インタビュー

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【動画】kemioって何者?頭ん中がちょっとわかるインタビュー

「ヘラヘラしてないとやってらんないじゃないですか、人生って」

「全てに対して『YES』って言うのが相手にとっての思いやりではない」

自身の初エッセイ「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」を発売したユーチューバーのkemio。貫いてきたライフスタイル、アメリカでの生活で学んだことを、インタビューで教えてもらいました。

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失恋したらカット無料の美容室!切ってくれるのは「ぶっちゃけすぎ」なイケオジだった

失恋美容室

1 2 3 アイデアの詰まった「失恋美容室」が面白い 株式会社ヒャクマンボルトと高円寺にある美容室「cowen」とが協力して行った企画、「失恋美容室」。なんと、美容室で失恋エピソードを提供した方の利用が無料になるというビ […]



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アニメでも漫画でもない。1/4288に選ばれた外国人が日本を目指した理由。

日本を訪れる外国人が増えている。

観光客は3119万人と過去最多を更新し、留学生も10年前の倍以上になった。
国をあげてアニメや伝統文化をSNSで発信する取り組みや、円安などが背景にあると見られている。

そうした中、上海にある名門国立・復旦大学で日本語を学ぶ黄安琪(こう・あんき)さんはある特別な動機で日本を目指している。 

黄安琪さん

日本語作文のコンクールに寄せた一本の文章。日本語を学ぶ理由が選考委員の目を引き、応募4288作品の中で最優秀賞に選ばれた。

来日していた2月下旬に、話を聞いた。

■風変わりな子どもだった

黄さんは上海から南西に200キロほど離れた地方都市、杭州の出身。
土地柄から、物心がついた時には日本との関わりを意識していたという。

黄さん:杭州は南宋時代(12世紀ごろ)に都が置かれていた場所で、その頃に日本と関わりがあったんです。家の近くの大きなお寺には空海の銅像もありました。
生まれた場所の文化を知って行くうちに、繋がりのあった日本のことも知りたくなってきたんです。

中国の子どもたちは、男の子なら「スラムダンク」、女の子なら「ちびまる子ちゃん」など、現地でも放送されているアニメを通して日本を意識することが多い。
一方で、黄さんは歌舞伎や茶道に興味を惹かれ、川端康成の「雪国」を愛読する風変わりな子どもだった。

黄さんの作文

大学に進み、日本語専攻を選択した黄さん。3年生の時、交流プログラムで訪れた日本で、中国とのある違いを実感する。

黄さん:コンビニ温かいお茶と牛乳を買ったら、別々の袋に入れてくれたんです。観光客の目線で見たときに、すごくサービスが行き届いていた。

驚かされたのはコンビニの接客だけではなかった。京都でバスに乗っていた時のことだ。バス停に、車椅子の人が並んでいるのが見えた。

「お時間をいただきます」。運転士が車内アナウンスで告げると、スロープを取り出して車椅子の人を乗せた。

バスは遅れたが、誰一人文句をいう人はいない。その様子が心に残った。

黄さん:そもそも、街中を走っている普通のバスに乗り降り用のスロープが備え付けられているとは思っていませんでした。
車内は蒸し暑く、道路も渋滞していましたが、運転手も乗客も車椅子の人を温かく見守っているのも印象的でしたね。
バス以外でも、電車の駅にエレベーターやスロープ、それに多目的トイレが整備されていたのも発見でした。上海や杭州でもバリアフリー化が進められていますが、まだ日本ほどではありません。

中国に帰った黄さん。日本でならば、かつて叶えられなかった「ある望み」が実現するのではと考えるようになった。

それは、70歳近い祖母に関することだ。

祖母は、若い頃は体育教師として働いていたほどのスポーツ好き。2008年に開催された北京オリンピックの現地観戦が「人生最大の夢」だと豪語するほど心待ちにしていた。

しかし、大会を目前にして黄さんの祖母は交通事故に遭い、右足を粉砕骨折。車椅子生活を余儀なくされたのだ。

家の近くのバスに乗ろうとするも、昇降口の段差のせいでうまく乗り込めない。運転士や他の乗客の冷たい目線に晒された。

活動的だった祖母はいつしか、外に出かけることを避けるようになった。楽しみにしていたオリンピックもついに行きたがらなくなった。

「本当はそんなに行きたくなかったんだ」。黄さんへうそぶいた。それは黄さんを余計に虚しくさせた。

黄さんは、東京で、今度こそ祖母の願いを叶えようと考えている。

黄さん:祖母を東京オリンピックに連れて行きたいんです。事故で怪我をした足も、松葉杖で短い距離を歩けるくらいに回復しましたし、本人も東京へ行くことを本当に望んでいます。
ただ、その代わりに目の状態が悪くなってきて…バリアフリー化が進んでいるとはいえ、まだちょっと不安ですね。
(実現したら)祖母の心に出来た壁を打ち破ることができると思うんです。また前みたいに元気な姿に戻るんじゃないかな。

作文集の表紙も飾った

まずは祖母の夢を叶え、そのあとは「日中友好の架け橋になって、国際交流に貢献する」という自分の目標に向かって突き進むという黄さん。

政府は、東京オリンピック・パラリンピックを契機に、障害者への差別をなくすよう徹底する「心のバリアフリー」を推進している

体の不自由な外国人を見かけたときに、果たして黄さんが京都で見たバスの乗客のように振る舞えるだろうか。

黄さんの体験は、外国人が増えつつある今、訪れた外国人を「日本ファン」に変えるための重要な示唆をもたらしている。



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大坂なおみ、決勝進出。インタビューは恒例の「なおみ節」全開で会場爆笑

決勝進出を決めた大坂おなおみ選手

テニス全豪オープンで日本勢初の決勝進出を決めた大坂なおみ選手。パワフルな試合内容とは対照的な、ほんわかした「なおみ節」のインタビューは世界中にファンが多い。

この日の勝利者インタビューでも、インタビュアーの女性との絶妙な掛け合いで会場を沸かせた。

試合を決めたサービスエースのチャレンジ成功について

「こういうタフな試合は経験してきたけれど、正直セカンドサーブを打つのはすごく怖かった。神さまお願い!という感じで、何とか(ファーストサーブで)決まった(笑)。これまでの経験が生きたと思う」

26日の決勝までの48時間の過ごし方を聞かれると・・・

「散歩したりする?」

「寝ます(笑)。その後で散歩するかもしれないけれど、正直、多分しないかな」

「なおみ、散歩は仕事と同じよ」

「あ・・うん、でも・・・」

😴🚶‍♀️@Naomi_Osaka_‘s itinerary as she prepares for her first #AusOpen final against Petra Kvitova 😂 pic.twitter.com/b6hJOzBvZD

— #AusOpen (@AustralianOpen) 2019年1月24日

この日は最高気温が40度を超えたため、会場の屋根が閉じられた状態で試合が行われた。

「正直、暑いのが好きだから、屋根が閉じていて悲しかった」

「外は40度よ?!」

「屋根が開いていると、さあ私が輝く時間よ!、って思ってたから(笑)」

日本語のメッセージを頼まれ・・・

「日本では仕事を中断して応援していると思います。みんなにメッセージを日本語でどうぞ」

「はい、こんにちは。みなさん、応援本当にありがとうございます。次の試合、頑張ります。ありがとう!」

「何と言ったの?」

「内緒(照)」

「えっ?教えてよ!」

Our 2019 #AusOpen Women’s Singles finalist @Naomi_Osaka_‘s message to her Japanese fans 🎌#AusOpenpic.twitter.com/eSjkAd1HFU

— #AusOpen (@AustralianOpen) 2019年1月24日


【クレイジー編集部襲撃事件】スギちゃんとダンディ坂野が編集部で暴走

wai

ある日、弊社にこんな男たちが突如として乱入。スギちゃんとダンディ坂野! バズーカを片手に「お邪魔するぜぇ~」と意気揚々と入ってきました。これにはある理由が。 実は2人、スマホアプリ「モンスターストライク」の「劇場版シティ […]


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35歳のサラリーマンが、夢のプロ棋士になった。愛と憎しみが生んだ「将棋界の奇跡」

今から13年前、将棋界でひとつの「奇跡」が起こった。

35歳のサラリーマンがプロ棋士の編入試験に挑戦し、合格を果たした。

サラリーマンの名は、瀬川晶司。かつてプロ棋士養成機関「奨励会」に所属し、プロまであと一歩と迫りながら年齢制限の壁に阻まれ、夢破れた男だった。

2018年のいま、瀬川は「五段」として日々の対局に臨み、好きなことを仕事にできる喜びを謳歌する。一方で、やむなく奨励会を退会した頃は、「将棋への憎しみ」も抱いていたと吐露する。

「将棋界の奇跡」の裏に、なにがあったのか。半生を描いた自伝『泣き虫しょったんの奇跡』の映画化に合わせて、瀬川五段に話を聞いた。

「命の削り合い」それが、奨励会

瀬川は1970年、横浜市生まれ。中学3年で「奨励会」に入会した。

奨励会とは、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関だ。関東と関西にあり、小学生から20代半ばの会員たちがプロ入りを目指して対局に臨む。

奨励会とはどんな場所なのか。瀬川は「好きなことで生きていく厳しさを知る場所」と語る。

「まず、入会試験に合格すること自体がとても難しいです。僕の頃は、合格率が2割ほどの狭き門でした。各都道府県でトップレベルの子どもたちが試験を受けて、それでも8割は落とされる。とても厳しい世界です」

「仲の良かった仲間たちが、どんどん去っていくのを目の当たりにする。将棋の厳しさとも向き合わなければならない。それが奨励会だと思います」

たとえ入会を果たしても、その後の道のりは険しい。月2回の例会で指される対局の成績次第で、級や段位の昇級・降級が決まる。

「(奨励会に入る人たちは)子どもの頃から将棋が大好きで、その延長線上にプロへの道があると思う。でも、途中で”好きなだけではやっていけないな”と悟ると思います」

「将棋界で最も厳しい場所」「命の削り合い」。それが、奨励会だ。

それでも瀬川は21歳で、最終関門の「三段リーグ」まで進んだ。プロ入りとなる「四段」まで、あと一歩と迫った。

年2回開かれる三段リーグは熾烈な争いで知られる。今年9月までの「第63回リーグ」には38人が参加。四段に昇段できるのは上位2人だ。

「魔物が棲む」と言われる三段リーグについて、瀬川は「独特の空気があった」と振り返る。

「もちろん、みんなが努力しているし、努力した人にしか結果はついてこない。ただ、努力をしたからといって、結果が”必ず”ついてくるとは限らない。そこが厳しいところです」

立ちはだかる年齢制限の壁

奨励会の過酷さに拍車をかけるのが、年齢制限だ。26歳までに四段になれなければ、強制的に退会させられる。

そのプレッシャーについて、瀬川はこう語る。

「同じ将棋を指すのでも、迷いが出たりして、”この勝負に負けたらどうしよう”とか、今まであまり考えなかったマイナスのイメージがどんどんついてくる」

「”負けたくない”という思いが、強くなりすぎてしまう。勝ちに行く手より、負けにくいような手を選んでしまったり。結局、踏み込みが悪くなるわけです」

1995年、26歳になった瀬川。

この年の三段リーグに負け越して、やむなく退会が決まった。

「自分は棋士になれるはずだと思っていました。だから、もしなれなかったら…。大学も行かずに、ずっと将棋だけやってきた、何もない人間なわけです」

「”そんなことが起きるわけがない” “そんな悲惨な目に遭うわけがない”という、よく分からない根拠がありました」

「ただ、最後のリーグ戦のときは、棋士になれない現実を考えるのが怖くて。棋士になれるんだと、無理やり思っていたところもあったと思います」

青春のすべてを賭けた、11年余りの奨励会での日々。その終わりが決まった対局は、「あっさり負けたような気がする」と、瀬川は語る。

対局を終え、東京・千駄ケ谷の将棋会館を後にした瀬川は、街をさまよった。

「当時、一人暮らしをしていた中野の街をぐるぐる歩いていました。生きていてもしょうがないなと、ふっと思った瞬間もありましたね」

「いっそ、車道に飛び出して…と。でも、親や兄弟の顔が浮かんで。思いとどまることができました」

夜間大学とアルバイトの日々

奨励会を辞めた後は、「しばらくは、今で言うニートみたいな感じだった」と、瀬川は語る。

「何もやる気が起きなくて。ただ、なにか新しい目標をつくらなきゃいけない。それで、ふと弁護士になろうと思ったんです」

「昔たまたま読んだ高木彬光さんの推理小説に、弁護士が主役の作品があったんです。それが好きで、司法試験を目指してみようと。大学の法学部に入りました。ほぼ思いつきでしたが(笑)」

通ったのは夜間の大学。朝から昼までは、イトーヨーカドーで品出しのアルバイトに勤しんだ。授業は夕方からはじまって、帰宅するのは10時ごろ。

「学費ぐらいは稼がないと」と始めたアルバイトは、瀬川にとってはじめての体験だった。

「将棋以外をやったことがなかったので、刺激的な経験でした。アルバイト先では友達もできた。大学には若い人もいれば、年上の方もいて、いろいろな交流をしているうちに、なんとかやっていけるかなと思いました」

大学生活を送るうちに、弁護士になろうという気持ちは薄れていった。

その代わりに湧き上がってきたのが、かつて全てを賭けた「将棋」への思いだった。

「大学に入った頃は、将棋なんてやるんじゃなかったという想いがありました。でも、大学生活で色々な方と接しているうちに、将棋を恨むのはお門違いだなと思うようになりました」

「結局は、自分の力が足りなかっただけ。そう考えたら、また将棋が指したくなった。大学3年ごろから、また駒を触りはじめて、アマチュアの大会に出るようになりました」

年齢制限に怯え、消極的になっていた奨励会時代の姿はなかった。この頃の瀬川は、伸び伸びとした将棋が指せるようになっていた。

「アマチュアに戻ったら、積極的に勝ちに行く手を指せるようになった。やっぱり楽しかったですね。昔、子どもの頃に感じていた”楽しい”という気持ちを思い出しました」

プロ編入試験の嘆願書

プロ入り試験実施を発表する日本将棋連盟の米長邦雄会長(右)と、受験を喜ぶ瀬川晶司さん(東京・渋谷区の日本将棋連盟)撮影日:2005年05月26日

大学卒業後は、NECの関連会社に就職。システムエンジニアとして会社員生活を送った。その一方で、2000年からアマチュア枠でプロ公式戦に出場。戦績は17勝6敗。勝率73%の好成績をマークした。

「もう一度プロの世界に挑戦したい」。2005年2月、瀬川は日本将棋連盟に嘆願書を提出した。

これは棋士の間で大きな議論を呼んだ。

たしかに、これほど強いアマチュアは過去に類を見なかった。2005年にはA級棋士の久保利明八段(当時)を撃破。「プロキラー」として知られる存在だった。

ただ、前回のプロ編入試験は60年前。「奨励会を通過していない人はプロになるべきではない」など、反対意見は根強かった。改革の必要性を説いて「裏切り者」と言われた棋士もいたという。

一方で、「年齢に関係なく何らかの道があった方がいい」と、瀬川の挑戦を後押しする人もいた。誰であろう、羽生善治だった。

将棋連盟の台所事情も、瀬川の追い風となった。当時の将棋連盟は公式棋戦の打ち切りや免状収入の減少、機関誌『将棋世界』の部数減などもあり、赤字に悩んでいた。

改革機運の高まりもあって、将棋連盟はプロ編入試験の実施を決定。合格条件は「棋士、奨励会員、女流棋士らとの六番勝負で3勝以上」というものだった。

プロ編入試験6番勝負の第5局が行われ、高野秀行5段(33)を破り、合格の条件とされた3勝目をあげてプロ入りを決め、笑顔を見せる将棋アマチュア棋士の会社員、瀬川晶司さん(35歳)(東京・千駄ケ谷の将棋会館) 撮影日:2005年11月06日

2005年11月6日、2勝2敗でむかえた六番勝負の第5局。瀬川は高野秀行五段(当時)を104手で破った。

「最後まで勝ちかどうかわからなかった。本当に勝てて嬉しい」

フラッシュに包まれ、興奮した様子の瀬川は、言葉に詰まりながら喜びを語ったと、当時の新聞は伝えた。

こうして、 一度は夢を絶たれた35歳のサラリーマンは、プロ棋士になる夢を叶えた。故・花村元司さん以来、61年ぶりのことだった。

プロは「負け方」を見られている

瀬川のプロ入りを機に、将棋連盟はプロ編入試験を制度化。2014年にはアマ強豪だった今泉健司四段が、瀬川の後に続いた。

「好きなことを仕事にできるのは、とても幸せなこと。やっぱり、将棋で暮らしていくのは、本当に幸運だなと思います」

一方で、アマ時代とは違って、瀬川はあることを意識するようになった。それは「負け方」だ。

「アマチュア時代は、プロに勝った将棋ばかりが注目を浴び、褒めてもらえました。でも、プロだと勝った将棋ではなく、負けた将棋が注目されます」

「だから、決して”負けたらどうでもいい”となってはいけない。悪いときほどよく見られているのがプロだと思います」

瀬川が目指す、これからの将棋人生は

いま、将棋界は空前のブームに沸いている。

羽生竜王の「永世七冠」達成、藤井七段の連勝劇は記憶に新しい。加えて、八大タイトルを8人が分け合う「戦国時代」となった。高見泰地叡王、菅井竜也王位、豊島将之棋聖は、いずれも20代だ。

若手の台頭について、瀬川はこう語る。

「やっぱり藤井七段の出現に刺激を受けていると思います。 藤井七段にバッと抜かれちゃうという危機感で、頑張らなきゃというのがあるのだと思います」

対して、瀬川はいま48歳。これからの将棋人生について、こんな展望をもっている。

「もちろん、これからも勝ちたい。ただ、いつも勝負のことだけを考えてればいい年齢ではなくなってきたかなと思っています」

「弟子の育成だったり、将棋をもっと普及するための方策だったり、そういうことも考えていく時期かなと。今回の映画『泣き虫しょったんの奇跡』(9月7日全国公開)で、将棋を知らない人にも興味を持ってもらえれば、すごく嬉しいです」

将棋に「奇跡」はあるのか? その答えは…

最後に、こんなことを聞いてみた。将棋に「奇跡」はあるのか、と。

瀬川は優しい笑みを浮かべつつ、こう言った。

「将棋に偶然の要素はありません。ただ、わずかに運の要素はあると思います」

どういうことなのか。瀬川はこう説明する。

「将棋には指運(ゆびうん)という言葉があります。お互いの持ち時間がなくなった”1分将棋”の最終局面。 朝から晩まで将棋を指して疲れ切っている中、次の選択肢が2択になることがあるんです」

「たいがい、片方の手が勝ちで、もう片方が負けです。残り1秒、最後は感覚で指すことになる。そんな時に選んだ手で勝ったら、”指運がよかった”と言います」

力の拮抗した者同士が極限になったときは、そういった「指運」で勝負が喫することもあるという。ただ、それも積み重ねがあってこそだ。

「私自身、プロ編入試験に合格できたのは奇跡だとは思いません。ただ、長く閉ざされていた道が拓かれたのは、周りの人たちが応援してくれたからです。これは奇跡でした」

「プロの棋士になりたいという夢を持ち続けたことが、今の道に繋がりました。夢を持って、諦めずに挑戦し続けること。それが、奇跡につながる道かもしれません」

瀬川晶司(せがわ・しょうじ)1970年、横浜市生まれ。中学3年で奨励会に入会。三段まで昇段するも、年齢制限で1996年に退会。2005年に61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格。2012年、五段昇段。NEC所属。

『泣き虫しょったんの奇跡』9月7日(金)全国ロードショー

<ストーリー>
史上初! 奨励会退会からのプロ編入という偉業を成し遂げた男の感動の実話。26歳。それはプロ棋士へのタイムリミット。小学生のころから将棋一筋で生きてきたしょったんこと瀬川晶司の夢は、年齢制限の壁にぶつかりあっけなく断たれた。将棋と縁を切りサラリーマンとして暮らしていたしょったんは、アマ名人になっていた親友の悠野ら周囲の人々に支えられ、将棋を再開することに。プロを目指すという重圧から解放され、その面白さ、楽しさを改めて痛感する。「やっぱり、プロになりたい―」。35歳、しょったんの人生を賭けた二度目の挑戦が始まる――。

監督・脚本:豊田利晃
原作:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社文庫刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、渋川清彦、駒木根隆介、新井浩文、早乙女太一、妻夫木聡、松たか子、美保純、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作:「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会
制作プロダクション:ホリプロ/エフ・プロジェクト
特別協力:公益社団法人日本将棋連盟
配給・宣伝:東京テアトル


まるでエジプト?ドンキ中野駅前店の「トイレの謎」に迫ってみた

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なんでもそろう便利なお店「ドン・キホーテ」。 そのドン・キホーテのとある店舗のトイレが、SNS上で「エジプトみたいだ」と、話題になっています。 話題の発端となる写真を投稿したゼロ次郎さんを含め、ドン・キホーテ中野駅前店の […]


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