本哲郎のサウンド教室」として連載エッセイとなっていた。朝日新聞の編集委員まで務めた評論家の森本が、オーディオ解説にまで手をつけていたとは、すっかり忘れていた。私の『週刊宝石』丁稚時代、氏を取材する機会に恵まれた過去も、もはや思い出だ。

中綴じのセンターにはFM誌の「肝」=「2週間FM番組表」が割り当てられている。創刊号では、まだ雑誌を傷物にしたくなかったらしく、私の所持品に蛍光ペンの痕はない。

番組表は本誌のページ数にはカウントされておらず、別冊扱い。その最後には『キャッシュボックス』誌のアルバム・トップ100が転載されている。

1981年6月13日付のランキングは、1位「禁じられた夜(HIINFIDELITY)」REOスピードワゴン、2位「パラダイス・シアター(ParadiseTheater)」スティックス、3位「悪事と地獄(DirtyDeedsDoneDirtCheap)」AC/DC。

以下、キム・カーンズ、スティーブ・ウインウッド、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ヴァン・ヘイレン、ケニー・ロジャース、グローバー・ワシントン・ジュニア、ラッシュ…がベスト10。

11位には、前年射殺されたジョン・レノンが顔を見せている。

さらにオリコンのアルバムチャートも掲載。

1位から「リフレクションズ」寺尾聰、「時代をこえて」松山千春、「グレイテスト・ヒッツ」アラベスク、「シルエット」松田聖子、「ロング・バケイション」大滝詠一…時代を感じない者はないだろう。

69ページの編集後記には、キャッシュ・ボックス社長のジョージ・アルバートが祝辞を寄せている。

おっと、そもそも現在の若い層には、キャッシュ・ボックスの解説が必要だ。同誌は、1942年7月にアメリカで創刊されたチャート・マガジン。毎週、すべてのジャンルを総合的にランク付けし、発表していた。

エフステ創刊時、日本では同誌の扱いがなく、そこに着目したエフステは素晴らしかった。しかし、CB誌も時代の波により1996年11月16日号をもって休刊。当時ニューヨークに住んでいた私もその時の衝撃を記憶している。

現在のWEB情報社会となって以来、2006年にはオンラインマガジンとして再生。21世紀の現在も、楽曲をランク付けし続けている。

エフステの編集後記は「ミキシング・ルーム」と命名されており、創刊から9年後には、毎号私のコメントも掲載されることになる。この影響ではないと思いたいが、編集後記がない雑誌は「半人前」という意識が私には植え付けられ、今日でもそう刷り込まれたままだ。

表4は「ハーマン・カードン・ジャパン株式会社」のパワーアンプの広告。「パワーアンプ」なんて言葉を知る10代が現在、どれほど存在するだろうか。

表3には「AUREX(オーレックス)」のミニコンポの広告が見開きで。東芝の別ブランドだったオーレックスなんて「消滅して久しいなぁ…」と考えていたところ、なんと2016年に復活を遂げたのだという。

創刊号だけではなく、こうして過去の雑誌に目を通すだけで、時代の変遷が理解できるだけに、なかなか止められない。創刊号マニアとは、かっぱえびせんみたいなものである。

自身が勤めていただけに、思いの外、長いブログになってしまった。

続きは【後編】で


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目が見えない、耳が聞こえない。どうやって「笑い」を届ける? 吉本芸人が考えた

目が見えない、耳が聞こえない、日本語が使えない。そんな状況でプロの芸人は「笑い」をとれるのか。

平成最後の年の暮れ、吉本興業の芸人が、あえて普段とは違う状況で大喜利などに挑戦した。視覚障がいや聴覚障がいなどの「障がい」をテーマにコミュニケーションの難しさを考えるためのイベントだ。

当日の様子をレポートする。

「聞こえない」「見えない」人を、どうやって笑わせる?

イベントに参加したのは、お笑い芸人・次長課長の河本準一さんや麒麟の田村裕さん、吉本興業が主導するアジア版「あなたの街に住みますプロジェクト」のメンバーで、アジア各国でお笑いに挑戦している芸人ら総勢20人以上。

一般参加者は老若男女幅広く、障がいを持つ人もいた。

イベントでは、少人数のグループに分かれ、「みえない」「きこえない」「はなせない」状態でコミュニケーションを取るゲーム形式のワークショップを実施。

「みえない」と書かれたカードを引くとマスクで目を塞ぎ、「きこえない」カードでは耳にイヤホンをつける。そして、「はなせない」というカードを引くと、喋ることができなくなる。

このような状態で自己紹介やしりとり、大喜利などのお題に沿ってチームのメンバーと意思伝達を図る、という内容だ。

お笑い芸人にとって、「喋り」は欠かせない存在といっても過言ではない。

その商売道具を封印した状態で、人を笑わせることはできるのか?

20人以上の芸人たちが、ジェスチャーを使ったり、時には伝えたい相手と直接触れ合ったりしながら、「伝えたいことを伝える」ために試行錯誤していた。

ワークショップの最後には、視界と耳が塞がれ、話すこともできない状態の芸人が、「こんなテーマパークは嫌だ」というお題の大喜利を伝えるゲームに挑戦した。伝える相手も、まったく同じ状態。

河本さんは、パートナーと二人羽織りのようになり、身振り手振りで家の形をかたどるジェスチャーをとり、「家がテーマパーク」という回答をパートナーに伝えた。

視界と耳が塞がれ、話すことができない状態で、芸人が「こんなテーマパークは嫌だ」という大喜利の答えを相手に伝える。

「はなせない」カードを引くと、喋ることができない。会話をするために工夫が必要だ。

次長課長の河本さんは手話を勉強中

吉本興業は、地方活性化や海外展開を目的とした新規事業のほか、「SDGs(持続可能な開発目標)」など社会貢献に繋がる取り組みにも積極的だ。

今回のイベントは、障がいの有無に関わらず、誰もが「会話」をできる未来を目指す「未来言語」と吉本興業のコラボで開催された。

参加者の一人、次長課長の河本さんは、手話を勉強中だという。

ワークショップ後に開かれたトークセッションでは、「言葉では自分の発言を撤回できるが、ジェスチャーでは一度伝えたことを『訂正』しづらい」と、障壁がある中で意思疎通を図る難しさを語っていた。

「相手のことを思って伝えることが大事で、雑なコミュニケーションをとると相手が不快になることもある」と振り返った。

日本語が通じない海外では、「リズムネタ」がウケる?

イベントに参加した「住みます芸人」のメンバーは、普段は言語も日本のお笑い界の常識も通じない海外で活動をしている。

「インドネシア芸人」のザ・スリーは、「ボケがいつも怒られていることに疑問を持たれた」と話した。日本ではボケた芸人に対して、頭を叩く「つっこみ」で笑いをとることも多いが、海外ではそれが「怒られている」とみられることもある。そんな文化や価値観の違いを感じたエピソードを明かした。

工夫の末に辿り着いたのが、リズムネタ。ボケもツッコミもない「あるある話」をリズムに合わせて披露するネタをYouTubeで公開したところ、再生回数が1600万回を超えるヒットを飛ばしたという。

(一方で、ろうの人にとっては、リズムネタのおもしろさは理解しづらい、という当事者からの率直な意見もあった。)

吉本

▼ザ・スリーが公開したリズムネタ「Tidak apa apa」

健常者と障がい者の垣根なくす 「芸人からも発信したい」

今回のワークショップでは、初対面の参加者同士がお互いの体に触れ合いながらコミュニケーションを取ることで、一気に距離感が縮まっていく様子が印象的だった。

最近では、視覚障がいを持つ漫談家の濱田祐太郎さんがピン芸人ナンバーワンを決める「R-1グランプリ2018」で優勝したことも、記憶に新しい。NHKでは、障がい者がでるバラエティ番組「バリバラ」が評判だ。

バラエティ番組などに出演するお笑い芸人は、若い世代にとっても親しみやすい存在だ。こうした取り組みから、障がい者と健常者の垣根をなくすための議論が広がっていくかもしれない。

トークショーの最後に河本さんは、「特に女性や若い世代の人が参加してくれたことが嬉しい。芸人からも発信していきたい」と語った。

イベントに参加した吉本芸人ら

イベント参加芸人:

次長課長・河本準一、麒麟・田村裕

「住みますアジア芸人」アーキー、緑川まり、ダブルウィッシュ、KLきんじょー、ザ・スリー、黄金時代、タイガース、アキラ・コンチネンタル・フィーバー、そこらへん元気

「手話できます芸人」カエルサークル・ソイくん


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「いだてん」大河ドラマ、どんな話? “あまちゃんチーム”が再集結

「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」

1月6日(日)夜8時から、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」の放送がスタートする。

日本人が初めて五輪に参加した明治の終わりから、1964年の東京五輪までの激動の半世紀を、中村勘九郎と阿部サダヲのダブル主演で描く。脚本は宮藤官九郎。

「いだてん」のあらすじ。日本人初の五輪出場から東京五輪までを描く

「いだてん」の主人公は、「日本で初めてオリンピックに参加した男」金栗四三(かなくり しそう、中村勘九郎)と、「日本にオリンピックを呼んだ男」田畑政治(たばた まさじ、阿部サダヲ)。

熊本県和水町出身の金栗四三氏は、日本人初の五輪マラソン選手として、1912年にスウェーデン・ストックホルムで開催された第5回オリンピック大会に出場した。箱根駅伝の創設など、日本のマラソン界の発展に尽力し、「日本マラソンの父」として知られている。

もう一人の主人公、田畑政治氏は、静岡県浜松市出身の新聞記者。東京帝国大学(現・東京大学)卒業後に朝日新聞社に入社し、政治部記者として働いた。1964年の東京五輪招致のため奮闘し、同大会では組織委員会事務総長を務めた。日本水泳連盟会長を務め、日本水泳界の礎を築いた人物としても知られている。

ドラマでは、2人の主人公の物語を「リレー形式」で繋ぐという。

中村勘九郎、阿部サダヲがダブル主演

「いだてん」で主演を務めるのは、中村勘九郎、阿部サダヲの2人。

主役を支えるキャストには、25年ぶりの大河ドラマ出演となる役所広司、綾瀬はるか、金栗氏とともに日本人初の五輪選手に選ばれた短距離ランナーの三島弥彦役に生田斗真、豪華な顔ぶれが並ぶ。

また、ビートたけしが希代の落語家・古今亭志ん生を演じるという。

▼「いだてん」出演者

中村勘九郎 阿部サダヲ/綾瀬はるか 生田斗真 杉咲 花/森山未來

神木隆之介 橋本 愛/杉本哲太 竹野内豊 大竹しのぶ 役所広司 ほか

「あまちゃん」ファミリーが再集結…

「いだてん」のオリジナル脚本を執筆するのは、2013年に大ヒットした連続テレビ小説「あまちゃん」を手がけた宮藤官九郎。

スタッフ勢には、音楽担当に大友良英、制作統括に訓覇圭、演出に井上剛などが名を連ね、「あまちゃん」を生んだチームが再集結したことでも大きな注目を集めている。

2019年は、平成から新たな時代へと元号が変わり、オリンピック・イヤーを控える「節目の年」でもある。

豪華キャスト、スタッフのもと、明治・大正・昭和と移り変わる激動の時代が、どう描かれるか。期待が高まる。


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Perfumeがアメリカの野外フェス「コーチェラ」に出演、実は”予告”されていた。

Perfume、2015年撮影

アメリカ・カリフォルニア州のインディオで4月に開催される、大規模な野外音楽フェスティバル「コーチェラ(Coachella Valley Music and Arts Festival)」の出演者が発表され、日本からPerfume(パフューム)が出演することが明らかになった。

今年のコーチェラは4月12〜14日、19〜21日に開催され、同じアーティストがそれぞれ2度出演する。フェスの公式サイトによると、Perfumeは14日と21日の回に出演することが発表された。

アジア勢としては他に、韓国のBLACKPINK、HYUKOHも出演が発表されている。

ヘッドライナーとしては、チャイルディッシュ・ガンビーノ、チーム・インパラ、アリアナ・グランデが予告されている。2018年には日本からX JAPANや京都の4人組女性バンド、おとぼけビ〜バ〜が出演していた。

Perfumeは12月31日に公開されたForbes米国版のインタビューで、2019年は3月と4月に北米での7つのショーの出演と1つか2つの「サプライズがある」と”予告”していた。コーチェラのことを指すかどうかはわからないが、ファンにとってはうれしいサプライズとなった。


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米津玄師が紅白で歌った礼拝堂が注目集める。大塚国際美術館ってどんなところ?

大塚国際美術館のシスティーナホールで演じられた演目の数々

12月31日の紅白歌合戦、初出場となる米津玄師さんは徳島県内から中継映像で参加した。大量のキャンドルと壁画に囲まれた礼拝堂のようなステージに登場。ドラマ『アンナチュラル』の主題歌として知られる「Lemon」を歌い切った。その荘厳な様子に「どこで歌っているのか?」とネット上で注目を集めている。

中継で使われたのは、徳島県鳴門市の大塚国際美術館にある「システィーナ・ホール」。バチカンのシスティーナ礼拝堂を原寸大に立体再現した建物だ。

高さ16メートルの位置にある800平方メートルの天井を彩るのは、旧約聖書の「創世記」の物語や、「最後の審判」などの名画。ただし、紙やキャンバスに描かれたものではなく、陶器の大きな板に原画に忠実な色彩・大きさで作品を再現した「陶板名画」となっている。

なぜ陶板名画なの?

大塚国際美術館には、システィーナホールだけではなく、ダ・ヴィンチ「モナリザ」やミレーの「落穂拾い」、ゴッホ「ひまわり」など、約1000点の陶板名画が展示されている。

キャンバスや紙の絵画ではなく陶板名画であるのは、美術館のある鳴門市ゆかりの素材・白砂が、美術という分野で使われているためだ。

うず潮などで有名な鳴門市は、もともと建材として利用される白砂が採取される土地だ。この白砂をタイルにすることで砂の価値が上がり、地元経済の活性化にもつながると考えたのが、地元発祥の企業、ポカリスエットなどを販売する大塚製薬だった。1971年のことだ。

しかし、オイルショックで石油価格が高騰。工場を稼働できなくなった。そこで、白砂を建材としてのタイルではなく、美術用のタイルとして使おうと決めた。

美術館の広報担当者によると、初代館長は大塚グループを率いていた大塚正士氏。彼は大塚グループ発祥の地である鳴門市に教育や文化の分野で恩返しがしたいと考え、美術館を建てたのだという。広報担当者はハフポスト日本版の取材に、「小さいときは陶板名画で名画に親しむ。大きくなったら、 原画を自分の足で見に行きたいと思えるように、という考えがあったようです」と話した。

なお、名画は陶器で出来ているため、近づいたり触ったりして鑑賞することができる。また、陶板名画にすることで、名画を約2000年以上にわたってそのままの色と姿で残すこともできるため、文化財の記録保存のあり方にも貢献したいという。

システィーナホールでは、歌舞伎などのイベントも行われる

米津さんが歌ったシスティーナホールは、普段は観賞用に使われており、ルネッサンス期の音楽が厳かに流れる中を自由に見て回ることができる。 また、多目的ホールとして利用することもでき、イベント時には照明の色が変わったり、舞台装置が建てられたりするなど、一風変わった使われ方もする。2月には片岡愛之助らが出演するシスティーナ歌舞伎が開催される予定だ。

平日500人、休日は1000人が訪問する

美術館は地下3階から2階までのフロアからなる。システィーナホールのように、古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごとそのまま再現した作りが特徴で、鑑賞距離にすると約4キロになる。

広報担当者によると、同美術館には平日約500人、休日は1000人近くが訪れる。例年、年末年始も開館しており、この期間中は帰省客や観光客などで賑わいを見せる。米津さんの影響もあり、元旦の今日も、通常より訪問者は少し多い感じだという。

※2019年1月は1〜6日まで開館するが、7〜11日が休館になるなど不規則なので、訪問の際は公式サイトのスケジュール情報で確認を。


【訂正】2019年1月の美術館の開館スケジュールについて、「7〜15日が休館になるなど」と表記しておりましたが、正しくは「7〜11日が休館になるなど」でした。(2019年1月3日00:17)


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初詣のおみくじ、持ち帰った方が良い?

おみくじ

2019/01/01 11:52 ウェザーニュース

初詣で引いたおみくじ。境内(けいだい)の木に結びつけられている光景を目にしますが、持ち帰ってはいけないのでしょうか。

「持ち帰る」は少数派

ウェザーニュースでは12月16日に「おみくじ引いた後どうする?」というアンケートを実施しました(回答:9,031人)。結果は「木に結ぶ」が最も多く、次に多いのが「運勢による」となりました。「持ち帰る」という方は少数派で約2割となっています。

7段階ないし12段階の運勢

おみくじは神様や仏様のお告げで、引いた人の運勢を占うものです。

良い運勢から順に、【大吉>中吉>小吉>吉>末吉>凶>大凶】の7段階だったり、【大吉>中吉>小吉>吉>半吉>末吉>末小吉>凶>小凶>半凶>末凶>大凶】の12段階だったりします。

おみくじの種類や吉凶の入っている割合は神社やお寺によって違います。では、引いたおみくじはどうすればよいのでしょうか?

家に持ち帰って読み返すべし

大凶や凶などを引いたら、境内の木の枝などに結んでいく方が多いかと思います。しかし、「持ち帰ることを勧めています」と福徳神社(東京)の真木千明宮司は言います。

「本来、おみくじというのは、単に吉凶の判断を目的として引くのではなく、健康運や金運など、そこに示されている内容を今後の生活の指針としていくためのもの。

運勢が悪いと、持ち帰らずに結んでいく人も多いですが、持ち帰っても問題はないのです。むしろ引いたおみくじをよく読み返し、自分自身の今後の行動の戒めとするためにも、持ち帰った方が望ましいでしょう」(真木宮司)

冒頭で紹介したアンケートで「持ち帰る」と回答した方の中には「翌年まで財布に入れて、たまに見ています」「おみくじに書かれた和歌を良く読んで人生の指針とするため、手帳などに入れています」といったコメントも。

今年のおみくじは、吉凶にかかわらず、家に持ち帰って、じっくり読み返してみてはいかがでしょうか。

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硬派スポーツ雑誌の元祖『Number』、文藝春秋から産声【創刊号ブログ#6】

たまさぶろ

  単なる「雑誌好き」から、私は「創刊号マニア」かもしれない…そう考えるようになったのは、この創刊号を手にした時からだろうか。そんな思い入れがあるため、この一冊の紹介はもっと後まで温存しておこうと考えていた。

 しかし、このブログも今後どう体制が変更になるか不透明のため、いきなりエース級を登板させる。

 『Number』は現在も発行され続けているスポーツ雑誌である旨、解説の必要はないだろう。1980年4月20日号、『スポーツグラフィック・ナンバー』として創刊。

  この創刊は同時代的に記憶に残っているために、ことさら思い入れが強い。中学3年になる頃、幼馴染のウチへ遊び行くと、壁にどでかく「Number 1」と記されたポスターが貼られ、それには王貞治が大きくフィーチャーされていた。もちろん「1」と言えば、想起されるのは王である。王は1979年、一本足打法となって以来、初めて打撃主要3部門のタイトルをすべて逃し、「晩年」という文字が頭をもたげて来るシーズンだった。

 しかし、この「ナンバー1」のキャンペーンポスターは、特大であり、ポスターの中の王からは、鬼気とした迫力さえ感じられ、圧倒された記憶が残っている。なにしろ1978年のシーズンには前人未到の800号本塁打を達成したばかり。「まだまだ王はやれるに違いない」と昭和の中学生に思わせるのは十分だった。余談だが、私は王の799号ホームランをこの幼馴染と後楽園球場の外野スタンドで目撃している。

  結局、王は1980年のシーズンを最後に現役引退。その記憶とともにナンバーの創刊も記憶に留まり続けていた。

  発行人・編集人は岡崎満義。初代編集長である同氏は京都大学卒。『文藝春秋』、『週刊文春』などを経て、本誌で初めて編集長を務めた。文藝春秋社では常務、専務、副社長を歴任。退任した現在でも同誌WEBに寄稿するなどスポーツの論客ぶりを見せている。

 創刊号には時折、「創刊にあたり」など決意表明が掲載されているケースも見られるが、本誌では目次の後、7ページ目にほぼ1ページを割き、岡崎のメッセージを掲載している。文春の並ならぬ決意の現れでもあろう。

  創刊時はアメリカの『スポーツ・イラストレイテッド』誌と提携。「スポーツを写真で見せる」というそれまで日本にはなかった共通項を顕著に押し出している。

  ポスターのイメージが強すぎたのか、私は長らく創刊号の表紙も王貞治だと思いこんでいた。ご覧の通り、ちょっと腰砕けになるようなサイバーパンク的なイラストなのが、この創刊号における唯一の不満だ。もっとも「サイバーパンク」の旗手とされたウイリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』が出版されたのは、1984年であることを考えると、この表紙デザインは当時、最先端の文化…と考えるべきなのかもしれない。

 巻頭は、スポーツ・イラストレイテッド出身のカメラマン、ニール・ライファーが収めた歴史的なスポーツ写真からスタート。モハメッド・アリが1966年、クリーブランド・ウイリアムズをKOしたシーンを天井のカメラから収めた一葉などスポーツ史を知る上で貴重な作品ばかりが並ぶ。

  特集「中国に暴走族はいるか?」を寄稿しているのは芥川賞作家・丸山健二。こうした書き手のラインナップは、同賞を主催している文春ならでは。また故・山際淳司の手による「江夏の21球」は日本スポーツルポ史に残る傑作として知られる。創刊号からして、こうしたストーリーを産み落としてしまうあたり、さすが文藝春秋社。「文春砲」ばかりで話題をさらう今とは、時代も出版社も違う。創刊にあたりTV CMもオンエアされていたが、このルポのせいか、王ではなく、江夏が起用されていたと記憶している。

 50ページ目からは、期待された王貞治のインタビューが「39歳11カ月 熱いスウィング」として掲載されている。王貞治というと、どうにも雲の上の存在と考えがちだが、このインタビューを読み込むと引退間際の王の苦悩が生々しく表現されている。

 この年は「ドカベン」が南海ホークスに入団。今は亡き、香川伸行の初々しいルーキー姿のルポも目を引く。もっとも「ランニングとセックスの熱い関係」、「バスト社会学の研究が緊急課題!?」などという特集も組まれているのは、前時代における愛嬌としておこう。

  現在発行されている本誌ももちろん読み応えはあるが、創刊時はモノクロ・ページが主流のため、より「読み物」雑誌として仕上がっている。

  興味深いのは雑誌タイトル。表紙の題字をご覧頂きおわかりになる通り、私は『Number 1』までが雑誌名だと思いこんでいたのだが、『Number』が誌名であり、後ろの数字は発行号数だった。正式名称は、『スポーツグラフィック・ナンバー』。現在はこの号数は小さめに表記されているので、誤解を招くことはない。『Number 1』のほうがインパクトは強かったのになぁ…と少々ぼやく。実は毎号「Number 1」、「Number 2」、「Number 3」と数字を含め雑誌名としたかったらしいが、登録商標として認可されなかったという裏話を後日、耳に挟んだ。

 いつも通り広告についても眺めておこう。表2は見開きで、サントリー缶ビール。後に「ペンギンズバー」なるサントリーのチェーンが出店される時代が来るが、この当時からペンギンをモチーフに使用していたことがわかる。ウチの父も同様だったが当時は「缶ビールは缶の味がするので邪道。男は瓶ビールだ」という時代だった。がゆえに、わざわざ「缶ビール」をアピールする必要があった。

  表4は日本航空。「自分でルートを企画できる海外旅行」とタグラインがある。今となっては当たり前の旅行スタイルだが、当時はまだまだ海外が遠い時代だったことがわかる。もちろん、昭和の少年にとって、海外などは夢の世界でしかなかった。表3は見開きで「ジャーディン」が代理店を務めているスコッチ・ウイスキー「ホワイトホース」広告。突然、BAR評論家の立場に戻って言うと、この頃のホワイトホースは本当に美味い。

 その前のページには「三菱銀行」カードローンの広告。なんと「最高10万円」までカードローンを使用できるという売り文句。行名といい金額といい、48年の歳月を感じさせる。

  実は創刊から最初の10年は赤字だったという噂もある。しかし、Jリーグの開幕などの後押しを受け、その存在を確立。1990年代の最盛期には50万部に近づく勢いだった。雑誌の定番となった同誌の成功には、他出版社も目をつけていた。

  2002年には集英社の『Sportiva(スポルティーバ)』(2010年で定期刊行を休止)。サンスポは1999年から『ゼッケン』を創刊するが同年中に休刊させ、2000年9月から角川書店と共同で『Sports Yeah!(スポーツヤァ)』を発行。これも2006年12月をもって「廃刊」となっている。最後発は光文社の『VS(ヴァーサス)』。2004年10月に創刊され、2006年6月で休刊されたが、個人的にはこの雑誌がもっとも読み応えがあったと考えている。

  結果から眺めると、スポーツ誌はNumberにより始まり、Numberだけが生き残っている。 平成も終焉を迎える今、スポーツの媒体は、各スポーツ新聞のWEBサイトに加え、SportivaがWEB媒体として生き残っているように、Yahoo!の「スポナビ」やgooの「アスリート・チャンネル」などのように、今後はインターネット・プロトコルを介したメディアとして続いていくのだろう。

 スポーツの「読み物」雑誌がなくなるのは、スポーツ・ソリューションの専門家としても、いち書き手としても寂しい限り。せっかく来年はラグビーW杯が日本で開催され、2020年の東京オリパラと続くだけに、気骨のあるスポーツ雑誌が登場しないものかと考え込む。

  そうでないのなら、今後も『Number』の孤軍奮闘を期待するしかない。


年末年始に読みたい、仕事で圧倒的に役立つ5冊。主に、ネットメディアで働く人たちへ

ここ最近、インターネットメディアが直面している課題とは何かを考えている。

表層的な課題はいろんな本で触れられているので、ここでは少し角度を変えて考えてみたいと思い5冊を選んだ。テーマは「ネットメディアの仕事で圧倒的に役立つ5冊」。ぜひ年末年始に手に取ってほしい。

(1)沢木耕太郎『作家との遭遇―全作家論―

インターネットメディアが発展してから圧倒的に増えた職業の一つに「編集長」「編集者(エディター)」「ライター」がある。名乗れば誰でもできる仕事だが、名乗る以上にはプロとして「読む力」を求められる仕事というのが共通点だろう。

読むというのは一見すると誰でもできるように思えるが、それは違う。的確に読むというのは、何かを創ると同じクリエイティブな作業なのだ。ノンフィクション作家として新しい時代を切り開いていった著者が学生時代から現代に至るまで書いた作家論は「読むこと」とは何かを教えてくれる。

(2)高村薫『レディ・ジョーカー

大げさに短い言葉で感情を刺激して共感を勝ち取る文章がインターネット上にあふれている。こうした文章は確かに面白いが、面白いだけだ。1回読めばもう十分だし、暇つぶし以上の価値を見出すことはできない。

文章を書くとはどのようなことなのか。エンターテイメントと文学を圧倒的な筆力で両立させた高村薫から学ぶことができる。余計な言葉を一切使わずに、シーンを描き切る技術と観察力に圧倒される。物事を描写するとはどういうことなのか。基本はすべて、ここにあると言っていい。複雑な事象であっても、簡潔な言葉を重ねるだけで書けるというのは驚きでしかない。

(3)伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?

政治的な立場を問わず、正義感に燃えて「敵」を見つけて攻撃するというやり方を取る人たちがいる。この手の人たちは何かにつけ徹底的にやらないと気が済まず、自分たちに落ち度があっても認めたら負けだと思うらしい。

正義感自体はとても大切な感情だが、どこか余裕を失ってしまうと危うさに転化する。

危うさを知りたければ、この小説を読むといい。伊坂さんの作品はいくつか体系にわけることができるが、僕が好きなのは、本作に代表される管理や監視といった大きな流れの中で、なんとか個人が生き延びようとする作品群だ。

一人になってもなお生きていく指針になるもの。それを大事にしたくなる。

(4)ロバート・フランク『成功する人は偶然を味方にする

会社でいかに大きな事業を任されたのか、最大で何PVを叩き出しか、ポジションを得るために自分はいかに努力をしてきたかという話を自慢げにする人によく出会う。この業界ではセルフブランディングが大事らしく、彼らは華麗な職歴とともにいかに自分がすごいかを語る。そんな人に出会ったときは、ぜひこの本を開いてほしい。

著者はコーネル大で教鞭を執る経済学者だ。「あなたがいまのポジションにいるのは、努力や才能ももちろんあるけど、やはり運に恵まれたんですね」。こう言われて、むっとするような人には注意をしたほうがいい。人は一般的に、成功は「自分の能力と努力」によるものであると評価する傾向にあり、逆に失敗する不運だと考える。だからこそ、成功はどこまでが努力で、どの程度が運なのかを見極める必要があるのだ。運を過小評価する人は「成功しない人は努力が足りない」まであと一歩のところにいる。

そんな人と一緒に働きたい?

(5)糸井重里『インターネット的

2001年に出版された一冊。そこから10数年、いやもうすぐ20年という時間が経っているにもかかわらず少しも古さを感じないのはなぜか。そこにインターネットの本質や可能性がすべて詰まっているからだ。

技術は常に変化していくけれど、体現されている価値観はそうそう変わらない。本質を捉えるとは、価値観を捉えることである。現状を嘆くだけでなく、変わらないインターネットの可能性を再認識する上で年末年始に読んでおきたい一冊だ。


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