訃報


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ドリーミング寺田嘉代が急死、死因は脳出血。アンパンマンの主題歌など歌う姉妹デュオの妹が亡くなる

昨年10月に放送開始30周年を迎えた人気アニメ『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ系)で、オープニング曲『アンパンマンのマーチ』などの曲を歌っている双子姉妹デュオ『ドリーミング』の妹・寺田嘉代さん(てらだ・かよ)が、1・・・


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堺屋太一さんが死去、83歳 「団塊の世代」を生んだ小説家

経済企画庁長官などを歴任した作家の堺屋太一さんが2月8日、多臓器不全のため東京都内の病院で亡くなった。83歳だった。共同通信NHKニュースが10日に報じた。

堺屋太一さん(1999年撮影)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusなどによると、堺屋太一さんは1935年7月13日、大阪市生まれ。東京大学経済学部を卒業後、当時の通産省に入り、大阪万博や沖縄海洋博などの企画に参加した。

在職中に書いた経済社会の潮流を洞察した小説が話題となり、1976年の「団塊の世代」はベストセラーに。その結果、「団塊の世代」は、第2次大戦後のベビーブーム時代に生まれた世代を指す言葉として定着した。

1978年に退官し、執筆に専念。民間人閣僚として1998年の小渕内閣、2000年第1次・第2次森内閣で経済企画庁長官を務めた。


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妻夫木聡の親友・前田紘孝が38歳で急死、死因は心筋梗塞。ウォーターボーイズ共演し続編の話も…

俳優・妻夫木聡さん(つまぶき・さとし 38歳)の親友で、2001年公開の映画『ウォーターボーイズ』で共演した映画プロデューサー・前田紘孝さん(まえだ・ひろたか)が、1月上旬に38歳の若さで急死していたことを週刊誌『女性自・・・




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市原悦子さん死去、82歳 「家政婦は見た!」などに出演

市原悦子さん(1994年8月29日撮影)

女優の市原悦子さんが1月12日、死去した。82歳だった。所属事務所のワンダー・プロダクションが公式サイトで、次のように発表した

「弊社 女優 市原悦子(本名 塩見悦子)は かねてより病気療養中のところ
平成31年1月12日 午後1時31分  享年82歳にて永眠いたしました
ここに生前のご厚誼を深謝し 謹んでご通知申し上げます」

朝日新聞によると、市原さんは2016年11月、自己免疫性脊髄(せきずい)炎で入院。2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」ではナレーターを務めることが決まっていたが、リハビリに時間がかかり、2017年11月には降板を発表した

市原さんは、1936年生まれ。1957年に俳優座に入団し、59年に「千鳥」で芸術祭奨励賞。俳優座のスターとなった。

アニメ「まんが日本昔ばなし」のナレーションを務めたほか、ドラマ「家政婦は見た!」(テレビ朝日、1983~2008)やNHK大河ドラマ「秀吉」(1996)などにも出演。演技派女優として活躍した。



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人気YouTuberアバンティーズ・エイジが事故死 22歳だった

アバンティーズ(右から2人目がエイジ)

人気4人組YouTuberユニット、アバンティーズのエイジさんが1月1日、休暇滞在先のサイパンで死亡したと、所属事務所のUUUMが公式サイトなどで公表した。22歳だった。

発表によると、死因はサイパンの海の浅瀬で高波にさらわれたこと。救出後、救命措置が施されたが、搬送先の病院で息を引き取ったという。

UUUMは「関係者一同、未だに受け止めきれておりませんが、事実であることが確認された今、いち早くファンの皆様、お世話になりました皆様へお伝えしなければと、ここにお知らせする次第です」とし、今回の旅行は休暇で、動画の撮影中ではなかったことを説明している。

葬儀は近親者のみで行われ、同社ではお別れの会を予定しているという。

アバンティーズはエイジさん、そらちぃ、ツリメ、リクヲによる幼馴染の4人組のYouTuberユニット。中学生で動画の投稿を始め、体当たりもの、やってみた系やドッキリ・実験などの様々な動画を公開していた。

2018年末にはtofubeatsを作曲・サウンドプロデュースに迎えたソフトバンクとのコラボレーション楽曲も発表したばかり。本人の公式Twitterでは、1月1日に「あけおめ」の言葉と共に、飛行場とみられる場所からの写真投稿もあった。

人気YouTuber アバンティーズ(@avntisdouga)とのコラボ楽曲「PLAY NEW WORLD」(作曲 @tofubeats)のMVリリースを記念してサイン入りオリジナルグッズをプレゼント!応募は@SoftBankをフォロー&このツイートをRTしてね!https://t.co/N3u4SIvr0C@soraciavntis@turime1996@avntiskami@avntisrikuwopic.twitter.com/Ty03WdFZq7

— SoftBank (@SoftBank) 2018年12月21日


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がんと闘いながら書き続けた朝日新聞の野上祐記者が死去。最後の記事が29日に掲載される

がんを患いながらも執筆を続けていた朝日新聞政治部の記者、野上祐(のがみ・ゆう)さんが12月28日午後4時24分、入院先の病院で亡くなった。46歳だった。

AERA dot.で連載をしていた野上祐記者のプロフィール

野上さんは2016年、難治がんのひとつ、膵臓(すいぞう)がんを患っていることが判明。「もう完全に治ることはない」と医師から告げられたものの、闘病生活の視点から政治問題などを論じる記事を書き続けてきた。

関係者によると、野上さんは12月初旬から重篤な肺炎を患い、いったん持ち直したものの、12月26日になって感染症が見つかり、容態が悪化していた。

葬儀は家族だけで執り行うという。

野上さんは1996年に朝日新聞に入り、仙台、沼津の両支局、名古屋社会部をへて政治部に異動。東日本大震災後の2014年に福島総局の次長(デスク)に就任し、復興の様子を伝える記事などを取りまとめた。

2016年1月にがんが見つかり、闘病生活に入ったが、野上さんは執筆を継続。特に朝日新聞出版が運営するオンラインメディア「AERA dot.(アエラドット)」で連載していた「書かずに死ねるか」では、自身の病気と政治問題などをからめた記事を執筆していた。

12月29日には最後の記事「難治がんの記者が最後に贈る『悩みへのちょっとした対処法』」が掲載された。推敲は27日まで続いたという。記事の中で野上さんは、本がつかめなくなるほど体力が低下していることを告白していた。

一方で、「変えられないことは受け入れる」「必要な理屈はその都度、自分で考え、取っ替え引っ替えすればいい。お互いは矛盾していても、自分を都合良く導けるのならば」などと、自身の病気を冷静に受け止めている心境をつづっていた。

野上さんの一連の記事は書籍化され、「書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと」のタイトルで2019年2月に出版される。


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