平成



「平成」も残り1年だけど、新しい元号って誰がどうやって決めるの?

「平成」も残すところ1年を切った。ところで、新しい元号はどうやって、誰が決めるのか。

■そもそも「元号」とは?

元号とは、年単位で特定のある一定の年代に付けられた称号のこと。紀元前2世紀、中国・前漢の武帝の治世だった「建元」(紀元前140〜紀元前135)が初の元号とされる。元号は、君主が領土だけでなく時間や空間も支配することを意味するという考え方から作られたとする説もある。

元号は、中国の影響を受けた日本や朝鮮半島、ベトナムなどの漢字文化圏に広まった。

中国では14世紀、明の洪武帝(朱元璋)が元号「洪武」を制定。これ以降、皇帝一代につき元号は1つとなった(一世一元の制)。

1911年、中国では辛亥革命で清朝が滅亡すると元号が廃止された。一方で中華民国政府は1912年1月1日を「民国元年1月1日」とする紀年法を採用した(現在、台湾で使用)。

■日本の元号、およそ1300年間で247

内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」に臨まれた天皇陛下(1990年11月12日)

日本では645年に孝徳天皇が制定した「大化」が元号の始まりとされる。「平成」に至るまで、およそ1300年の間に使われた元号は247にのぼる。

これまでの元号のうち最長が「昭和」(64年間)、最短は「暦仁」(2カ月14日間)だ。

江戸時代までは天皇在位中に何度も元号が変わることが度々あった。特に、自然災害や疫病、戦争などが続くと元号が改められた。1年間に元号が複数回変わったり、天皇一代で元号8つも使用されたこともあった。

■戦後は「元号をやめよう」という議論も

明治時代になると、政府は旧皇室典範を制定し、天皇一代につき元号を一つにする「一世一元の詔」を定めた。近代化が進む中、旧暦(太陰太陽暦)が廃止されて太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されても、元号は引き続き使用された。

ところが、太平洋戦争後に日本国憲法が制定され、皇室典範が改正されると、元号は法的根拠を失った。特に戦後は「元号をやめよう」「1945年を起点に、新たな年号をつけよう」という議論もあった。

こうした中、政府は1977年に元号に関する世論調査を実施。「元号はあった方がよい」と回答した人が全体の8割近くに上った。

これを受け、政府は1979年に「元号法」を制定。再び元号に法的根拠が与えられた。

■元号って誰が考えて、どうやって決めるの?

 元号選定手続について(昭和54年10月23日閣議報告)

1979年10月、当時の政府(大平正芳内閣)は元号を選定する際の具体的な要領を定めた。これが新元号を決める上でのルールとなっている。

1:候補名の考案

(1)内閣総理大臣は、高い識見を有する者を選び、これらの者に次の元号とするのにふさわしい候補名(以下「候補名」という。)の考案を委嘱する。

(2)候補名の考案を委嘱される者(以下「考案者」という。)は若干名とする。

(3)内閣総理大臣は、各考案者に対しおおよそ2ないし5の候補名の提出を求めるものとする。

(4)考案者は、候補名の提出に当たり、各候補名の意味、典拠等の説明を付するものとする。

2:候補名の整理

(1)総理府総務長官(現在は官房長官)は、考案者から提出された候補名について検討し、整理し、その結果を内閣総理大臣に報告する。

(2)総理府総務長官(現在は官房長官)は、候補名の検討及び整理に当たっては、次の事項に留意するものとする。

ア:国民の理想としてふさわしいよい意味を持つものであること。

イ:漢字2字であること。

ウ:書きやすいこと。

エ:読みやすいこと。

オ:これまでに元号やおくり名(天皇・皇后などの崩御後の称号)として用いられたものでないこと。

カ:俗用されているものではない(一般的に使われていない)こと。

3:原案の選定

(1)内閣総理大臣の指示により、内閣官房長官、総理府総務長官及び内閣法制局長官による会議において、総理府総務長官(現在は官房長官)により整理された候補名について精査し、新元号の原案として数個の案を選定する。

(2)全閣僚会議において、新元号の原案について協議する。また、内閣総理大臣は、新元号の原案について衆議院および参議院の議長及び副議長であるものに連絡し、意見を伺う。

4:新元号の決定

閣議において改元の政令を決定する。

■「平成」は、どうやって決まった?

左は「昭和最後の日」の朝日新聞(1989年1月7日夕刊[複製])。右は「平成最初の日」の朝日新聞(1989年1月8日朝刊[複製])。

1989(昭和64)年1月7日午前に昭和天皇が崩御。同日午後、専門家と衆参両院議長が出席する会議が招集され、ここで新元号案として「平成」「修文」「正化」の3案が提示された。

同日午後2時10分、臨時閣議で新元号を決定。午後2時36分、小渕恵三官房長官(当時)が新元号「平成」を発表。翌日の1989年1月8日から施行された。

こうして表向きは昭和天皇の崩御後に選定手続きを始め、翌日に改元となったが、実際は1988年8月の時点で新元号の案が出されていたという。

当時、すでに昭和天皇の病状は悪化していたことから「崩御後に考えていたのでは間に合わない」として、水面下で新元号案が準備されていたようだ。

「平成」は、中国の歴史書『史記』の「内平外成」(内平らかに外なる)と、『書経』の「地平天成」(地平らかに天なる)から採用。「国の内外ともに平和であってほしい」という思いが込められたものだった。

■「平成」の次の元号、どうなる?

近年は元号の略称として明治(M)・大正(T)・昭和(S)・平成(H)が用いられている。そのため、アルファベットでM・T・S・H以外の頭文字を持つ案が選ばれる可能性が高いとされている。

元号は、慣例的に漢籍(中国の歴史書や経典、詩歌など)から選ばれることがほとんど。ただ、国書(日本の書物)から選んではいけないという法的は決まりはない。

元号とは少し異なるが、香淳皇后(昭和天皇の皇后)のおくり名は、日本に現存する最古の漢詩集「懐風藻」から付けられた。

政府はすでに専門家に元号の選考を依頼し、それぞれから案を受け取っているという報道もある。

次は、どんな元号になるのだろうか。


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