インタビュー

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35歳のサラリーマンが、夢のプロ棋士になった。愛と憎しみが生んだ「将棋界の奇跡」

今から13年前、将棋界でひとつの「奇跡」が起こった。

35歳のサラリーマンがプロ棋士の編入試験に挑戦し、合格を果たした。

サラリーマンの名は、瀬川晶司。かつてプロ棋士養成機関「奨励会」に所属し、プロまであと一歩と迫りながら年齢制限の壁に阻まれ、夢破れた男だった。

2018年のいま、瀬川は「五段」として日々の対局に臨み、好きなことを仕事にできる喜びを謳歌する。一方で、やむなく奨励会を退会した頃は、「将棋への憎しみ」も抱いていたと吐露する。

「将棋界の奇跡」の裏に、なにがあったのか。半生を描いた自伝『泣き虫しょったんの奇跡』の映画化に合わせて、瀬川五段に話を聞いた。

「命の削り合い」それが、奨励会

瀬川は1970年、横浜市生まれ。中学3年で「奨励会」に入会した。

奨励会とは、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関だ。関東と関西にあり、小学生から20代半ばの会員たちがプロ入りを目指して対局に臨む。

奨励会とはどんな場所なのか。瀬川は「好きなことで生きていく厳しさを知る場所」と語る。

「まず、入会試験に合格すること自体がとても難しいです。僕の頃は、合格率が2割ほどの狭き門でした。各都道府県でトップレベルの子どもたちが試験を受けて、それでも8割は落とされる。とても厳しい世界です」

「仲の良かった仲間たちが、どんどん去っていくのを目の当たりにする。将棋の厳しさとも向き合わなければならない。それが奨励会だと思います」

たとえ入会を果たしても、その後の道のりは険しい。月2回の例会で指される対局の成績次第で、級や段位の昇級・降級が決まる。

「(奨励会に入る人たちは)子どもの頃から将棋が大好きで、その延長線上にプロへの道があると思う。でも、途中で”好きなだけではやっていけないな”と悟ると思います」

「将棋界で最も厳しい場所」「命の削り合い」。それが、奨励会だ。

それでも瀬川は21歳で、最終関門の「三段リーグ」まで進んだ。プロ入りとなる「四段」まで、あと一歩と迫った。

年2回開かれる三段リーグは熾烈な争いで知られる。今年9月までの「第63回リーグ」には38人が参加。四段に昇段できるのは上位2人だ。

「魔物が棲む」と言われる三段リーグについて、瀬川は「独特の空気があった」と振り返る。

「もちろん、みんなが努力しているし、努力した人にしか結果はついてこない。ただ、努力をしたからといって、結果が”必ず”ついてくるとは限らない。そこが厳しいところです」

立ちはだかる年齢制限の壁

奨励会の過酷さに拍車をかけるのが、年齢制限だ。26歳までに四段になれなければ、強制的に退会させられる。

そのプレッシャーについて、瀬川はこう語る。

「同じ将棋を指すのでも、迷いが出たりして、”この勝負に負けたらどうしよう”とか、今まであまり考えなかったマイナスのイメージがどんどんついてくる」

「”負けたくない”という思いが、強くなりすぎてしまう。勝ちに行く手より、負けにくいような手を選んでしまったり。結局、踏み込みが悪くなるわけです」

1995年、26歳になった瀬川。

この年の三段リーグに負け越して、やむなく退会が決まった。

「自分は棋士になれるはずだと思っていました。だから、もしなれなかったら…。大学も行かずに、ずっと将棋だけやってきた、何もない人間なわけです」

「”そんなことが起きるわけがない” “そんな悲惨な目に遭うわけがない”という、よく分からない根拠がありました」

「ただ、最後のリーグ戦のときは、棋士になれない現実を考えるのが怖くて。棋士になれるんだと、無理やり思っていたところもあったと思います」

青春のすべてを賭けた、11年余りの奨励会での日々。その終わりが決まった対局は、「あっさり負けたような気がする」と、瀬川は語る。

対局を終え、東京・千駄ケ谷の将棋会館を後にした瀬川は、街をさまよった。

「当時、一人暮らしをしていた中野の街をぐるぐる歩いていました。生きていてもしょうがないなと、ふっと思った瞬間もありましたね」

「いっそ、車道に飛び出して…と。でも、親や兄弟の顔が浮かんで。思いとどまることができました」

夜間大学とアルバイトの日々

奨励会を辞めた後は、「しばらくは、今で言うニートみたいな感じだった」と、瀬川は語る。

「何もやる気が起きなくて。ただ、なにか新しい目標をつくらなきゃいけない。それで、ふと弁護士になろうと思ったんです」

「昔たまたま読んだ高木彬光さんの推理小説に、弁護士が主役の作品があったんです。それが好きで、司法試験を目指してみようと。大学の法学部に入りました。ほぼ思いつきでしたが(笑)」

通ったのは夜間の大学。朝から昼までは、イトーヨーカドーで品出しのアルバイトに勤しんだ。授業は夕方からはじまって、帰宅するのは10時ごろ。

「学費ぐらいは稼がないと」と始めたアルバイトは、瀬川にとってはじめての体験だった。

「将棋以外をやったことがなかったので、刺激的な経験でした。アルバイト先では友達もできた。大学には若い人もいれば、年上の方もいて、いろいろな交流をしているうちに、なんとかやっていけるかなと思いました」

大学生活を送るうちに、弁護士になろうという気持ちは薄れていった。

その代わりに湧き上がってきたのが、かつて全てを賭けた「将棋」への思いだった。

「大学に入った頃は、将棋なんてやるんじゃなかったという想いがありました。でも、大学生活で色々な方と接しているうちに、将棋を恨むのはお門違いだなと思うようになりました」

「結局は、自分の力が足りなかっただけ。そう考えたら、また将棋が指したくなった。大学3年ごろから、また駒を触りはじめて、アマチュアの大会に出るようになりました」

年齢制限に怯え、消極的になっていた奨励会時代の姿はなかった。この頃の瀬川は、伸び伸びとした将棋が指せるようになっていた。

「アマチュアに戻ったら、積極的に勝ちに行く手を指せるようになった。やっぱり楽しかったですね。昔、子どもの頃に感じていた”楽しい”という気持ちを思い出しました」

プロ編入試験の嘆願書

プロ入り試験実施を発表する日本将棋連盟の米長邦雄会長(右)と、受験を喜ぶ瀬川晶司さん(東京・渋谷区の日本将棋連盟)撮影日:2005年05月26日

大学卒業後は、NECの関連会社に就職。システムエンジニアとして会社員生活を送った。その一方で、2000年からアマチュア枠でプロ公式戦に出場。戦績は17勝6敗。勝率73%の好成績をマークした。

「もう一度プロの世界に挑戦したい」。2005年2月、瀬川は日本将棋連盟に嘆願書を提出した。

これは棋士の間で大きな議論を呼んだ。

たしかに、これほど強いアマチュアは過去に類を見なかった。2005年にはA級棋士の久保利明八段(当時)を撃破。「プロキラー」として知られる存在だった。

ただ、前回のプロ編入試験は60年前。「奨励会を通過していない人はプロになるべきではない」など、反対意見は根強かった。改革の必要性を説いて「裏切り者」と言われた棋士もいたという。

一方で、「年齢に関係なく何らかの道があった方がいい」と、瀬川の挑戦を後押しする人もいた。誰であろう、羽生善治だった。

将棋連盟の台所事情も、瀬川の追い風となった。当時の将棋連盟は公式棋戦の打ち切りや免状収入の減少、機関誌『将棋世界』の部数減などもあり、赤字に悩んでいた。

改革機運の高まりもあって、将棋連盟はプロ編入試験の実施を決定。合格条件は「棋士、奨励会員、女流棋士らとの六番勝負で3勝以上」というものだった。

プロ編入試験6番勝負の第5局が行われ、高野秀行5段(33)を破り、合格の条件とされた3勝目をあげてプロ入りを決め、笑顔を見せる将棋アマチュア棋士の会社員、瀬川晶司さん(35歳)(東京・千駄ケ谷の将棋会館) 撮影日:2005年11月06日

2005年11月6日、2勝2敗でむかえた六番勝負の第5局。瀬川は高野秀行五段(当時)を104手で破った。

「最後まで勝ちかどうかわからなかった。本当に勝てて嬉しい」

フラッシュに包まれ、興奮した様子の瀬川は、言葉に詰まりながら喜びを語ったと、当時の新聞は伝えた。

こうして、 一度は夢を絶たれた35歳のサラリーマンは、プロ棋士になる夢を叶えた。故・花村元司さん以来、61年ぶりのことだった。

プロは「負け方」を見られている

瀬川のプロ入りを機に、将棋連盟はプロ編入試験を制度化。2014年にはアマ強豪だった今泉健司四段が、瀬川の後に続いた。

「好きなことを仕事にできるのは、とても幸せなこと。やっぱり、将棋で暮らしていくのは、本当に幸運だなと思います」

一方で、アマ時代とは違って、瀬川はあることを意識するようになった。それは「負け方」だ。

「アマチュア時代は、プロに勝った将棋ばかりが注目を浴び、褒めてもらえました。でも、プロだと勝った将棋ではなく、負けた将棋が注目されます」

「だから、決して”負けたらどうでもいい”となってはいけない。悪いときほどよく見られているのがプロだと思います」

瀬川が目指す、これからの将棋人生は

いま、将棋界は空前のブームに沸いている。

羽生竜王の「永世七冠」達成、藤井七段の連勝劇は記憶に新しい。加えて、八大タイトルを8人が分け合う「戦国時代」となった。高見泰地叡王、菅井竜也王位、豊島将之棋聖は、いずれも20代だ。

若手の台頭について、瀬川はこう語る。

「やっぱり藤井七段の出現に刺激を受けていると思います。 藤井七段にバッと抜かれちゃうという危機感で、頑張らなきゃというのがあるのだと思います」

対して、瀬川はいま48歳。これからの将棋人生について、こんな展望をもっている。

「もちろん、これからも勝ちたい。ただ、いつも勝負のことだけを考えてればいい年齢ではなくなってきたかなと思っています」

「弟子の育成だったり、将棋をもっと普及するための方策だったり、そういうことも考えていく時期かなと。今回の映画『泣き虫しょったんの奇跡』(9月7日全国公開)で、将棋を知らない人にも興味を持ってもらえれば、すごく嬉しいです」

将棋に「奇跡」はあるのか? その答えは…

最後に、こんなことを聞いてみた。将棋に「奇跡」はあるのか、と。

瀬川は優しい笑みを浮かべつつ、こう言った。

「将棋に偶然の要素はありません。ただ、わずかに運の要素はあると思います」

どういうことなのか。瀬川はこう説明する。

「将棋には指運(ゆびうん)という言葉があります。お互いの持ち時間がなくなった”1分将棋”の最終局面。 朝から晩まで将棋を指して疲れ切っている中、次の選択肢が2択になることがあるんです」

「たいがい、片方の手が勝ちで、もう片方が負けです。残り1秒、最後は感覚で指すことになる。そんな時に選んだ手で勝ったら、”指運がよかった”と言います」

力の拮抗した者同士が極限になったときは、そういった「指運」で勝負が喫することもあるという。ただ、それも積み重ねがあってこそだ。

「私自身、プロ編入試験に合格できたのは奇跡だとは思いません。ただ、長く閉ざされていた道が拓かれたのは、周りの人たちが応援してくれたからです。これは奇跡でした」

「プロの棋士になりたいという夢を持ち続けたことが、今の道に繋がりました。夢を持って、諦めずに挑戦し続けること。それが、奇跡につながる道かもしれません」

瀬川晶司(せがわ・しょうじ)1970年、横浜市生まれ。中学3年で奨励会に入会。三段まで昇段するも、年齢制限で1996年に退会。2005年に61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格。2012年、五段昇段。NEC所属。

『泣き虫しょったんの奇跡』9月7日(金)全国ロードショー

<ストーリー>
史上初! 奨励会退会からのプロ編入という偉業を成し遂げた男の感動の実話。26歳。それはプロ棋士へのタイムリミット。小学生のころから将棋一筋で生きてきたしょったんこと瀬川晶司の夢は、年齢制限の壁にぶつかりあっけなく断たれた。将棋と縁を切りサラリーマンとして暮らしていたしょったんは、アマ名人になっていた親友の悠野ら周囲の人々に支えられ、将棋を再開することに。プロを目指すという重圧から解放され、その面白さ、楽しさを改めて痛感する。「やっぱり、プロになりたい―」。35歳、しょったんの人生を賭けた二度目の挑戦が始まる――。

監督・脚本:豊田利晃
原作:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社文庫刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作:「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会
制作プロダクション:ホリプロ/エフ・プロジェクト
特別協力:公益社団法人日本将棋連盟
配給・宣伝:東京テアトル

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