あの人のことば

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男性育休「義務化」は、「誰かが悪役にならなくては」。 議連発足、自民・和田義明氏の決意とは

自民党の和田義明衆院議員

男性の育児参加を促そうと、5月23日に自民党有志による「男性の育休『義務化』を目指す議員連盟(仮称)」の発起人会が開かれる。

議連発足の契機は、2018年12月に行われた自民党女性活躍推進本部(森まさこ本部長)の会合で、和田義明衆議院議員が「男性の育休は義務化すべきだと思う」と発言したことだった。育休「義務化」への思いを聞いた。

 

「文化を変える。荒療治が必要だ」

ーー「義務化」というワード、思い切りましたね。

潜在的なニーズは感じていたんです。この話をすると、友人でも顔色が変わるほど「本当にやってほしい」という人がものすごく多くて。特に女性は「絶対やって」と切実。男性も取れるものなら取りたいけど、そんな雰囲気でも文化でもないし、というところですよね。

日本の育休は、これだけ以前からいい制度があるのに、取得が進まない。これは文化を変えなければいけない。荒療治が必要だ、と。そういう意味で「義務化」という刺激的な言葉を使いました。それくらいの覚悟でやらないと実効性が担保できない、という切迫した思いがあった。

 

ーー「義務という形で強制するべきではない」というような反発もあるのでは?

報道を見て、地元・札幌の事務所には「中小企業でできるわけがない」とお叱りの電話もありました。経営者の団体、企業の団体からは反発が強いと思う。ただ、中長期的に見れば、「このままではあなた方の未来がないんですよ」ということを丁寧に理解を求めていかなくてはと思っています。

それから、男女とも親の責務は果たしましょうよ、と。日本の一番の問題は少子化ですよね。教育無償化とか対策はやってはいるが、特効薬はない。効くだろうということを、ひたすら打ち続けていくしかない。そして、男性が子育てをすることによって、状況は必ず変わってくる。最大の国益につながる政策の一つだと思っています。

 

ーー議連のゴールは? 「義務」を盛り込んだ法改正も検討していますか?

「義務化」というのは職場側に対するメッセージですよね。議連として目指すのは、法改正というよりも、一定期間、きちんとした期間の育児休業を取りましょういうことと、取得率100%。

ただ子どもとベッタリ一緒にいるのではなく。育休を5日取っても、その後の働き方が変わらなければ意味がないわけです。きちんと育児参加が定着していくことが大事。休むばかりでは限界もあるでしょうが、そもそも現行の育休制度では、育休中でも月80時間までは働くことが可能です。こうした制度や時短勤務などの軽勤務をミックスしてもいい。

 軽勤務は有効活用するればサステナブル(持続可能)だと思うんですよ。じゃあ、育休を何日取るのがいいのか。軽勤務はどれくらいの期間なのか。まだ議論すべきところは色々あって、時間をかけて切り崩していく必要があると思っています。

もちろん法律に落とし込むのは簡単ではない。理念法かガイドラインか分からないが、企業や団体が動いてくれるようなものを作る。何より実効性が大事なので。

 

専業主婦家庭でも、子育ての感動を知らない父親でいいとは僕は思わない

ーー「取りたくない」という人にはどう対処しますか?

うーん、本来なら、職場が「育休を取りなさい、ちゃんと子育てをしなさい」と言ってほしいですね。ただ、個人の働き方の自由を踏みにじってまで、というのはなかなか難しいとは思います。

でも、専業主婦家庭であっても、お父さんが子育てにノータッチでいいとは思わない。僕自身の経験ですけど、子育てに関与することで今まで考えてもみなかった絆や感動が生まれた、というのがある。そういうのを知らないまま父親でいることと、知らずに父親でいることの差は大きいと思います。どなたに対しても、子供と接する経験を一定期間持って欲しいなと思うし、そこを知らずに父親でいていいという風に僕は思わない。

 

ーーご自身、育休の経験は?

5年前に長女が生まれた時は、商社に勤めていました。育休は取らなかったし、発想がなかったです。ただ、平日は妻に任せていましたが、週末は3食作ったり、平日も夜泣きで起こされたり。限られた時間で子どもにはできるだけ関わりました。

赤ちゃんて、何を思って泣いているのかも分からない。どう対処していいかも分からない。怖いですよ。離乳食なんて、せっかく作って食べさせてもすぐ吐き出すし。

限られた時間でも向き合うのは大変なので、毎日1対1で向き合ったら発狂するなと思いましたね。生まれるまでは「母親なんだから根性で乗り切れるんだろう」と思っていた部分も正直あったので、世の中のお母さん方に酷なことを思っていたんだなと反省しました。

今は5歳ですけど、街中の僕のポスターを見て「パピー」と言ってくれます。毎週月曜日は涙、涙です。

 

ーー事務所にも娘さんの描いた絵や写真がありますね。今なら育休取りますか?

取りますね。もともと海外生活が通算10年あり、日本のワークライフバランスはおかしいと思っていました。海外だと父親と母親が両方育児をする、というのはごく当たり前。価値観は人それぞれで、一言でカテゴライズはできないけれど、多くの父親は子育ての義務を果たしていないという気持ちがあった。

それに、少子化対策になる、虐待防止にもつながる、という以前に、単純に子どもといて日々の成長に関わるのは楽しいですもん。ハッピーになれる。

 

 若手の男性議員は「すごく前向き」

ーー議連には男性議員が多いとか。自民党の男性議員が?と少し驚きました。

そんなこと言わないでくださいよ。このテーマは、男女両方の議員がやらないといけない。いろんな議員に声をかけましたが、1〜3期生ぐらいの男性議員はすごく前向きです。パワフルな議連になると思う。

党内でも男性の育児参加のニーズは理解されているし、「男は外、女は家」という感覚をまだ持っている人は、僕らくらいの年代ではいないと思いますよ。

 

ーーもう一つ。義務化反対の声として「育休を取ってもきちんと育児に関わらない夫が多い」というのもあります。

どうしたらいいんでしょうね? 職場でも研修すればいいと思うけれど、社会人になってからの頭の切り替えは難しい。学校教育でもやらないといけないんだろうとは思いますね。

 

ーー動き出せば色々な抵抗もあると思います。理解は得られるでしょうか?

こういうことをやらない企業は、人が採用できなくなるんです。生産年齢人口が今後激減し、企業に人が行き渡らなくなる。国民のみなさんの価値観も、「お給料だけではなく、ワークライフバランスや達成感を大事にしたい」と変わってきた。企業も変わっていかないと生き残れなくなるんですよ、と。避けて通れないものを見ないふりするのは誠実ではない。

なかなか政治家の口から言いづらいですよ、はっきり言って。でもしっかり言っていかないといけないし、理解してもらわなくてはいけない。誰かが悪役にならなくては。企業のためなんです。働き方改革も、なんやかんやでそうやって切り崩していったんですから。

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“上原の悔し涙”にみる「個人と組織の関係」

上原引退/引退会見の上原

昨日(5月21日)、巨人の上原浩治投手が記者会見を開き、現役引退を表明した。

広島カープファンの私にとって、「巨人の上原投手」というのは、まさに「憎たらしい投手」そのものだった。現在、セリーグ3連覇中の「強いカープ」になるまで、25年間も優勝から遠ざかり、「万年Bクラス」と言われていた頃のカープが、上原投手にどれだけ悔しい思いをさせられてきたか。

そのような「巨人の上原投手」が「悔し涙」を流したことに、深い共感を覚えたことがあった。

その時に思ったことを書いたような記憶があったので、パソコンの保存ファイルを検索してみると、「上原の悔し涙」と題する短文がみつかった。当時は、検察組織に所属してた時代で、ブログやツイッターなどもなく、そのまま、私のパソコンの中に埋もれていた。

巨人軍上原投手、新人では19年ぶりの20勝投手、1999年10月6日のスポーツ紙面は、前夜のヤクルト戦で完投勝利を飾った若き巨人軍エースの賞賛で埋め尽くされるはずであった。しかし、意外にも、多くのスポーツ紙の一面の見出しは「上原、悔し涙」という大きな文字だった。

巨人軍には、もう一つの個人記録がかかっていた。ホームラン王を狙う松井が41本と、トップを走るヤクルトのペタジーニに1本差に迫っていた。既に中日の優勝が決まったセリーグの「消化試合」、球場に足を運んだファンは、松井対ペタジーニの白熱した「ホームラン王争い」に期待していた。しかし、6回ヤクルトの投手が、松井を敬遠したことの「仕返し」に、巨人のベンチは、7回1死無走者のペタジーニの打席の場面で上原に敬遠を指示、これに従って四球を出した上原は屈辱に顔をゆがめ、ベンチに帰ってからも涙は止まらなかったという。

野球は、チームプレーの競技である。しかし、それは、あくまでチームの勝利のためのもののはずだ。一人の個人記録のために、記録を達成しようとしている別の個人に対して、勝負を回避する指示をするということが許されるのだろうか。

スポーツ紙には、「むこうが勝負してこないのだから勝負しないのは仕方がない」という趣旨の巨人軍の投手コーチのコメントが載っていた。それは、「むこうのチームが投手にビーンボールを投げてきたのだから、こっちもやり返すのが当たり前だ」という理屈に似ている。そこには、「消化試合」であっても、球場に足を運んでくれた多くのファンに応えようという意識は全くない。

松井の敬遠も、ヤクルトベンチの指示だったかもしれないが、敬遠した投手は、結局のところ、松井にホームランを打たせない自信がなかったのであろう。しかし、それまでペタジーニにヒットすら一本も打たれていなかった上原には、少なくともホームランだけは絶対に打たれないという自信があったはずだ。99年のペナントレース、幾度も連敗を重ねながら、その都度「連敗ストッパー」として立ちはだかった上原のおかげで、最後まで中日と優勝争いを演じることができた巨人軍。上原には、そのベンチから、20勝投手の桧舞台でペタジーニを敬遠するように指示をされることなど、思いもよらぬことであったろう。ペタジーニを完全に押さえ込んで松井の援護射撃をしたいと意気込んでいた彼が、無念の涙を流すのは無理もない。

しかし、その上原個人にとっても、ベンチの指示にしたがって敬遠をすることが当然と言っていいのであろうか。指示に逆らって、腕も折れるぐらいの気迫で速球をペタジーニに投げ込むことがなぜできなかったのか。もし、ここで、上原がベンチに対して「反逆」を行い、万が一それがホームランという結果につながったとしても、責める者は誰もいないであろう。上原には、その結果について自分自身で責任を負うに十分なだけの実力と実績がある。

観客の前で白熱した「勝負」を演ずることがプロ野球の神髄だとすれば、チームの勝敗のためではなく個人記録のために勝負を回避させたベンチの指示は、決して正当なものとは言えない。「不当な指示」であっても、それに従うことが、プロ選手として当然なのであろうか。マウンドで投球を行っていたのは投手上原であり、「巨人軍」ではない。入場料を払って観戦に来てくれる客に対して、真剣な「勝負」で応える責任を負っているのは、組織としてのチームだけではない。プロとしての選手個人にも責任があるはずだ。

組織の指示に対し、「正当性」について自ら判断せず、従順にしたがっている限り責任を問われないというのが、従来の日本の企業社会での「個人」の行動だ。しかし、その日本の企業社会も大きく変わろうとしている。組織は、時として大きな誤りを犯す。組織の指示の正当性についても、自分自身で判断し、自己の責任で行動することが必要となることもある。

上原が流した涙は、巨人軍ベンチが最後の最後で自分を信頼してくれなかったことへの悔しさによるものであろうか、そのベンチの指示にしたがって惨めな敬遠四球を投じた自分自身の「ふがいなさ」を悔やむものであろうか。

カープファンの私が、このようなことを思うほど、上原投手は、この上なく強い、偉大な投手であった。

その活躍に心から拍手を送りたい。

 

「郷原信郎が斬る」2019年5月21日「“上原の悔し涙”にみる「個人と組織の関係」より転載


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ホスト歴14年の僕が、寿司屋の大将になった理由。

お寿司を作るSHUNさん

僕は歌舞伎町のホストクラブ「Smappa! Hans Axel von Fersen(スマッパ・ハンス・アクセル・フォン・フェルセン)」で代表を務める現役ホストです。

18歳でホストになってから14年。ホストの仕事を続けながら、このたびまったく新しいチャレンジとして、寿司屋の大将になりました。

5月2日にオープンした「へい らっしゃい」というお寿司屋さんで、大将として毎晩寿司を握っています。

ホストと寿司職人のダブルワーク。

色々な方に「なんで!?」と驚かれましたが、僕の中では二つの職業は繋がっています。

SHUNさん

ホストクラブで感じていた、女性ならではの選択肢の少なさ

僕がなぜ寿司屋をやろうと思ったのか?

それは「女性の楽しめる場所を増やしたい」と思ったからです。

ホストになって14年、ホストクラブにいらっしゃる沢山の女性と話してきて、女性が社会で物凄く抑圧されていることを知りました。

夜遊びに関していえば、男性だけで行きやすいお店や、男性しかいけないお店は沢山あるのに、女性が気軽に遊びに行ける場所は少ない。更にホストグラブに行くことが、“悪いこと”のように思われてしまい、人に隠れて行かなければいけない状況。

もちろん、ホストクラブを選んで遊びに来てくださる女性たちには感謝しかありません。

しかし、男性よりも女性の方が選択肢が少ないということには、ずっと違和感を覚えてきました。

そこで僕は、女性がもっと気軽に来れる”遊び場”を提供したいと思いました。

なぜ「寿司屋」なのか

ではなぜ、寿司屋なのか。それは、これまでホストとして働いていく中で、女性に好きな食べ物を尋ねた時に、一番多かった答えが“寿司”だったからです。

僕自身、親族が経営する寿司屋を幼いころから間近で見てきたこともあり、寿司の世界に魅了されている人間の1人。

「へい らっしゃい」をオープンするにあたり、6カ月の間、親戚の寿司屋で修行をさせてもらいました。

ネタは毎朝、親戚と付き合いのある豊洲の鮮魚店から仕入れています。

Smappa!Groupの皆さん

なぜダブルワークなのか

ホストと寿司屋、なぜダブルワークなのか。

寿司屋一本で行けばいいのではと思われる方もいらっしゃると思います。

ダブルワークがベストかどうかはわからない。

でも、僕たちベテランホスト達が、これからどういう生き方をしていくのか?

というのが、我々の業界の課題なんです。

女性のお客様が「遊びにいきたい」と思った時、お寿司屋さんを選ぶ方もいればホストクラブを選ぶ方もいる。どちらも同じように選択肢として提案したいと思うんです。

それに、僕は14年間続けてきたホストという職業に誇りを持っています。これからもホストをやっていきたい。その中で、このキャリアを活かして、ホストのおもてなし精神が、他のサービス業でも通じることを示したい。

そんな思いから、今日も僕は、17時から寿司を握り、21時になったらホストクラブで、ホストとしてお客様を出迎えています。

おこがましいかもしれないけれど、僕みたいにダブルワークをするホストの存在が、一つの生き方の提示になればと考えています。


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アイドル、防災士、チャリティ……。 いろいろな活動で、たくさんの人を笑顔にしたい ──「アイドル」の平成30年史【時東ぁみさんインタビュー】

左からインタビュアーの博報堂生活総合研究所 夏山明美主席研究員とマルチタレント 時東ぁみさん

博報堂生活総合研究所(以下、生活総研)『生活者の平成30年史』出版記念企画のVol.4は平成が始まる2年前(昭和62年・1987年)にご誕生、平成半ば(平成17年・2005年)にデビューし、アイドルとして一世を風靡した時東ぁみ(ときとう あみ)さんのインタビューです。現在はアイドル活動のほか、防災士の資格を活かした仕事や、チャリティなど幅広くご活躍中の時東さん。平成とともに歩んできた時東さんの歴史を通じて、アイドル像の変化を振り返ります。

昔は、みんなが好きな人を好きになる時代だった

──時東さんのお生まれは1987年ですよね。平成元年が1989年なので、時東さんのこれまでの人生は、ほぼすっぽり平成に収まっているわけですが、子どもの頃はどんなタレントさんやアイドル、芸能人の方がお好きでしたか。

時東 5歳上にお姉ちゃんがいるんですが、その影響で、小さな頃からSMAPさんが好きでしたね。あと、モーニング娘。さんや松浦亜弥さんは中学生の頃に聴いていました。当時、アイドルの曲はみんなが聴く曲でした。カラオケに行って、みんなで歌ってました。

──ちなみに、SMAPのデビューが1991年、モーニング娘。のデビューが1997年です。

時東 私が4歳の時と10歳の時ですね。中学生ぐらいになるとRIP SLYMEさんとかケツメイシさん、ORANGE RANGEさんとか、ヒップホップ系の人たちがたくさん出てきて、好きでしたね。この時の曲が私の青春です。
あと、衝撃的だったのは宇多田ヒカルさんでした。うちの姉と同い年で身近な存在なのに、英語の発音も流暢で、すごく新しい音楽だと感じたのを覚えています。高校に入ると比較的自由な学校だったので、スピーカーを持って行って好きな曲をみんなで聴いていました。

──今は価値観が多様化した分、ファンも細分化していますが、時東さんのお話にあるように、以前は時代を代表するアイドルやアーティストがいましたよね。

時東 私の学生時代は、みんなが好きな音楽で溢れていました。自分だけが好きな人を見つけるというよりは、みんなが好きな人、みんなが知っているものが好きということが多かった気がします。今は「もっとコアなものを知ってなきゃ」と考える若い人たちが増えてきているように思います。

体育大を出て、人を助けたいと思っていた

──芸能界に入る前はどんな将来を思い描いていましたか。

時東 私は小さい頃からスポーツが大好きで、3歳(1990年)から12歳(1999年)までモダンバレエ、中学入学(2000年)から高校卒業(2005年)までバスケットボールをやっていたので、体育大学に入りたいと思っていました。実際に、日本体育大学と日本女子体育大学のオープンキャンパスにも行ったんですよ。

──なぜ、体育大学に入りたいと思ったんですか。

時東 お年寄りや身体の不自由な方にスポーツを教える人になりたいと思っていたんです。元々、私は「お年寄りや障害のある方がいたら、助けなさい」というお父さんの教えのもと、小学生の頃からボランティアでごみ拾いをやったり、デイ・ホームにいってお年寄りのお手伝いをしてました。そして、中学生ぐらいだったかな、父の勧めで乙武洋匡さんの著書『五体不満足』を読んだんですが、そのなかに「障害は個性だ」と書いてあって……。それを知った上でパラリンピックの車椅子バスケなどの映像を見て、選手の方々の凄さにも気づきました。私にとって人を助けられることのひとつにスポーツがあったので、体育大に入って、人の助けになりたいと思ったんです。

 

時東ぁみさん

 

──では、芸能界に入ったのはご自分の意志ではなかったということですか。「ミスマガジン2005 つんく♂賞」を受賞して18歳でデビューされたんですよね。

時東 親友が読者モデルをしていて、そこの事務所の人が私の写真を撮って「ミスマガジン」に応募したんです。
書類審査のあとで映像審査があるというので、よくわからないままコンテストを主催していた講談社に連れていかれました。会議室には関係者と私とカメラが一台だけ。「今から好きな歌をアカペラで歌ってください」と突然言われたので、EXILEさんの曲を歌わせていただきました。ほかの子はみんな、つんく♂さんが「ミスマガジン」の審査員だと知っていたので、つんく♂さんがプロデュースしていたハロー!プロジェクトさんの歌だったんです。私は何も知らなかったので、1万6千人のなかで一人だけ男性の歌を歌っていた……と、後になって聞かされました(笑)。そして、コンテストに自分が出ていると知った時には、すでにベスト16に入っていました(笑)。

 

 夏山明美主席研究員(手前)と時東ぁみさん

──それで、逆にいい意味で目立ってしまったということですね。

時東 そうかもしれませんね。あとは、他にも知らず知らずのうちに目立っていたのかなぁ~と思うこともあって……。その頃、「頭がよく見えるんじゃない?」ということで学校で伊達メガネが流行ってて、私もよくかけていました。オーディションにも、たまたま伊達メガネをかけていってたとか、「おでこを出してみて」と言われて、恥ずかしがりもせずにものすごく笑いながら、おでこを出したりとか、絶対にグランプリをとるといった気負いがないとか、ほかの子と違うところがあったから注目されたのかもしれません。

自分からもっといろいろなことにチャレンジしようと思った

──2005年、時東さんのデビュー当時のことを教えてください。

時東 デビューで私の人生は大きく変わりました。私はバイト感覚だったのに、事務所の人に「体育大学を諦めてくれ」と言われた時、夢を閉ざされた、挫折したと思いました。そこから、自分はどうなるんだろう?と思う間もなく、働きました。それまで自由な学校で緩かったのが、厳しく育てられました。髪型、衣装、それに眼鏡まで事務所の大人たちに決められて、27時間ミュージックビデオの撮影をしたりとか。今じゃ考えられませんけど(笑)。そうこうするうちに、AKB48さんの活動が始まって、そこからグループのアイドルが一気に増えていきました。正直、私はグループで活動している人たちをすごくうらやましいと思ってました。私はソロだったので、たとえ体調が悪くても一人ですべてを背負わなければならなかったからです。
でも今思えば、ソロのアイドルとしてつんく♂さんに接することができたことは、とてもよかったと感じています。プロデュースの方法を身近で学ばせていただいたことは、のちのライブの構成づくりやチャリティイベントのプロデュースに活きることになりましたから。

──デビュー2年目の2007年、20歳の時に超ご多忙にも関わらず、防災士の資格を取得されていますね。何かきっかけがあったんでしょうか。

時東 事務所の人から体育大を出て、人を助けたいという夢の話がつんく♂さんに伝わったんです。そして、突然、つんく♂さんに呼ばれて、「ボランティアとか人を助けるのが好きなんだったら、こんな資格もあるぞ」って教えてもらったのが、防災士でした。

──その資格がのちに「時東ぁみの危機耳ラジオ~その時のために~」などの防災関連のラジオ・パーソナリティのお仕事や防災イベントへのご出演につながっていくわけですね。2009年、22歳の時にはメガネのデザイン・プロデュースも始められましたよね。

時東 ちょうど防災士の資格を取った頃だったと思いますが、事務所の社長に呼ばれて「こちらから与えた仕事をすべてこなせるようになったことはわかっている。よくやっていると思う。でも、与えられる仕事以上のことをやろうと考えたことはあるか?」と言われたんです。その時、「ああ、私、平均点しか取れていないんだ」と思いました。言われたことしかやっていない、それじゃダメなんだって。それで、自分からもっといろいろなことにチャレンジしようと思ったんです。ちょうど同じ頃にSNSが普及し始めて、直接世の中にメッセージを発信できるようになったことも大きかったですね。

子どもたち向けの防災イベントでの様子

人から選ばれるアイドルから自分で手をあげるアイドルへ

──SNSの歴史でいうと、FacebookとTwitterが日本に上陸したのが2008年。iPhoneの発売も同じ年でした。

時東 SNSが普及したことで、私のようにアイドル以外の活動に幅を広げる人だけでなく、事務所に属さず個人で動くアイドルも増え始めましたよね。
80年代、90年代のアイドルは手の届かない存在で、レベルもかなり高かったように思います。グループじゃなくて一人だったから、事務所もしっかり教育しやすかったし、仕事も情報発信もすべて事務所がマネージメントしていたんではないでしょうか。それが2009年頃から、状況が変わり始めたように思います。例えば、アイドルがSNSで情報発信をするなど、自分で動くようになりました。
また、アイドルへのなり方も「人に選ばれるアイドルから、自分で手をあげるアイドル」へと変わりました。かつてのアイドルは、「スター誕生」などのオーディションで合格した人で、他の人やファンが「この人はアイドル」と思う人でした。今のアイドルは、オーディションに合格しなくても、「私、アイドルです」と自分で宣言しちゃえば、アイドルとして活動できる時代になったのでは……と思います。

──いわゆる「地下アイドル」と呼ばれる人たちですね。

時東 地下アイドルの皆さんは、SNSを使って自由に活動できる反面、方向性を見失ってしまうケースも多いようです。私は若い頃にブログなどもすべて事務所の人にチェックしてもらって、言葉遣いなどを教えてもらいました。それがあったから、今に至るまで一度もネットで炎上せずにすんでいるんだと思います。でも、地下アイドルの子たちは、SNSの使い方を教えてもらえるわけではないし、自分をプロデュースする方法を学ぶ機会もほとんどないようです。そのような話を聞くと、私は恵まれていたんだなぁ~と感じます。

現在、私は若いアイドルのみなさんと番組をつくっています。こうした仕事を通じて、私が学ばせてもらったことを今のアイドルさんたちに伝えられたら、と思っています。

──時東さんは複数のアカウントを使い分けるなど、うまくSNSを活用していますよね。

時東 公式アカウント以外に、防災士や、チャリティなどのアカウントを持っています。あえて分けているのは、例えばグラビアのお仕事のお知らせとチャリティ活動の情報を同じアカウントで発信してくのは、見る人にとってもわかりにくいし、私がメッセージを届けたい相手も異なるからです。

SNSが便利なのは、アカウントを使い分けることで、自分の活動のスイッチを切り替えられる点にあると私は考えています。昔だったら、アイドル以外のことをしたいんだったら、アイドルを辞めて、次は女優という感じでしたが、今は並行していろんな顔を持てます。
アイドルとして歌って踊っている時の自分、防災士の仕事をしている自分、チャリティをやっている自分……。その時々の時東ぁみになれるし、昔からのファンの皆さんとも、チャリティをサポートしてくださる方ともそれぞれにつながっていくことができる。それがSNSの大きなメリットじゃないでしょうか。

人の温かさは、その時・その場でしか体験できない

──チャリティを始めたのは、ベトナムでのライブがきっかけだそうですね。

時東 2012年にベトナムのホイヤンというところで初の海外ライブをやらせていただいたのですが、まったく盛り上がらなかったんです。お客さんは日本のアイドルをどう見たらいいのかわからない。私もまったくお客さんに寄り添うことができていなかった。そんなライブでした……。

それがすごく悔しくて、恥ずかしくて、どこかで巻き返さなければならないと思っていたところ、日本で開催されるベトナムフェスに出演することが決まって、ベトナム語を急いで勉強しました。そして、挨拶と自己紹介をベトナム語でやったら、お客さんの反応がとてもよかったんです。

その後、ベトナム語の教科書を読んで必死に勉強して、次のホーチミンのライブではMCをすべてベトナム語でやりました。お客さんもすごく盛り上がってくれて、前の失敗をようやく挽回できたと思いました。

でも、その時に現地のスタッフからこんなことを言われたんです。「ホーチミンは都会で、今日のライブに来た人は裕福な人たちなんだよ。田舎には、ベトナム語が書けない人も、学校に行けない人もたくさんいるんだよ」──。それを聞いて、その人たちの力になりたいと思ったのがチャリティ活動を始めるきっかけでした。2016年にチャリティ団体を立ち上げて、ベトナムの皆さんにいろいろなものを送ったりする活動を続けています。

ベトナムのチャリティ活動の様子1ベトナムのチャリティ活動の様子2

──平成は、消費の軸が「モノ」から「コト」、そして「トキ」(生活総研によるキーワード「同じ志向を持っている人と、その時・その場でしか味わえない盛り上がりを楽しむために行動したり、お金を使ったりすること」)へ移った時代だと言われています。時東さんのライブやチャリティイベントに多くのファンが足を運ぶのも、その時・その場を一緒に体験したいという思いがあるからだと思います。

時東 これもつんく♂さんから教えてもらったことなのですが、ライブやイベントにお客さんが来てくれるということは、いろいろな選択肢があるなかで「この時間」を選んでくれたということなんですよね。だから、その時・その場に何かを提供しようとする人は、本当に楽しくて感動してもらえる体験を提供できなければならないと思うんです。それができないアイドルやアーティストは、生き残っていくのが大変な時代になってきたんだとも感じます。

──インターネットがあれば、音楽も聴けるし、映画も観られるし、ゲームもできるのに、わざわざ足を運んでいるわけですもんね。

時東 そうなんですよ。しかも、YouTubeなどのコンテンツはタダで楽しめますよね。それなのに、あえてお金を払って来てくださるわけですから。

──YouTubeで時東さんの曲を聴いて覚えることはできても、一緒に歌ったり、感動をみんなと共有したりすることはその時・その場に行かなければできないですよね。平成はコンテンツがタダで手に入るのが当たり前と考える「タダ・ネイティブ」(生活総研によるキーワード「サービスやコンテンツはタダで利用できるのが当たり前。そんな環境で育つ今の子どもたちのこと」)が生まれた時代でした。でも、タダ・ネイティブでも体験にはお金を使うわけです。「タダ」で予習をして、「トキ」にお金を使う。そんなスタイルが一般的になってきているといえるかもしれません。

時東 やはり、人の温かさのようなものは、その時・その場のなかでしか体験できないと思うんです。どれだけ技術が進んでも、それは変わらないのではないでしょうか。

──アイドルとファンの関係性は、平成の間にどのように変わったと思いますか。

時東 私の場合、ファン層は活動によってさまざまで、デビューした頃からのファンもいらっしゃいますし、最近になってチャリティをサポートしてくださるようになった方もいます。そのそれぞれで関係性は違うのですが、コアな部分でのアイドルとファンの関係性は、それこそ松田聖子さんなどがアイドルとして活躍されていた頃からずっと変わっていないところもあると感じています。アイドルとの距離感をしっかり保ちながら、ずっと応援し続ける。そんなスタンスのファンは今でも多いし、今後もそこは変わらないのではないでしょうか。

──SNSによってアイドルとファンの距離が縮まったといわれていますが、アイドルとファンの関係は一種の文化としてこれからも続いていくのかもしれませんね。さて、平成が終わって新しい時代に入りました。今後はどんなことに挑戦していきたいですか。

時東 年齢や性別などに関係なく、一人でも多くの人を笑顔にしていきたいと思っています。私は、アイドル、防災士、チャリティイベントのプロデュースといろいろなことをやっています。目的はすべて同じなんです。それは、自分の身近にいる人も含めて、たくさんの人を笑顔にして、幸せにすること。そのための活動をこれからも続けていきたいです。

時東ぁみさん

 時東ぁみ(ときとう あみ)

マルチタレント

1987年東京都生まれ。「ミスマガジン2005 つんく♂賞」を受賞してデビュー。その後、歌手、声優、女優、ラジオ・パーソナリティなど、幅広い分野で活躍。防災士、上級救命技能、手話検定など多数の資格も保有。
現在の主な活動
NHK-FM「ラジオマンジャック」(毎週土曜日16;00~)
渋谷クロスFM「時東ぁみの防災士RADIO」(毎月第2水曜日17:00~)
ミュージック・ジャパンTV「時東ぁみpresentsアイドルチャリティーライブ“WIS”」(不定期)
山口放送、四国放送 北陸放送、 京都放送、長崎放送 山梨放送、東北放送「時東ぁみの危機耳ラジオ~その時のために~」(放送日時は各局によって異なります)
ペット犬専門誌「Cuun」コラム連載 など
公式SNS
時東ぁみ公式twitter  https://twitter.com/aMITOKITO
時東ぁみ公式ページ https://www.facebook.com/aMI.TOKITO.OFFICIAL
防災士 時東ぁみ https://m.facebook.com/bosaisi.TOKITOaMI/
時東ぁみアジアチャリティープロジェクト~子どもたちに笑顔いっぱいの未来を~ https://m.facebook.com/tokitoami.asiacharityproject/

本記事は、博報堂サイトに2019年5月17日に掲載された「Vol.4【時東ぁみさんインタビュー】 アイドル、防災士、チャリティ……。 いろいろな活動で、たくさんの人を笑顔にしたい ──「アイドル」の平成30年史」を転載したものです。


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夜の歌舞伎町をアップデートすべく、ナイトタイムエコノミーのプレイヤー必読の1冊

「通り過ぎる街から、居れば居るほど面白い街にしたい」

ダンスやナイトエンタテインメントを規制する風営法改正。その立役者でもある齋藤貴弘弁護士の『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』は、僕含めナイトタイムエコノミー(夜間における経済活動)のプレイヤーは必ず読むべき本です。

齋藤貴弘『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』(学芸出版社)

店内の明るさなど制限はあるものの、現在、クラブは24時間営業できるようになりました。それは、音楽好きの知識人の方々が無償で動いてくれたことによって、風営法が改正されたおかげです。

歌舞伎町には「お金に色がない」と思っている人が多いですが、自分たちの経済活動のためではなく、文化の醸成という、人間としての誇りを大事にしようと、音楽・ダンスをあらゆる角度から立体的に捉えて、法改正を実践しました。時代遅れのルールを正攻法で改正し、楽しい未来に向けてのルールメイキングに成功したのです。

本書では、そうした法改正の軌跡と、さらに、そこから始まるナイトタイムエコノミーのこれからの時代における重要性や課題について、丁寧に解説しています。

多くの人は歌舞伎町を通り過ぎていく…

先日、オランダ・アムステルダムのナイトメイヤー(夜間の行政を担当する責任者)を務めるシャミロ・ヴァン ディア ジェルドさんたちとトークさせていただきました。

いまナイトタイムエコノミーというと、音楽に加え、インバウンドのイメージが強いですが、インバウンドはその中心ではないと彼らははっきり言っています。

昼にはないフラットな関係性を築ける夜の時間の価値や、世代や人種、性別をクロスすることで生まれる文化━━。

それが夜の価値だと、僕も思います。

歌舞伎町は大衆文化の街です。誰でも受け入れるという寛容さの反面、軽薄さも美徳としてしまう部分があります。

俗世を離れて気を抜いて、「まいっか」と思わせる街が歌舞伎町です。

だから、ある時期は歌舞伎町に通うけれど、多くは通り過ぎていきます。それは歌舞伎町で働く人も、歌舞伎町に遊びに来る人も同じです。

でも、僕は居続けたい。居続けるためには変わらなければいけない意識喚起を、この本はしてくれます。

夜のコンテンツを提供する側は、その質を上げていく努力をしなければいけません。こうやって、我々の文化を昇華させようと取り組む遊び好きな人たちがいるということに気づかなければいけません。

インバウンド向けのコンテンツづくりは必要ないと思います。なぜなら、それは短絡的な大人の建前のようなものであって、本質ではないから。それよりも、ゆっくりと時間をかけて、文化を醸成できるようなコミュニティにしていくという覚悟が必要だと思います。

歌舞伎町は、内輪のポジション争いに終始していてはいけない。内弁慶ではなく、いや、多少内弁慶の面白さもあって良いが、深さを持った面白みに変えていく努力をするべきです。

そうすることで、自分たち自身で、通り過ぎる街ではなく、居続ける街に変えることができると思っています。

歌舞伎町は海外の事例を真似することができないくらい独特な街です。

多くは店側とお客側がはっきりと分かれていて、クラブを中心とした海外のナイトシーンとは違います。しかし、音楽という万国共通の文化をハブにして、そこがコミュニティになり、飲食店との連携がとれるようになるのが道筋のように思います。

日本で最初にできた商店街振興組合は歌舞伎町です。戦後の復興は、この街の商売人の方たちを中心に進められました。まさに本書におけるルールメイキングをしてくれた先輩たちがいたおかげなのです。海外のナイトメイヤーの機能を、すでに昭和30年代に実践していたのです。

そこからさらに、アップデートさせる時がきているように思います。それは課題解決ではなく、自分たちの楽しい未来をつくるためです。

そうすれば、僕たちプレイヤーは一生遊びながら、それを生業として生きていくことができるのだから。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

齋藤貴弘『ルールメイキング:ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』(学芸出版社)

今週の「本屋さん」

手塚マキ(てづか・まき)さん/歌舞伎町ブックセンター(東京都新宿区)

どんな本屋さん?

新宿・歌舞伎町のラブホテル街のど真ん中に位置する書店です。本棚に並ぶのは「愛」をテーマにした約600タイトル、書店員ならぬ“ホスト書店員”が、おすすめの本を紹介してくれます。現在は移転作業のため一時的にクローズ中で、再オープンは6月中を予定しています。

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)

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手塚マキさんが名著を独自の見方で読み解いた新刊『裏・読書』が4月20日、「ハフポストブックス」から刊行されました。全国の書店、ネット書店で販売されています。


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「これじゃ日本の女性は輝けない」 男性育休”義務化”に自民・松川るい氏が込めた思い

近く発足が予定されている自民党有志による「男性の育休“義務化“を目指す議員連盟」。設立の中心メンバーとなったのは、和田義明氏と松川るい氏らだ。

2018年12月に行われた自民党女性活躍推進本部(森まさこ本部長)での会合。和田氏が「男性の育児休業は義務化すべきだと思う」と発言し、松川氏が和田氏とともに森まさこ氏に働きかけ議連の設立へと動き始めた。

多くの議員や地方の中小企業にも賛同してもらうため、議連が第一の狙いとして掲げたのは男性育休が円満な夫婦関係にもつながり「少子化対策として有効」ということだ。

そこには、二児の母である松川議員自身の経験から、「家事育児をしなかった」夫への不満が爆発した経験も大いに影響しているのだという。

「夫のような男性が多いから日本の女性は輝けないんだ」

ブログ会合で何度も「男性育休の義務化」を言葉にするなど、男性の育児参加の必要性を訴え続けてきた松川氏に思いを聞いた。  

「夫はかつて、家事と育児を全くしない人でした。同じような職場に務めて同じ額の給料をもらっている夫婦なのに、全部私が負担していました。『お皿ぐらい洗ってよ』と言ったら、本当にお皿だけ洗ったんですよ、お茶碗は残して…。怒り心頭です。なんで私ばっかりって。アンフェアだと思いました」

「『ママだから子どもを見るのは当たり前』とか、『女性と男性は違うんだ』とか。諸外国では外交の現場で活躍する女性たちもたくさんいるのを目の当たりにしていましたから、『夫のような男性が多いから、これじゃ日本の女性は輝けないんだ』と確信しましたね」

 

 

女性が外で働くためには家事育児の夫婦での分担は欠かせない。加えて、夫の育児・家事分担時間の多い家庭ほど、第2子以降が生まれる可能性も高いことが明らかになっている

「夫がイクメン・カジメンだったら、もしかしたら私は政治家になっていなかったかもしれません。24時間しか時間がないのは男性も女性も同じ。女性が男性に比べて過大な時間を家事育児に差し出させられていて、男性同様に活躍できるはずはありません。その時は、2人目の子供を産んで、また、私が全部負担するなんてまっぴらごめんだと思いました」

「統計上も家事育児を夫が分担しない夫婦には第2子以降が生まれる確率が低いことが明らかになっていますが、実感としても当たっています。逆に言えば、夫が家事育児をきちんと分担すれば、子供が増え、活躍できる女性が増えると思います」 

 

 

「10カ月前から分かっている出産、休めないのはおかしい」

「義務化」を言い出した和田氏をはじめ、議連メンバーには男性議員も名を連ねる。 

「男性にとっても、子どもを育てる喜びを分かち合うことで、より家庭円満につながるのではないでしょうか。離婚率低下にもつながるでしょう。丸1か月の育休を取ったある男性キャスターも、子どもと妻との距離が変わった、育休を取って本当に良かった、としみじみおっしゃっていました」

「議連だって、男性である和田義明議員が『育休を義務化すべきだ』と発言してくれたから、つまり、男性自身も育休が必要と思っているんだと確信できたたから、よしやってみよう!と思えたのです。女性だけで男性に育児休業取得を働きかけてもきっと響かないと思っていました」

とはいえ、企業側からの反発は予想される。

「男性の新入社員の8割は育休取得を希望していますから、若者は間違いなく喜ぶでしょう。けれど、『男性社員全員が育休を取り始めたら仕事なんて回らないだろう』とは言われるでしょうね」

「でも、企業にとっても属人化してしまっている仕事のやり方を、外国人含めより多様な人材が担えるようにモジュール化するきっかけになりますし、人手不足の時代に優秀な若者を採用するための戦略の一つにもなると思う。骨折したって社員が1〜2週間休むことはある。出産は10カ月も前からわかっているのですから、3〜4週間休ませることができないってことは無いと思うんですよ」

多忙を極める外務省でも、松川氏によると職員が2週間の夏季休暇を取得することが「当たり前」になっているという。そのターニングポイントを目の当たりにしたことも、松川氏が「義務化」というトップダウンでの改革が有効になると考えた理由だ。

「ある年、事務次官が『上司は部下の職員に2週間の休みを必ず取らせること』と発言されたんです。それだけで雰囲気がガラッと変わりました。男性の育休も同じ。経営トップが『部下に男性育休を必ず取らせないとマイナス査定にする』と宣言するだけで全然違う雰囲気になるでしょう」

「『うちの社員は育休を取りたいとは言ってこないんだよね〜』ではダメなんです。男性社員にはまだまだ自分では言い出せない状況があるんですから」


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「誰一人取り残さない社会に向けての、第一歩になりたい」 世界一周の船旅・ピースボートが目指すもの。

ピースボート 恩田夏絵さん

居酒屋のトイレに行くと、目にすることの多いあのポスター。

 「ピースボート」だ。

 船旅で世界一周するということは、なんとなく知っていても、具体的な内容については知らない人も多いのではないか。

 ジャーナリストの堀潤さんが司会を務めるネット番組「NewsX~8bitnews」5月6日放送のテーマは「分断の時代、対立を乗り越えるために」。ピースボートの恩田夏絵さん、畠山澄子さんがゲストとして登場し、その取り組みについて語った。

 1983年に設立された日本生まれの国際NGO、ピースボート。2019で設立36年目だ。「みんなが主役で船を出す」を合言葉に、地球一周の船旅を通した顔の見える国際交流をコーディネートしている。これまでのべ7万人の参加者と世界中200以上の港を訪問してきたという。

 ピースボートの始まりとなったのは、当時国際問題となっていた「教科書問題」だったという。

 日本の歴史教科書検定の際に、日本のアジアへの軍事侵略が「進出」と書き換えられるという報道に対して、アジアの人たちが激しく抗議したという出来事だ。

「このとき、学生たちが、自分たちが学んできた歴史は本当のことなのか、自分たちの目で確かめに行こう、と始めたのがピースボートなんです。その土地を訪れ、そこで生活している人たちと会って、いろんな体験をする。悲しいこともあるし悔しいことも楽しいこともあります」(恩田さん)

 初めはアジアの4、5港を回っていたのみだったが、90年代から世界を回るようになった。

 船旅の間、訪れる先では、そこの人たちが直面している課題にも触れることになる。そこから様々なプロジェクトが生まれてきた。

 貧困や震災で苦しむ地域を訪れ、日本からの支援物資を届けるプロジェクトや、カンボジアの地雷廃絶のためのキャンペーンなどが一例だ。

「船なので、物資も運んでいけるんです。例えば『ピースボールプロジェクト』では、日本で使われなくなったサッカーボールやスパイクを持って行って、貧しくてサッカーボールを買えない地域の子どもたちに渡しています。楽器を集めたり、文房具を集めたりすることもある。これまでいちばん大きなものでは、救急車をキューバに持って行ったこともあります」(恩田さん)

 さらに、100日間のクルーズを終えた後も、自分が属するコミュニティで平和の担い手になっていってほしいという思いから、ピースボートでは「地球大学」という活動を行なっている。船上では「ゼミ」がありゲスト講師を招いて講義が行われ、寄港地では体験的に理解を深め、自分の問題としてとらえる視点を養う。

 地球大学を担当する畠山さんが説明する。

「例えば、カンボジアのキリングフィールド(大量虐殺が行われた処刑場)に行ったときのことです。頭蓋骨がタワーのように展示されているのを見たときに、私を含め日本からの参加者は『なんて辛いことが起きたんだろう。二度とこういうことを起こしてはいけないなぁ』と考える。その横で、スリランカから来た子たちは怒っていました。『頭蓋骨を見世物にするのは侮辱ではないか』と。こうした考え方の違いを受けて、じゃあどういった歴史の継承の仕方があるのか、過ちを起こさないためにどうしたらいいのかという議論を、船に戻った後で深めていきます」

 国連との特別協議資格を持つNGOとして、「持続可能な開発目標」 (SDGs) の達成を目指すさまざまなプロジェクトにも取り組むピースボート。

「私たちは、誰一人取り残さない社会を実現しようというのをテーマにしています。平和というと先進国が途上国を助けてあげるというイメージをしがちですが、そうではなくて、対等なパートナーとして一緒に持続可能な世界を目指していく。先進国と呼ばれている国にも取り残されてしまっている人、苦しい思いをしている人はいます。そういう人に目を向けられる人を作ることも、平和や持続可能な社会への第一歩なのではないかと考えています」

【文:高橋有希/ 編集:南麻理江】

堀潤さんがMCを担当する月曜の「NewsX」、次回は5月20日夜10時から生放送。番組URLはこちら⇒https://dch.dmkt-sp.jp/title/tv/Y3JpZDovL3BsYWxhLmlwdHZmLmpwL2JjLzBjMWQvNWU3MQ%3D%3D


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前田裕二さん『メモの魔力』を、書店員の私はこう読んだ。店頭での売れ方は…

『メモの魔力』は秋元康さんが「ホリエモン(堀江貴文)以来の天才」と称した、前田裕二さんの2冊目となる著書です。

幻冬舎の天才編集者・箕輪厚介さんが1冊目の『人生の勝算』を作っていたとき、8歳で両親を亡くされて、路上でギターの弾き語りをしてお金を稼いでいたなど、前田さんの人生のエピソードを聞き、「すごい人だ!」と思ったそうですが、なかでも一番衝撃を受けたのがメモのとり方だったそうです。

すでにその時点で、前田さんのメモ本を作ろうと思ったほど濃い内容だったと言われています。

前田裕二『メモの魔力』(幻冬舎)

 

まず、メモには2種類あって…

1つめは「記録」のため

2つめは「知的生産」のため

1つめの「記録」は、AIやロボットにも出来ること。

2つめの「知的生産」はアイデアを言語化することで、これこそが前田さんが「メモ」と呼んでいるものです。

前田さんのメモは見開きで使われます。

左ページに左脳的な事実、右ページに右脳的な発想を書きます。

左ページには具体的な、実際目にしたり、聞いたりした事実=ファクトを書き、右ページは2つに分けて、左側にファクトを抽象化したものを書き、さらに、その右に実際どうしたらいいかという転用を書きます。

インプットしたファクトをもとに、気づいたことを抽象化し、自分の行動に転用するのです。 このように書くと難しく感じられるかもしれませんが、前田さんはそのやり方を自身のノートを使って丁寧に説明されています。

この方法にもとづいて、巻末についている自分を知るための1000個の自己分析をしていきます。 ファクトは仕事や日常の中で気になったことを書くのですが、抽象化、そして転用まで進めることで思考が深まります。

実際やってみるとファクトまでは書けるものの、その先が難しく、止まってしまうのですが…

抽象化 → 「ということは」

転用 → 「他のことで生かすと」

など、実際にメモ魔を始めた人たちのメモの写真やヒントがSNSにアップされていて、それらを参考にしながら進めることができました。

読者がツイッターにアップしたメモに、前田さんご本人が返信やリツイートをすることでノウハウが拡散され、みんなもがんばってやっているから私も…、という一体感がさらなる読者を増やしていく様子がわかりました。

これは、前田さんが『メモの魔力』を読者に届けるための30のアイデアの1つですが、ほかにも…

・『メモの魔力』出版前に、人生の軸(人生という航海を進めるためのコンパス)を募集し、約1000人の方から寄せられた人生の軸を巻末に載せている。

・3月2日から31日まで『メモの魔力』にサインをするため、書店まわりをする様子や本に書いてないことを動画にしてYouTubeにアップ。

・24万人のフォロワーがいるホリエモンチャンネルにゲストとして登場、『メモの魔力』を宣伝。

・表紙のペンの色を増刷の度に変えているうえに、全色揃えて背表紙側からみるとペンの絵が完成するという、何冊も集めたくなるような装丁。

・朝の情報番組『スッキリ』にコメンテーターとして不定期レギュラー出演。

なかでも『人生が変わる1分間の深イイ話』出演の際には、放送前に「#深イイ前田」でみんなでコメントしてトレンド1位をとりましょう、と呼びかけ実際世界のトレンド1位になり、読者参加型の祭りになりました(私もツイッターにコメントをアップし、お祭り気分を味わった1人です)。

2018年12月の発売当初はビジネスマンが主な購入層でしたが、翌3月には大学生や高校生も店頭のコーナーに立って話題にする様子がみられ、現在は中高年男女のお客様層まで広がりを見せています。

『メモの魔力』の売れ方は過去のビジネス書とは一線を画していますが、その大きな理由1つは、前田さんが代表を務めるSHOWROOMの双方向型ビジネスを“本”に試みて、達成したことでみんなが感動したり、ワクワクしたことでしょう。

自分が何をしている時に一番楽しいのか、発見することができたのはこの本の「ファクト→抽象化→転用」のおかげでした。

ピアノ講師から書店員という人生の中で、わたしは自己分析をする機会を持ち得ませんでした。 具体的に何がしたいかわかれば、行動がわかり、自分がトップダウン型のモチベーションかボトムアップ型モチベーションかどちらの生き方に喜びを感じるのか把握し、行動を細分化していきます。

トップダウン型は重要度を価値観との関連で決定し、行動をゴールから逆算します。

一方、ボトムアップ型は重要度をワクワクするかどうかで決め、行動は目の前の面白そうなことに飛びつきます。

例でいうと西野亮廣さん、前田裕二さんはトップダウン型、ボトムアップ型は堀江貴文さん、箕輪厚介さんです。

この本には、自己分析1000問がキビシイ方のために、簡略化したライフチャートという自己分析フレームワークも用意されています(前田さんの、誰も見捨てない、まさに神対応…!)。

巻末に掲載された1000人の多種多様な人生の軸のうち、共感したものにアンダーラインを引くことで自分の人生の軸がわかりやすくなる、というヒントもあります。

AIが進化したら、時間が余る、そのとき何をしたらいいかわからないということがないように、自分を知っておくためにもメモは大切だということ。AIの発達によって店舗に人がいなくなったりすることで、人と人の関わり、接点がなくなりもっと人は寂しくなると前田さんは言っています。

また、音楽やエンタメなど、ついそのことばかり考えてしまう可処分精神の奪い合いがこの先のビジネスを制するという予測もされています。

ブレイディみかこさんの『ぼくはホワイトで、イエローでちょっとブルー』を読んでイギリスの中学生たちが学んでいるシチズンシップエデュケーション(市民としての資質、能力を育成するための教育)を知り、つい日本の教育と比べてしまいました。

自己分析をして、深く自分を掘り下げることで、前田さんがそうであったように、子どもたちの生きやすさも変わるのではないかと。

そして単なるビジネス書には終わらないこの本の終章には、お兄さんや先生に対する感謝と、前田さんが書くかどうか最後まで迷った、というコンプレックス体験が書かれています。 はじめて読んだとき、正直涙ぐんでしまいました。

人の能力の差はそんなに大きくない、やるか、やらないかだと思う。輝いている人は努力している、というのが1日3時間睡眠の前田さんからのメッセージです。

連載コラム:本屋さんの「推し本」

本屋さんが好き。

便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。

そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。

誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。

あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。

推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp

今週紹介した本

前田裕二『メモの魔力』(幻冬舎)

今週の「本屋さん」

たかつきさん/水嶋書房

(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)


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大相撲を愛して、25年あまり。熱狂的ファンのアメリカ人が、相撲界に伝えたいこと

大相撲夏場所3日目/金星を狙う小錦

大相撲5月場所と言えば、大一番やドラマが多いとも言われ、相撲ファンには人気の高い場所である。

横綱・千代の富士と、当時、前頭筆頭・貴乃花が繰り広げた名勝負も5月場所だった。

2人の横綱をはじめ、人気力士がそろい今場所はトランプ大統領が千秋楽観戦を希望しているとも伝えられ、より一層、注目が集まっている。

デパートの電化製品売り場においてあったテレビがきっかけ

私は相撲好きが高じて佐渡ヶ嶽部屋の後援会にまで入った。なぜそんなに相撲が好きなのかと聞かれることがあるが、好きという感情が先に立ち、冷静に伝えようにも言葉すら浮かんでこない。それくらい相撲が好きだ。簡潔には言いようのない気持ちを、相撲に出会った時に立ち返り考えてみようと思う。

私が相撲に興味を持ったのは、日本に留学したばかりの90年代初めのこと。若花田・貴花田兄弟の「若貴人気」や武蔵丸、曙の活躍が目覚しかった。

最初に相撲を観たのはデパートの電化製品売り場においてあるテレビが映し出す取組の様子で、日本では相撲は人気のスポーツだと聞いていたのに土俵の周りはガラガラに空いていた。

今考えてみれば、どうしてガラガラだったのかはすぐにわかる。

私が観たのは昼過ぎくらいで、幕下が勝負をしている時間である。幕下の取組から見ているのは本当の「通」で、多くの人は人気力士の登場する頃から土俵際に座るように思う。 

しかし、何も知らなかった私は、観客もいないところで淡々と取組がなされている様子を伝える画面を見て、本当に相撲は人気のあるスポーツなのか?と首を傾げた。

何が人気なのだろうか…。持ち前の好奇心と何事も実際に自分の目で確認したいという性格が手伝って、私は国技館に相撲を観に行くことにした。

当時、留学生であった私に、日本人の友人が「当日券の席は一番後ろだけれどとても安い」と教えてくれたので、朝6時から窓口に並んでチケットを入手。初めての観戦で相撲に魅了されてしまった。

激しいぶつかり合いの中に垣間見る巧みな戦略。

何より武器も持たずに1対1で臨む姿の勇ましさ。

アメリカのプロスポーツでは相手を挑発する行為も多くみられるが、相撲には一切それがなく、相撲の取組には礼儀正しさ、伝統の継承、そして力士の所作や土俵の様式に見る宗教的特徴、さらに日本人の美徳ともいえる「謙遜」が随所にちりばめられていた。

それからというもの私は留学中の2年間、東京場所に30回は足を運んだ。

早朝に当日券を入手してから講義を受け、講義終了と同時に国技館へ走り、決まり手や戦略を駆使する力士の本気でぶつかり合う臨場感を大いに楽しんだ。当時は時代もとても寛容で、昼頃は升席が空いているからと、一番後ろの席にいる私を土俵際に案内してくれることもよくあった。そして、すべての場所をテレビで観戦。たとえ友人と遊んでいようとも好きな力士の取組の時間になれば電気店のテレビの前に立ち、応援したものだ。

日本人の友人もあきれるほどに相撲にのめりこんだ私は、帰国後もその熱を心に燃やし続けた。そしてクイン・エマニュエル外国法事務弁護士事務所の東京オフィスの代表となり、とうとう佐渡ヶ嶽部屋の後援会に入った。

親方と親しくしていただくまでには朝稽古の見学へ赴き、稽古を見せていただくことから始めた。私は、失礼のないようにスタッフを通じて知り合った専門家に見学の心得について事前に聞いた。すると、足袋の代わりに靴下をはき、胡坐をかいてもいいが、足を投げ出したりせずに行儀よくしなければならないと厳しく言われた。

やや緊張しながらも門を開けてしっかりと挨拶し、受け入れてもらえてホッとしたことを覚えている。

稽古は早朝から始まり、一般には8時半ごろから公開される。土俵前の板の間にすわり、声を立てずに2時間余り見守る。稽古の進め方は親方が力士たちの様子を見ながらになるので、いつ終わるのかもわからない。しかし、朝の冴えた空気の中で、力士の体から上り立つ水蒸気となった汗や、ぶつかり合う力士たちの気迫に圧倒されっぱなしで、気がつけば「ちゃんこ」の時間となっていた。

ちゃんこの時間は、私たち見学者が親方にもてなしてもらいながら、若い力士よりも先にいただく。まわしをしめた力士が傍らで「おかわりはいかがですか?」と聞いてくれる。弟子入りしたばかりの力士はまだ10代半ばの人もいて、幼さが残っている。

親方は、緊張している弟子と冗談を言い合いながら、まるでわが子のように接していた。そんなあたたかさに触れ、私はますます相撲も親方も好きになり、佐渡ヶ嶽部屋に足しげく通い、お付き合いをさせていただくようにまでなった。

伝統や礼節を重んじる相撲の世界。私はこよなく愛している。

ところが、ここにも変革は求められているようだ。2018年4月に行われた京都の大相撲の巡業で、土俵で倒れた舞鶴市長に心臓マッサージをしていた女性に土俵から降りるよう命じ、物議を醸した事件があった。

これを機に相撲協会は、女人禁制を全面否定するとの見解を示した。

(相撲の土俵は)男性が必死に戦うところであり、それを守りたいのであって女性差別ではない、女性にも愛される競技という存在でありたいという趣旨であった。

しかし、いささか言い訳がましく聞こえることは否めない。世論調査の結果など明確な傾向は示せないまでも、物議を醸すという状況自体が変革の是非を世論が問うているのだと言えないだろうか。

相撲だけではなくあらゆる物事に対して、私は、差別はあってはならないと思う。私はユダヤ系アメリカ人であるが、ユダヤ教のなかでも長らく認められていなかった女性のラビ(宗教的指導者)を認め始めている団体も表れた。紀元前からの歴史を持つ宗教も変容しつつある。

日本でも、明治時代の文明開化を振り返ってみれば、当時、西洋料理や洋装、欧米の近代思想が紹介されて人々の暮らしは変化した。現代も同様、IT技術の発展によりグローバル化は加速度的に進み、日本においても世界各国の価値観に触れる機会も頻繁となった。こうした刺激によって、より多様性に対応した変化は世界中で同時発生的に起きているのだろう。世界中からの刺激によって、大相撲が、そして、日本がどのように変化するのか楽しみである。


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元TBSアナ、今は広島・原爆被害の伝承を目指す研究者に。久保田智子さんがオーラル・ヒストリーを学ぶ理由

かつては女性アナウンサー。今は原爆被害の伝承を目指す研究者──。そんな異色の経歴を持つ人がいる。久保田智子さん。TBSのアナウンサーとして数々の番組を担当し、ニューヨークに取材記者として派遣されるなどの活躍をしてきたが、今は広島の原爆被害などを伝える活動をするため、オーラル・ヒストリーの手法を東京大学大学院で研究している。

オーラル・ヒストリーとは、人々が語ったことを記録し、歴史の検証に生かす手法。久保田さんはなぜ、人生の「転換」を決心したのか。本人に聞いた。

元TBSアナウンサーの久保田智子さん

事実よりも大切な、1人ひとりのストーリーを残したい

──「オーラルヒストリー」と出会ったきっかけは?

夫の転勤でニューヨークに行くことになって、会社を退職するというタイミングでした。

走り続けてきた仕事から解放されたし、せっかくアメリカに行くのだから私も何かしたいと考えた時、自分が広島出身であることを生かして、被爆者たちの声を世界に広めるお手伝いが出来たらいいなと思ったんです。

それで色々と情報を調べているうちに、今の研究と出会ったんです。 

Facebookの広告に出てきて、「やってみたい事、これだ!」って。現代のアルゴリズムって凄いなぁと感じましたね…(笑)

それをきっかけに、2017年9月から米・コロンビア大学の大学院でオーラルヒストリーを学ぶことになりました。

──インタビュー自体は局アナ時代にも数多く経験してきたと思います。インタビューとオーラルヒストリーにおける違いは、なんでしょうか?

当初は、これまで仕事でインタビューをしてきたし、ある程度インタビューの基礎がある中でそれを深めていけるだろうと思っていたんです。

ところが、実際はとんでもなく…学んでみると方法論が全く違いました。

局アナ時代のインタビューは、客観的な視点に立った上で、かつ時間という制約がある中で、常に事実を探すという姿勢でした。

一方でオーラルヒストリーは、むしろ逆に時間をたっぷり掛けて、話し手のペースに寄り添って聞くことに重点が置かれています。事実の追求よりも”意味付け”の方を重要視するんです。そして私にとっては、こちらの方がしっくり来たんです。

例えば、1945年8月6日に広島に原爆が投下されたということは日本人なら誰もが知る事実ですが、オーラルヒストリーは、そのことが1人の個人にはどんな意味をもったのかを考えるということ。

被爆経験者の方で今もご存命の方は、被爆した当日よりも、今に至るその後の人生の方が大変な苦労をされています。

ただ、現代の平和学習って、その部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているように思うんですよね。原爆が投下された当日のことを伝承することだけで終わってしまっている。新たな時代を迎えた中で、平和学習の形骸化は特に問題だなと感じます。

じっくりと話を聞いて記録するからこそ、一つの事実から立体的に歴史が見えてくる。

今、広島市が養成している被爆体験伝承者になるため、研修を重ねている最中ですが、そんな自分も話を聞くたびに「知った気になっていたんだなぁ…」と改めて思います。

──文献ではなく、口述の記録を残すことへの価値はどこに感じますか?

単に事実だけを並べられても、やはりそこに感情が伴ってないものって頭に入ってこない。歴史の文脈をきちんと残すことに価値を感じるし、それには感情が乗った”活きた会話”が大切だと思います。

原爆投下の経験の伝承に限らず、例えば平成の30年間でも、東日本大震災をはじめ、甚大な被害をもたらした自然災害が本当に多くありました。ですけど、だいたい”震災”とかそういう風に大きな枠に括られてしまうじゃないですか。

そうではなくて、一人ひとりのストーリーとして、その人にどんな意味があったのかということを掘り下げることを大切にする。文献を遡ったり、事実を追求する報道とはアプローチが違うんですよね。 

TBS退社後、久保田さんは米・コロンビア大学の大学院でオーラルヒストリーを学び、修士課程を修了した

オーラルヒストリーは深刻な世界の「分断」の解消に繋がる

──研究を進めてみて、見えてきた事はなんでしょうか?

世界の「分断」が深刻だ、ということは感じましたね。

──なぜ、そう感じたんですか?

特に社会の分断が深刻なアメリカの状況を見ていると、例えばトランプサポーターの人たちは、相手側の話を聞かない。一方リベラルの人たちも、「トランプ」という冠が付くことに対しては、とにかく聞く耳を持たない。2016年の大統領選の頃からそうですが、互いが話し合う状況がすごく難しくなっています。

その理由は、互いに対して何らかのバイアス(先入観)を持ってしまうからなんですよね。まだ何も話を聞いていないのに、何らかのバイアスを掛けてしまっているという状況。

ただ、このバイアスを無くす事に、オーラルヒストリーは貢献できるのではと感じます。

──具体的にどういうことでしょうか?

人の話を聞く時、「どうせこの人はこういう人なんだろう」という先入観を持ったり、既に分かったつもりになったり諦めた上で聞いてしまうことが多いと思うんです。

例えば、「被災者だからきっと大変なんだろう」「被爆者の人はこうなんだろう」とか。

オーラルヒストリーのアプローチは、「分かってないかもしれない」という前提の下で、相手の視座に立って話を聞いてその証言を残すことなので、1つ1つそのプロセスを積み重ねていけば、少しずつでも分断された溝が埋まっていって、解消に繋がるのではないかと思います。

──実際に、オーラルヒストリーの実践は進んでいるのでしょうか?

日本ではまだまだ発展途上ですが、アメリカではマイノリティの人たちのボトムアップのためにオーラルヒストリーが活用されています。

例えば、黒人差別の撤廃や女性の地位向上、LGBTQなどといった議論でも社会的なインパクトを持たせるための手段の1つとなっています。

大切なのは、その人たちを一つの枠に当てはめずに、声をあげる一人ひとりのストーリーを先入観なく聞くこと。そうじゃなきゃ変われないですから。それが、本来の意味での「寄り添う」ということなんじゃないかと思います。

米・コロンビア大学大学院でのオーラルヒストリー研究発表会後=2018年4月18日撮影

”歴史の継承”において、AIにはまだ限界がある

オーラルヒストリーは何度も何度も当事者の元へ足を運び、証言を記録する。将来アーカイブに残すために録音するインタビューは、時に1回につき3時間から5時間を超えるという。手法としてはかなりアナログな作業だが、近年では技術革新が進み、人工知能によるインタビューの実施例も出てきた。

しかし歴史の伝承においては、AIにはまだ人間に取って代われない、と久保田さんは話す。

──なぜ、そう思われますか?

やっぱりインタビューって、人と人とのやりとりなんですよね。その場の雰囲気でどう自分が返すか、当事者が何と言うかとか…。例えば、場所や空間一つ取っても、引き出される話や証言は変わりますから。

その「空気感」を含めたやりとりは、これからの時代でも、人と人とのやりとり以外に取って代わるものはないと思います。

──実際、AIによる伝承やインタビューも実践されたりしています。これについては、どう見ていますか?

南カリフォルニア大学を拠点とする研究機関が、博物館での展示を目的として、ホロコースト・サバイバー(第二次世界大戦時、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った大量殺戮の生存者)の方々の姿をホログラムで投影して、録音された証言を聞くことができるという試みをやっています。

それで私も実際に過去の人々と対話をしてみたんですが、ホログラムとの1時間のオーラルヒストリーのインタビューでは、証言を聞いていても向こう側は私の反応を見ることが出来ません。一問一答みたいな淡白なやりとりになってしまって、非常に機械的でした。

結局、人間と人間の間に成り立つような対話のダイナミズムというか、残していくべき文脈が読み取りにくいんですよね。あくまで今の時点ですが、そこにAIの限界を感じました。

──今後は、どうなっていくと思いますか?

最近、人間がやってきたことがどんどんAIに取って代わられると言われていますけど、使い方次第だと思います。人間にしかできないものと、AIに任せた方が良いものの2つに分かれていく気がします。

単に情報を伝えるだけだったらAIでもいいかもしれないですが、インタビューみたいなものは、今後も人間が担っていくべきだと思います。

ただ、オーラルヒストリーを通じて集めた証言をどう世界に広めていくか、という点についてはテクノロジーを積極的に活用すべきなのかなと思いますね。

最終的にはより身近で”カジュアル”な伝承手法を築きたい

──オーラルヒストリーを応用して今後実現したいことは何ですか?

今はまだ被爆体験の伝承や過去の戦争の話などに限られた形ですが、これから実現したいのは「家族」など小さな単位を対象とした伝承です。

「インタビューをしてみたい」という家族にインタビューに臨んでもらい、録音したものは後日差し上げるという取り組みを考えています。

──大きく・広くではなく、小さく・狭い範囲ですね。その意図は?

実際にインタビューをしてみると、身近な存在なのに自分の家族や身内のことを案外知らない方が多いと感じたんです。

例えば祖父や祖母が孫に過去の経験を声で残せたら、それも伝承の一つの形となって、もしかしたら家族にとって宝物になり得るし、音として記録に残すことで、「聞きたかったのに、聞けなかった」という後悔もなくなる。

社会的にも大きな意味があって、音源をアーカイブ化することが出来れば後世に資料として残るので、時代が進んでもそれを元に誰かが研究できる。

だからこそ、今後は戦争体験などを伝承するという目的の範疇を超えて、よりカジュアルな形で家族や友人の間で簡単にインタビューを残すという手法を確立したいんです。

元号が「令和」に変わっても、私はむしろ「時間に区切りがない」ということを意識していきたい。

伝承のために社会にとって自分が出来ることを探して、それをこれからも進めていこうと思っています。

2019年4月からは東京大学大学院の博士課程で研究を続ける元TBSアナウンサーの久保田智子さん

(聞き手・執筆:小笠原 遥)

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