フランス

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暮らした国、7カ国。どこでも「日本人」代表だった自分が、帰国後に直面したギャップとは

「君のネクタイいいね」。就活の時に面接官に言われたこの言葉は素直に嬉しかった。リクルート・スーツという制服を設けることで身だしなみではなく、中身で判断・採用するということだろうか。それにしても服装も個人を表す大事な要素だ。せめてもと思い、ネクタイは唯一の個性表現として拘っていただけに、面接官の真意は別として嬉しかった。

海外7ヵ国で過ごし、日本での教育は、大学に入るまでは小学校2年間のみと、日本という国は身近でありながら遠い国であった。というのも中東・欧州・北米・南米の地域の現地校やアメリカンスクールへ通ったが、そこにいる「日本人」といえば、私くらいであった。

このため、私の行動は「日本人」のものと周囲に思われ、私もそう意識するようになっていた。外交官だった父の影響や、毎週末通っていた補習校の影響もあったのかもしれない。その「日本人」とはなんであろうか。帰国してから8年程経った今、自分の経験を振り返り考えていきたい。


陽気なイタリア・ローマから、小学2年で、フランス南部のマルセイユに引っ越し、過酷な生活がスタートした。

同じラテン文化であっても、当時のマルセイユでは、日本はあまり馴染みのない国だった。ちょうど同世代の間ではポケモンが流行りだした頃だったが、それが日本発祥ということは知られていなかった。

現地校に通っていたが、黄色人種であること、「中国人、中国人」とつり目のまねをされ、言葉を話せない自分をからかわれたのが悔しかった。フランスで小学校を過ごしたが、体罰こそなかったが、小学校では先生のことをMaitre(ご主人さま)、Maitresse(女主人さま)と呼ばせていた。

大学卒業前に訪れたマルセイユ

フランス人の特徴は、自国の文化に誇りをもち、自分の主張を貫く人々である。一方で、特にアジア人を含めた有色人種に対する優位性(最近の変わりようには驚いているが)を感じているようにも思えた。

フランス語以外はわかってもわからないふりをされた。ちなみに、外国人が話す「フランス語」はフランス語ではない。後にフランス語圏のカナダのケベック州に住んでいたとき、フランス人は通訳をつけて観光していた。ケベックはフランス語圏だが、かなり特徴のある「フランス語」だ。

フランスの現地校は、ディクテーションやクラス全員の前で暗記した詩(poesie)を発表させるなど、教育熱心ではあった。外国人であろうと、国民教育(同化教育?)は手加減しなかった。悔しさと厳しい学校環境のおかげで、3年の南仏生活で習得したマルセイユ訛りのフランス語は、今でも役にたっている。

1年半暮らしたローマでは、日本人学校に通っていたので、負けたくない、強い「日本人」になりたいといった意識はフランスでの経験から芽生えたのだと思う。

フランス人コミュニティに馴染み、仲間ができ、3年が経過して「日本人」としての立場を確立した頃、父親が日本に転勤になった。帰国して国立の附属小学校の帰国子女学級に転入した。

5年生だったが、周りは中学受験の真っ只中だった。マルセイユでは日本語補習校に通っており、読み書きはできたが、受験とは無縁であった。帰国学級に入ったものの、その中でも新鮮な帰国子女だったのか、それまで自分が抱いていた「日本人」と、日本の「日本人」とのギャップに、ショックを受けた。学校の課外活動後の振り返りでは、「反省」をすることへの違和感を覚えた。

日本の次に暮らしたカナダでは、ほめる教育、多様性を尊重し、自主性を重んじていた。

カナダの中学校へ入学して間もなく「リーダーシップ・トリップ」という合宿があった。新しい仲間を知る事はもちろんだが、団体生活を通して協力の重要性を学び、リーダーシップを磨くことが目的であった。

学校には異なる宗教・文化的背景をもつカナダ人や様々な国籍(留学生や多重国籍)の生徒が通っていた。ポタージュではなくミネストローネのように、異質の隔たりを統合するのではなく、各人の味を活かして共存していた。

ケベック市のウィンターカーニバルへ。外国人生徒の課外活動での一枚) 左から、確かチェコ、ブラジル、アメリカ?、韓国、日本。

まさに、多文化主義のカナダそのものを反映していた。故に、カナダでは相互理解を若い頃から身につけさせる必要性があるのだろう。これがグローバリゼーションがもたらす世界のように感じた。

この合宿を通じて、多民族で構成されているカナダだけに、自らの意見を主張しながらも、他者の意見を聞き、お互いを尊重しあう大切さを強く感じた。また、セッション終了後の振返りでは、各グループ内で、一人ひとり他のメンバーが貢献したこと、何が良かったかを指摘し、励まし(褒め)あうことが印象的であった。

各自に自信を持たせ、長所を伸ばし、風通しが良くなった結果、短所の改善も期待できるというものだ。メンバーの中で信頼関係が築かれ、仲間意識が生まれ、色々な意見が発せられる環境が整う。こういう環境でこそ、新しいアイディアがひらめくと考える。なお、この合宿で学んだ「Leader is not a position, it’s action(リーダーとは地位ではなく、行動のことである)」、これこそがリーダーに不可欠な要素であり、この言葉は今でも肝に銘じている。

カナダ・ケベックに住んでいた頃のユダヤ教信者の友人の誕生日会。ユダヤ教では13歳男子は成人にあたり、「バル・ミツバー」(Bar Mitzvah)という成人式を開いて盛大に祝う。このときのゲームの景品にはiPodや高級スピーカーがあった。

日本帰国前に暮らしたドミニカ共和国では、政治腐敗に加え、貧富の格差が激しく、国自らが国内問題を解決することは難しい。

民主主義の基本は、国民一人ひとりが主役であり、国を構成する。そして、国が透明性をもって情報を提供し、各自が意見(異見)を出し、少数意見を組み入れながら議論し、政策決定するものである。

制度の上では選挙を通じて民意を反映できることになっているが、多くのドミニカ人は、その権利を認識する機会すらないのだ。この原因は教育にあるのではないだろうか。

ドミニカでは、貧民街の子供たちに英語を教えるボランティア活動に取り組んだが、貴重なノートの余白が見えないくらい書き込みをする彼らの姿勢に、大いにやりがいを感じた。同時に、私たちが当然と思っている教育の機会均等が実現されていない社会的矛盾を痛感した。

ドミニカで習っていた剣道の仲間と

海外生活が長かったが、2,3年おきに転々としていても、自らの心のよりどころ、すなわちアイデンティティーは「日本人」であった。このため将来は日本で学び、日本の大学へ進学したいと考えており、望み通り第一志望の大学へと入学した。

しかしそこでは馴染めなかった。

アルバイトは自らの経験を踏まえて帰国受験生の指導を主に行った。親しくなった友人は帰国子女、海外留学経験者や海外への興味がある学生たちであった。私のルーツや育ち方によるものだろう。このような仲間は一緒にいるうえで心から居心地がよかった。

実際に接する日本人は、自分の抱いていた「日本人」のイメージと違ったからだろうか、当時はとても時代劇が好きで水戸黄門や暴れん坊将軍を好んで鑑賞していた。わかりきった勧善懲悪のストーリーに加え、憧れていた「日本」がそこにあった(むろん、人による支配・仕組みについては違和感を感じたが)。

私にとっての「日本人」のイメージとは、時間に正確で、礼儀正しく、勤勉、真面目で、他人のため(世間を恐れて?)自己犠牲をする人々である。実際、帰国して財布や携帯等の落し物でも、自分の元に戻ってくることに驚いた。居酒屋ではボトルがキープされているし、カフェでPCをおいて席を離れられる。そんな安心・安全な社会は素晴らしい(自動販売機も安全な日本ならではだそうだ)。

また3.11の震災発生時は日本にいたが、真夜中になり漸く辿り着いた新宿駅の光景は感動した。そこにいた人々は、通り道を空けて整列し、座っていた。また、新宿駅まで歩く間、略奪などは起きず、むしろ飲み物の提供やトイレも整列しながら待つなど、支え合いの精神に感動した。どこへ行ってもサービス精神旺盛な日本は生活しやすい。

その一方で、朝の出勤時の日本人は、まるで人が違う。朝の駆け込み、押し込み乗車、出勤時の暗い顔。嫌な景色である。会社や取引先との人間関係、ステレオタイプで生きることの心苦しさ、我慢へのストレスが爆発するのは夜の飲み会だ。会社や仕事の飲み会は半ば強制参加で、その後の仲間内の飲み会では爆発する。そのせいか、夜の街は己の限度を超えた酔っ払いで溢れている。いつも世間を気にしている日本人はどこに行ったのか。そしてなぜいくつになっても日本の飲み会は大学時代と変わらないのか。

もしこういう発散によって過ごし易い「日本」や「日本人」が成りたっているのだとすれば、この循環はよいことなのだろうか。

朝の通勤ラッシュ

大学を卒業後、日本の大手企業に入社した。

この会社の組織は、前述した「日本人」の集まりであった。年功序列、自由な意見を言えない「空気」、紙社会、個人/自分を捨てるーーそうでないものは、辞めるか同期化/同調化が求められる。

日本の企業による個性略奪は就活から始まる。黒いカラスの群れのような、就活生。自分らしさを表わすひげや、アクセサリーの着用、多様な食生活や祈りの時間等宗教への理解がない。そういう現状を見ているだけに、秋葉原や原宿で個性的な個人をみると嬉しい。一人ひとり違う人間が自らの個性を発揮することは素晴らしい。違いを隠さず、違いを肯定的に捉え、自分らしさをどんどん発揮したら良いと思う。これも日本の素晴らしさであり文化である。

こう思う自分もステレオタイプな「日本人」なのだろうか。

一人ひとりが活躍できる環境とは、自ら考え、その人らしく働くことで柔軟な発想が生まれてくるのではないだろうか。意見を言える職場環境とは多様な背景をもつ個々人を尊重することではないだろうか。

いま働いている部署での職場環境に限れば、とても恵まれている。自分らしく振舞うことができ、意見を自由に言える。尊重されていることが実感できるからだ。このため、上司や先輩から業務に関することで厳しい指導は苦と思わず、真摯に受け止めることができる。

これは信頼関係があるからである。これは万人に共通する普遍的なものではないだろうか。私の会社のネガティブな面を述べたが、良さは、みながとにかく真面目であることだ。「ほうれんそう(報告連絡相談)」が徹底しており、上司指示や顧客依頼はすぐ対応する。熱い社員が多いと思われる。但し、手続き外や型はずれのことは受け入れ難い。この変革にいま全社を挙げて真剣に取り組んでいると思う。

このエッセイを書きながら気づいたのは、ステレオタイプの「日本人」の息苦しい点を改善することがまさに、働き方改革/職場環境の改善につながっているのではないか、ということだ。大手企業での不正やその隠ぺい、各種ハラスメントの根底に潜むもの、また、その弊害が日本社会で生じている理由は、「日本人」の中にあるのではないかと思う。

仕事の質や技術力、仕事へのこだわりは「日本人」の勤勉さによるもので、強みだと考えるものの、これからの世界市場で競争力を高め、日本の技術力を発揮するうえでは、イノベーション(=技術革新を行うためには発想と発信ができる環境)が不可欠だ。男女を問わず多様な国籍人種間でお互いに尊重できるような環境にしていくには「日本人」の在り方を考えていく必要があるような気がする。

「日本人」の良いところを活かしつつ、日本型の年功序列、終身雇用制度が変わろうとしている中、働き方を含め、多様な社員への尊重、個々の違いを認めることがこれまで以上に求められていると思う。これは日本社会全体で言えることではないだろうか。

Shiori Clark

様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。

投稿もお待ちしております。さまざまなルーツの交差点に立つ、皆様のライフストーリーを教えて下さい。掲載の場合はご連絡を差し上げます。(英語、邦訳つきの他言語での寄稿も大歓迎です!)

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20歳を過ぎるまで、存在しない国の人だった。そんなぼくが考える、いつでも逃げられる自由

ぼくは二十歳を過ぎるまで、存在しない国の人だった。そのせいか、どの国に対しても、「ここが自分の国だ」という実感を持ったことがない。むしろそういった実感を持つことから全力で逃げてきた。

ぼくは朝鮮人の両親のもと、日本で生まれた。朝鮮人はこの世に存在するけれど、朝鮮という国は今のところ存在しない。あるのは北朝鮮か韓国だ。朝鮮籍の人とは、朝鮮が北と南の二つに別れた時に韓国籍を選択しなかった人のことである。

ぼくの祖父母は当時韓国籍を選ばなかった。ぼくの両親も朝鮮籍のままでいたので、ぼくも自然にそれを引き継いだ。韓国を選ばないということは北朝鮮を支持する人なのだろう、と理解する人もいるけれど、ぼく自身は生まれたら朝鮮籍だったので、そう思われるとちょっと戸惑ってしまう。

 実家に置いてある、朝鮮舞踊家の絵

朝鮮籍を持つことを、「統一するであろう朝鮮」という想像上の国家を支持することとして捉える人も中にはいる。ぼくはこっちのアイディアの方が好きだ。現在はないが、過去に存在し、そしてもしかすると未来にまたやってくるかもしれない国を支持するなんて、すごくポエティックだと思う。

そんな概念として気に入っていた朝鮮籍を、自由に海外に行きたいという理由からぼくはあっさりと捨てた。朝鮮籍だと海外旅行をするときの手続きがいろいろと面倒で、フランスへ行きたかったぼくは、韓国籍を取得した。だから、朝鮮籍を持ち続けている友達と会う時はなんだか気まずい。欲望に身をまかせた裏切り者、とでも思われている気がして、申し訳なくなる。もちろん、友達はそんなこと思ってないだろうけれど。しかしその数年後、ぼくはさらに韓国も裏切ることになる。

渡仏して12年たったころ、つまり昨年、ぼくはフランス人になった。つまり、日本語では帰化、フランス語ではナチュラリザシオンと呼ばれる手続きを行ったのだ。ナチュラルが「自然」と訳されるので、ナチュラリザシオンは「自然化」ということになる(ぼくは今まで「不自然」なものとして生きてきたのだろうか? という疑問はここでは置いておく)。

フランス国籍を取得した理由は、これまた実用的なものだ。まず、滞在許可証を受け取る時、悪名高いボビニーの警察署で毎回半日以上待たされるのを面倒に思ったのがきっかけである。外で列に並ぶ時、夏はまだいいけれど、冬はすごく寒いのだ。寒い中、長時間じっと待っているのはつらい。代理で待ってくれる人を雇う人もいるくらいだ。あとはまあ、ここで仕事もしているし、ずっと住むなら何かと便利だろうし……と実用的な理由をあげればキリがない。

道で発見したカフェの看板、TOUT VA BIEN(すべてはうまくいく)

それとは別に、韓国に住んだこともないのに韓国人と名乗る違和感に耐えきれなかった、というのもある。ぼくの家族は日本に住んでいるし、ぼくの母語は日本語だ。フランスで韓国出身の友達と話す時、共通言語はフランス語となる。「ぼく韓国人なのに韓国語話せなくてごめん」となぜだか情けないきもちになってしまう。

ちなみに、それとは異なるタイプのうしろめたさを、日本の友達に対しても感じることがある。ぼくは日本人みたいな日本語で話すものだから、こっちから言わないかぎり、向こうはぼくが日本人であると勘違いしている。騙しているつもりはないのだが、なんだか落ち着かない。そして、カミングアウト(?)した後、日本語うまいね! とフォローされるたびに感じるかすかな虚しさ。

自分にとっていちばん実用的でドライに接することのできる国籍を選ぶことで、ぼくは、こうした日本、朝鮮、韓国をめぐる煩わしさら逃れたかったのかもしれない。

友人の写真作品のためにパフォーマンス

こうしてぼくは朝鮮という概念を裏切り、韓国からも逃げ、日本に帰化することもせず、フランス人となった。しかし、不思議なことに、フランス人になることで、朝鮮、韓国、日本という三つの国のバランスを、心の中でうまくとれるようになった気がする。これで、ぼくが心からフランス人になれれば、すべてはうまくいくはずなのだ。

フランス国籍取得で変わることといえば、投票。前回のマクロンvsルペンの選挙には間に合わなかったが、次回からは投票ができる。人生で初めての投票だ。まだ大統領候補者も決まっていないのに、誰に投票しようかな、とぼくは今からワクワクしている。このワクワク感はフランス人っぽい気分を盛り上げるのにとても効果的だ。どっちにしようかな、と考えているときは、自分がすごく愛国民になったように思える。

実際、前回の選挙では、投票について語る人たちは皆イキイキとしていて、ぼくも、マクロンかルペンか? と盛り上がりたい気持ちでいっぱいだった。これはサッカーのワールドカップと同じで、フランスが勝った時、フランス人のサポーターはよっぽど嬉しかっただろうな、と想像してぼくは羨ましくなる。ぼくなんか、友達に「で? きみはフランス応援してるの? それともクロアチア?」と聞かれるくらい、まだフランス人としての態度が板についていないのだ。

友達が作成したワールドカップ・トーナメント表

そう、ぼくに決定的に欠けているものは、国に対するまじめさ、つまり国民としての意識なのだろう。なぜならぼくは、あてがわれた概念に対して責任を持つなんて馬鹿げているとつねづね思ってきたからだ。そして、その責任を押し付けるものからいつも逃れようとしている。しかし、フランス人となることを選んだ今、ぼくはそこからもう逃れられないのかもしれない。

フランス人という形式に従ううちに、フランス人でありたいとする欲望はぼくにつきまとうのだろうし、そうこうしているうちに、ぼくは本当のフランス人にすっかり似た何かになってしまうのだろう。例えそれが実用性からスタートしたものだとしても。それはそれでいいことだ。やっと一つの国を選び、「この国の人」になれたわけだし、ぼくだってこの国を、心の底から愛してみたい。

でも、とぼくは思う。

この、いつでも逃げられる自由というものをぼくは大事にしなければならない。

それはつまり、形式とそこから生まれる欲望から、つねに逃れられるよう心の準備をしておくということだ。この自由を失くさないために、いつもどこかで、愛するものを裏切らなければならないとしても。ぼくにとって自由とは逃げ続けることで、この一種の強迫観念のような逃走への思いを、どうしても自分から切り離すことはできないのだ。


SHIORI CLARK

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ワールドカップ予想、AIとデータを超えた松木 クロアチア躍進を的中?

ワールドカップ決勝、フランスークロアチア戦が7月15日深夜にある。開幕前の予想では、あくまでダークホースに過ぎなかったクロアチア躍進はサプライズが続いた今大会を象徴するものだろう。

AIやデータが予想できなかった躍進を的中させた解説者がいた。「居酒屋解説」でおなじみ、松木安太郎さんだ。

週刊ダイヤモンド2017年12月30日・2018年1月6日新年合併号に掲載された予想によると、松木さんは今大会の優勝国を大胆にもクロアチアと予想した。

ワールドカップ開幕前の予想では、多くの識者のみならず、データ分析でもクロアチアの名前は上がっていなかった。

AIはブラジルを予想

ゴールドマンサックスのAIが叩き出した優勝確率はサッカー王国・ブラジルが18・5%とトップで、フランス、ドイツ、ポルトガルと妥当な予想が続く。

クロアチアの優勝確率はなんと0・6%。日本が0・4%だから、躍進はほぼないと判断されていたことがわかる。

データはドイツ

ロイター通信が配信した「サッカーノミクス」に関するコラムによると、優勝はドイツ。コラムは選手の金銭的な価値、国民の応援度、選手層……様々な数字を計算した結果だと強調する。

7月15日にモスクワで行われる決勝戦では、ドイツとブラジルが対戦することになる。ドイツが連覇するなら、50年以上ぶりの快挙だ。けがや天候、審判のジャッジや運といったすべてが結果に影響し得る。だが計算が合うならば、ドイツはW杯連覇を決めるだろう。

ドイツは予選で敗退し、ブラジルは8強止まりだったことをあらためて指摘しておきたい。

ちなみに、この予想ではクロアチアはベスト16に止まる。

松木はクロアチア

こうした予想が次々と覆されるなか、クロアチア躍進を的中させたのが松木予想だ。

ダイヤモンド誌によると、松木さんは「今大会の台風の目になりそうなのが、機動性に優れるモドリッチ(レアル・マドリード)が代表的なクロアチア。他にも好選手のそろう実力国だ」と高く評価。波乱が起こる可能性にも言及していた。

モドリッチとバルセロナで活躍するラキティッチがチームの心臓となり、ピッチで展開される魅力溢れる攻撃サッカー、最後まで勝利をあきらめずに走るクロアチアに世界が魅了されている。

フランスの決勝進出は妥当であり、コンディション的にも、選手層をみても有利は揺るぎそうもない。これはクロアチアがチャレンジャーとして臨むことができることを意味する。

波乱含みの今大会はどう終わるのか。最後まで目が離せない展開になりそうだ。


「なんかウケる…」パリで流行中!サッカーとディスコダンスの融合『ディスコ・フット』が面白そうだ

ワールドカップも佳境に入ってきましたが、サッカー大国フランスでは、サッカーとディスコが融合した『ディスコ・フット』なるものが流行っているそうです。一体どんな感じなのでしょうか!? こちらは、在日フラン…



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ワールドカップ・ロシア大会(6月16日) テレビの放送時間は?

アルゼンチン代表のメッシ

サッカー・ワールドカップ(W杯)のロシア大会は6月16日夜、1次リーグ4試合が予定されている。試合の開始時間(日本時間)と日本でのテレビ放送時間は以下の通り。国名のあとのかっこ内の数字は、 国際サッカー連盟の順位。

C組 フランス(7位)対オーストラリア(14位)

【試合開始】午後7時

【場所】カザン

【生中継】NHK総合

【見どころ】フランスは数々の最年少記録を作ってきた19歳のFWエムバペや、2016年の欧州選手権得点王のFWグリーズマン、最前線のFWジルーらが仕掛ける攻撃が強烈だ。オーストラリアは決定力不足に課題があるものの、2010年の大会でチームを準優勝に導いたファンマルウェイク監督が指揮を執る。手堅い守備からパスを回し、攻撃へとつなぐ戦術がかぎとなる。

フランス代表のエムバペ

D組 アルゼンチン(5位)対アイスランド(22位)

【試合開始】午後10時

【場所】モスクワ

【生中継】NHK総合

【見どころ】世界最強のFWメッシ擁するアルゼンチンは、彼を最大限に生かした攻撃力が持ち味。アイスランドは選手たちの豊富な運動量と当たり負けしないフィジカル面の強さが武器。

アルゼンチン代表のメッシ

C組 ペルー(11位)対デンマーク(12位)

【試合開始】17日午前1時

【場所】サランスク

【生中継】フジテレビ系

【見どころ】ペルーは36年ぶりの本大会出場だが、レベルの高い激戦の南米予選を粘りのサッカーで勝ち抜いてきた。パス回しから攻撃の起点を作っていくスタイルが持ち味。デンマークは選手は長身ぞろい。クロスやロングボールを放り込んでの早い攻撃が光る。

D組 クロアチア(20位)対ナイジェリア(48位)

【試合開始】17日午前4時

【場所】カリーニングラード

【生中継】日本テレビ系

【見どころ】クロアチアの守備陣はやや不安定な部分はありながらも手堅い。攻撃陣はFWマンジュキッチら技巧派がそろう。アフリカの雄ナイジェリアは、選手たちの身体能力は高く、運動量が豊富。勢いに乗れば爆発力のあるチームだ。

ヨーロッパ予選でトルコと対戦するクロアチアのマンジュキッチ(右)=2017年9月、トルコ

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フランスの出生率が高い本当の理由 パリ市役所「日本との違いは…」

(写真はイメージ)

2017年、フランスは先進国の中でも高い合計特殊出生率1.88を示した。その6割が、結婚していない親からの出生ーー。

日本とは異なる視点の家族政策で先進し、少子化対策の効果を上げているフランス。『子どもの人権を尊重する』『子育てを社会が支援する』ーー欧州で多く語られるこれらの理念が、どう政策に落とし込まれているのか。

その事例を視察しようと、2018年5月上旬、二人の横浜市議がパリにやってきた。「具体例をこの目で見ることで、有効性・実現性を検討したいんです」。そう語る議員の視察を追った。

ヨーロッパ視察を望んだ理由

今回視察に訪れたのは、酒井亮介議員と山浦英太議員。ともに民間企業から市議に転身した、40代の父親だ。

山浦氏(左)と酒井氏(右)。保育関係施設の視察で両氏を迎えたのは、パリ市議会の担当議員シャルノーズ氏。

横浜市義は任期中に一度、自らの政策テーマに沿った海外視察を行うことができる。そこで両氏が望んだのが、就学前教育と産後ケアにおける、ヨーロッパの3カ国での先進事例研究だった。

保育士資格保持者であり、前職で保育園園長を務めた山浦氏はこう語る。

「今の日本は『保育園に子どもを預けるのが当然』という風潮があります。親支援の観点から保育園が重要であることはもちろんなのですが、このままでいいのだろうか? 子育てにおける親の役割を踏まえつつ、利便性や経済収益性だけではない、バランスの取れた保育政策とは何かを、先進例から考えたいと思いました」

もう一人の酒井氏が望んだのは、政策の具現性を測ること。

「横浜は日本第二の都市。同じ規模で参考にできる市町村は、日本の中にはとても少ないのです。そこで就学前教育や産後ケアに優れた欧州の大都市で、横浜市と比較できる自治体をこの目で見たいと願ったんですね。その政策の有効性や実現可能性を検証し、どう横浜市に取り入れられるかを考えたくて」

この視察のうち、筆者はパリの行程に同行。1日半の短い時間で3箇所の保育関連施設を訪れ、現地関係者との会談は4時間に及んだ。

出生率1.88、そのうちの6割が「婚外子」

最初に訪れたのは、パリ市役所の「民主・市民・領域局」。パリ市民の結婚、出生、死亡など、世帯登録を管理する部署である。「少子化・非婚化の進む日本で、家族と結婚制度のあり方を考える一助に」と選ばれた視察先だ。

パリ市民の住民登録関係を管轄する、領土・民主・市民局。局長のギシャール氏(左から二番目)らが、酒井氏(左端)・山浦氏(右端)を迎え、予定時間を大幅に超えた意見交換が行われた。

2017年、フランス国内での子どもの出生数は76万7000人で、合計特殊出生率は1.88人だった。2014年の2.0人から減少傾向にあるが、依然として先進国の中でも高い出生率を保っている。

76万7000人のうち6割が、結婚していない親から出生した子どもだった。しかしそれらの親たちは片親ではない。結婚はしていないが、同居し、カップルとして共同生活を営んでいるのだ。

多くはPACS(民事連帯契約)という、結婚よりも制約の緩いパートナーシップ契約を結んでいる。が、行政書類では、このパートナーシップ契約は子の出生届と紐づけされていないため、PACSカップルの子は統計上「婚外子」と扱われてきた。フランスで「婚外子」の割合が高くなっている背景には、このような世帯登録システムがあるのだ。

この状況を知った酒井氏は、「なぜ、婚外子が増えているのか?」と疑問を抱いた。

「日本の法律には、『子どもは結婚した夫婦から生まれるもの』という前提があります。そのため、未婚の親から生まれた子を持つ世帯では、補助や公的支援を受けるのに、より煩雑な手続きを踏む必要がある。結果として、婚外子は不利益を受けてしまいます。『できちゃった婚』が多いのも、そんな理由があるからでしょう」

それだけ「結婚」と「子どもを持つこと」の結びつきが強い日本では、非婚化はそのまま、少子化に繋がってしまう。

しかし、フランスでは結婚なしに子どもが増えている。その背景にはどのような制度や社会性があるのか。結婚以外のパートナーシップ制度が、それを後押ししているのだろうか。

どんな親から生まれても、子には同じ権利を。

「フランスと日本で大きく異なる点は、どこにあるのだろう?」

酒井氏の疑問にパリ市役所が与えた回答は、簡潔明快だった。

「違いは、子どもの権利の考え方ですね」

市議を迎え入れた担当部署の局長、フランソワ・ギシャール氏は言う。

フランスでは1972年より、嫡出子・非嫡出子の区別なく、「いかなる生まれでも子は同等の権利を有すること」が法制化された。子が生まれて育つことに、親の結婚は関係ない、とされたのだ。婚外子は1980年代から急増し、1997年には約40%、2017年には約60%となっている。

嫌な話ですが、と前置きしつつ、酒井氏は質問を続けた。

「子が生まれても結婚しなくていい、となると、『親である責任』から逃げようとする人が出てきませんか」

結婚しなければ親としての役割が強制されない日本では、望まない人は「親の責任」から逃れることができてしまう。実際、そうして父親に去られた母子家庭を多く見てきた。

「いや、親は逃げられないんですよ」

ギシャール氏の回答は、またもや明確だ。

「フランスではまず全ての親に養育義務があり、そして全ての子には『親を知る権利』があります。父親に『この子の親である』という疑いがかけられた時、唯一そこから逃れる方法は、遺伝子検査で身の潔白を証明することしかありません。そしてこの検査を拒むことは、事実上不可能です」

「フランスにおいて、子の『親を知る権利』と『親に守り育てられる権利』は、親の意志より尊重されるんです」

驚きの声を上げる二人に、ギシャール氏は至極当然のように、加えた。

「子は親を選べませんからね。親の選択がどんなものであれ、それが子の人生に悪影響を及ぼすことは、最大限防ぐべきなんです」

ギシャール氏から両氏に、パリ市の歴史的商店を集めた本をプレゼント。文化遺産を保護しながら市民生活の便を図るのが、パリ市の方針だ。

結婚を選ぶカップルは、全体の半数

どんな親から生まれても、子には同等の権利がある。そこから、フランスの子育て支援策は「子ども」を軸に制度設計されている。親が失業者でも移民でも、子が受けられる支援は変わらない。

一方、日本の支援策は、親を軸とした制度設計だ。「日本とは発想が逆なんですね…」と、両氏は感慨深げに頷く。

フランスのように「子の誕生=結婚」とならない社会では、結婚するかどうかは、純粋に本人同士の希望による。いま若い世代は特に、結婚を望まない人が増えている。その最大の理由は結婚、離婚に日本よりも手間がかかることだ。

結婚に際しては、事前の公示・健康診断などが義務付けられ、特別な財産契約を結ばない限り、遺産相続など配偶者との金銭的な連帯が設定される。離婚の場合も、友好的な協議離婚ですら、それぞれに弁護士を立てた上で数週間かけて手続きする必要がある。 

そこで結婚の代わりに選ばれているのが、前述のPACS。結婚より締結も解消も容易で、遺産相続など将来的な拘束がない。一方、納税や手当受給など、日常生活に関わる部分では、結婚したカップルと同様の「世帯」として扱われる。

「PACSはもともと、同性カップルに結婚を認めないため、代替案として作られた制度です。が、今ではその95%以上が異性間の契約となっています。当初の狙いとは全く別の使われ方がされている制度なのです。2013年に同性婚が法制化されてから、PACSと結婚の割合は同性間でも異性間でも、ほぼ半々で推移しています」

つまりフランスのカップルは同性・異性を問わず、その半分が伝統的な結婚を、もう半分がより簡略的なパートナーシップ契約を選択しているということだ。

「セクシュアリティの考え方が柔軟になって、世帯のあり方も多様になりましたね。父母、父親二人、母親二人だけでなく、外見は母親でも出生記録は男性であるとか、男性二人の世帯だけれど届出上は女性二人世帯であるとか」

パリ市はそれら全てを公式な世帯登録として受け入れているという。

「世帯」のかたちは17種類

多様化する家族のかたちは、市政にどんな影響を及ぼしているのだろうか。

「柔軟で先進的な市政ですと、若い人が集まって、税収が増えたりするんでしょうかね?」と、酒井氏は市の財政面から問いかける。

「同性愛者の方は、農村部よりパリの方が心理的に楽、というのはあるかもしれません。が、家族のあり方が多様なのは、フランスのどこでも同じですよ! 税収はさほど変わりませんが、書類仕事は増える一方ですね」

冗談めかして言った後、ギシャール氏はこう付け加えた。

「でも、それが当然なんです。市政は市民の生活に適応するためにある。例えば世帯の多様化に合わせて、パリ市役所の家族担当局は、局名の中にある「家族」の語を、単数形から複数形に変えました。家族のかたちは一つではない、様々であると認めている証です」

「最新のフランス国勢調査で、「世帯の種類」の回答項目がいくつ用意されたか知っていますか? 17種類です! それだけ世帯のバリエーションが公的に認められているということなんです」

17という数字に驚きの声をあげた後、酒井市議はポツリと、こう漏らした。「日本の役所は逆に、バリエーションは見ないようにしていますよね」

「子どもの権利」や「多様性」という言葉が、具体的な政策に落とし込まれているフランス。どんな家族でも、どんな子どもでも、平等に認められるーー。子育て政策だけではない。出生率の高さの背景に、この2点があることは想像に難くない。

だがフランスのやり方をそのまま、横浜市政のヒントとすることは困難だろう。そう認めつつ、二人はこう視察を締めくくった。

「市政は市民のためにある、という言葉がどんな制度に落とし込まれているか、横浜市に戻ってから、しっかり伝えて行きたいですね。理念が具体化されている事例、それを自分の目で見るのは、政治家が他国を視察をする意味の一つだと実感しました」

近日公開予定の後編では、パリ市の保育現場の視察の様子をお伝えする。

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