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今となっては絶滅危惧種!? 集英社の少年誌『DUNK』【創刊号ブログ#3】

創刊号表紙

「少年誌」というカテゴリーは21世紀の今、絶滅危惧種に指定されるだろう。まだPCもスマートフォンもない昭和の時代の少年は、こうした雑誌で日々の憂さ晴らしをしていた。

 出版社の雄(というものが存在するかどうか定かでもない現在だが)、集英社から1984年にリリースされたのが「ボーイズの情報大図鑑」『DUNK』。大変残念ながら、プロ・バスケットボールなどで時折見られる豪快な「ダンクシュート」とは、縁も所縁もない。

 この雑誌名、もともとは日本語で「男区」と書く。これを「ダンク」と読ませ、英語表記に置き換え、「DUNK」で商標を取得したようだ。雑誌の世界とは、そんなダジャレのような命名が許された牧歌的な、いや雑誌がメディアの王様のような時代があった。

 

 実はこの『DUNK』、業界ではよくありがちな「二匹目のどじょう」だ。

 出版界では、真新しいコンセプトの雑誌が「当たる」と、他出版社からも類似雑誌が発行され、その「当たった」パイを奪い合う構図になるのが、ほぼ常識だった。

 ちょっと年配の方なら「写真週刊誌」というジャンルをご記憶だろう。新潮社から『フォーカス』がリリースされると、写真を主体としたタブロイド型の週刊誌がジャンルとして確立。講談社から『フライデー』、光文社から『フラッシュ』、学研から『テーミス』、文藝春秋社から『エンマ』、小学館から『タッチ』と続々と創刊された。

 このうち現在も生き残っているのは、トップランナーだったフォーカスではなく、フライデーとフラッシュである点は非常に興味深い。

 最近では「ちょいワル」で名を挙げた『LEON』に続く、オジサン向け男性誌群が思い当たる。

 『DUNK』は、学研から発行されていた『BOMB!』の二番煎じ。

 少年向け…といえばその頃、「学習誌」というのがしかるべき方向性であり、少年は余計な関心事などに脇目も振らず、学術に勤しむべきだった(もちろん、そんなわけもないのだが)。

 そのため、当時も『明星』などのアイドル誌は存在したが、やはりそれらは女の子読者向けであり、男の子が買って読むものではなかった。それを少年向けに作ってみせたのが、「学習と科学」で名高い「学研」だったのだから、少々興味深い。

 振り返ればこの隙間は確かに存在したはずだ。エロ雑誌でもない、大人の男性誌でもない、ヌード雑誌でもない。おかんに見つかったとしても、雷を落とされることのないギリギリのグラビア写真までが掲載されている…この層を狙った少年向けの雑誌は、確かに多くはなかった。

 学研はハンディに持ち運べるよう、また判型としてすでに保有していた『中2コース』などの学習誌と同様B5版にすることで、印刷工程もコストも冒険をせずにリリースできたことだろう。

 学研の学習誌もアイドルを取材し掲載してはいたが、学習誌で取材した素材をそのまま少年誌に転用することで、取材コストもかけずに済んだことは想像に難くない。

 1979年に創刊、1981年よりアイドル月刊誌となった『BOMB!』がヒットすると、むしろこちらで取材したアイドル素材が同社の学習誌へと流用されるようになったと記憶している。

 そして『BOMB!』の一人勝ちだった市場に殴り込みをかけたのが、集英社だった。判型も同じ、そして「アイドルと言えば」まっさきに思いついた当時の小泉今日子さんを表紙に、そしてグラビアに起用し、大々的に売り込みを行った。

 コミック誌などに掲載しているグラビア取材により、その素材に苦労することがなかった集英社は、ここぞとばかりにそうした写真を惜しげもなくつぎ込んだ…と見ている。

 付録にはシルバーのてかてかのステッカー。このテカテカのステッカーというのは、気合いの入りようを体現している。当時の印刷は、MBCYの4原色を組み合わせることでカラー印刷を実現しているが、シルバーやゴールドなどは「特色」と呼ばれ、それ単体の特別な色を使用しないと印刷できなかった(今もどうなのかは知らない)。

 しかも、それがテカテカと光るシルバーのステッカー付である。そのコストを顧みない気合いの入りようが伺える。

 表4、つまり裏表紙には、原田知世さんを採用したキリンビール株式会社の広告が入っている。「キララ」というブランドの清涼飲料。「キリンビバレッジ」ではなく、キリンビールが清涼飲料を販売していたという、そんな時代的な背景さえもが把握できる。

 過去を振り返る広告は、創刊号マニアにとっても、なかなかたまらない素材のひとつだ。つまり、創刊号をめくるだけで、時代性が如実に蘇って来るからだ。

 表紙を捲ると表2にはビクターの「AV IO(イオ)」という「パーソナルコンピュータ」の広告。なんと、あのビクターがPCを作っていたとは知らなかった。注意深く目を通すことなく、「ビクターだからオーディオの広告」と長年思い込んでいた。こうして見直してみると、興味深い事実が浮かび上がって来るものだ。

 残念ながら、前回紹介した『NIKITA』のように30ページ近くにわたって広告が続くわけではない。見開きの左はきょんきょんのグラビアがスタートしている。当時は21世紀の現代よりも、雑誌が隆盛を誇っていたとして過言ではない。それでも少年誌への広告の入りと、ファッション誌の広告収入とでは、これほどまでに差が広がってしまうものなのだ。

 きょんきょんのグラビアが続いたあと、目次に。目次は創刊号のその後を占う重要なページだ。ひと目で企画がわかるだけに、やはりここでも注目してみよう。

 目次を見てわかる通り、巻頭は小泉今日子さんのグラビア20ページだ。うむ、今眺めても、きょんきょんはやはり可愛い。P26からは「スターの愛用グッズ200」というカタログになっている。

 ちなみに目次の見開きに資生堂「TECH21」の広告が入っている。

「TECH21」と言えば、ヤマハのGPライダー・平忠彦さんを起用し、爆発的ヒットを記録した男性用化粧品。しかしこの1984年の広告に平さんの姿はない。私の記憶が定かなら、平さんがTECH21カラーのヤマハFZR750を借り「キング」ケニー・ロバーツと鈴鹿8時間耐久レースに挑んだのは1985年。その前年はまだ平さんを起用していなかったのかもしれない。興味深い。

 企画「スターの愛用グッズ200」ではアイドルの愛車から愛用の楽器やワードローブまでが紹介されている。

 近藤真彦ことマッチの「スーパーマーチ」や、いまや「先生」と呼ばれている三原順子のセリカXXなどなど、さらにサザンオールスターズの当時の楽器類、アイドルたちのワードローブなど今となっては、なかなか雑誌で眺めることのできないコンテンツではないか。

 その後は、柏原芳恵さんのモノクロ・グラビアなどに割かれているが、今見直すと、すっかりコントラストが強く「飛んでいる」印象が強い。印刷の技術もやはり現在までに「革新」が進められているのだろう。この程度の印刷なら、今はコピーで再現できるに違いない。

 つい笑ってしまったのは「きゃぷてんタマ」のコーナー。先行した『BOMB!』にも設けられていたが、青春期の痛い少年たちの投稿コーナーだ。あまりにもバカバカしい内容で呆れるばかりの恥ずかしい体験談がてんこ盛り。くだらない体験談を読んでは、「バカなのは自分ばかりではない」と当時の少年は自らを慰めた。

 それにしても、なぜ「タマ」だったのか、「たま」さぶろとしては気になるばかりである。

 こうした賑やかな紙面ではあったが、採算が合わなかったのだろうか、バブルがはじける前の1990年には休刊となってしまった。

 先行した『BOMB!』が発行部数3万程度ながら、いまだに頑張っている事実を考えると、集英社にはもう少し根性を見せてほしかったなぁと思うばかりである。


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